目が覚めると、表の集荷場ではもう作業が始まっていた。人が集まり、フォークリフトが忙しく電照菊の箱を積み降ろしている。「集荷場さテントば張ってだがったらどうなったべ?」と冷や汗かきつつ、七時半に御坊市を出発した。
海沿いの断崖と急斜面の蜜柑畑を縫いながら走る。そろそろ収穫期だけあって、どの枝にも蜜柑がたわわに実っていた。少々道に迷ったものの、醤油発祥の地と言われる湯浅町を縦断し、焼き物で有名な有田市を通過し、昼前には無事和歌山市に着いた。
和歌山県庁は和歌山城のそば、県民文化会館の向かいにある。城ほどではないが年季の入った建物だ。
売店が変わった造りだった。本庁舎の片隅、庁舎の外から階段を下りないと行けない場所にある。入り口が分かりづらいので探すのに苦労する。その階段を下りきったところにある扉を開けると、いきなり売店が現れる。その地下室がえらく狭い上、しかも隣には立ち喰いうどん屋まで併設されている。まるで地下の穴ぐらだ。うどん屋には職員の方々が並び、さえない顔でうどんを啜っていた。手狭な本庁舎に、売店とうどん屋を押し込んだらこうなりました、といったところだろうか。
うってかわって食堂は1階にあり、それなりに広くなっている。ここではカキフライ定食を食べた。小鉢は好きな一品を選べるようになっていた。
お盆にカキフライ定食を載せ、これから喰うぞと席に陣取ったところ、厨房の方で調理のパートさん達がなにやら激しく言いあっている。「ただならぬどさ居合わせだんでねぇべが?」と不安になったが、次の瞬間にはけたたましい笑い声が聞こえてきた。
「関西弁だ! 関西弁で話してんだ!」 関西弁でのやりとりは語調が激しく、ちょっとした会話でも、東北人の耳には大喧嘩をしているように聞こえる。それにしてもこの起伏の豊かさ。生の関西弁のやりとりなんて初めて耳にした。
和歌山市には紀伊国の一の宮もある。日前神宮・国懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)で、県庁からそう離れていない。郊外にある伊太祁曽神社(いだきそじんじゃ)、さらに奥に行ったかつらぎ町の丹生都比売神社(にぶつひめじんじゃ)も紀州一の宮だが、今回は代表して日前・国懸神宮だけの参拝である。
日前・国懸神宮は一つの境内に二つの社殿がある。神社の名前はそれぞれの祭神の名前にちなんでいるが、両方ひっくるめて祀られている双子のような神社だ。神社の隣は高校で、近くにコンビニや南海電鉄の駅があるせいか、神社前には生徒の姿が多かった。
紀伊国は広い。こないだめはりずしを食べた三重の紀伊長島も紀州なら、潮岬も紀州で、そしてここ和歌山市も紀州なのだ。同じ紀州でも、西の果ての和歌山市と東の果ての紀伊長島の住人は、それぞれ同じ国だとは思ってないんじゃなかろうか。その東の方に熊野三山があって、西の方に一の宮が固まっているというのも面白い。
和歌山県で廻るべき所は廻った。和歌山市から県道で大川峠を越え、大阪府入りを果たす。途中CD屋に寄ったり、ネットカフェに寄ったりしながら大阪市中心部を目指した。ネットカフェを出るとき、店員のおばちゃんが店の外に出て送り出してくれた。
大阪府は面積は狭いながら、三つの旧国が集まっている。南の和泉、北の摂津、東方の河内だ。そのうちの一つ、和泉国の一の宮、大鳥神社は堺市にある。荒井がDJEBELを鳥居の脇に止めて、石畳の参道をとぼとぼと歩いて拝殿に向かっていると、乗用車があたりまえのように参道を走ってきたので驚いた。どうやら駐車場が鳥居と拝殿の間にあるかららしい。
