琵琶湖一周

関西に足を踏み入れる

南宮大社
南宮大社。朱塗りの楼門や拝殿が真っ先に目を引く。

 関ヶ原を越えて滋賀県に入り、琵琶湖を一周することにした。通り道には美濃国一の宮南宮大社や、近江国一の宮建部大社(たけべたいしゃ)があるので、ついでに廻ってこられる。
 名古屋ユースを出発し、先日と同じ国道22号線で岐阜市を目指した。幹線道路なのですぐ信号に引っかかる。土曜の朝だというのに車の量も半端でない。岐阜市で国道21号線に乗り換え西に走るが、車の量は相変わらずだった。

 美濃国一の宮、南宮大社は国道21号線沿いの垂井町にある。立派な平屋建ての拝殿が特徴だ。そのうえ拝殿も門も見事なまでに真っ赤で目を奪われる。
 11月も半ばを過ぎていたので、七五三の参拝客も少なくなっていた。それでも境内には参拝客相手の露店がいくつか店開きしていた。たい焼きの露店に寄ってみると、露店の兄ちゃんが「旅の途中かい?」と、国道21号線にバイパスがあることを教えてくれた。そちらを通っていれば、混雑も少しは避けられただろうか。
 近くのガソリンスタンドに寄ると、もろ関西なまりのおじちゃんとおばちゃんが出てきて給油してくれた。冬になれば雪こそ積もるそうだが、東海地方でもこのあたりはもはや関西に近いのだ。

 そして関ヶ原を越え、とうとう滋賀県に入った。
 「関東」「関西」の「関」は、「関ヶ原」の「関」である。そのとおり、関ヶ原にはかつて不破関(ふわぜき)という関所があり、鈴鹿関、愛発関(あらちぜき)とともに、古来日本を東西に分ける大きな関門となっていた。特に関ヶ原は日本史上最も有名な合戦、「関ヶ原の合戦」の舞台にもなっている。徳川家康率いる東軍と石田三成率いる西軍は、まさに「天下分け目」の関ヶ原で激突していたわけだ。
 関ヶ原は現在でも重要な関門で、国道21号線の他にも名神高速、東海道本線、東海道新幹線が通過している。これまで教科書でしか知らなかった関ヶ原が、どういう場所か理解できた。
 この日の昼食は、長浜市の道の駅近江「母の郷」のうどんセットだったが、運ばれてきたうどんは汁が真っ白だった。

 琵琶湖は日本最大の淡水湖で、滋賀県の六分の一の面積を占めている。一周の始点は米原町(まいばらちょう・現米原市)だ。東海道新幹線の停車駅がある町で、高校の修学旅行で通過したのを覚えている。東海道と言いながら、新幹線も本線も名古屋と大津間は東海道を通っていなかったりする。
 滋賀県の旧国名「近江(おうみ)」の名前はもちろん琵琶湖にちなんでいる。もともとは巨大な淡水湖という意味で「あはうみ」と呼ばれていたのが「あふみ」と縮まって、京の都に「近い」ということもあって、いつしか「近江」の字があてられたんだよと、その昔、高校で古文の先生が教えてくれた。ついでに、それに対して浜名湖は都から「遠い」から、「遠江(とおとうみ)」と呼ばれるようになったとか。
 そして琵琶湖は現れた。対岸が見えないほど広いということはないが、そのかわり、湖岸に沿って道が延々と続いている。さすが日本一の淡水湖、鳥人間コンテスト(注1)の会場だ。

 北に進むにつれ周囲は鄙びてきて、湖畔には葦が目立ってきた。水田も多い。水利を生かしてのことだろう。そして天気も変わってきた。米原は晴れていたが、琵琶湖北の要衝、木之本はくもり空だった。滋賀県も北の方は山がちで大分水嶺も通過しており、しかも日本海に相当近く、海からの季節風が吹き付ける。そのおかげか、北と南では天気が違うことも多いそうだ。
 琵琶湖北に突き出た葛籠尾崎(つづらおざき)あたりは、急な登りが続く全くの峠道だった。時期だけに木々は紅葉している。くもり空のガスの中、紅葉の合間から、雨が沖の湖面を打つ様子や竹生島(ちくぶじま)がちらほらと見えた。
 ニセコ町と並び、日本でも例の少ないカタカナ地方自治体、マキノ町(現高島市・注2)にさしかかる。役場を写真に収め、町を出ようとした途端、雨がひどくなってきた。大急ぎで合羽を着こんで走ったが、マキノ町を離れたらすぐ止んでしまった。雨雲から抜け出したらしい。ほっとしたところで携帯電話を取り出し近江八幡のユースホステルに予約を入れ、今日の宿を確保しておいた。

