「玉鉾」で荷物を改めていると、箱根で買った茶さじが割れていることに気がついた。どうやら、伊勢で事故った時に割れていたらしい。さいわい箱根は帰り道の途中にある。買い直すため、再び畑宿に寄ることになってしまった。
出発の準備をするうち、朝食の時間になった。この日の献立は魚の煮付け、タケノコとわかめの煮物、生卵、おしんこにみそ汁だった。
朝食を食べていると「玉鉾」の女将さんに「山形は林檎が採れるでしょう?」と訊ねられた。女将さんの親類が毎年山形の林檎を送ってくれるのだそうだ。
各地で山形出身ですというと、多くの場合「あぁ、さくらんぼですね。」という答えが返ってくる。毎度山形のさくらんぼの全国的な知名度の高さには驚いてしまうのだが、もちろん山形では林檎も採れる。県民にとってはさくらんぼよりもなじみが深い。「林檎の産地は最上川中流域にあるんですが、川から上る朝霧のおかげで、いい林檎が採れるんだそうですよ。」と女将さんに答えておいた。
宿を出るとあまりに天気がよいので、もしかしたらと思い、さった峠に行ってみた。この間は雨でろくに風景が開けなかったが、案の定、今日は富士山が一点の曇りもなく、すばらしくよく見える。絶景にしばし見とれてから、駿河を後にした。
峠を越え箱根に来たところで、再び畑宿の「金指勝悦ギャラリーショップ」に行った。店頭で茶さじを物色していると、なんと店番をしていたおばさんが「前にも来たことがあるでしょう?」と話しかけてきた。どうやら顔を覚えられていたらしい。驚きつつ「よく覚えてますねぇ。」と答えると、「一度話をしたお客さんは忘れないんですよ。」と仰った。それに付け加えて「でも、あと何年かしたらボケてしまうだろうから、もうしばらく働いたら引退しようかと思うのよ。」とも仰っていたが、この様子なら引退はまだまだ先になりそうだ。
店の片隅に、珍しい形の寄せ木細工が置かれてあった。ルビンの壺の上に細身のワイングラスを載っけたような無垢細工である。何かと思って訊ねてみると「兄さんいい時期に来たねぇ。来年の箱根駅伝の優勝トロフィーなのよ。」と教えてくれた。
箱根駅伝とは、毎年正月に開かれる首都圏の大学対抗駅伝大会で、テレビ中継もされている。優勝校には箱根町から記念トロフィーが送られるのだが、それをこの店のオーナー、金指勝悦氏が作っているそうで、毎年今の時期、ほんのちょっとだけ店頭で展示しているのだ。優勝校に送られる現物だけに、珍しがって写真に収めるお客も多いそうだ。なるほど、よく見れば台座には「2003年箱根駅伝優勝」のプレートが付いている。これが実際に手渡されるというのなら、その場面をテレビで確かめてみなければなるまい。
おばさんと話しているうち、近所の寄木細工職人のおじさんが現れた。おばさんの紹介では、荒井と同じ山形出身で、かれこれ40年近く箱根で寄木細工作りに従事しているそうだ。おじさんは「山形の出身なのかい? 俺も赤湯(注1)の出身なんだよ!」と、同郷のよしみか、大歓迎してくれた。そのとき何を話したかはさっぱり覚えていないが、おばさんが「今でも山形の訛りが抜けないのよ。」と仰るとおり、おじさんの言葉には懐かしい訛りがこもっていた。まさか箱根で山形出身の方と遭遇するとは。思いがけず楽しい再会と出会いを果たしたのだった。
もし昨日、由比町で茶さじが割れたことに気が付かなければ、ここに来てまたおばさんや山形出身のおじさんに会うことはなかっただろう。そもそも由比町にまた泊まるきっかけになったのは、たまたま英君酒造に興味を持ったからだった。茶さじが割れたのも事故に遭ったから。よく考えると、それぞれのできごとは全く重ならないようでいて、実は微妙に絡まり合って未来を招いている。そのとき偶然は必然として目の前に現れるわけだ。そう思うと、ささやかなことでも、ないがしろにはできないものだととつくづく感ぜられる。
新しい茶さじを手に入れ、ついでにぐい呑みを買ってから畑宿を後にした(ぐい呑み値引きしてくださりありがとうございます)。小涌園前の「ファミリーマート」で焼きラーメンの昼食にしてからはほとんど寄り道もせず、まじめに国道1号線を東に走った。
