紀の国内陸紀行

英虞湾へ

川原樋川林道の藤の花
川原樋川林道に咲いていた藤の花。この時期は紀伊半島の至るところで藤を見かけた。

 テントを張った場所が場所であるだけに、とっとと出発してしまおうと撤収に取りかかった途端、いきなり腹がグルグル鳴き出した。「こんた時にキジ(注1)来襲がよ!」 事態は差し迫っている。
 役場の隣りにコンビニがあるのを思い出した。コンビニだったら厠が借りられる。テントを張りっぱなしにして出かけるのは心配だったが、撤収している余裕はない。一も二もなく尻を押さえつつ、コンビニ向かって歩き出した。腹の中ではキューキューグルグルと、キジの奴が波状攻撃を仕掛けてくる。距離にして200メートル足らず。その距離の長いこと。一歩踏み出すごとに尻が悲鳴を上げそうになる。攻撃は徐々に激しく苛烈さを増してきた。
 コンビニに入ってからも油断はならない。もうすぐだと気がゆるむから、その隙をついてキジの奴が一気に反撃に出る可能性がある。キジとの対決は最後の最後、便座に座って準備万端となる瞬間まで気が抜けない。キジが勝つか、括約筋(かつやくきん・注2)が勝つか。最後まで繰り広げられるキジとのデッドヒートに、括約筋は今にも打ち負かされそうである。
 かくして間一髪、コンビニの厠に飛び込んだ。僅差で括約筋の勝利である。「もしこさコンビニがねがったらどうなってたべが?」と、ぞっとしつつも心底ほっとしながら、心ゆくまでキジ撃ちを果たすのだった。
 野宿時の厠の問題は重要である。小さい方はいいとして、問題は大きい方だ。山奥とかそういう場所だったら、目立たない場所に穴でも掘って埋めてしまえるのだが、アスファルト舗装の役場駐車場ではそうはいかない。野宿で大事なのは「立つ鳥跡を濁さず」。水場もさることながら、厠の確保も十分考えなければならないのだ。

 ついでに朝食用のオレンジジュースを買い込み、テントに戻った。いそいそとテントを畳み、これからDJEBELに荷物をくくりつけるという時になって、風とともに激しい雨が降ってきた。キジの次は雨ですか。急いで自転車置き場の軒先に待避し、吹き込んでくる雨に手こずりながら荷づくりを終え、大宇陀町役場を後にした。

 出発してもあいかわらず雨は激しい。このあたりは和菓子に欠かせない吉野葛の産地だが、この雨ではどこかで時間つぶしをしてまで食べていこうという気になれなかった。伊勢方面を目指し、淡々とDJEBELを走らせる。道は緑濃い杉林と渓谷の間を走っていた。このあたりはニホンオオカミが最後に確認された土地でもある。
 かつて本居宣長も越えたという高見峠の旧道で県境を越えた。この雨のせいで杉林からは白い霧が立ち上り、展望はさほど開けない。峠を下る頃一瞬天気雨となり、霧が少し晴れた。雨を受けた新緑や杉林の展望が、申し訳程度に目の前に現れた。晴れていれば、素晴らしい展望が開けるのだろう。

伊勢市役所
伊勢市役所。神宮の街の役場は意外に普通。

 どうにかこうにか伊勢に出て、雨宿りがてら市役所に逃げ込んだ。まだ昼前だったが、この日の走行距離はすでに100キロを大きく超えていた。
 中に食堂があったので、ここで昼食にした。後半戦最初の役場食堂である。食べたのは日替わり定食、ししゃもフライ、コロッケ、ナポリタン、れんこんと鶏肉の煮物、みそ汁という内容だ。厨房では、おばちゃんが油の入った鍋を前に、揚げ物作りに追われている最中だった。
 市役所でうだうだするうちに、雨はすっかり上がっていた。これはいいぞとすっかり気を取り直し、伊勢神宮の内宮に向かった。参拝はそこそこに、今回は門前街の方を見て歩いた。「赤福」の本店で赤福、おかげ横丁の肉屋「豚捨」で牛肉ミンチカツを買って食べた。「赤福」店内では大きな竈に薪をくべ、ほうじ茶を振る舞っていた。雨にたたられた後だけあってありがたい。店では間もなく夏季限定商品「あかふく氷」を始めるようだ。いったいどんなものなんだろう。