大阪市は日本一周前半で訪れる西の果てとなった。荒井が走ってきた海沿い一周道路は、大阪市内の国道26号線と国道43号線との交差点から神戸に向かうことになる。今回はこれより西には行かないので、この交差点が折り返し地点である。「次はこっからさらに西さ行ぐんだな!」と、次の起点となる交差点をしっかり目に焼き付け、中心部に入っていった。
ここでいったん大阪市内を通過し、奈良県に向かった。大阪巡りの前に、奈良の県庁と一の宮を廻ってしまうつもりなのだ。さらにもうひとつ、行っておきたい場所があった。暗峠(くらがりとうげ)だ。暗峠は生駒山地を越え、大阪府の東大阪市と奈良県の生駒市を結ぶ峠で、その急勾配は峠マニアには心臓破りの坂ならぬ、エンジン殺しとささやかれている。こんな面白い峠を見逃さない手はないと、日本一周出発以前からぜひ越えてみたいと願っていたのだ。
暗峠越えは、大阪市内から伸びる国道308号線に従うのが最もわかりやすい。一方通行の多い大阪市内でひとしきり迷った後、国道308号線の起点にたどり着く。奈良市のユースホステルにも予約を入れておいた。宿の心配は必要ない。いざ、奈良県目指して出発である。
大阪市は日本第二の都市だけあって絶えず渋滞していた。夕闇迫るが、なかなか先に進めない。それでものろのろと進んだ結果、ようやく暗峠の入り口に到着した。待望の暗峠越えの始まりだ。
あたりは真っ暗だった。峠道は1.5車線とやたらに狭く、すれ違うのも難しい。噂通りの急勾配で、ギアを落とし、DJEBELにしがみつくようにして登っていく。暗くて勾配が目に見えない分、余計に急に感じる。
驚くのは、地元の方なのか、こんな道をすいすいと登っていく乗用車が何台もいたことだ。こんなところで、いきなり車が現れると心臓に悪い。転んだら一大事になることは目に見えて分かっているので、こちらは真っ青になりつつ慎重に登っていたが、地元の方は荒井の恐怖なぞ知らないかのように、何事もなく走っていた。
かくして登り切り、鞍部の「奈良県生駒市」の標識を目にしたとき「暗峠だ! 登り切った! バンザーイ!」と、これまでの恐怖が吹っ飛ぶほど喜んだ。峠を下っていくと、生駒市の街明かりが眼下に見えた。
しかし奈良市は遠かった。地図によれば国道308号線は大阪市を出発し、暗峠を越えて奈良市まで続いているので、たどっていけば難なく奈良市まで行ける予定だった。ところがその国道308号線を生駒側に下りきったところに一方通行箇所があって、先に進めなくなっていたのだ。
急遽替わりの道を探すことになったが、もちろん土地勘は全くない。さんざん迷い、道を間違ったりした挙げ句、奈良市の青年会館ユースホステルに着いたのは、予定より1時間遅い午後八時のことだった。にもかかわらず、職員のおじさんが丁寧に受付してくれたのが胸に沁みた(遅れると連絡は入れておきました)。
夕食はユース近くの「天下一品ラーメン」で、店員に勧められるままコロッケ定食を食べた。半ラーメンにご飯、それに千切りキャベツを添えたコロッケが付いてくる。気が付けば水を何杯もおかわりしていた。今日一日、道を探すのに夢中で水を飲むことさえ忘れていたのだ。
ユースで相部屋になったのは、電車旅の方だった。「電車に乗るときは、切符の買い方にコツがあるんですよ! 一定の距離になると有効期限が延びるから、それを見越して買うのがお得なんですよ。」などなど、電車旅の技を教えてくれた。
