富士山麓にオウムの痕跡を見に行く

 五時前に沼津を出た。これだけ早く出ればのんびり走っても、昼まで十分甲府に着ける勘定だ。とはいえ外は寒くてまだ暗かった。あまりの寒さに耐えきれず、雨も降っていないのに合羽を着こむ。日が昇るのが恋しかった。
 裾野市、御殿場市と富士山の東麓を走る。そのうち東の空が明るくなってきたが気温は相変わらずで、道路に設置してある電光の温度計は3度を指していた。もう9月の乗鞍よりも寒いのだ。
 こうなると路面凍結が心配だ。転ぶのは三陸だけで勘弁してほしかったので、カーブにさしかかるごと、注意しながら走った。さいわい、まだ路面凍結箇所はなかったものの、路肩は霜で真っ白だった。
 篭坂峠(かごさかとうげ)を越え、山中湖畔に出てくると、すっかり朝日が昇っていた。湖面に映える朝日は神々しく、改めて「お天道様はありがだい!」と思った。昔の人はきっと、こんな風に太陽を眺めていたに違いない。
 富士急ハイランドを尻目に河口湖町(現富士河口湖町)に入る。河口湖の南岸にはホテルや民宿、みやげ屋がひしめきあい、一大観光地の様相を呈している。一方北側はうってかわって静かな趣で、キャンプ場や別荘が点在している。河口湖、西湖の北岸を伝って精進湖(しょうじこ)前に出た。

 ここでぜひ寄っておきたい場所があった。上九一色村(かみくいしきむら・現甲府市および富士河口湖町)だ。その昔、世間を騒がせた宗教団体オウム真理教が大規模な拠点を構えていた場所で、度々テレビなどにも出てきたので覚えておいでの方も多いだろう。
 ちょうど坂本弁護士一家誘拐事件と教団との関係が取りざたされていた頃。当時中学生だった荒井は不謹慎ながら、マスコミから流れてくるオウムの怪しげな話を聞きかじってはネタにして、「弁護士一家誘拐事件はオウムのせいで、坂本弁護士はオウムの実験室で人体解剖の刑に処されだに違いない。」だの「彰晃の頭の中身は今夜の性の儀式の相手ば誰さすっかなんてごどでいっぱいなんだ、絶対。」だの、無責任な妄想をでっち上げては友人と盛り上がっていた時期がある。
 その妄想は全部デタラメに想像したにもかかわらず、結果的に8割9割方当たっていたのだから開いた口がふさがらないが、そうした中学生荒井の耳にももちろん上九一色村の名前は入っていた。95年の一斉捜索を機に村からオウムの姿は消えたが、かつてオウムをネタに遊んでいた荒井、上九一色村は大いに気になるところで、日本一周では必ず寄ろうと決めていたのだ。その上九一色村に、ついに足を踏み入れた。まずは村役場に向かった。

上九一色村役場
上九一色村役場。小さな村らしい、平屋建ての小さな役場。

 上九一色村は富士山北西にある。村の南は富士の裾野の高原となっているが、北に向かうにつれ標高が下がり、村の中央にある精進湖トンネル以北は峡谷になっている。北と南でまるきり風物が変わるせいか、昨今の町村合併でも、村を南北に二分して、それぞれ別の町に編入してはどうだろうという意見が出ていたほどで、その後実際に南北が別々の町と市になっている。
 村役場はその北側にある。かつてオウムが信者を大量に転入させようとして、村民と対立したことがあった。この小さな役場はその舞台となったはずだが、村からオウム亡き今となっては、まったく静かなものだった。
 どこかにオウムとの闘争の記録が残っていないかと冊子類を探してみるが、そうしたものは一つも見つからない。あれこれ物色していると、観光課の方が「村のパンフレットをお探しですか? それでしたらこちらをどうぞ。」と、村の見所を案内する小冊子をいくつか差し出してくれた。
 図らずもオウムで有名になってしまったが、上九一色村一番の売りは富士山麓の豊かな自然だ。小冊子では湖やキャンプ場、山歩きのトレイルなどが紹介されていた。オウムの文字はどこにもない。村は今や元通りの静かな村へと戻っているのだ。

