紀伊半島へ

寸又峡

由比漁港の桜エビモニュメント
由比漁港にある桜エビのモニュメント。桜エビは由比町一番の名物。

 七時半に朝食を食べる。献立は焼き鮭、桜エビの刺身、みそ汁、のり、生卵、おしんこだった。
 由比町では間もなく桜エビ祭りが開かれ、かなりの賑わいを見せる。「祭りの日は昼になると店に行列ができて、2,3時間もとぎれません。従業員がお昼を食べる暇もないんですよ。」と、「玉鉾」の女将さんは仰った。

 八時半に宿を出て、さった峠、由比漁港を廻った。くもりがちで、峠から富士山は見えなかったが、山歩きを楽しむ方が目立った。峠を経由して浜石岳に登る方が多いようだ。
 漁から帰ってきたのか休漁なのか、漁港には船がずらりと停泊している。漁師たちが多く繰り出しては、港の掃除をやっていた。

日曜日の由比漁港
由比漁港。漁師さん達が作業中。

 国道1号線で静岡に向かう。荒井が冬眠している間、静岡市にはちょっとした変化があった。お隣清水市と合併し、広くなっていたのだ。電柱や歩道橋の住所表示は、見事に「静岡市清水〜」といった具合に書き換えられてある。「清水といったら次郎長親分どがエスパルスで、有名などごだったんだげどなぁ。」
 折しも全国では平成の大合併が進行中で、旅の途中、手持ちの地図と地名が違っていたという例をたびたび見かけた。清水市のような大きな地名も変わってしまったわけだが、有名な地名が地図から一つ消えるというのは、少々寂しいような気もする。

登呂遺跡
登呂遺跡。公園として無料開放されており、気軽に見学できる。

 静岡市の中心部からほど遠くない場所、少し海の方に行ったところに登呂遺跡がある。弥生時代の遺跡の代表だ。
 教科書には必ず出てくる登呂遺跡だが、ぱっと見は、青森の三内丸山遺跡とだいぶん違っている。復元された高床式倉庫や竪穴式住居がなければ、堀や盛り土の多い緑地公園ぐらいにしか見えない。
 ところが実はその堀や盛り土こそが貴重な遺構なのだ。かたわらの案内板には、弥生時代の住居跡とか水田跡といった解説が添えられてあった。公園内には発掘成果を紹介する博物館も建っている。
 遺跡の立地は三内丸山遺跡と似ていた。どちらも海に近い川の岸辺で、県庁所在地の近郊だ。数千年前の昔から今に至るまで、好んで人間が住む場所というのはそう変わりないのかもしれない。

丸子丁子屋
丸子名物とろろ汁で有名な丁子屋。江戸時代の前から営業中。

 昼食は前回食べ損ねた旧宿場町丸子「丁子屋」のとろろ汁である。とろろ汁なら去年、三嶋大社前の「社亭」でも食べているが、東海道では丸子のものが特に有名だ。店ののれんをくぐると宴会場のような大座敷に通され、そこで料理を食べるようになっている。
 「丁子屋」は創業慶長元年(1596年)、関ヶ原の合戦よりも前から営業しているという老舗で、そのとろろ汁は松尾芭蕉をはじめとする文人墨客が、句や物語に詠んできた。それほど有名な店だから客の入りは相当なもので、昼前だというのに大座敷はほぼ満員だった。
 ここで食べたのは一番安い「丸子定食」だ。おひつ一杯の麦飯にみそ汁、おしんこ、それに主役のとろろ汁だけという、一番素朴な献立である。みそ汁には四角く切った畳鰯が一枚入っている。とろろ汁は山芋を白みその出汁でのばしたもので、これを麦飯にかけて食べるのだ。のばしてあるせいか、駿河のとろろ汁は粘り気が少ない。だから文字通り、麦飯にとろろをかけると汁かけご飯のようになる。

