起きたのは朝六時過ぎだったが、DJEBELのチェーン調整をしたおかげで出発は遅れ、権兵衛の里を出たのは八時だった。ちょうど出勤時刻と重なったのか、尾鷲市(おわせし)の「サークルK」で唐揚げロールの朝食にしていると、ワゴンに乗った鳶の兄ちゃんたちが「山形から来たのか!大変だろう?」と励ましてくれた。
天気はすばらしくよい。尾鷲市から国道をそれ、リアス式の海岸線を縫う道路に入った。道は登りと下りを繰り返した。木々の間からは時折柱状節理の断崖や、日を照り返す海が見え隠れする。車の通りはほとんどない。絶景を独り占めしたようで気分もよい。
道中、ちらほらと「熊野古道」の案内標識が現れる。紀伊半島の旧い街道で、かつては熊野三社や高野山の参詣道として、蟻の行列のごとく、多くの人々が行き交ったらしい。「熊野古道を世界遺産に!」という看板も随所で見かけた(注1)。
曲がりくねった道を2時間たっぷり走って、再び国道42号線に合流した。海を眺めるまっすぐな道路が続く。そして熊野川を渡り、新宮市に到着した。とうとう和歌山県入りだ。
昼食は市内で食べることにした。中心部にある「美味処たなか」の昼食向け地鶏ステーキ定食が安くて旨そうだったのでそれにした。店は肉屋さん併設で、店舗の一階が肉屋、二階が食堂になっている。分厚い鶏モモ肉の照り焼きがみそ汁やご飯と一緒に出てきて税抜き680円。味も量も大満足だ。
この調子なら本州最南端、潮岬(しおのみさき)まで今日中にたどり着けそうだ。このまま一気呵成に本州最南端を極めてしまおうと新宮市を出発した。
本州の最南端は和歌山県にある。荒井が小学生だった頃、それは意外なことだった。東北地方の小学生にとって和歌山県は地味な存在だった。その地味な場所に最果ての地があるという事実には軽い驚きがあったのだ。そして今、その事実を確かめに行こうとしている。
鯨と黒飴「那智黒」や「落合博満野球記念館」で有名な太地町(たいじちょう)を通過する。岬を一つ越えるたび、着々と本州最南端に近づいているのだと盛り上がってくる。海沿いの道は明るく広く、日差しはどこまでも穏やかだ。かくして快走し、とうとう本州最南端の町、串本町に到着した。
串本の中心部から潮岬に向かう途中、ひときわ大きなループ橋が目に飛び込んできた。紀伊大島と本州を結ぶ連絡橋、くしもと大橋だ。潮岬に行く前に紀伊大島に行ってみることにした。
島の東端、樫野崎一帯は園地として整備されている。遊歩道沿いには観光客相手の売店がいくつかあって蜜柑など売っている。一緒に掲げられた「ダートコーヒー」の見慣れぬ看板は、東北や関東ではない異境の地であることを感じさせた。
樫野崎には灯台の他、トルコ軍艦遭難記念碑やトルコ記念館が建っている。備え付けの看板によればその昔、大島沖でトルコの軍艦、エルトゥールル号(注2)が遭難したという事件があったそうだ。興味を持ったので詳しく見てみようと思ったが、残念ながら記念館は閉まっていた。
そのかわりというわけでもないが、さっきの売店で梅ソフトクリームとキンカンソフトを食べた。売店では店ごとに紀州名物を使ったソフトクリームを出している。特にキンカンは大島名産で、そろそろ収穫の季節を迎えていた。キンカン果汁が入ったキンカン色のソフトクリームで、トッピングにキンカンのシロップ漬けが載っている。売店のおばちゃんの薦めで、椅子に腰を下ろして大島の名産を味わった。おばちゃん、ごちそうさまでした!