 村の南側は有名な青木ヶ原樹海と重なっている。道は樹海を裂くように走っている。ふと気づけば見渡す限り木ばかりだった。このへんに多い風穴の案内看板も見かけるが、人の姿は少なめでうら寂しい。
 オウムの教団施設跡地は村の南側、役場から30分ほど走ったところ、樹海を抜けた富士山麓の高原地帯にある。現在教団施設は取り壊され、その痕跡は一つも残っていない。
 教団施設が解体されて間もなく、跡地近くに「富士ガリバー王国」という遊園地が作られた。ところが利用客の減少で、わずか4年で閉園となってしまった。「あそこは富士山の裾野で何も遮るものがないからね。山からの吹きさらしの風で寒いから、村の人は誰も遊びに行かないんだよ。」とは、村のガソリンスタンドのおじさんの言葉だ。
 荒井が見た跡地には、廃墟と化した「ガリバー王国」があるだけだった。明らかに周囲から浮いているこの場所は、オウムという忌まわしい過去を葬り去るために作られたのだろう。
 傍らにはオウムとは別の宗教団体の道場が建っている。王国入り口には、今や乗る人もいない送迎バスが何台も並んでいる。柵越しに園内を見ると、牛や馬を飼っていたらしい檻が残っていたが、動物も、飼育係も、見物客の姿もどこにもない。園内は手入れもされておらず、歩道のタイルを割って草が生えていた。裾野の高原だけあって正面に見据える富士は馬鹿でかく、吹き下ろす風はひたすら寒い。

富士ガリバー王国送迎バス 富士ガリバー王国跡
「ガリバー王国」廃墟にて。この明るさも今となっては痛々しい。

 それは滅びた夢の跡だった。過去を葬り去るために作られたこの場所は、その目的を果たし得たのだろうか? この地に染みついたオウムの「呪詛」とでも言うべきものが、今なお障気を放っているようにさえ感じられる。ガリバー王国はその障気にあてられてしまったのかもしれない。変わり果てた王国の姿といい、件の小冊子といい、それはかえってかつての存在の不気味さを雄弁に物語っていた。

上九一色村ふれあいセンター
上九一色村ふれあいセンター。「上九の湯」はこの中。写真は小冊子から。

 役場裏の立ち寄り湯「上九の湯」に入って寒気を吹き飛ばしてから甲府市に行った。上九一色村から甲府市までは単車で30分ほどで、昼にはゆうゆう間にあった。県庁の場所も乗鞍行きで通過した際、なんとなく確かめておいたので、迷わずたどり着けた。「なんとが今週中に山梨県庁さも来られだな。これでいよいよ、心おきなく箱根の山ば越えられるな!」と意気も上がる。
 山梨県庁は舞鶴城公園の隣にある。8階建ての本庁舎の周りに、同じくらいの高さの分庁舎や議事堂が並ぶ、こぢんまりとした県庁だ。本庁舎は1963年の建築で老朽化が進んでいたのだが、近年内装や外装をきれいに張り替えたり、地下に耐震構造を組み込むといった改築工事を施され、新たに生まれ変わりつつあった。

山梨県庁
山梨県庁。従来の建物を改修して使うという決断は、県内でも評価されたらしい。

 その一環で県庁食堂も改装され、営業休止中となっていた。「来たなさ開いでねぇながよ!」とがっかりしつつ、だったら職員さんが利用してそうな近場の店を利用しようと、近所のラーメン屋「えぞ」で、メンマつけ麺を食べることにした。文字通りつけだれにメンマが多めに入ったつけ麺だ。店は繁盛しているようで、まだ昼前なのにほぼ満席になっていた。
 甲府市は都心に近いせいか、人はそちらに流れていってしまうのだろう。甲府は県庁所在地にしては小さい印象を受けた。多くの地方都市の例に漏れず、中心街の衰退も進んでいるようだ。撤退したとおぼしき百貨店跡には、少しでも衰退を食い止めようというのか、県の物産紹介プラザが入居していた。
 ところで、このとき県庁食堂が利用できなかったのが心残りで、山梨県庁にはまた来ることになったのだが、それはかなり後のことである。

 山梨県庁も訪れた。このまま東海道に戻って西に進みたいところだが、翌日から週末だったので、静岡県庁に寄るには都合が悪かった。そこで一旦乗鞍帰りにお世話になった佐久市まで行って、時間をつぶすことにした。甲府からならば国道141号線を北上すれば半日で行ける距離で、しかも途中ぜひ見ておきたい場所もあるから好都合だ。
 県境の手前で、甲州名物「ほうとう」を食べさせる店「小作」を見つけたので、信州に下る前に食べていくことにした。素朴なものから具だくさんの豪華なものまで、何種類ものほうとうがお品書きに載っていたが、いきなり「辛口カルビほうとう」を頼むのもなんなので、一番素朴なかぼちゃほうとうを頼むことにした。
 ほうとうとは、小麦粉を練って作ったうどんのような麺を、野菜やかぼちゃと一緒に味噌で煮込んだ料理だ。麺はうどんよりちくわぶに近くてもっちりしている。さっきのメンマつけ麺がまだ腹に残っていたせいか、残念ながらとびきり旨いと感じなかったが、さりとてまずいものでもなかった。