この日は大和国一の宮大神神社(おおみわじんじゃ)に参拝し、それから奈良市に戻って県庁に行く予定だ。「サンクス」に寄って朝食のサンドイッチを買ったら、DJEBELのナンバーを見たのか、店員さんが「遠いところから大変ですね。」と励ましてくれた。
京都以上に旧い都であるためか、奈良市周辺の道路は直角に交わっていることが多くあまり迷わなかった。桜井市にある大神神社にも難なくたどり着けた。目印は高さ32メートルの大鳥居で、遠くからも一目で分かる。
境内は三輪山のふもとにあり、拝殿までは長い坂道を登っていく。そろそろ新嘗祭だったので、入り口には昭和天皇が新嘗祭を詠った御歌が掛けられていた。
大神神社には本殿がない。通常、神社は拝殿の後ろに本殿が控えているのだが、ここの場合、背後にそびえるご神体、三輪山が本殿がわりになっているので、あえて本殿を造っていないのだという。神社は日本最古の神社で、本殿のかわりに山を拝むという様式は、古来の信仰の形をとどめるものなのだそうだ。そのかわり拝殿や参集殿に力が入っているようで、さすが大和国一の宮、どちらも大きくピカピカだった。
近辺は三輪そうめんの産地で、点々とそうめん屋が建っているが、これから奈良県庁で昼食を食べなければならないので、そうめんは我慢した。
とはいえ昼にはまだ早い。桜井市から西に行った新庄町(現葛城市)に行ってみた。
荒井の郷土、山形県には新庄市という市がある。名前が同じだというので、ここ新庄町と友好都市提携を結んでいる。それで興味を持ったわけだ。
新庄町は人口こそ約1万9000人と約4万人の新庄市の半分にも満たないが、街並みや雰囲気など見る限り、市よりも栄えている。大阪・京都・奈良といった大都市が近いからだろうか。町中にはJRの駅の他、新庄市にはない私鉄の駅まである。駅名は「大和新庄」と「近鉄新庄」。新庄市にあるJR新庄駅とかぶらないようにとの配慮らしい。
何か新庄市との友好の品でもあるかと役場を訪ねてみたが、そういうものは全くなかった。友好関係はさして重要なものではないらしいなと苦笑する。
隣の郵便局では、地元の中学生が職業体験で年賀状を売っていた。はるばる新庄市のある山形から来たということで記念に一組買ったが、中学生には荒井がアヤしいオヤジにしか見えなかったのか、思い切り怪訝な目で見られた。
県庁に着いたのは昼前だった。駐車場に入ろうとすると、入り口で守衛さんに目的を尋ねられた。あたりを見てみれば「無断駐車を禁じます。」「本庁利用者以外の駐車を禁じます。」といった注意書きがそこかしこに張られてある。奈良県庁は古都奈良のど真ん中で、東大寺や奈良公園といった観光名所にも非常に近い。守衛さんの尋問は、どうやらちゃっかり県庁を駐車場がわりにする不届きな観光客対策のようだ。荒井は県庁見学が目的なので、堂々と利用できるわけである。
県庁食堂は6階にあり、その上が屋上だ。屋上は展示室兼展望台になっていて、このときは「緑化住宅の暮らし」なんて展示をしていた。展望台からは、件の東大寺や奈良公園がすぐそこに見える。展示室傍らの休憩所には、県が作っている仏像カレンダーが飾られてあった。「怒り」とか「笑い」といった一つの主題に沿って撮影した奈良の仏像の写真を使ったカレンダーで、毎年好評を博しているらしい。
食堂はカフェテリア式で、店内からは奈良の街並みがよく見える。ここで食べたのは鶏のネギソースがけと、白身魚のキノコクリームがけ、筑前煮と赤味噌のみそ汁だ。荒井のザックを目にしたのか、食堂のおばちゃんが「いっぱい食べて力付けてね!」と、ご飯を大盛りサービスしてくれた。おばちゃん、ありがとうございました!
