再会再会また再会

ショウエイビル再訪

茨城県立青少年会館
茨城県立青少年会館。水戸での定宿、偕楽園ユースホステルはこの中。

 朝六時半に起きる。件の「セブンイレブン」でミックスサンドとちばらき名物ジョージアマックスコーヒーの朝食にした。それから出発の準備を整え、礼を述べてからユースを後にした。
 出発の際、ユースの職員さんにどこから来てどこへ行くのと訊かれたので、山形から来て沖縄まで行ってくるつもりですと答えると、やっぱり驚かれた。ここでも沖縄はまだ遠い場所であるらしい。

 今日の目的地は東京都の代々木ユースである。水戸から都心まで数時間で行けることは、前半の旅でわかっている。途中いくつか寄り道していくことにした。
 そろそろ咲いた頃だろうかと、去年も来た内原町の「かたくりの里公園」に寄ってみた。しかし季節にはまだ早かったようで、カタクリは咲いていなかった。とはいえこのあたりは南にあるぶん、季節の訪れも早い。道中代かきをしている田んぼがちらほらと見うけられた。

茨城県道42号線・風返峠
風返峠の道。コンクリート舗装のグルービング加工の急坂は単車泣かせ。

 県道30号線から国道355号線、そして県道7号線、同42号線と乗り継いで筑波山に向かう。県道42号線は筑波山に近づくといきなり道が狭くなり、舗装もアスファルトからコンクリートのでこぼこしたものに変わっていた。しかもほぼ一直線に筑波山を登るため非常に急で、あの暗峠といい勝負である。こんなところで転んだら悲惨だと、気をつけながら登っていった。
 風返峠という変わった名前の峠を境に道は下りになる。道なりにしばらく走っていると「筑波山神社」の案内看板があったので、参拝していくことにした。門前街のみやげ屋「いしはま」にDJEBELを預け、徒歩で石段を登っていった。
 神社は山の中腹の急なところにあるにもかかわらず、やけにでかい。こんなところにどうやって資材を運び込んだのかが気になる。祭神は国産みの神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)と伊弉諾尊(いざなぎのみこと)。筑波山の双峰を、それぞれの神に見立てて祀っているらしい。神社はつくばの万博を機に整備が進められたそうで、境内には会場に置かれてあったモニュメントが移設されてあった。境内は山頂行きロープウェイ駅の通り道にもなっており、バス遠足の生徒さんがにぎやかに通過していた。
 DJEBELを受け取りに「いしはま」に戻ると、店番の老夫婦が待っていた。さっきの生徒について訊ねてみると、春になったということで、今の時期は観光客など多く訪れるらしい。五月の連休になれば、さらに多くの人でにぎわうのだろう。
 記念に筑波名物「ガマの油」を一つ買った。「抜けば玉散る氷の刃、一枚が二枚、二枚が四枚...」の大道芸で有名な軟膏だが、門前街では普通に売っており、人気商品の一つとなっているようだ。件の口上では万能の傷薬となっているが、実際の「ガマの油」はハンドクリームのようなものである。

 山を下り、国道294号線で水海道市(みつかいどうし・現常総市)に向かう。水海道の名前は偽北海道のようで何となく気になっていたが、とうとうその偽北海道にも進出である。
 役場隣の市民会館にある「レストランエル」で昼食にした。店構えはレストランというよりまるきりの食堂である。食べたのは日替わりの唐揚げ定食だった。生野菜をたっぷり添えた鶏の唐揚げ、なすの煮物、鶏サラダ、小松菜のみそ汁、おしんこと、まったく食堂の献立である。味は結構旨かった。食後に紅茶が出てきたが、これがレストランということなのだろうか。
 市民会館の入り口には「千姫まつり」のポスターが貼り出されてあった。千姫とは二代将軍徳川秀忠の娘で、戦国の世に翻弄される生涯を送った。その墓所が水海道市にある縁で、千姫にちなんだ仮装行列が開かれるそうだ。

間宮林蔵の生家と林蔵の像
伊奈町の間宮林蔵生家と林蔵の像。宗谷に続いてここでも遭遇。やっぱり北の方を向いている。

 国道6号線に合流する前に、伊奈町(現つくばみらい市)にある間宮林蔵記念館に立ち寄った。間宮林蔵は最上徳内、松浦武四郎と並び称される幕末の北方探検家だ。その功績はサハリンと大陸の間の海が「間宮海峡」と呼ばれていることに集約されている。その林蔵が、ここ伊奈町の出身なのだ。
 記念館は利根川の支流、小貝川の堤防のすぐそば、農村の本当になんでもないところにあった。目の前は青々とした麦畑で、野良仕事中のおばあさんが道を歩いていたりする。
 記念館一番の見所は、敷地内に移設した生家だ。これまで見てきた偉人の生家同様、小さく質素な作りである。生家の前には林蔵の銅像がある。「宗谷岬さも、林蔵の銅像があったよなぁ。」と思い出した。
 記念館のすぐそばには、林蔵が読み書きを学んだ専称寺(せんしょうじ)があり、境内には林蔵の墓もある。墓は生家同様、小さく質素なものだった。生きて帰れる保証はないからと、北方探検に旅立つにあたり建てたもので、林蔵の決意と覚悟が伝わってくる。隣には林蔵の業績をたたえた立派な石碑があって「墓小さくしてその名はますます偉大である。」といったことが刻まれてあった。

