11月最後の日となった。明日は12月。6月に出発し、北海道、佐渡、東北、乗鞍、関東、東海、近畿と回ってきた今年の旅も、終わりが近づいた。
浅草を出発し、国道4号線で東北目指して走り出す。土曜日だったせいか下り車線を走っているせいか、うんざりするような渋滞に巻き込まれることもなく、東京を出て埼玉、茨城、栃木といった具合に、DJEBELは快調に北へ北へと進んでいった。
天気こそ穏やかだったが、東北地方に近づくにつれ寒さが堪えてきた。凍死の危険を冒してまで野宿をする気にはなれなかったので、宇都宮まで来たところで、郵便局で宿代を補充することにした。ついでに昼食がてら、再び「来らっせ」に寄った。この日食べたのは餃子カレー丼、ご飯の上に餃子とカレーがのった丼だ。おかずはもちろん焼き餃子である。
改めて店内を見渡すと、店を訪れた有名人のサインがいくつも飾られてあった。荒井が知っている名前もいくつかあるが、変わったところでは政治家鳩山由起夫氏のサインがあった。よほどここが気に入ったようで、「二回来てくれたんですよ。」と店のおばさんは仰った。「二回も来るんだから、よほど旨かったんでしょうなぁ。自分もまた来ましょうか。」と荒井が言うと、「ぜひまた来てくださいな。」と笑っていた。もっとも、もう二回来ているわけだけど。
ここまで来たからには、隣の二荒山神社にも参拝しないわけにはいかないだろう。再びここに来られたことに感謝し、これからも無事に旅が続けられるようにとお願いしておいた。
宇都宮を出てさらに北に走る。やがて県境を越え、福島県まで戻ってきた。ここは東北地方、山形も指呼の間である。
須賀川市まで走ったところで寒さが堪えてきた。まだ日は残っていたが、今日はこの辺で切り上げて明日に備えようと、早めに宿をとることにした。
この日利用したのは国道4号線沿いにある「まゆみ旅館」というビジネス旅館だ。夕方近くの飛び込みだったにもかかわらず、まだ間に合うからと、夕食まで用意してもらえることになった。この夕食がずいぶん豪華で、タラの煮付け、千切りキャベツを添えた大きなエビフライが二本、マグロとイカの刺身、冷や奴、ほうれん草のおひたし、なめこのたっぷり入ったみそ汁、それにおかみさんが「作ったから食べてみて!」と勧めてくれた手作りのモツ煮込みという献立だった。ちなみに一泊二食付きで5500円なのだが、ありがたいことに「5000円でいいよ!」とおまけしていただいた。おかみさん、ありがとうございました!
宿は長期宿泊者向けのビジネス旅館で、近隣での仕事の宿舎として利用している方が多いようだ。設備は旅館というよりはアパートに近い作りである。決してすばらしく整っているというわけではないのだが、その分おかみさんの応対が親切丁寧で、気持ちよく利用できた。
日本一周前半も最終日、いよいよ山形に戻る日になった。出発の際「まゆみ旅館」のおかみさんから、「宿泊者の方へのサービスですよ。」と、昼食用におにぎりを2個もらった。ありがたく頂戴して須賀川を後にした。
天気はよく、凍てつくほど冷えてもいなかった。順調に郡山市を通過し、福島市で国道13号線に乗り換える。そして最大の難所、栗子峠越えにさしかかった。心配していた大雪はあらかた溶けてしまったようで、路面に雪は残っていないし、凍結もしていなかった。「もし帰る直前さなって、大雪さ降らったらどげすっぺ?」と内心気が気でなかったのだが、これなら無事に超えられそうだ。場合によっては栗子峠を迂回し、宮城県から笹谷トンネルか、いっそ来たときと同じく、堺田経由で山形に戻ろうかとさえ考えていたのだ。
無事東栗子トンネルを抜けると「山形県」の標識が見えてきた。とうとう戻ってきた。荒井の郷土、山形県。一月半離れていただけなのだが、それでもずいぶん懐かしい。
家に戻る前に、何ヵ所か寄り道をした。まずは米沢市の上杉神社。江戸時代に置賜地方を治めていた上杉家の祖霊を祀る神社で、かの上杉謙信公も祭神となっている。米沢の基盤を作った上杉家の神社なので、今でも市民の崇敬が篤い。隣には米沢の物産を扱う「上杉城址苑」という施設があり、来客で賑わっていた。
天童市で旅立ちにあたってお世話になった山道具屋さん「マウンテンゴリラ」に挨拶に寄った。店では店主の誉田さんが歓迎してくれるとともに、お客さんのテレマークスキー(注1)の手入れをしていて、「冬に山形さいるなら、遊ばないどもったいねべ!」とテレマークの魅力を力説してくれた。間もなく山形には、本格的に雪が降る。
そしてついに、荒井は地元の街へと戻ってきた。これまでの旅の報告のため、旅立つにあたって最初にその無事を祈願した神社に再び参拝した。
旅の途中、いろいろなことがあったが、とりあえず無事に今年の旅を終えることができた。
「自分は本当に、日本の国ば半分廻ってきたんだよな。半分行ってきたんだな。」
今年の旅がまもなく終わるという感慨と共に、自分は本当に日本を半分廻ってきたのだという実感がにわかにこみ上げてきた。会社を辞め、あれこれ準備を始め、わけもわからないまま旅に身を投じたわけだが、思い切って飛び込んでしまえば、思う以上にできてしまった。
最初にここに来たときは、自分はまだ駆け出しの旅人だった。自分が住む日本という国も、行ったことのない場所がほとんどで、「これがらどんた人ど会えるんだべ? どんたものが見られるんだべが?」と、その先にあるものに憧れていた。
そして約半年。今や日本の半分の都道府県を廻り、初めてここに来たときとは比べものにならないほど、数々の人と出会い、数々の場所に行ってきた。憧れていたことの半分が、今や自分の経験としてあるのだ。
当初日本一周はこの年中に終わらすつもりだったのだが、当初の予定を大幅に超えてしまい、冬をはさんで一度中断する形になってしまった。飽くまで、荒井はたかだか日本の半分の都道府県を廻っただけで、西日本はまるきり手つかずのまま残されているのだ。一の宮も半分以上残されている。一度行った場所でも、まだ知らないことは多い。旅はまだ半分が終わったばかり、残り半分、この先にはどんなものが待ちかまえているのだろう? 雪が溶けたら、残る半分を確かめに行かなければならない。来年も無事に旅が続けられますように。かくして荒井は次なる旅に向けて静かに意欲を燃やすのだ。
通算走行距離2万4070キロ。所要日数123日。1都1道2府21県の都道府県庁、旧国35国、一の宮40社を巡った日本一周前半の旅の記録は、ひとまずここでおしまいである。
注1・「テレマークスキー」:主にバックカントリーを滑るためのスキー。アルペンスキーとクロスカントリースキーの中間のような特徴がある。
記念の品を持ち帰ることも旅の記録となります。例えば旅先で手に入れた品物はもちろん、各地で手に入れられる案内冊子、入場券、包装紙、果ては買い物した時のレシートなどは、旅を思い出すよすがとなるものです。日本一周の前半では頻繁に写真を撮らなかった荒井、この日本一周記を書く上で、これら小冊子類に大いに助けられました。