イケメンと職人とナイスガイ

鶴岡八幡宮の鳩
鶴岡八幡宮の鳩。鎌倉名物「鳩サブレ」の意匠の元。

 天気予報では、今日から晴れるはずだった。朝起きたら、外はまだ雨と強風である。また雨かよとお天道様に悪態をつく。するとお天道様がそれを聞いていたのかは判らないが、やがて雨脚は遠のき強風だけになった。こうなれば足取りは軽い。近場の「セブンイレブン」でおなじみツナタマサンドとオレンジジュースの朝食にして、本格的に三浦市を出発した。

 鶴岡八幡宮に参拝するため、再び鎌倉に寄った。前回目もくれなかった八幡宮だが、改めて来たのにはわけがある。八幡宮は寒川神社と並んで、相模国の一の宮だったのだ。前半鎌倉に来た時は、そんなことは一つも知らなかったので、山海堂に寄っただけだった。鎌倉が通り道になるのなら、ついでに参拝できる。後半戦最初の一の宮だ。
 適当な場所にDJEBELを停め、長い参道を歩き出す。八幡宮の長い参道は、奥に行くほど狭くなっている。参道の入り口から神社の方向を見れば、遠近法で参道がより立派に見えるという工夫らしい。
 社殿は改装中で、緑のネットですっぽり覆われ、中をうかがうこともできなかった。かわりに本殿につながる石段の前に急ごしらえの拝殿がしつらえてあった。あまり参拝した気がしない参拝となった。

鶴岡八幡宮修復中
相模国一の宮鶴岡八幡宮は修復中。奥には将軍実朝暗殺事件ゆかりの大銀杏も。

 神社の前に、いなせな法被(はっぴ)姿の若い兄ちゃん(あんちゃん)たちがいる。いわゆるイケメン(注1)揃いだ。「何か祭りでもあるんですかい?」と訊いてみると、鎌倉の新名物、人力車の俥夫(しゃふ)だった。
 人力車とは、昔のタクシーだ。車の普及でタクシーとしての人力車は廃れたが、昔ながらの情緒を楽しむものとして、観光用人力車は今でも全国各地に残っている。「記念にいかがです? 鎌倉のいいとこご案内しますから。後悔させませんよ!」と誘われたので、勢い、人力車に乗ることになってしまった。
 人力車を引いてくださる俥夫は中村典紘さん、役者志望のイケメン兄さんである。彼の人力車「麒麟号(きりんごう)」に乗って、鎌倉を散策することとなった。

 「うわ、思った以上に早いですね。人が牽くからもっとゆっくりしてるかと思った。」
 「そうでしょう? 乗った方はみんなそう仰いますよ。」
 「単車に乗ってるのとは違う感覚だなぁ。」
 「たまには別の乗り物に乗ってみるのも悪くないでしょう?」

 人力車は思った以上に早い。もちろん時速はそう出てはいないのだが、単車と同じく体がむき出しな分、体感速度が速いのだ。道交法では人力車は軽車両になるので、運行に当たっては講習も受けるんですよとも教えてくれた。また、人力車は単車や自動車と比べ視点が高い。高いところから周囲の風景がゆるゆると流れていく様は愉快だった。
 やがて麒麟号は裏通りの細い小径に入り込んだ。中村さんは要所要所で車を停めては、その場所の講釈をしてくれる。作家大佛次郎(おさらぎじろう)の自宅、日蓮上人が辻説法をした場所、北条一族自決の地。滑川では橋の欄干に乗って写真まで撮ってくれた。サービス精神満点である。ついでに言うと、八幡宮の参道の話も中村さんからの受け売りだ。

いなせに決める中村典紘さん
イケメン俥夫の中村典紘さん。野球選手と同じ読みなんですよと自己紹介。

 「八幡宮では一週間前に流鏑馬(やぶさめ・注2)をやってたんですよ。演技の勉強に乗馬を習ってるんで、ぜひ見てみたかったんですけど、さすがに仕事で見られなかったなぁ。」

 中村さんが仰るに、自分自身がそうであるように、俥夫にはモデルや俳優の卵を目指している方も多いのだそうだ。イケメン揃いなわけだと納得する。変わったところではボクサーの方もいらっしゃるとか。仕事をしながら自分の夢を叶えるべく、日に日に努力を重ねているのだ。
 とはいえ不真面目社会人だった荒井とは異なり、皆さん俥夫の仕事を心から楽しんでいるようだ。中村さんも「いろんな人と会えますし、話をしながら車を引くのはすごく楽しいんですよ!」と、実に楽しそうに仰る。この経験が後々生きてくるに違いない。