 国道141号線は八ヶ岳東麓の高原を通るせいか、県境の野辺山峠付近はかなり寒くなっていた。避暑地で有名な清里の高原も、冬を控えて静かなものである。峠からの長い下りを降りきって佐久市に着いたところで、先日利用した千曲パークホテルにまた飛び込みで泊まることにした。

関東一周達成

 朝起きて目の前の浅間山を見てまず驚く。「真っ白じゃねぇが!」 天気予報によれば、夜はひどく冷え込み、浅間山は裾野の方まで雪が降っていたのだ。今期一番の寒さらしい。これから野辺山峠で再び甲州に戻る荒井、峠付近が凍結していないか気にかかる。
 あまりに寒く、いつもの防寒装備だけでは走れそうになかったので、服も着られるだけ重ね着しておいた。特に下の方は、タイツの上に寝るときに着ているジャージをはき、さらにその上からズボンを重ねた上で、さらに合羽を着るという念の入れようだ。ジャージの上からズボンをはくとは、中学男だった頃に戻ったようである。

 路面凍結はしていなかったが、峠に近づくにつれ、昨日以上に寒くなっていった。昨日はまだ青かった八ヶ岳も、今日は真っ白になっている。「この調子だったら、山形はもう大雪だべ。果だして帰れるんだべが?」と先が少し心配になる。実際、この冷え込みで山形にも相当の雪が降ったようで、雪かきが必要になるほどだったらしい。

野辺山駅
野辺山駅。駅舎がこれでも中があれでは...。

 野辺山峠には日本一が二つある。「日本の鉄道最高所」と「日本最高所の駅」だ。極点には極端に弱い旅人という種族、日本一周では必ず行こうと思っていた場所だ。まずは日本最高所の駅、JR小海線野辺山駅に立ち寄った。駅は峠の少し手前にある。周りにはソフトクリームやみやげ品などを売る店が何軒か建っていたが、この時期は来客もいないようで店じまいしていた。
 駅舎は高原の雰囲気に合わせたのか、教会を模したような白い建物で、中ではダルマストーブなど焚かれている。ところが脇では横柄な駅員と、傲慢なおばさんがなにやら醜く口争っていたので、高原の雰囲気ブチ壊しだった。
 こうしたことは何もここに限ったことではないと思う。どんなに土地が魅力的でも、その土地の人が魅力的でなければ観光客はもう来てくれない。旅人は一度はその土地を見に来るが、二度目以降は人に惹かれてやってくる。

日本鉄道最高所
八ヶ岳を背にする日本鉄道最高所。記念碑も建っている。右にあるのはドライブイン「最高地点」。

 気を取り直して、野辺山峠に向かった。こちらにあるのは日本鉄道最高所で、立派な石碑はもちろん、その名もそのまま「最高地点」という名前のドライブインまで建っている。標高は1375メートル、日本の国にはこれより高い場所に鉄道は通っていない。日本最高所の線路と踏切を写真に収め、再び甲州側へと下ってった。
 山梨に入ってしまえば雪の心配はなかったが、寒さは相変わらずだった。温泉にでも入って温まろうと、高根町(現北杜市)の立ち寄り湯「たかねの湯」に寄ったが、開館時刻まではまだだいぶ時間があった。
 寒い中待っているのは嫌なので、仕方なく高根町を後にして、県道づたいに、武川村(むかわむら・現北杜市)に行くと、運良くここでも立ち寄り湯「むかわの湯」を見つけ、迷わず飛び込んだ。それまで重ね着していたジャージもここでザックにしまい込んだ。休憩室の片隅では地元の惣菜屋さんがおにぎりやおかずを売っていたので、いなり寿司と味噌おにぎり、高野豆腐の卵とじを買って昼食にした。

 ところで、ここ「むかわの湯」の脱衣所ではおぞましい光景を目撃した。脱衣室でぺしぺし脇腹や背中を叩きあい、声を上げてはしゃいでいる二人だ。年端のいかない子供さんではない。二人はどこから見ても四十半ばで、小太りの中年男だった。
 共同湯に行くと、たまに変わった方々を目にする。大浴場の隅っこで、股間にタオルだけかけて死んだように寝転がっている方や、腕立て伏せをしている方などなど。傍目に非常にかっこわるい。

