大阪を発つ日になった。大阪から東京に戻るに際し、面白いことを一つ思いついた。「天下の国道1号線ば全線走破してやっぺ!」 旅人ならば一度は憧れる国道1号線、東海道全線走破。国道1号線は名古屋、大津、京都を経由して東京と大阪を結んでいる。大阪から東京に戻るというのなら、この機会を利用しない手はない。
ユースを出て大阪市内の梅田駅に近い梅新東交差点に到着する。国道1号線の終点だ。日曜だったのと、午前中の比較的早い時刻だったので車の数は少ない。「あど一息! 今年の旅もいよいよ大詰めだ!」と気分を盛り上げ、ついに大阪を出発した。
大阪と京都は結構近いのだが、その間建物が絶え間なく続き、風景は変化に乏しい。路面電車や巨大な寺院、西本願寺が見えるに至って、ようやく京都にやってきた実感が湧いてきた。
日曜なので京都府庁は開いていない。先に下鴨神社と上賀茂神社に参拝した。京都を代表する神社、下鴨神社と上賀茂神社はそれぞれ山城国一の宮である。どちらも通称で、下鴨神社は「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」、上賀茂神社は「賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ)」というのが正式な名前である。名前のとおり、どちらも京都市中央部を流れる鴨川のほとりにある。
まずは下鴨神社に行った。「糺の森(ただすのもり)」と呼ばれる立派な社叢を備えており、市民の憩いの場となっている。社殿はその森を抜けたところにある。社殿前では工事が進められていた。どうやら授与所の新築中らしい。拝殿前には他にも「こっちにもお参りしてね。」と言わんばかりに干支にまつわる祠がいくつか建っていたので、拝殿の他、自分の干支の祠にも参拝することになった。
上賀茂神社は鴨川をさかのぼること数キロ、京都市街地のはずれにある。近所の「天下一品ラーメン」のぽんから定食と、神社前の茶店で売っていた「やきもち」で腹ごしらえをしてから参拝した。祇園祭と並んで知られる葵祭はここ上賀茂神社の例祭で、門前には祭りに先立って開かれる競馬神事(くらべうましんじ)用の広場がある。境内は木が多く小川など流れていて、人が多いにもかかわらず落ち着いた雰囲気だった。拝殿に至る参道の傍らにある「立砂」こときれいな円錐形を描く一対の砂山は、神様の依り代として神社の象徴になっている。
この日は市内の東山ユースホステルに宿をとっていたが、予定時刻までまだ時間がある。そこで大津に滋賀県庁の下見に行った。
国道1号線で一山越えればもう大津市である。大津市は京都市のすぐ隣である。東海道でも大津は京都前最後の宿場町だったのだ。もう一度県庁の場所を確認したところで琵琶湖大橋のたもとまで走っていき、国道477号線に乗り換える。「途中トンネル」という変わった名前の有料トンネルをくぐれば、再び京都市である
途中トンネルの先には京都名所の一つ、寂光院や三千院で有名な大原が広がっている。ちょうど紅葉真っ盛りで、しかもこのあたりは紅葉の名所だったので、田舎道にもかかわらず、紅葉狩りに来た車で道は混み合っていた。渋滞を抜け、中心部に戻ると、ちょうど予定の時間になっていた。
東山ユースは三条大橋からしばらく東に坂を登った場所にある。近くには地下鉄の駅があり中心部への往来が抜群によいせいか、京都見物に来た外国人観光客の利用が多い。
部屋に荷物を置き、街に出る準備を整えていると、上から下までスーツで決めた会社員風のおじさんがやってきて「あの〜、丹前とかそういうものはありませんか?」と訊ねてきた。どうやら泊まり客だがユースのことをあまり知らないようだ。ユースが相部屋であることにもずいぶん面食らっていた様子で「こりゃ、明日は別の宿を探さないとなぁ。」と言っていた。会社の出張で京都に来たようで、値段だけを見てここに予約を入れたらしい。「ユースど会社員は全ぐ違う世界のもんだよなぁ。」と内心苦笑しつつも、このご時世で宿代を削らざるを得ない会社員の大変さが少し思いやられた。
三条大橋を渡り、新京極近辺を歩く。京都随一の盛り場で、夜なお人で賑わっていた。鴨川の岸辺には、逢瀬を楽しむ男女が均等な間隔で多数陣取っている(注1)。それを橋の上から「ほんとだほんとだ。きれいに同じ間隔で並んでるよ。」と、物珍しそうに見物する男女もこれまた多数である。
橋のたもとの「ローソン」でセンタンの「王将アイス」を買い食いし、刃物専門店「菊一文字」で、旅道具のナイフ用に砥石を一つ見繕う。たまたま見つけた和泉式部の墓に手を合わせ、仕上げに「リプトン」の喫茶店でチーズケーキとストレートティを口にして宿に戻った。