マキノ町役場
その時撮ったマキノ町役場の図。

 今度は琵琶湖西岸を南に走る。大津に近づくと賑やかになってきた。水田や葦原は集落に変わり、車も増えてきた。琵琶湖西岸は山を挟んで京都市と接している。大原や比叡山といった名所がすぐそばなので、往来する観光客も多いのだろう。
 大津市は滋賀県の県庁所在地だが、土曜日だったので県庁は開いていない。場所だけ覚えておくことにした。
 近江国一の宮、建部大社は大津市内、琵琶湖南端の瀬田川が流れ出すほとりにある。こぢんまりとまとまった雰囲気のいい神社だ。境内では古希のお祝いか、車いすのおばあさんを中心に、その親類とおぼしき中高年の方々が賑やかに話していたが、夕方だったせいか、その一団と荒井以外に参拝客はいなかった。

建部大社
建部大社。境内は小さいが名前は大社。

 大津から近江八幡市(おうみはちまんし)まで、湖畔の道路を20キロほど走った。遮るもののない気持ちのよい道路である。琵琶湖は一周道路が充実しており、一周するのは簡単だ。左手の湖は夕日を照り返していたが、宿に着く頃になると、その夕日も沈みかけていた。
 近江八幡ユースは近江八幡市にある。文化財に指定されているという、明治末の旧い木造の建物を利用しているが、食堂や風呂、厠などは洋風に改装されており、宿泊者の便宜を図っている。客室は30畳ほどの大広間で、泊まり客はそこに布団を敷きのべて寝ることになる。
 夕食の時間になった。ここの売りは建物だけではない。手の込んだ夕食も大きな売りだ。料金を上乗せすると、名物近江牛も食べられる。隣の食卓ではどこかの団体さんが頼んだのか、近江牛のしゃぶしゃぶの準備がすっかり整えられていた。荒井が頼んでいたのは普通の食事だったので、出てきたのはポークソテーだった。ご飯は七分づきして胚芽を残した米を炊いている。
 変わったところでは、このユースでは自分の食器は自分で洗わなければならない。食器を自分で下げて自分で洗って返すというのは、昔はどこのユースでも当たり前のことだったそうで、今でもその伝統を残しているのだそうだ。

 夕食では中年のおじさんと、若い女の子と一緒の食卓になった。荒井含め、全員が旅人だ。
 おじさんは「日本なんてそれこそ二、三周もしたよ!」と豪語するほど、若い頃には単車で日本を巡りに巡っていたそうだ。今は身を固め、以前のように長旅をすることはなくなったそうだが、今回は休みを取って、列車で近畿地方を廻っている最中だった。テーマは味巡り。「こないだ泊まった天橋立ユースはよかった! 冬限定の越前ガニ食べ放題コースで、夕食にカニを食べたんだけど、腹一杯食べられて最高だったよ!」と教えてくれた。彼がここで食べているのはもちろん特別料理、近江牛のソテーだ。
 女の子も相当な旅人らしい。「方々で宿に予約を入れるでしょう? その時『ご旅行ですか?』とよく訊かれますけど、こちらは『旅』をしているんだから、ちょっと興ざめですよね!」と言っていた。すると日本数周のおじさんは「全くそうだよ! 短期間であっても、こっちは『旅行』でなくて『旅』をやってるんだから、そこんとこ分かってほしいよね!」と同意していた。

三重県到着

 朝七時に出発する。朝食でも食べようとコンビニを探して市内を走り回るうち、珍しい店を見つけた。北海道で何度もお世話になった「セイコーマート」だ。
 留萌のARFで煮込みうどん大会があった時、どなたかがこう言っていた。「滋賀と茨城にもセイコーマートがあるんだよ。ほら、舞鶴と大洗に近いから。北海道行きフェリーの発着港が近いからってことらしいんだよ。」 その通り、北海道から遠く離れた滋賀県でも、セイコーマートを見かけることになった(注3)。
 久々に利用しようかと、朝食はそこでタマゴチキンカツサンドを買って食べた。経費削減のためか、作るときに切り落とさなかったようで、パンの耳が付いたままなので食べづらい。この粗削りなところがセイコーマートらしい。

彦根城天守閣
モミジ越しに見る彦根城。

 湖畔の松原を抜け、彦根市に着いたところで、彦根城を見物していくことにした。国宝にも指定されている名城だ。
 天守閣は小高い丘の上に建っている。たどり着くためには、幾重にもなっている石垣や門をくぐり抜け、石段を登っていかなければならない。途中には資料館の他、一休みできるよう茶屋や売店など設けられている。敷地内にはモミジなど多く植えてあり、ちょうど紅葉の真っ最中だった。
 かくして到着した天守閣は、木造三階建ての小さなものだった。小さいながらも気品に満ちた作りである。内部も見学できる。彦根最大の有名人、幕末の佐幕派の重鎮で、かつてはこの城の主でもあった井伊直弼にまつわる展示があった。
 駐車場に戻り出発しようとすると、駐車場整理のおばちゃんが愛想よく「玄宮園(げんきゅうえん)は見ていかないの?」と話しかけてきた。彦根城の入城券は隣にある彦根藩の庭園、玄宮園の入場券も兼ねているので、通常、見学者はこの両方を見ていくらしい。先に進みたかったのでまた今度ということにして、彦根を後にした。