売店には地場のアイスクリーム会社「センタン」のアイスクリームが品揃えしてあった。その中から「100%フルーツいっぱい」アイスバーを買って食べる。ご当地でしか食べられないアイスはご当地で食べる。格別だ。
名建築の呼び声高い奈良駅を奈良の見納めにして、国道308号線を西に走り出した。再び暗峠で大阪に戻るのだ。奈良市を出ると道は狭くなり、ジェットコースターのような起伏を繰り返した。つづら折りというものは全くなく、一直線に生駒山地を駆け上がるため、勾配が非常に急である。国道であることが信じがたい。
現代人にとっては通りづらいこの国道308号線、実は奈良時代から存在する旧い街道で、弘法大師空海も通ったという歴史の道だ。改めて峠の鞍部を見てみると、石畳など敷かれてあって、歴史の道である雰囲気を匂わせている。
大阪側に少し下ったところにある寺では、湧き水が汲めるようになっており、中高年の夫妻がポリタンクをたくさん持って水を汲んでいた。荒井もここで水筒に水を満たし、のどを潤す。奈良時代の昔から、湧き水は暗峠を往く旅人達の疲れを癒してきたのだろう。寺の少し上には「弘法の水」という湧き水もあるが、残念ながら、生では飲めないと但し書きされていた。
河内国一の宮、枚岡神社(ひらおかじんじゃ)は、暗峠の大阪側入り口近くにある。暗峠の近くだけあって、崖っぷちのような道路を通らなければ行けないようになっていた。参道も急で、足腰の弱い人は大変そうだ。荒井もザックを背負ってひいひい言いながら拝殿にたどり着き、参拝を済ませた。
そこから大阪市中心部にとって返し、今度は摂津国一の宮、住吉大社にも参拝した。全国にある住吉神社の総本社だ。神社は路面電車の軌道をはさんで商店街の真向かいにあり、鳥居からも見える太鼓橋が目印だ。境内には住吉造りと呼ばれる拝殿が4つあり、それぞれ異なる神様を祀っている。社務所に寄ってみると、巫女さんは頭に松の枝のような冠をかぶっていた。どんな由来があるのだろう。
今日の宿、大阪市立長居ユースホステルは住吉大社のすぐ近く、長居公園の中にある。公園入口で守衛のおっちゃんにユースへの行き方を尋ねると「今回だけ特別、近道だよ。」と言って、車両が入れないよういつもは閉鎖してあるゲートを開いて、DJEBELごと通してくれた。ありがとう!
長居ユースは陸上競技場のスタンドの中にある変わったユースだ。しかし設備はどれも真新しくて充実しており、居心地はよい。有料だがインターネット端末まであった。
荷物を置いてから、夕食を食べに外に出た。公園は夜でも運動部員の生徒や、スケボーを練習する若者たちで賑わっている。競技場には夜間照明が点いていた。時折歓声が聞こえるから、何かの試合の真っ最中なのだろう。
近所にはJR阪和線の鶴ヶ丘駅があり、ひっきりなしに列車や乗客が行き来していた。その駅そばにあるたこ焼き屋「たつみや」でたこ焼きせんべいというものを買って食べた。二つに割ったえびせんにソースを塗り、揚げ玉と焼きたてのたこ焼きを挟んだものだ。
自販機を見ると、大阪名物冷やし飴が売られていた。サンガリア(注1)の缶入り冷やし飴だ。さっそく買って飲んでみるが、生姜味の砂糖水で、あのマックスコーヒーより甘かった。しかも生姜でのどがひりひりする。
夕食のため町をうろつくが、これという店がない。鶴ヶ丘駅前の串揚げ屋に入ってみたが、注文の仕方が全く分からずそのまま出てきた。結局近場のコンビニでソース焼きうどんとおにぎり二つを買い、暗峠で汲んできた水を飲みながら、ユースの食堂で夕食にした。
注1・「サンガリア」:日本サンガリアベバレッジカンパニー。大阪の飲料会社。「はてしなく自然飲料を追求するサンガリア」を企業スローガンとして掲げているはずなのだが、変なジュースを出す会社として一部マニアに絶大な知名度を誇っている。商品は100円ショップの安売りジュースでもおなじみ。「1,2,サンガリア」や「国破れてサンガリア」といったみょうちくりんなキャッチフレーズの広告でも有名。