冬眠から覚める

冬眠から覚める

地元の神社
荒井が旅の無事を祈願している地元の神社。

 愛車パジェロミニの車検や保険などの手続きのため、冬は山形の実家に籠もっていた。12月から4月までは雪のため山形から外へは出られない。その間といえば、溜まっていたレトロゲームに手を付けたり、自前のサイト(この「何とか庵」です)を立ち上げてはその記事を書いたりと、そんなかんじだった。
 年末年始は、数年ぶりに実家でゆっくりと過ごした。箱根駅伝のテレビ中継など見ながら「去年の今頃は、鶏肉ば揚げだり焼いだり、エビ天どがオードブル作りさ追わってだがったんだよなぁ。」と、近くて遠くなった過去をふと思い出す。優勝校山梨学院大には、畑宿で見たあの無垢細工トロフィーが贈呈されていた。

 3月になって最大の懸案事項、パジェロミニの車検と保険の更新手続きが片づいた。月末、ようやく雪が溶け出した頃、再び旅立ちの準備に取りかかった。旅道具を手入れして、いつでも使えるようにしておく。DJEBEL200(ジェベル200)も整備に出し、万全の状態に整えてもらった。整備をしてくれた二輪車屋さんは「1年で3万キロ走るなんて! 消耗部品はほとんど全取っ替えでしたよ〜。」と言っていた。かくして着々と後半戦の準備を進めていった。

 後半戦では旅道具に新しい装備が加わった。デジタルカメラである。前半戦では記録用にIXY310こと、キヤノンのAPSコンパクトカメラを一台持って行ったのだが、現金収入一切なしの無職の旅人ゆえ現像代が気になって、存分にシャッターを切ることができなかった。ところがここにきてそこそこの性能のデジタルカメラがそこそこの値段で手に入れられるようになった。現像代がかからない上、コンピューターに画像を取り込むのもお手の物だから、思い切って導入に踏み切ったのだ。
 買ったのはIXY310と同じ、キヤノンのPowerShotA70という機種だ。値段もさることながら、単三電池で動くので旅先でも電源に困ることがまずないのと、マニュアル露出(注1)ができるというのが決め手になった。後半になって写真の量が増えたのは、ひとえにこのデジカメのおかげである。

 4月になると気温も和らいできた。これなら外で野宿しても凍死することはあるまい。DJEBELも戻ってきたところで、いよいよ未知の西日本にむけて旅立つことにした。日本一周後半戦の始まりである。

春先の旅立ち

山形市内の県道17号線
こんな天気の時出発。山形市内にて。

 今回の旅は前回の続きである。廻っていない大阪以西の西日本と、北陸地方を廻ることが目的だ。残る県庁は22県、旧国38ヶ国。大阪から徐々に南下し、沖縄は八重山諸島で日本最南端と最西端を極めたところで、徐々に北上しながら廻っていない場所を見てこようという予定だ。当面の目標は沖縄に渡ることだが、その前に十分に廻れなかった紀伊半島にもう一度行ってみることにした。前半のように用事や車検も控えていないので、今度は廻りきるまで山形に戻ってくる必要がない。

 4月21日。待ちに待った後半戦の始まりだったが、朝から天気は悪かった。雨は時折激しく降りつけた。「何でこんな時ば狙っだように雨が降んだ?」と天をにらみつける。先週はこれでもかというほどの晴天続きだったからよけいに腹立たしい。そういや最初の旅立ちの時も激しい雨だった。自分が雨男なのか、呪われているのか。春雨もこれだけ激しいと濡れていこうという気になれず、日和見をしているうちに出発は遅れに遅れ、結局家を出たのは午後一時だった。いつもながら、旅立ちらしくない旅立ちだ。
 例によって地元の神社に旅の無事と成功をお願いに行った。そろそろ桜の季節だったので、境内にはぼんぼりが立てられ、花見茶屋が組み立てられたりと、花見の準備が進められていた。
 県道で大石田町を抜け、国道347号線に乗り換え河北町に出た。雨はほとんど止んでいたが、風が非常に強かった。最上川の堤防を通って天童市に向かったが、DJEBELが何度も風に煽られ、堤防の端に追いやられそうになる。気が付けば防水用のザックカバー(注2)が風で半分剥けていた。

