東京には秋葉原、名古屋には大須、そして大阪には日本橋という電気街がある。愛称「でんでんタウン」。日本橋は秋葉原に次ぐ日本有数の電気街として、その筋の人間にその名を知られている。レトロゲーム愛好家荒井、もちろんここでもレトロゲーム漁りを敢行するのだった。ついでに大阪府庁にも行ってしまう予定だ。
朝八時にユースを出発する。DJEBELと荷物はユースに置いたまま、いつもどおり、サブザックと地図だけの軽装だ。JR阪和線を横断し、府道28号線あびこ筋に出ると、天王寺駅目指して歩いた。
東京では道に「明治通り」や「山手通り」「靖国通り」といった通称が付いているが、大阪の場合、それは「筋」になる。ここ「あびこ筋」はもちろん「あべの筋」「谷町筋」、有名な「御堂筋」などなど、「筋」の名の付く通りがいくつもある。筋の名前は大阪市中心部を南北に走る道に与えられているようだ。
天王寺駅から地下鉄に乗り、恵比須駅で降りた。恵比須駅を出ればそこが日本橋だ。
電気街は秋葉原に匹敵する規模で、裏通りにまで電子部品屋や電気屋が軒を連ねている。最近は秋葉原同様、同人誌屋やキャラクターグッズ専門店などが急速に増えており、マニアの聖都化が進んでいるそうだ。表通りでは漫画専門店「まんだらけ」の開店準備が急速に進められていた。
日本橋に着いたのは十時過ぎだったが、多くの店はまだシャッターを下ろしていた。十一時開店の店が多いらしい。
表通りをひととおり歩き、開いていた店でCDとゲームソフトを物色しているうち、昼が近くなってきたので、地下鉄で府庁に向かった。
着いて驚いた。「こんたどさあったなが!?」 府庁の目の前には、堀越しに大阪城がそびえていたのである。
そのとおり、大阪府庁は大阪城の真向かいにある。実はその昔、修学旅行で大阪城を見学に、近くまで来たことがあるのだ。もっとも、当時は府庁とは反対側にある大阪城公園駅から来て、府庁側に来ることなく引き返しているので、隣に府庁があることを知らないのも無理はない。
府庁は旧い本庁舎を中心に、周囲に分庁舎がいくつも建っている。現代的な高層建築に設備を詰め込んだ東京都庁と、東西で見事に対照をなしている。日本第二の都市、大阪府庁だから、東京都庁ぐらいに目立ってもよさそうなものなのだが、そのお株はどうやらお隣大阪城に奪われているらしい。
横山ノックも利用したかもしれない食堂は本庁舎の一階にある。大阪名物、かやくご飯ときつねうどんのセットが品揃えされていたので、迷わずこれを食べる。かやくご飯とは、出汁や具と一緒に炊き込んだご飯のことだ。きつねうどんとはもちろん、甘く煮た油揚げが載ったうどんのことだが、どういうわけか、実際に出てきたのはかき揚げが載ったうどんだった。
十年ぶりで大阪城公園に足を踏み入れる。公園の前では修学旅行の自由行動とおぼしき生徒らが多かったが、それ以上に目立ったのはブルーシートでこさえたホームレスのテント村だった。この不況でホームレスを取り囲む状況は厳しく、冬を前にして事態はさらに深刻なものとなっていた。テント村に掲げられた「大阪府は有効な雇用対策を取れ!」といった各種スローガンの中でも「越冬用の毛布・衣類の差し入れを!」というのがもっとも切実に窮状を訴えていた。
府庁を後にして日本橋に戻った。日本橋には旧いパソコンゲームを大量に扱っている店があるというので探してみるものの、なかなか見つからなかった。一度は通天閣のふもとまで行ってみたが、やはり見つからない。日本橋を何度も北に南に往復するうち、日も暮れてきた。結局この日はCDを1枚、ゲームソフトを4本買ったところで切り上げ、夕食後に長居ユースに戻ってきた。
夕食は日本橋の一角にある定食屋「ポミエ」の豚の角煮定食だった。豚の角煮はもちろん、里芋入りの筑前煮と、鮭フライの小鉢が付いてくる。これに大盛りご飯付きで税抜き700円とお得な定食だ。角煮が柔らかくて実に旨かった。