 名古屋到着は明日の予定なので、例によって今日の行く先は決めていない。地図を見ながら「どうせ行ぐなら、これまで行ってねえどさ行ってみっぺ。」と、寸又峡(すまたきょう)に行ってみることにした。
 静岡市内で国道362号線に乗り換える。林を縫う峠道で、折りたたまれた曲がり角を過ぎるたび、高度がぐいぐいと上がっていった。
 山を越え、本川根町(ほんかわねちょう・現川根本町)の中心部に出ると、大井川が現れた。ずいぶん山奥だというのに川幅は広く、砂利がちな河原を抱えてとうとうと流れている。そばには小さな鉄道の線路を従えていた。大井川鉄道だ。町の中心部とはいえ、商店の類はあまり見当たらず、買い出しをするのに不便そうである。寸又峡はその本川根中心部から県道をさらに北へ20キロほど走っていったところ、奥大井と呼ばれる場所にある。

夢の吊り橋
寸又峡名所「夢の吊り橋」。とにもかくにもよく揺れる。

 寸又峡はにぎやかだった。南アルプスに近い山奥にもかかわらず、温泉宿やみやげ屋など多数建ち並んでいるのにまずは驚く。昔ながらのパチンコが遊べる遊技場まである。さらに驚いたのは観光客の数だ。駐車場は大入りで温泉街は人の往来が絶えない。駐車場整理のおじちゃんに尋ねてみると、連休だから特に多いらしい。荒井も観光客に混じって遊歩道を歩き、名所「夢の吊り橋」に行ってみた。
 もともと寸又峡は、林業が盛んな土地だ。江戸時代には御用地として、幕府で使う木材が伐り出されたこともある。木こりたちは作業のため随所に吊り橋を架けたのだが、その伝統で、今でも寸又峡には多くの吊り橋がある。その一番人気が「夢の吊り橋」だ。なんでも、男女がこの橋の真ん中で願掛けをすると、一生添い遂げられるとかられないとか。
 女の子好きしそうだが、基本的に作業用に作られた橋なので、渡り心地というものはあまり考慮されていない、侠気あふれる橋である。一歩踏み出すごとにぶんぶん激しく上下に揺れ、危なっかしいことこの上ない。しかも眼下には寸又川が迫っている。周囲にそびえる南アルプスの雪解けか水量は増し、灰色に濁っていた。渡りきって固い地面に立っても、しばらく体が上下に揺れていた。

茶畑
山奥の集落で見かけた茶畑。隙あらば茶畑が現れる。

 来た道を20キロ引き返し、本川根町の中心部に戻る。そこから秋葉神社がある春野町(現浜松市)を目指すことにした。
 本川根町から春野町に向かう道路はまるきりの山道だった。渓流に沿ってうねうねとした道が続いている。ところがこんな山奥にも集落が散在し、急斜面にへばりつくようにして茶を作っていた。いったいこんなところにまで誰が収穫に来るんだろうと思うような、山奥の人気のないところにまで茶畑が切られてある。さすがは茶どころ静岡だと感心してしまった。

秋葉神社下社前
秋葉神社下社前。青トタン屋根の建物が門前屋。

 日のあるうちに春野町にたどり着いた。秋葉神社前の河原に気の利いたキャンプ場があったので、ここに転がり込むことにした。手続きは神社前の「門前屋旅館」でできる。
 受付をしてくれたのは、人のよさそうなご老公だった。手持ちの食料が心細かったので「このあたりで買い出しができるところはありませんか?」と訊ねてみると、「それならそこのお店に相談してみましょう。」と、隣の閉店していた商店にかけあって、特別に店を開けてもらえることになった。おかげでこの日の夕食には塩焼き鳥缶となめたけを奢ることができた。「門前屋」のご老公、「魚竹」のご主人、ありがとうございました!

 ところで、「門前屋」では単車乗りとおぼしき女性がキャンプ代の精算をしていた。話によるとここ三日ばかり、単車旅雑誌「ジパングツーリング」の催しがこのキャンプ場で開かれていたそうだ。女性はその関係者で、支払いを済ませて引き上げるところだった。そんな催しがあったことを全く知らない荒井はちょうど入れ替わりにやってきたわけだが、「来るのが早ければ、参加でぎだがもなぁ。」と、何も知らなかったのを少しもったいなく思った。

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