川崎市で東芝科学館に寄った。電器会社東芝の小向工場併設の施設で、電気技術についての展示が見られる。かつて中学校の修学旅行で見学したことがあるのだが、そのとき見た展示が面白かったので、また見てみたくなったのだ。予約不要入館無料、科学少年のみならず、かつての科学少年にもうれしい場所である。
久々の科学館に入ると、アテンダントのかわいいお姉さんが案内してくれた。たった一人で見学に来ても、「これから超伝導のマイスナー効果(注2)の実験をします。液体窒素を扱うから気をつけてくださいね。」てな具合に、目の前で実演しながら展示品を見せてくれるのだ。その他にも、コンピューターを使った音声認識システムに顔認識システムなどなど、様々な展示を見せていただいた。これで予約不要入館無料なのだから、東芝の太っ腹ぶりには驚くより他ない。
十数年ぶりの来館だけあって、展示内容は大きく変わっていた。以前なかったコンピューター関連の展示が増えていて、ホームオートメーションシステムや人力発電装置といった、以前あった展示が一部なくなっていた。さすが展示の入れ替えをしないことには、お客が呼べないのだろう。それでも独楽回しロボットや、静電気発生マシン、世界最大の電球といった昔見た展示品がいまだ健在なのを見ると、「今でもがんばってだんだねぇ。」とねぎらいの言葉を贈りたくなる。とはいえ若いアテンダントさんは昔の様子は知らないようで、「昔はこんな展示がありましてね。」という荒井の昔語りを苦笑しながら聞いていた。
「今の時期、バイクで旅をするとなると寒くありませんか?」と、アテンダントさんの見送りを受けて川崎を後にした。アテンダントのかわいいお姉さん、その節はありがとうごさいました!
やがて目の前に大きく東京タワーが現れた。東京タワーのお出迎えだ。この間登ったのがずいぶん昔のように思える。夕闇の中照明に浮かび上がる姿は、まさに東京のタワーだった。「ついに東京さ戻ってきたんだな!」。ここまで来れば国道1号線の起点、日本橋ももうすぐである。
日比谷公園、皇居前、丸の内と走る。そして目の前に、もはや見慣れた道路原標が飛び込んできた。「やったぜ、ついに国道1号線走破達成だ!」 今や軟弱青年荒井は、日本を半分回ってきたばかりか、東海道まで走破してしまったのだ。
この日の宿は、前にもお世話になった「スカイコート浅草」だ。一度泊まった場所なので、今度は迷うことなくたどり着けた。宿に着いてからはテレビなぞ見ながらうだうだと過ごし、午後九時頃になってようやくはす向かいの「ローソン」に行き、焼き鳥丼とカレーヌードルを買い込んで夕食にしてこの日は寝た。
東京では果たしておきたいことがあった。この前利用し損ねた都庁食堂での雪辱である。この日も「スカイコート浅草」に連泊するので、レトロゲーム漁りを兼ね、再び都庁に行くことにした。今日もDJEBELは使わず歩きである。
まずは一月前にやってきた浅草寺に再び参拝した。朝なので境内は参拝客で賑わっている。仲見世もほとんど店を開けていた。ここで名物揚げまんじゅうを一個買って食べる。店先にはここに寄ったのか、皇太子ご夫妻がこの揚げまんじゅう屋を背景にした写真が飾られてあった。ナルちゃんも召し上がったのだろうか。
仏具や調理用品の問屋が並ぶ通りを抜け、上野駅に出る。「こごで聴診器ば買ったんだなぁ。」と、今年の旅を少し振り返る。上野駅からはアメ横を突っ切って、山手線に沿って南に進み、いつもどおり秋葉原にやってきた。
レトロゲームを物色するうち十一時になった。総武線で都心を横断し新宿に直行する。ついに都庁再来を果たすのだ。
都庁食堂は地上32階、ちょうど双塔の根本にある。それぞれの塔で働いている職員が利用しやすいようにとの配慮だろう。日本最大の地方行政庁舎だけあって、都庁食堂は規模も大きい。一つの階に2つの業者が入り、それぞれが張り合うようにして営業しているというのは、他ではちょっと見られない。夜になれば仕事帰りの職員向けに酒まで出しているようだ。時期だけに「忘年会は当店でどうぞ!」という手作りポスターまで貼られてある。「さすが東京都庁、他どは違うな。」と目を見張った。