11月も下旬の週末になっていた。そろそろ帰り支度をしなければならない。ニュースによれば今年は冬が早かった。山形はもう何度も大雪が降り、除雪車まで出動したという。果たして無事に帰り着けるかが心配だ。
今年中に京都府庁と滋賀県庁には寄っておきたい。今年の旅は11月いっぱいで終わらす予定なので、ここから東北地方までの距離を考えると、次の月曜火曜で京都と滋賀を訪れなければならない。そうするとこの週末は京都から大きく離れることもできず、周辺で時間つぶしをするほかない。県庁巡りとはこんな具合に逆算をしながら日程を立てなければならない。そういうわけで、時間つぶしに大阪近辺を廻ることにした。
起き出して出発の仕度をしていると、同室になった外国人の方に英語で「日本語で”Good morning!”はどう言うの?」と訊かれた。「『おはようございます』ですよ。」と答えると、早速たどたどしい日本語で「オハヨゴザイマス」と挨拶してくれた。ちょっとうれしい。
長居ユースを出発し、堺市に行った。お目当ては仁徳天皇陵だ。歴史の教科書に空撮写真がよく載っているあれである。
仁徳天皇陵の周りは堀で囲まれ、その向こうに木の覆い茂った前方後円墳が小山のように盛り上がっている。陵は真野御陵同様宮内庁の管理下にあり、中には入れない。堀でボートを漕ぐこともできないらしい。発掘調査さえ許されず、詳細はいまだ分かっていない。そのかわり一周2.8キロの遊歩道が整備されているが、億劫だったので歩くのは止めといた。そのかわり、向かいの公園にある堺市博物館と自転車博物館を見学していくことにした。
公園は大賑わいだった。それというのも年に一度の農業祭りが開かれており、見物客が多数繰りだしていたのだ。広場には舞台が組まれて催し物の最中で、焼きそばやたこ焼きの屋台はもちろん、果物や農産物を売る店も多数出店している。ドライフルーツを売る出店では「どれでも4袋1000円だよ!」という売り文句に負け、必要以上にドライフルーツを買い込んでしまった。
堺市博物館では堺の歴史にまつわる展示が見られる。仁徳天皇陵が作られた昔、堺は国の玄関口だった。古代はかなり陸の方まで海が迫り、港から見える陵は国威を示すものだったらしい。中世には豪商による自治都市となり、彼らが担い手となって様々な文化が芽生えていった。その代表が千利休の茶の湯だ。ところが江戸時代に入り自治権が失われると、堺は衰退を迎えることになる。
自転車博物館は自転車部品と釣り具会社のシマノが運営する博物館だ。古今東西の自転車を展示しながら自転車の歴史を紹介したり、模型を使って自転車の仕組みを紹介したりと、自転車好きには堪えられない。ダルマ型自転車に代表されるクラシック自転車の試乗会も、定期的に開かれている。その他、資料室に荘司としおの「サイクル野郎」(注1)が全巻揃っているのも見逃せない。
一度は衰退した堺だが、その遺産は今でも形を変えて残っている。その一つが自転車なのだ。
堺は自転車製造台数日本一を誇る都市で、国産自転車の半分以上は堺生まれだそうだ。浜松が単車の中心地なら、堺はさしづめチャリの中心地。浜松の自動二輪産業は遠州の木材を使った指物がその源流だが、堺の自転車産業は戦国時代の自治都市時代に発達した鉄砲鍛冶が源流となっている。その鉄砲鍛冶は古墳建造用の鋤や鍬に始まる刃物鍛冶に端を発している。堺の自転車は古代から連綿と続く伝統の上に成り立っているのだ。ちなみに堺刃物は現在も作られており、高級品として珍重されている。
次に向かったのは吹田市の万博公園、1970年に開かれた大阪万国博覧会の会場跡だ。現在公園として整備されているのはつくばの万博記念公園と同じだが、こちらは遊園地や博物館併設で、一大娯楽施設として今なお多くの人で賑わっている。つくばのぼっちゃん湖やぴょんぴょん橋にあまり人がいないのとえらく対照的である。
まずは公園の目印、岡本太郎の「太陽の塔」を見物した。写真では何度も見ているが、実物は想像以上にでかかった。高さ約60メートルだから、内原のはに丸タワーや大神神社の鳥居よりもずっと高い。周囲は芝生になっていて、休んでいる人もいれば、塔を背景に記念撮影をしている人もいた。