 挨拶を兼ね「マウンテンゴリラ」に顔を出す。「これがら沖縄さ行ぐんですよ!」と言うと、「ついに旅立ちが!」と店主誉田(ほんだ)さんが大はしゃぎして、旅立ちの一枚をと言って店の外まで出てきて、DJEBELにまたがっているところを「最近買ったなだ。」というデジカメで撮影された。
 夕食用にフリーズドライのカツ丼の素を買い、近所の米屋さんで米を仕入れる。ザックを見たのか、店のおばさんに「これからどちらへ?」と訊かれたので「単車で沖縄まで行ぐんですよ!」と答えると、たいそう驚かれた。
 山形のお隣、宮城の仙台空港には直行便があるので、山形から沖縄まではすぐ行ける。荒井としては単車旅もそれと変わりない感覚なのだが、一般の方々にとっては、それが大冒険に思えてしまうらしい。
 逆に言えば、一般の方々は沖縄とは飛行機に乗って行くような遠い場所であって、(途中船こそ利用するけれど)単車で自走して行けるような、山形と地続きになっている場所という認識は薄いのだ。荒井の両親も「沖縄は雪が降らねくてうらやましいじゅ。」とよく言うが、果たしてその沖縄とはどこにあるのだろう。その沖縄が地続きであるのを確かめに行くことが、後半の当面の目標である。

舞鶴山の人間将棋盤
舞鶴山のようす。桜と人間将棋盤。

 天気は持ち直しつつあった。ついでだからと、天童の桜の名所、舞鶴山公園を見物していくことにした。ここではちょうど桜が見頃で、何軒もの花見茶屋が店を開け、花見客で賑わっていた。公園は人間を駒に見立てて将棋を指す「人間将棋」の会場としても知られている。前日はちょうどその人間将棋大会が開かれており、大勢の係員が後片付けに追われていたが、それがやけに山形の春らしかった。

 後半戦は一日目から野宿である。夜はまだ寒かったが、長い冬眠から覚めて、これから旅に出るんだと気合いを入れるためである。場所はすっかりおなじみ、山形市近郊の県民の森荒沼キャンプ場だ。まだ雪も解け残っており、利用客は荒井の他に誰もいない。管理棟のバルコニーにこっそりテントを張り、米を炊いてさっきのフリーズドライのカツ丼で夕食にする。久々なものだから米を炊くのに思い切りしくじり、芯のあるお粥のようなものに、カツ煮を混ぜて喰う羽目になった。
 ラジオによれば気温は11月並みに冷え込んでいたが、秋と春とでは気分が違う。日記を書きながら耳を澄ますと、風のうなりが聞こえた。雨は止んだものの、木のざわめきが絶えず鳴っている。「自分はまだ旅さ出だんだ。それでこれがら沖縄ば目指すんだ!」と、テントの中でようやく、後半が始まったという実感が湧いてきた。


脚註

注1・「マニュアル露出」:写真用語。シャッター速度と絞り値を自分で決めて撮影すること。

注2・「ザックカバー」:ザックにかける防水用のカバー。山登りの必需品。


荒井の耳打ち

旅人の便利アイテム〜デジタルカメラ

 最近はデジタルカメラを使って旅を記録するという方も増えてきました。デジカメの利点はなんといっても、フィルム・現像代を気にしなくていいことと、現像が不要なこと(RAW現像は除く)。自然と銀塩カメラよりも撮る枚数は増えますし、たいがいの機種は液晶ディスプレイ内蔵で撮った写真がすぐ見られますので、旅人どうしの情報交換にも便利に使えます。最近のデジカメは画質もよくなってきて、普及機でも銀塩写真に引けを取らない水準にまで上がってきました。
 ただし、電源がなければ全く撮影できません。旅先での充電は気を遣う問題で(特に専用充電池を使う機種の場合)、時に「充電するため宿に泊まる」ことも必要になってきます。また、銀塩カメラ以上に水や埃、振動に気を遣わねばなりません。フィルム代わりになる記録用メディアも、大容量のものを2,3枚そろえておくべきでしょう。データが消える時は本当に一瞬で消えますので、折を見てバックアップを取る必要もあります。
 荒井が持って行ったのは単三乾電池が使える機種だったので、充電池の他、常時替え電池を持ち歩いて使っていました。また、念のため銀塩カメラも一台持ち歩いていました。

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