 取手市で国道6号線に合流すれば、あとは都心の代々木ユース目指して走るだけだ。しかしここからが長かった。車の流れがよくない上、都心の地理には不案内ときている。取手市を出て利根川を渡ったのが午後二時頃だったのだが、代々木ユースに着いたのは五時過ぎだった。
 手続きを済ませ、部屋に荷物を置く。JR代々木駅から電車で秋葉原に行った。わずかな時間を利用して、またまたレトロゲームを漁ろうという次第である。お目当てのソフトを入手したところでまた電車で代々木にとって返し、駅前の居酒屋「和民」で夕食にした。

「和民」代々木駅前店わきの通路
「和民」代々木駅前店が入居するビルにて。かつてはここを飯塚雅弓嬢も通ったのだ。

 この代々木駅前の「和民」が入居している場所には、10年ほど前、大学受験のついでに一度来たことがある。当時ここにはマニアにはちょっと知られたゲームグッズ屋があって、愛好者の憧れを集めていたのだが、その後店じまいしてしまった。「和民」はその後に入居したわけだ。店内の客で、ここが昔ゲームグッズ屋だったことを覚えている人間はどれくらいいるだろう。10年もあれば何かが変わるのには十分すぎるのかもしれない。お通しの野菜スティックをかじりつつ、そんなことを考えた。

 ちなみにこの日秋葉原で買ったゲームソフトは、奇しくもそのゲームグッズ屋を経営していたソフトハウスの作品だった。

多摩地区縦断

オリンピック記念青少年総合センターのツツジ
代々木ユースで見たツツジ。

 そういや昨日乗った電車は弱く冷房が入っていた。都会は暑かったらしく、毛布だけで問題なく寝られた。ただし、軽く雨が降ったせいか、明け方は若干冷え込んだ。
 敷地内のレストラン「さくら」で朝食にした。建物の9階にあるため展望はすこぶるよい。窓の向こうには神宮の森が鬱蒼と茂っている。一雨あったせいか、緑が映える。森の向こうに建つビルは、さしづめ雨後の筍だ。
 「さくら」のモーニングセットは、パンとベーコンエッグ、生野菜、カクテルフルーツ、それにコーヒーやオレンジジュースといった飲み物の取り合わせだった。パンと飲み物はお代わりし放題。こんな時でも元を取ろうとおかわりを繰り返すのは、貧乏人の性というものだ。

 今日の行く先は決めていない。翌日に静岡の由比町に着く予定があるだけなので、どこを通るかは気分次第だ。
 まずは山梨方面を経由するつもりで多摩地区に出ようと、青梅街道を目指した。ところがここでまず迷った。青梅街道がなかなか見つからない。青梅街道が新宿の都庁の近くから延びていることぐらいは知っている。新宿は代々木の隣なので、すぐに行けそうなものなのだが、その新宿にたどり着けないのだ。ふと道ばたを見ればNHKがある。なぜかイリュージョンショー「キダム」のテントまで。
 「新宿さ、『キダム』のテントあて、あったべが?」 そんな調子で右往左往して、なんとか新宿にたどり着き、からくも青梅街道に出るのに成功した。

 「青梅街道」の標識にしたがって、のほほんとDJEBELを走らせる。道は次第に細くなり、左右に住宅が迫ってきた。様子がおかしい。荒井の知っている青梅街道はもっと広かった。こんなところ、今まで通った覚えはない。だましだまし走るうち、目の前に現れたのは立川市の国立昭和記念公園東口だった。
 地図を改めた。どうやら新青梅街道を目指すつもりが、途中で道を間違えて、旧青梅街道に迷い込んでいたらしい。荒井が何度も走ったことがあるのは新青梅街道の方だ。なるほど、旧街道なら知らないはずである。
 なんとか新青梅街道に戻る頃には昼になっていた。西の空を見れば雲行きがあやしい。山梨に行くには時間も天気も心細いので、急遽神奈川経由で静岡を目指すことにした。そうなれば宿は去年利用した城ヶ島ユースホステルで決まりである。あいさつがてら、半年ぶりに顔を出すのも悪くない。