高校の修学旅行で近畿に来たときは、思うさま廻れなかったのが残念で「もう一度来てやっつぉ!」と思った。かれこれ10年、今度は「旅」という形で本当にもう一度来ることになってしまった。若干遅れたが、やればできるものである。
待望の月曜日になった。今日も東山ユースに泊まるので、DJEBELを置いて京都市内を廻ることにした。地下鉄の一日乗車券を片手に京都市内に出発である。目的地は京都府庁だ。天気は久々に雨降りだった。ヂイス・イズ・オータム・レイン 秋雨、アイ・ドン・ケアー 濡れて行かう。
昼まで二条城を見学することにした。二条城はあまりに有名なので説明は省くが、水戸の弘道館を五倍大きくしたような、巨大な木造建物だった。築400年、江戸時代に初代将軍家康公が造営した現物がそっくりそのまま残っている。
弘道館では十五代将軍慶喜公が謹慎生活を送っていたが、そのきっかけとなった大政奉還はここ、二条城で宣言された。その宣言がされた間も見学できる。教科書でしか知らなかった歴史の舞台を目の前に「こっから五分の一の弘道館さ遷ったんだねぇ。」と、感慨もひとしおである(注2)。
二条城は観光名所で、城内こそ人も多かったが、敷地内の庭園はこの雨で見物人もまばらだった。庭園をぶらぶらと歩き、売店でラムネを買って飲んでから二条城を後にした。
京都府庁は地下鉄丸太駅から少し歩いたところにある。京都の地下鉄は枡目状に延びた通りに沿う形で敷設されているので、地上との位置関係が非常にわかりやすい。
府庁正門をくぐると、目の前に立派な近代建築が現れる。京都府庁旧庁舎だ。主な機能は現在、そのすぐ隣りの新庁舎に移っている。食堂や売店、医務室といった福利厚生施設は「福利厚生棟」という一つの建物にまとめて入っていた。
売店で物資を補充し、庁舎をカメラに収めた頃食堂が開いた。カフェテリア式だが、さすがに京料理は扱っていない。かわりにここで食べたのは豚天ラーメンと葉唐辛子の佃煮だった。ラーメンのあしらいは山のような白髪ネギで、値段の割に旨かった。
京都府庁を訪ねたことで、47都道府県のおよそ半分、24の県庁巡りを達成した。訪れた一の宮はまだ半分にも満たないが、日本半周達成である。旅を始めた頃はなかなか県庁巡りが進まなかったこともあり、47という数字でさえ果てしなく感ぜられたのだが、それでも着々と旅を続けるうち、その半分を訪れてしまったのだ。その折り返し地点が千年の古都、京都府庁になったというのも何か曰くありげである。
小さな心残りがまだあった。先日大阪の日本橋に行った際、探していた中古パソコンゲーム屋が全く見つからなかったことだ。時間も余っている。思い切って再び日本橋に行ってみた。
京都駅から電車に乗り、一時間ほどかけて日本橋に行った。雑誌やネットで得た情報を元に、それらしい場所をもう一度探してみるが、それとおぼしき店は全くない。結局「ない」という結論に達し、また一時間かけて京都に戻ってきたのだった。
その後その店について調べてみたのだが、荒井が関西に来る直前に店を畳んでいた。一時期は全国有数のレトロパソコンゲームの店としてその名を知られていたのだが、増える競合店との競争の中で衰退し、窮余の策か、レトロゲーム以外の商品を扱うようになり、仕舞いには鹿の剥製まで店先に置かれ、最期は何屋であるか判らなくなっていたという。
栄枯盛衰という言葉とともに「なすて日本橋まで?」と一気に徒労感が襲ってくる。むつ市の科学館といい、先日の立川といい、今回の日本橋といい、下調べは重要である。
京都に戻ってから、再び新京極界隈を歩き回った。たまたま見つけた「モンベル」(注3)の店に立ち寄り、店員さんに野外で茶を淹れるためのサーモマグ(保温容器)を見繕ってもらう。夕食は近所の定食屋チェーン店「めしや丼」で牛肉チキン南蛮定食を食べた。ご飯のおかわり自由で、3杯ほどおかわりした。京都市民にも人気のようで、来客の女の子は「この値段でこの内容なら安いよね!」と言っていた。
小料理屋や料亭が建ち並ぶ寺町通りと先斗町(ぽんとちょう)を見物しながら歩く。どこの店も京都の夜を楽しもうという客で大入りのようだ。石畳の小径はいかにも京情緒たっぷりで、観光客が好きそうな感じだ。ここに舞妓さんでもいれば、絵になるのだろう。
ユースに戻ったのは八時半だった。明日には京都を後にして、再び東海道を東に向かうのだ。
注1・「男女が均等な間隔で」:夜の鴨川名物として有名。
注2・「五分の一」:弘道館正庁の建物面積は669平方メートルで、二条城の二の丸御殿は3300平方メートル。やっぱり5倍程度。
注3・「モンベル」:mont-bell。日本のアウトドア用品会社。直営店では商品販売も手がけている。