 米原に戻ったところで、琵琶湖一周も終了だ。再び関ヶ原で岐阜県に入る。ひなびた県道を伝い、県境の長良川と木曽川を続けざまに渡れば愛知県だ。名古屋市を通過し再び扇川を渡り、国道23号線に合流すると、すでに昼になっていた。

 国道23号線で再び木曽川と長良川を続けざまに渡り、三重県に入った。三重県はそれまで来たことがなければ、通過したことさえもない。まるきり見たことのない県だけに、期待もふくらむというものだ。
 工業地帯を結ぶせいか、このあたりの国道23号線はずいぶんごみごみしている。やがて工業都市、四日市市が見えてきた。港の方には銀色の工業プラントが並んでいるのが見えた。四日市名物コンビナート、ぜんそくの原因になったあれである。ついでにレトロゲーム愛好家荒井、四日市というと「マイクロキャビン」(注4)という名前が思い出される。

椿大神社
椿大神社。七五三の名残か露店も出ていて賑やかだった。

 三重県のこのあたりは、旧国では伊勢になっている。伊勢国の一の宮椿大神社(つばきおおかみやしろ)は四日市の隣り鈴鹿市にある。四日市市内に「椿大神社はこちら」という案内看板があったので、それに従って神社に向かった。住宅街を越え、茶畑を越え、山に向かって延々と走ること約15キロ、看板のとおり椿大神社に到着した。
 伊勢国には日本の神社の代表格、伊勢神宮が控えている。椿大神社はその陰に隠れていそうだがそれは大間違いで、なかなかどうして参拝客も多く、立派な参集殿まで備えた神社だった。かつては戦災などでずいぶん荒れていたようだが、先代の宮司さんの尽力で、ここまで盛り返してきたらしい。
 参集殿内の売店では、とりどりのこんにゃくが売られていた。神社の名物なのだ。すっかり遅くなっていたが、昼食は一角にある食堂でこんにゃくラーメンを食べた。麺の替わりに糸こんにゃくを使ったラーメンだ。糸こんは細目のもので、噛めばぷっつり切れるようになっている。

 来た道を引き返し四日市に戻り、国道23号線で改めて鈴鹿市に入る。地図によれば、日本有数のレーシングコース、鈴鹿サーキットにほど近い場所にキャンプ場があるらしい。
 キャンプ場に行く前に、市の郊外にある立ち寄り湯「さつき温泉」に入った。隣は農協の施設になっていて、この温泉も農協が経営しているらしい。源泉の温度は52.4度と高めでよく温まる。繁盛している様子で、休憩室ではおばちゃんやおじちゃんが代わる代わる、備え付けのカラオケで熱唱していた。

 目的地「鈴鹿青少年の家」はなかなか見つからなかったが、鈴鹿サーキットのそばの道路で地図を広げていると「どこかお探しですか?」と親切なおじさんがやってきて、場所を教えてくれたので、ようやくたどり着けた。
 ところが、たどり着いたのはいいものの、今度は敷地内のどこにキャンプ場があるのかが分からない。管理棟で場所を訊こうと思っても、すでに閉まっている。しょうがないので、目立たないところにこっそりテントを張った。残り物のなめ茸入りのスパゲティと、ほぐしたコンビニおにぎりにレトルトカレーをぶっかけたもので夕食を済ましたところでこの日は寝た。


脚註

注1・「鳥人間コンテスト」:正式名称は「鳥人間コンテスト選手権大会」。毎年夏に開かれる手作り人力飛行機大会。琵琶湖沿岸の彦根市松原水泳場を会場に、手作り人力飛行機の飛距離を競う。その模様はよみうりテレビにより、毎年全国に放送されている。

注2・「マキノ町」:町の郊外にあるマキノスキー場がその名の由来。スキー場が目玉であることと、カタカナ町名であることが縁で、北海道のニセコ町と姉妹都市提携を結んでいるそうな。ちなみにマキノ町は2005年に町村合併により消えたが、高島市の字名として残っている。姉妹都市提携は合併後も続いている模様。

注3・「滋賀のセイコーマート」:この直後2003年1月、滋賀県でセイコーマートを展開していた会社がファミリーマートと合併した。その際多くの店舗がファミリーマートに鞍替えしたようで、セイコーマートは滋賀から姿を消している。

注4・「マイクロキャビン」:三重県四日市市にある実力派のソフトハウス。80年代から90年代末にかけAVG「ミステリーハウス」「は〜りぃふぉっくす」、ARPG「サーク」をはじめとする名作の数々を世に送り出した。現在はもっぱらビジネスソフト会社として活動している模様。

前に戻る文頭に戻る目次に戻るトップページに戻る次を読む