伊勢神宮門前街
伊勢神宮の門前街。門前街巡りはお伊勢参りの大きな楽しみ。写真は後日撮影したもの。

 伊勢神宮を後にして、志摩半島の英虞湾(あごわん)に向かった。志摩半島は前回まるきり省略してしまったので、その雪辱である。
 鳥羽市から阿児町(あごちょう・現志摩市)までは、パールロードが開通している。志摩半島のリアス式海岸を見下ろしながら走れる道だ。随所には展望台まで設けてある。その中の一つ、鳥羽展望台は風こそ強かったが、入り組んだ海岸線はもちろん、南の大王崎、東の伊良湖岬、さらには静岡の御前崎まで見渡せた。天気がよければ富士山さえ見られるという。
 すっ転びながらうんざりするほどの山道を走った三陸海岸をふと思い出す。同じリアス式海岸でも、こうも違うのか。志摩のリアス式海岸は明るく爽快そのものだった。

鳥羽展望台の眺め
鳥羽展望台から南の方を望む。リアス式海岸の入り江がよく見える。

 パールロードを南に走っていると、志摩スペイン村が見えてきた。名前にちなんで女優岩下志摩が出ていた広告なら見たことがある。確かジェットコースターに乗って絶叫しているというものだった。それと同時に料金所も見えてきたので、枝道でパールロードを出た。パールロードは本来有料道路だったのだが、この年の4月から、鳥羽市とスペイン村までの区間が無料化されていた。荒井はちょうどその恩恵にあずかったというわけだ。

 英虞湾沿いの阿児町や志摩町(現志摩市)は予想と違い、非常に開けた町だった。コンビニはもちろん、NTTの大きな支局まである。とはいえ先端の方はまだ自然が残っておりキャンプ場も数多い。その中の一つ、地元の方に「ここが開いてるよ」と紹介していただいた御座観光キャンプ場に、この日はテントを張ることにした。
 キャンプ場は丘の上の素晴らしい立地で、樹木の多い小洒落た場所にある。サイトはきちんと手入れされた芝生で、ちょっと降りていけばすぐ浜辺に出られる。夏場には海水浴客でにぎわうのだろう。
 管理棟には誰もいなかったが、中には馬の鞍やカウボーイが着けるようなズボン、洋酒の瓶などが飾られてあった。ボーイスカウトからの感謝状も掛けられてある。野遊びが好きな方が管理されているのだろうか。
 やがておかみさんとおぼしき方がいそいそと現れ「上の方で農作業をしてて急いでやってきたけど、待たせてごめんなさいね。」と言いながら手続きをしてくれた。風が強かったので、テントを張るのに風のない場所を案内してくれるなど、何かと丁寧に応対していただいた。この立地にこの応対なら、一泊1000円の利用料も決して高くない。

 この時期の志摩地方は、雨上がりになると強い風が吹くそうだ。「その後は風も止んですっかり晴れ渡りますよ。」とおかみさんは仰っていた。夕食に先日買った麻婆春雨を作りつつ日記を書いているとそのとおり、風が凪いできた。明日は晴れるだろうか?

国道425号線

御座観光農園キャンプ場
御座観光農園キャンプ場。海にも近い、気持ちのよいキャンプ場。

 夜中再び風が強くなったものの、おかみさんが仰ったとおり、朝にはすっかり風が止み、空は晴れ渡っていた。テントを畳み、キャンプ場を後にして大王崎に向かった。
 大王崎灯台への遊歩道の両側には、志摩名物の真珠を扱うみやげ屋が軒を連ねているが、朝早いのでどこも営業していない。石畳の坂道を登って灯台の入り口に行くと、ちょうど灯台守のおばちゃんがやってきたところだった。
 見学時間は午前九時からだったが「せっかく来たんだから見てらっしゃいよ!」と、おばちゃんのご厚意で見学できることになった。まずは掃除を片づけるからと、おばちゃんはほうき片手に灯台の中に入っていった。