「風弦」
武川村にあるモニュメント「風弦」。作者は「風来」と同じゲージツ家篠原勝之氏。同村に工房がある。

 箱根の仙石原ユースホステルに予約の電話を入れ、今日の宿を確保する。甲府からは昨日来た道を引き返し、上九一色村を経由し、河口湖の南岸を通って山中湖に出た。日は傾き掛けていた。このあたりも非常に寒く、重装備でも身に堪える。道路の電光掲示板によれば3度か4度しかない。「ローソン」でフカヒレ肉まんを買い駐車場で食べていると、自転車ツーリングの一団が休憩にやってきた。この寒さというのに膝丈の脛丸出しの自転車用パンツで、足は真っ赤っか。しきりに寒がっていたが、よくこんな服装でここまで来られたなと、見ているこちらも驚き呆れてしまった。
 山中湖の南東から三国峠で神奈川に戻ることにした。峠付近は湖と富士山を一緒に望める景勝地で、夕暮れの富士山を眺めている人が多かった。カメラを据えた三脚もずらりと並んでいる。夕暮れの一瞬を狙っているのだ。
 三国峠に続く明神峠を降りたところで、とっとと本日の宿、仙石原ユースに向かおうと、国道246号線を走る。ここからすぐ南の御殿場に出て、乙女峠を越えれば仙石原まではもうすぐだ。仙石原ユースの売りは温泉だ。これだけ寒い中を走った末の温泉は格別だろう。早く着かないものかなと期待しながら走ったが、道はやたらに渋滞し、先に進めなかった。ひたすらすり抜けを繰り返し、温泉恋しと十数キロほど進んでみたが、乙女峠への道はなかなか現れない。
 道ばたの案内標識には、松田町や秦野市(はだのし)といった名前ばかりが出てくる。いぶかりながらも走っていたが、鉄道の駅が見えるに至ってついに気が付いた。

 「間違えだ!」

 どうやら明神峠からの県道から国道246号線に出た際方向を見失い、御殿場方面とは全く反対方向に走っていた。そして十数キロ走って山北町の山北駅まで来るに至って、ようやくそれに気が付いたのだ。
 「あのすり抜げは何のためだったんだい!」と自ら空しくなりつつ、気を取り直して今来た道を逆方向に走り出した。先ほどまで走っていた対向車線の渋滞が若干緩和しているだけに、余計に空しく腹立たしい。自らを呪いつつ往復十数キロを余計に走り、ようやく乙女峠を越え、六時過ぎになって待望の仙石原に着くと、あたりは真っ暗になっていた。

 仙石原のユースは民家を改造したようなところで、利用客もほとんどは海外からの方だったが、この日同室になったのは日本人の単車乗りだった。彼もこの寒さを走り抜いてきたせいか、部屋にやってきたときは死にそうなほどガタガタ震えており、あいさつもそこそこに、荷物を置くと一目散に温泉に飛び込んでいた。
 荒井が部屋で「今日は寒がったなぁ。」とほっとしていると、「いや〜、生き返りましたよ!」と、彼が戻ってきた。
 彼の名前は鈴木さん。横須賀在住で今日は単車の部品を受け取りに山梨の大月市まで行ってきた帰りで、ここに一泊してから横須賀に戻ることにしたのだそうだ。箱根には何度も来ており「今の時期ならススキが見事ですよ!」とも教えてもらった。
 どんなことを話したのかはもう覚えていないが、単車乗りどうし話は盛り上がった。しかもありがたいことに発泡酒や柿ピーなどごちそうしていただいた。横須賀の鈴木さん、どうもごちそうさまでした!

 ユースご自慢の温泉は時間によって温度や湧出量が極端に変わるという気まぐれなものだったが、この寒い中を走ってきた身にとっては非常にありがたい。ゆっくり身を休めたところで、明日にはいよいよ東海地方に突入である。ついに天下の険を越えるのだ。


荒井の耳打ち

「レイヤリング」

 旅装の基本は「レイヤリング」、つまり重ね着です。薄手の服を何枚か持ち歩き、気温に応じて着たり脱いだりするというのがその考え方です。荷物を減らしつつ、多様な温度調整ができるという利点があります。荒井が持ってったのは着ているぶんも含めてこんな具合です。

 基本的に濡れてもすぐに乾く化学繊維製のもので揃えています。汗による体温の低下を防ぐほか、洗濯しても乾かしやすいという利点があります。

合羽は便利だ!

 雨に濡れて体温が下がるの防ぐのはもちろん、合羽は防寒着やウィンドブレーカーとしても優秀ですので、寒いときにも非常に重宝します。合羽だけはけちらずに、それなりのものをそろえとくことをおすすめします。

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