大島を出ていよいよ本州最南端、潮岬に向かう。岬周辺は緩やかな草原の丘になっていた。日がな一日のんびりするのによさそうだ。道路を挟んだ向かいには展望塔が建っている。草原は無料キャンプ場にもなっているが、長期連泊中とおぼしき自転車乗りが一人テントを張っている以外、利用客はいなかった。本州最南端とはいえ、この時期の野宿は厳しいのだろう。
草原のすみっこには展望台併設の売店が建っている。展望台からはごつごつとした岩場が見え、さらにその先にはだだっ広い太平洋が広がっていた。ここぞ潮岬。本州最南端。ここより南に本州はない。本当にここにも来てしまったのだ。
これまで本土最東端と最北端、本州最北端と最東端、日本の中心、道路最高所、鉄道最高所などの極点を訪れたが、潮岬は日本一周前半の極点巡りのトリとなった。達成感とともに本州最南端の岬を後にした。
串本近辺ではもう一つ見ておきたい場所があった。古座川の一枚岩だ。熊野灘に注ぐ古座川の渓谷沿いにある日本最大の一枚岩で「日本のエアーズロック」とも呼ばれている。
「東京ビートルズ同様、頭さ日本が付くんだがら、そうたいしたごどはねぇんでねぇべが?」と思いつつ、古座川沿いの道を走ること数キロ、渓谷沿いの断崖を抜け、橋を渡った先に現れた日本のエアーズロックは予想を裏切る巨大さだった。
幅500メートル、高さ100メートル。どうやら直前に自分が走ってきた断崖も一枚岩の一部らしい。いったいどんな形の岩なんだろうか。上の方には木さえ生えており、そこで熊だか山猫らしき生物が動いているのが見える。あまりのデカさに上を見上げたまま、デケぇデケぇと口をあんぐりするばかりだった。
再び海沿いに出て、紀伊半島の西側を走る。このあたり、南紀は風景に恵まれており、急ぎ足で過ぎ去ってしまうのがとても惜しい。
夕日は刻一刻と沈んでいった。寒くなってきたので、たまたま見つけた日置川町(ひきがわちょう・現白浜町)の国民宿舎「ふるさと」併設の温泉「渚の湯」に入っていく。温泉に入ると俄然やる気が湧いてくる。「こうなったら今日は走れっどごまで走るぜ!」と先を目指すことにした。
あたりはすでに真っ暗で相変わらず寒い。しかし明日には和歌山の県庁所在地、和歌山市に着けるよう、今日は距離を稼いでおきたかった。12月には山形に戻らなければならない。その前に一つでも多く、県庁と一の宮を訪れておきたいのだ。
日置川で温まった身体が冷める頃、遠くに旅館街とおぼしき窓明かりが見えてきた。関西有数の温泉地、白浜温泉が近いのだ。運良く、白浜には安い共同湯がたくさんある。もうひとがんばりしようと、ここでも温泉に入っていくことにした。
荒井が選んだのは共同湯の一つ「白良湯」(しららゆ)だ。建物に入ってから、DJEBELにタオルを忘れたことに気が付き、取りに戻ろうとしたところ、休憩室でくつろいでいたおばさんが「タオル忘れちゃったの? だったらこれを使ってよ。」と、手持ちの新しいタオルをくださった。親切なおばさん、ありがとうございます!
白良湯は木造二階建ての小さな温泉で、一階が休憩室、二階が湯船になっている。小さな温泉だがこざっぱりとした造りでとても居心地がいい。風呂に入った後、休憩室でフルーツ牛乳を飲んでくつろいでから出発した。
夕食は白良湯隣の「ファミリーマート」で買った和風幕の内弁当で済ました。温泉備え付けのテレビによれば、まだ八時にもなっていなかった。「今日は十時までがんばって走っか!」と、またまたやる気満々で和歌山市を目指す。白浜を出た後、田辺市の市街地を縦断し、国道42号線を延々と北上した。
沿線に電照菊のビニールハウスが目立ち始めた。開花前の菊を長時間明るいところに置いてやると開花を遅らすことができる。その習性を利用して栽培しているのが電照菊だ。ハウスは煌々とした明かりで照らされているので夜でもそれと分かる。それだけにあたりの暗さは際だった。そんな中走っていると、電照菊とは違う意味で時間の感覚がなくなってくる。
うんざりするほど走ったところ、御坊市(ごぼうし)の火力発電所近くで、野宿できそうな農協の集荷場を見つけた。本来はこのちょっと先にあるキャンプ場にテントを張るつもりだったのだが、もしキャンプ場が利用できなかったら寝られる保証はない。暗くて寒い中をうんざりするほど走ってきた疲れも手伝って、この日の行程はここで打ち切って、集荷場の裏側にこっそりテントを張って休むことにした。
この集荷場裏での野宿が、日本一周前半最後の野宿となった。
注1・「熊野古道を世界遺産に!」:平成16年7月、熊野古道はユネスコ世界遺産に登録された。日本の世界遺産は熊野古道を含めて13件ある。内訳は以下のとおり(2006年10月現在)。
「白神山地」「日光社寺群」「白川郷、五箇村の合掌造り集落」
「古都京都の文化財」「古都奈良の文化財」「法隆寺地域の仏教建造物」
「紀伊山地の霊場と参詣道(熊野古道)」「姫路城」「原爆ドーム」
「厳島神社」「屋久島」「琉球王国のグスク及び関連遺産群」「知床」
その他にも石見銀山、宗像大社、彦根城、出羽三山などが候補に名乗りを上げている。
注2・「エルトゥールル号」:Ertugrulと綴る。エルトグロール号、エルトグルル号など呼び方は様々。