大王崎灯台と八幡公園の画家の像。
「絵になる風景」大王崎灯台と画家の像。像がある公園は昔、九鬼水軍の根城だったとか。

 大王崎のある大王町(現志摩市)は、漁師町や熊野灘に面した岬など、絵になる風景に恵まれており、「絵描きの町」としてその名を売り込んでいる。灯台もその一つだ。灯台を見上げる隣の岬の公園には、洒落なのか、灯台の絵を描いている絵描きの銅像が置いてあった。
 やがて「掃除が終わりましたよ!」と、おばちゃんが灯台の上から呼びかけてきた。
 灯台からは近隣の岬がよく見える。西の退治崎、北の安乗崎(あのりざき)。おばちゃんによると、快晴ならば安乗崎の灯台がくっきり見えるそうだ。伊勢湾の入り口は地形が入り組む難所であるため、対岸の渥美半島伊良湖岬を含め、近隣随所に灯台が設置してある。

安乗崎灯台
安乗崎灯台。伊勢湾入り口は灯台密集地帯なのだ。

 「今度来る時は、お嫁さんを連れていらっしゃいよ!」とおばちゃんに冷やかされつつ、大王崎を出発する(おばちゃん、その節はありがとうございました!)。次に向かったのは、さっき眺めた安乗崎だ。安乗崎は大王崎の北、的矢湾の入り口にある。灯台は広場のような岬一帯の園地にあり、四角い形をしているのが特徴だ。
 園地からは的矢湾が入り組みつつ、内陸に伸びている様が見える。的矢湾は谷だったところに海水が入り込んでできた典型的なリアス式海岸地形、溺れ谷だ。太平洋に面した開口部は1キロほどと短いが、その奥行きは西に控える伊雑ノ浦(いざわのうら)まで、10キロ近くも続いている。

 志摩の岬巡りを終え、海沿いに走り出した。前回真っ暗闇の中走った国道260号線も、今回は気温と明るい日差しのおかげか、軽快で楽しい道のりである。リアス式海岸の入り江、田植えを終えた水田など、前回見られなかったものが次々に目に飛び込んできた。

南島町の河村瑞賢像
国道沿線で見つけた河村瑞賢像。日本海航路の開拓者は伊勢の出身だった。

 昼食は前回も立ち寄った紀伊長島町の道の駅「マンボウ」で、サンマ寿司定食を食べた。食堂が開いていたので、前回のようにわびしくパック詰めを買う必要もない。
 サンマ寿司は酢で締めたサンマの押し寿司で、このあたりでは祝い事に欠かせない料理だ。もともとは冷蔵庫もなかった時代、旬を過ぎ脂の抜けたサンマを長く保存するために編み出されたものらしい。わさびがやたら効いていて、涙が出るほど鼻にきたが、なるほど、脂控えめのサンマの酢じめはけっこういける。
 日記を書こうとメモ帳を取り出すと、隣の席にいた中年男性の方が話しかけてきた。彼も単車乗りで、荒井のザックを見て興味を持ったらしい。「これから沖縄に行くんですよ!」と言うと、「僕もこないだの冬、沖縄にサーフィンに行ったんだよ!」と、そのとき行った沖縄そばの旨い店(注3)を教えてくれた(メモ書きを手放してしまったおかげで行けなかったのが残念!)。
 沖縄の野宿事情についても教えてくれた。「友人が野宿場所を探してて、米軍基地の隣の緑地にテントを張ったらすぐ警察がやってきたんだって。アメリカ兵がらみの事件も多いから、沖縄での野宿は気をつけた方がいいよ!」 まだ見ぬ沖縄。何が待っているのだろう?

 前回野宿した海山町をあっという間に通り過ぎ、尾鷲市に出てきた。ここで紀州一の山岳三桁国道、国道425号線で紀伊半島の秘境、十津川村に向かうことにした。
 地図によれば国道425号線、尾鷲市から十津川村に至るまでの区間にガソリンスタンドや自販機の類は全くない。何もない秘境を縫う曲がりくねった狭路で、それは疲れる道だという。しかし三桁国道愛好家荒井、走らない理由はどこにもない。十津川村に着いてしまえば、目指す熊野本宮大社も目と鼻の先だ。
 市内のガソリンスタンドでガソリンを満タンにし、ジャスコで食糧を補給する。ついでにおやつにアイスも食べて、徐々に気合いを入れていく。国道の入り口には前途を暗示するかのように墓場がある。お地蔵様も立っていたので、道中の無事をお願いしておいた。後はどうにでも。かくて忘却国道、国道425号線へと足を踏み入れていった。