もともと作者、岡本太郎は万国博覧会には反対していた。この仕事の依頼が来たとき、現代的な万博に対抗するものとして、原始の生命力を体現するものを作ろうと考え、この「太陽の塔」を作ったのだそうだ。現代的な展示館が建ち並ぶ会場内ではまるきり異質なものだったが、それゆえに塔は人々の印象に残った。万博終了後、展示館の多くは取り壊されたが、反万博を謳った「太陽の塔」はその価値を失うことなく、今なお吹田の地で太陽をにらみ続けている。その様は痛快でもあり、皮肉でもある。
「太陽の塔」の背後には「お祭り広場」という一角があり、この日はたまたま「エコデンレース」こと、電気自動車の競技会が開かれていた。各地の工業高校が「エコデンカー」こと、ミニバイク用12Vバッテリー1個で動く手作り電気自動車を持ち寄り、1時間でのコース周回数を競い合うというのがその内容だ。エコデンカーとは「エコロジーにやさしい電気自動車」の略のようで、環境問題の啓発が大会の趣旨となっている。
コースに目をやれば、快調に周回を重ねる車もあれば、のろのろ走る車あり、不具合か途中で止まって動けなくなっている車ありと、ずいぶんのんびりした競争である。速さではなく、飽くまで効率を競っているのだ。
参加者はもっぱら近畿地方一円の工業高校で、中には九州や沖縄からの参加もある。工業高校が中心なせいか男だらけで、会場に女子は少ない。そのかわりか、案内冊子やポスターのイラストでは、ギャルゲー(注2)に出てきそうなレースクィーン姿の女の子が微笑んでいた。
気が付けば昼食を食べていなかった。何かないかと園内の食堂を物色してみたが、園内の食べ物はおしなべて高かった。県庁食堂だったら400円そこそこで食べられそうな丼一杯でさえ1000円以上するし、ジュースも一本140円だ。あまりに引き合わないので食堂で食べるのはやめにして、比較的安かったコロッケと焼き鳥、それと80円のアイスモナカを買ってごまかした。ついでに売店ではミニチュア「太陽の塔」も売られていた。人気のおみやげのようだ。
この日は服部緑地ユースホステルに泊まった。万博公園がある吹田市の隣り、豊中市の服部緑地という公園の内にあるユースホステルだ。公園入口には、単車で入れそうな場所がなかなか見つからず、ユースまでDJEBELを運んでくるのにえらく遠回りする羽目になった。
夕食を食べに食堂に行ってみると、泊まり客の子供会の一団と一緒になった。公園内の運動場や施設を利用するのにも都合がいいので、合宿や研修の宿舎として利用する団体が多いようだ。
ちなみに夕食の献立はチキンカツと絹ごし豆腐の冷や奴、ワカメと玉ねぎのみそ汁だった。みそ汁が旨かったので何度かおかわりした。
注1・「サイクル野郎」:昭和40年代後半から昭和50年代前半にかけて少年キングに連載された自転車日本一周漫画。荘司としお作。全37巻。主人公こと自転車屋の息子のさえない少年、丸井輪太郎が仲間の陣太郎らとともに、様々な艱難辛苦を乗り越えつつ自転車で日本一周する話。輪太郎の成長が自転車旅の魅力に絡めつつ描かれており、ツーリング漫画の名作となっている。旅生活の描写もリアル。この作品のおかげで自転車乗り、旅人になったという方も多いらしい。
注2・「ギャルゲー」:美少女がたくさん出てくるゲームのこと。
ユースホステルは利用しやすい安宿の代表格ですが、運営形態はまちまちで、人によって相性や当たりはずれがあることも多いようです。ユース選びの目安として、日本ユースホステル協会直営の直営ユースや、行政の支援で建てられた公営ユースははずれが少ないと言われています。ただし飽くまで目安ですので、全てにあてはまるとは限りません。
ユースに限らず、宿の評価を決めるのはなんだかんだいって、携わっている人々の人柄です。人の魅力は設備の古さを補うことができますが、設備が人の魅力を補うことはできません。