 瑞穂町で国道16号線に乗り換えた。国道は隣の福生市で、米軍横田基地をかすめて走っている。金網を隔てた向こうは滑走路で、いかにも基地らしい素っ気のない建物や車両が並んでいる。国道を挟んだ向かいには、バタくさいアメリカ語の看板が目立つ。基地に勤める米兵相手の店が軒を連ねているのだ。
 金網には「侵入したら銃撃もやむなし」といったかんじの物騒な警告文が踊っていた。日本人が普通に暮らしている場所に「米国」が隣り合っている現場である。たかが金網一枚とはいえ、両国の間には、今は亡きベルリンの壁よりも高く厚い壁があるのかもしれないと思わせるものだった。

 国道16号線を走るうち、有料区間八王子バイパスに突っ込んでしまった。八王子バイパスの入り口は巧妙である。代替道路への入り口がよく分からない。そこで国道を道なりに走っていると、自動的に有料区間に突入してしまう。「あ、有料道路だ。」と気が付いても後の祭り、料金所まで降りられない。川に仕掛けられた簗場(やなば・注1)のようだ。もっとも、土地勘があればそういうこともないのだろうけど...
 新道は基本的に急ぐための道路であって、のんびり走るための道路ではない。基本的に急ぐ必要のない貧乏旅人にとって、有料の新しい道路は強いて通る理由がない。できれば無料の代替道路を走りたいと思ってしまう。

 八王子バイパスを抜け、相模原市で「サークルK」に立ち寄り、目玉焼きサンドで昼食を済ます。時折大粒の雨がぽつり、ぽつりと落ちてきた。まだ本降りには至らないが、早めに屋根の下に逃げたいところだ。
 横浜市に近づくと、国道はまた簗場のような様相を呈してきた。不用意に通行料を払うのは勘弁してほしかったので、保土ヶ谷というところで国道を離れた。
 離れたのはいいものの、保土ヶ谷周辺はまるきりの住宅街で、現在地が全くわからない。現在地がわからなければ、地図があってもあまり意味がない。
 ふと、目の前をバスが走っていた。「あのバスば追ってげば、いずれ横浜駅なり、知ってるどさ出られるんじゃねべが?」と思いつき、藁にもすがる思いでバスを追う。
 走ることしばらく。案の定、横浜駅前に出ることができた。ところが、荒井の知っている東口ではなく、西口だった。それからまたない土地勘を当てに走り回り、ようやく東口に出た時には、心底ほっとしたのだった。

城ヶ島ユースホステル入り口
城ヶ島ユースの図。立地の割に利用客はあんまりない。

 かくして横浜を通過し、渋滞がちな横須賀市を抜けて城ヶ島ユースに着いた頃にはあたりは暗く、雨はさらに強くなっていた。
 ペアレントさんはしっかり顔を覚えていてくれたようで「あぁ、日本一周の君だね。社会復帰できなくなるぞ〜。」と歓迎してくれた。「前と同じだから。気楽にゆっくりやってくれよ。」というもてなしの言葉も元旅人らしい。
 城ヶ島ユースは基本的に団体客の研修施設なので、閑散期はまさに閑散としており開店休業状態、ペアレントさん含む職員の方が二人、住み込みで細々と番をしている。閑散期は食事のサービスはなく、風呂もシャワーのみとなっている。
 この日の利用客は荒井一人だけだった。それをいいことに、部屋中に荷物や合羽を広げて虫干しをする(前半で紹介した城ヶ島ユースの写真はこれです)。夕食は三浦市内の「セブンイレブン」であらかじめ買っておいたのり弁当だ。暖めていないため、ぼそぼそしてあんまりおいしくなかった。コンビニ弁当は暖めて食べることが前提になっているので、旅人の持ち帰りには向いていない。

 ところで、この頃はちょうど統一地方選挙があって、各地で立候補者のポスターを見かけたのだが、横須賀市議の立候補者にはただ者でない面子が揃っていたので、思わず写真に収めてしまった。せっかくだからここでさらし者にしておく。「正義の味方」川本ユーイチロー氏と、「おれを、こきつかえ!」の藤野英明氏は、就職口に困って立候補したようにも見えなくない(注2)。ついでに森ペン氏の本名は「剣」ではなくて「高迪」(たかみち)だった。

「正義の味方」川本ユーイチロー氏 白浜幸吉氏
「おれを、こきつかえ!」藤野英明氏 「ペンは剣より強し」森ペン氏
横須賀市で見た愉快な選挙ポスター。白浜氏はただのおじちゃんにしか見えないぞ。
藤野氏と森氏は見事当選を果たした模様。藤野氏はなんと四位当選!


脚註

注1・「簗場」:魚を捕る仕掛け。

注2・「就職口に困って」:もっとも、日本の選挙制度では立候補に際して数百万の委託金を納める必要があるので、無職の貧乏人ならまず立候補はできません。

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