 「日本一周中の旅人の方を乗せたのなんて、初めてですよ! そういう、いつもバイクに乗っている方にこそ、僕は人力車に乗って欲しいと思ってるんですよ。いつもとは違った体験になったでしょう?」

 単車で日本一周をしていると、単車以外の乗り物を利用する機会は少ない。乗り物が違えば同じ道筋をたどっても、その印象は全く異なってくる。たまに単車を降りて歩いてみたり、別の乗り物を利用すると、それまで見えてこなかったものが見えてきたりする。かれこれ15分ほどの人力車散歩だったが、そこから見る風景は新鮮だった。

金指ギャラリーショップと職人さん
寄せ木細工職人、山形のおじさんこと渡辺さん。もう一人の職人さんは恥ずかしいからと背中でごあいさつ。

 麒麟号から愛車DJEBELに乗り換え、鎌倉を出る。湘南の海も春を迎え、秋よりも波乗り客が数多く海に繰り出していた。天気もまずまず、単車を走らせるのが気持ちよい。
 国道1号線に合流しさらに西を目指す。いよいよ箱根越えである。それなら畑宿にも寄っていこうと、金指ギャラリーショップに顔を出す。テレビでトロフィーを見たことも報告しておかなければなるまい。

 店にはおばちゃんの他、出入りの職人さんが何人かいた。間もなく山形のおじさんもやってきた。荒井が「これから沖縄に行く途中なんですよ!」と言うと、皆さんに驚かれれつつ、「いい体験をしているね。」と口々に言われた。
 日本一周。憧れつつも、夢のまま終わらせてしまう方は多い。荒井は「憧れても叶える努力をしなければ、いつまで経っても日本一周なんかできやしないんだ。」と気付いたがゆえに旅人になったわけだが、気付いたことを含め、機会を得ることができた自分はつくづく恵まれていると思う。
 来たついでに、携帯電話用のストラップと耳かきを見繕う。山形のおじさんをはじめ、皆さんに「行ってらっしゃい、気をつけて!」と送り出してもらい、畑宿を後にした。

浅間大社前「ここずらよ」
富士宮物産店「ここずらよ」。浅間大社の大鳥居のわきにある。

 箱根を越え、静岡県に入ると天気は急に回復した。暑くて汗ばむほどの陽気である。ふもとの三島市では再び三嶋大社に参拝し、富士宮でもまた浅間大社に参拝した。一日三社、久々の神社巡りだ。この旅の大きな目標が県庁一の宮巡りであることを忘れるわけにはいかない。「ここずらよ」で富士宮の焼きそばを堪能した後、浅間大社のそばから伸びる県道76号線でいよいよ本日の目的地、由比町に向かった。
 前半お世話になった英君酒造は、この県道76号線沿いにある。同社のサイトによれば、ついこの間、新酒の瓶詰めが終わったらしい。さっそくその新酒をいただこうと、またまた英君酒造に立ち寄った。
 店では社長さんとおかみさんが応対してくださった。新酒は瓶詰めが終わって冷蔵庫に保存しているところで、まだラベルを貼っていないとのことだったが、そこで無理を言って、その新酒を一本譲っていただくことにした。
 ラベルを貼ってないんですかと訊ねると、社長さんが丁寧に説明してくださった。

 「瓶詰めしたお酒は、保存のため冷蔵庫に入れておくんですが、取り出したばかりでは冷えているから、瓶に水滴がつくでしょう? そうなるときれいにラベルが貼れないから、出荷の際はその都度必要な分だけ取り出して、常温になじませてからラベルを貼るようにしているんですよ。」

 素人目にはなんでもないように思われるラベル貼りだが、この話一つをとっても、酒蔵の気遣いがうかがえるではないか。無理にも快く応じてくださり、まさに頭の下がる思いである。
 他にも、英君酒造ではぜひ会っておきたい人物がいた。同社の専務さんである。荒井が英君酒造を知るきっかけになったのが同社のサイトであることは前にも述べたが、そのサイトを作っているのが「専務」(注3)なのだ。専務は社長の息子さんで、大学卒業後、大手の製菓会社に勤めていたが、現在は家業を継ぎ、親子二代で酒造りをしている。
 社長さんにおそるおそる「あの、専務はいらっしゃいますか?」と訊ねてみると「今日は家の方でホームページの更新作業をやっているだろうから、呼んできてあげましょうか?」と、わざわざ呼びに行ってくださった。荒井の頭はいよいよ下がりっぱなしである。