国道425号線の風景
国道425号線から見た風景。「木の国」紀州を実感できる道。

 国道425号線は紀伊半島東岸の尾鷲市と、西岸の御坊市を結ぶ、紀伊半島横断国道だ。荒井が通ろうとしているのはその東の区間、十津川村までの約100キロだ。
 交差点を国道にそれると、いきなり民家が減ってきた。かわりにどこかの企業の作業場か資材置き場のような建物が現れる。道は狭く、さっそく何度も曲がりくねっては高度を上げていった。期待も高まるというものだ。
 しばらく走っていくと、木の伐り出し作業の現場が見えてきた。国道は元々林道から昇格したもので、そのため現在でも林業関係者の利用が多い。上を見上げれば伐りだした木材を運ぶための索道が張り巡らされ、丸太が空を行き交っている。索道の下に目をやれば、作業員の飼い犬か、犬が道路の真ん中で昼寝していた。道そのものは舗装も行き届いており、日当たりもよく明るい道路である。時折木材を積んだ大型ダンプがそろりそろりと走ってくる。こんなところにまで、よく入り込めたものだ。

国道425号線沿いの渓谷
国道425号線にて。豊かな自然と緩やかに流れる時間。これ以上何を望もう?

 やがてダムが見えてきた。貯水池は幅と深さを増し、深緑色の湖水を見せている。山間の深い谷は若葉が萌えだした頃だ。随所に現れる小さな滝や渓谷。DJEBELを降りて、ああでもないこうでもないと、カメラのレンズを向けてみる。冷たい滝の水で顔を洗う。貯水池に目をやれば、自前の電動ボートを操って、釣りを楽しむ方々の姿もいた。晩春の午後、バス釣りでも楽しんでいるのだろうか。

 何もない。ゆえに何もかもがある。

 下北山村の池神社を過ぎると、国道は断崖がちな険しい道になる。見渡す限り山ばかり、時折猿さえ現れた。ここは紀伊半島の秘境なのだ。
 紀伊の名前は「木の国」に由来するといわれている。深い緑に覆われた、木に恵まれた国という意味だ。「熊野」という言葉も、深い森を意味したという。紀伊山地の奥の深さ。国道425号線を走れば、その説も素直にうなずける。

十津川村温泉地温泉泉湯
十津川村泉湯。キャンプ場隣接の野宿派にもうれしい立ち寄り湯。

 十津川村は紀伊半島の中央部、紀伊山地のただ中に位置する秘境の村だ。奈良県の五分の一の面積を占める日本最大の村だが、その大半は山林である。売りは豊かな緑と温泉で、「遠いぶんだけ、あったかい」なんて売り文句もある。
 さっそくその温泉に入ろうと、国道168号線を走って村内の温泉地の一つ、十津川温泉に行ってみるが、共同湯が開いている気配がないので、とって返して温泉地温泉(ゆのちおんせん)に行ってみた。
 温泉地温泉の「泉湯」は、村内にある共同湯の一つだ。こぢんまりとした感じのいい温泉で、400円という料金の安さも手伝って、観光客にも人気が高い。番台のおばちゃんに訊かれて山形から来たというと、「何日ぐらいかけてここまで来たの? 東北はまだ寒い?」などあれこれ訊かれた。東北から紀州まで自走してくる人間はそう多くはないようで、東北の旅人自体がこのあたりでは珍しいのだ。
 「泉湯」裏手の熊野川に面した河原はキャンプ場となっている。連休期間なので、先客も何人かいた。今日の宿はここで決まりである。
 温泉でさっぱりした後、日のあるうちにテントを張り終える。ゆでたスパゲティにツナ缶となめたけを突っ込んで簡単な夕食にしてから、河原なのをいいことに、ささやかな焚き火などして夜を過ごす。山奥だからか、星がきれいに見えた。


脚註

注1・「キジ」:大便の隠語。由来は排泄時の姿勢がキジ撃ちの姿勢に似てるからとか。「キジを撃つ」といった具合に山屋の間で使われるそうな。

注2・「括約筋」:排泄を司る筋肉。

注3・「沖縄そばの旨い店」:このとき教えていただいたのは、北谷町(ちゃたんちょう)の「浜屋そば」という店でした。どなたか荒井の代わりに行ってきてくださいな。

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