32階だけあって見晴らしはよく、昼前だというのに窓際の席はすっかり埋まっていた。職員はもちろん一般来庁者の利用も多い。都庁食堂の場所は大きく紹介されているわけでもないのだが、案内板に「来庁者の方もお気軽にどうぞ」といった旨のことが一筆書かれているのは好感が持てた。
今回食べたのは日替わりの北海天丼だ。エビ、イカ、キスの他、アスパラ、カニ、鮭天が載っかった天丼で、にゅうめんとあんかけ豆腐が付いてきた。大量の客に対応するためか、天ぷらはあらかじめ揚げておいたものに違いなく、衣が少しへたっていたが、鮭天は旨かった。都庁食堂には他にも「都庁弁当」などなど名物料理があるようで、テレビで紹介されたこともあるそうだ。都庁食堂を極めようとするなら、時間がかかりそうだ。
都庁前の広場こと「都民広場」に降りてみると、大道芸人がパフォーマンスの最中だった。東京都では石原都知事の意向で「ヘブンアーティスト」こと大道芸人に広場を貸しているのだ。いかにも作家出身の都知事らしい粋な計らいである。平日の昼だったせいか見物客はまばらだったにもかかわらず、芸人さんは一生懸命に芸を披露していた。大道芸人がいると、それだけで無機質なビル街も華やかに見えてくる。
再び総武線で秋葉原に戻り、レトロゲーム漁りの再開である。秋葉原は何度か来てはいるのだが、路地裏にまで数多くの店が並び、毎回迷ってしまう。そんな路地裏にまで、お目当ての品を探しに来たマニアの方々が多数繰り出していて(荒井もその一匹だ)、しかも駅を始め街中は萌え萌え美少女のポスターや看板で溢れている。世界有数の濃ゆい町であることは間違いない。
夕方まで何軒かの店舗を回ってみたが成果は上々で、古いパソコンゲームが1本とメガドライブ用のソフトが2本、それにゲームの攻略本などをいくつか手にすることができた。夕食に路地裏にある「九州じゃんがららーめん」で全部入りラーメンを食べてから、地下鉄で浅草に引き上げてきた。
浅草で地下鉄を降り、宿に向かって歩いていると「デンキブラン」を飲ませる店があった。「そういやデンキブランの名前は聞いだごどがあっけど、飲んだごどはねがったな。」と一杯やっていくことにした。
こここそ有名な「神谷バー」だった。店内はバーというよりもビアホールといった雰囲気で、大勢の客がテーブルを囲んで賑やかに飲み食いしている。きちんとした格好のボーイさんたちは忙しくテーブルの間を行き交って注文を聞いていた。カウンターには小振りのグラスになみなみと注がれたデンキブランが並べられてある。人気の一品なのだろう。
「神谷バー」の注文方法は変わっていて、まずは入り口で酒やおつまみの食券を買う仕組みになっている。追加したい場合はボーイさんを呼んで、追加の食券を買えばいい。荒井もデンキブランとフライドポテトの食券を買い、席に着くとさっそくデンキブランが運ばれてきた。一口飲んでみると甘くて非常に飲みやすい。とはいえアルコール度数は30度もあり、飲みやすいからといって調子に乗って飲んでいると、すぐへべれけになってしまう。
「神谷バー」は明治13年(1880年)の創業で、デンキブランこと「電氣ブランデー」は明治15年生まれのカクテルだ。電気が珍しかった当時、目新しいもの、ハイカラなものには「電氣」という枕詞が与えられ、もてはやされたそうな。それから百二十余年、名前こそかつての郷愁を思い起こさせるものとなったが、デンキブランは今も変わらず人々に愛されている。
フライドポテトをつまみつつ、おかわりのデンキブランをまた一口。周りでは人々の笑い声が絶えない。賑やかなバーは昔も今も、下町の社交場なのだ。
注1・「赤湯」:山形県南陽市にある地区。温泉で有名。ラーメンも密かな名物。
注2・「マイスナー効果」:超伝導体を−200℃程度にまで温度を下げ、超伝導状態(電気抵抗がゼロになった状態)になったところに磁石を置くと、下の超伝導体を取り除いても磁石が宙に浮いたままになるという現象。