 「荒井さんですか? はじめまして、専務です。」

 かくして荒井の目の前に現れた専務は果たして、予想以上に若々しい方だった。同社のサイトにときおり掲載される写真よりも若々しい。見た目は気のよい兄さんといった印象だ。まずは旅の顛末などを話したが、途中こんなものを見ましたと、デジカメで撮った横須賀市会議員立候補者ポスターを見せたら、激しくウケていた。
 専務の最近の悩みは、消防団の消火ポンプ操法訓練だ。

 「全部で4人メンバーがいるんだけど、みんな仕事が忙しいとかで、定例の練習会に出られない人もいるんですよ。自分一人だけということもたびたびです。それに対して指導員が6人(笑) 参加者が自分だけの時は、6人分のチェックが自分一人に集まるもんだから、『ホースの伸ばし方が足りない!』とか『タイミングが遅い!』とか『放水口の角度が違う!』とか、それはきつい練習になるんですよ〜。放水時に足を開く幅まで厳しくチェックされます。」

 静岡の消防団では年に一度、消火技術の操法演技を競い合う大会がある。専務が所属する消防団はかつて県大会に何度も出場したほどの名門なのだが、長らくご無沙汰だった。ところが、前年久々に県大会出場を果たして以来、名門復活だとOBの間で士気が上がり、練習が特に厳しくなったそうな。
 実際出動して、燃えさかる火を目の前にいざ火を消す段になると、足の角度とか、放水時の構えなんて気にする余裕なんてあるんですかね、と訊ねてみると、放水ポンプの操作方法や放水時の姿勢など、基本こそ同じであるものの、「角度を気にしている暇はありません(笑)」と仰っていた。消防の演技は実用性はさておき、空手の演舞のように、型をきっちりこなす美しさを競うものなんですよと教えてくださった。

英君酒造専務・望月裕祐さん
英君酒造の専務さん。酒造りには妥協しないナイスガイで妻子持ち。ご婦人方残念(え?)

 専務は愉快な文章を書く面白い人物という印象を抱いていたが、実際に会って話してみると、ときおり冗談を交えつつも、常に折り目正しい態度を忘れないナイスガイだった。そういえば同社のサイト酒造り紹介記事も専務の手になるのだが、そこからは酒造りに対するとことん真摯な姿勢がうかがえる。荒井と話している最中も、通りがかった近所の方が何人も親しげに挨拶をしていたのが印象に残った。
 ちなみに、春になって酒造りが一段落したものの、消防団の特訓と用事で専務は五月の連休も休みなしだったそうな。お疲れさまです。荒井もいきなり押しかけてすいませんでした!

 本日の宿は、前半でも利用した「玉鉾」だ。夕食にはカツオの皮のたたき、マグロの刺身、焼きハモ、卵焼き、それに桜エビの刺身、桜エビのかき揚げ、沖あがりが並んだ。由比に来たなら、英君酒造の酒と桜エビである。隣の部屋では宴席の準備が整えられてあった。気が付けば大型連休初日、各地に観光客が繰り出す時期だ。

 この日は様々な方と会えた。俥夫の中村さん、山形のおじさんをはじめとする畑宿の方々、そして英君酒造のみなさん。どれも日本一周の忘れ得ぬ思い出である。みなさん、その節はありがとうございました!


脚註

注1・「イケメン」:イケてるメンズの略。格好いいお兄さんのこと。

注2・「流鏑馬」:馬に乗って走りながら的に向かって矢を射かける競技。現在では随所の八幡宮の神事として開かれる場合が多い。

注3・「専務」:現社長。2005年1月に先代社長が亡くなられたのにともない、2月に社長就任。


荒井の耳打ち

自動車の利点

 旅の相棒に何を選ぶかは重要です。選んだものによって旅のやり方はもちろん、内容も大きく変わってきます。まずは自動車を旅の相棒に選んだ場合。
 自動車の利点は、なんといっても居住性です。単車や自転車では苦行に等しい雨や嵐でも、屋根付き・冷暖房完備の自動車ならば快適な移動が楽しめます。駐車場に車を止めて中で一晩寝る「車中泊」という芸当が可能なのも自動車の大きな魅力です(ただし寝心地は車種によりけり)。野宿はちょっと...という方でも、これなら比較的気軽に旅ができます。野宿旅であっても、車は荷物を沢山積めるので、装備を削るのに頭を痛める必要がありません。単車乗りや自転車乗りには「便利すぎて旅をした気になれない」と、自動車旅を軟弱だと思う方も多いのですが、それは自動車がかなり頼れる旅の手段であることの裏返しでもあります。
 ただし、市街地ではもろに渋滞に巻き込まれることと、燃料代やフェリー代がかかるということは覚悟しなければなりません。また、壊れた時や事故に遭った時の処置が、自転車や単車以上に大変なことは想像に難くありません。

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