連休怖い

潮岬神社
潮岬神社。岬に近い林の中にひっそりと建つ。

 気がつけば、周りのテントの数が増えていた。世間では今日から三連休だった。そろそろ大阪に行って、本格的に県庁一の宮巡りを再開したいが、連休とあっては県庁巡りもできない。
 連泊して今日一日、潮岬のキャンプ場でのんびりしようかと思ったが、すぐ後ろで親子連れがテントを張りだした。それだけならなんでもないのだが、子供がやたらうるさい。しかも日が昇るにつれ、テントの中が暑くなってきた。
 「こさ居だら、落ち付げそうにないな?」 そう思ったら後は早く、1時間ほどで身支度と撤収を完了し、キャンプ場を後にしていた。

 キャンプ場を出たのが午前七時。あの親子連れは六時頃にはこのキャンプ場に来て、テントを設営していたことになる。驚くのはそうした早朝にやってくる方が他にも多くいたことだ。連休中キャンプを楽しもうと、夜明け前から車を飛ばしてここまでやってきたのだろう。
 早朝に来ること自体は一向に構わないのだが、まだ寝ている人がいるというごとぐらいは覚えておいていただきたい。件の親子連れ、テントを張っているのはもっぱら父さんと母さんで、子供達は脇で騒いでいるだけだった。ロープ張りやポール支えぐらい手伝わせりゃいいだろうに。これじゃ家にいるのと変わりがない。

 潮岬を出る前に、前回まるきり見過ごしてしまった岬の灯台と神社を見物した。こちらはあまり見物人がいなかった。昼になれば灯台は中の見学もできるのだが、まだ門は閉まったままである。灯台の脇の小径をさらに奥に進むと、潮岬神社が建っている。
 そこから串本中心部に戻り「サークルK」でウィンナーロールとオレンジジュースの朝食にすると、後は気の向くままに走ることにした。連休の時間つぶしである。

橋杭岩
自然の浸食作用でできた橋杭岩。弘法大師の伝説が残る。

 次に寄ったのは、串本の名勝、橋杭岩(はしぐいいわ)だ。橋杭岩は、巨岩が海に突き出して橋脚のように一列に立っているのでこの名前がある。
 弘法大師と天邪鬼(あまのじゃく)が、一晩でどれだけ紀伊大島に近づけるかと橋造り競争をしたところ、負けそうになった天邪鬼が、ニワトリの鳴き真似をして勝負を打ち切った。その造りかけの橋が橋杭岩になったという伝説がある。実際のところは、波の浸食作用で柔らかい地層が削り取られ、合間の固い岩があたかも橋脚のように残ってできあがったものらしい。
 ちょうど引き潮で海辺に降りられたので、そのまま一番近場の小島まで行ってきた。足元の潮だまりをよく見ると、小さな巻き貝や海草、白い珊瑚のかけらがいくつも落ちていた。

 潮岬まで来たからにはと、再び「日本のエアーズロック」、古座川の一枚岩を見に行った。河原に降りてみると、オートキャンプを楽しみに来たご一家がさっそくテントを構えて、のんびりくつろいでいた。
 目の前の古座川では、親子連れがカヌーで川下りを楽しんでいる。オートキャンプのご一家が「楽しそうですねー! どちらまで行かれますー!?」と河原から大声で訊ねると、カヌー一家も大声で「楽しいですよー! これから河口まで、下るところなんですよー!」なんて、カヌーを漕ぎながら答えている。このあたりではカヌーを積んだ車と何台もすれ違った。古座川はカヌーが盛んなのだ。
 荒井も十分くつろいだところで、一枚岩を出発した。古座川からすさみ町に至る山道は通る車も少なく、ひっそり静まりかえっている。渓谷に沿い、静かな山村を縫う山道は、近くに本州最南端の岬があることが信じられないほど緑が深い。天気も最高ときていれば、急いで走るのはもったいない。

海来館定食
海来館定食。フライに刺身という欲張りな一品。

 海沿いの道に戻ると、一転して車で混んでいた。この日すさみでは年に一度のイノブタダービーが開かれており、見物客が詰めかけていたのだ。イノブタはすさみの名物で、その仔豚を競馬よろしく競争させる催しがイノブタダービーだ。見ていこうかと思ったが、あまりの客足に躊躇して、先を急ぐことにした。人出が多くなる連休は、無職の旅人にとっては厄介である。その分、年中夏休み状態なのだから文句は言えないのだけど。
 隣りの日置川町で昼食にした。せっかく紀伊半島に来たのだからと、道の駅「志原海岸」併設の食堂「海来館」で、一番豪華な「海来館定食」と張り込む。マグロとイカの刺身、エビフライとイカフライの盛り合わせ、マグロの煮付け、冷や奴、みそ汁、おしんこが一緒になった定食で、ご飯はおかわりし放題。マグロの刺身など分厚くて食べ応えがあった。
 風呂でも入ろうと、前回利用した「渚の湯」に寄ってみると、建物がきれいさっぱりなくなっていた。海来館のおばちゃんによれば、改築のため建物を取り壊したらしい。

奇絶峡不動の滝
奇絶峡の不動の滝。道のすぐそばなので気軽に見物できる。

 温泉をあきらめ、国道42号線を北に走る。白浜温泉に向かうのか、車の数がずいぶん多い。混んでいそうなので白浜は素通りし、田辺市で県道29号線に乗り換え、山の方に入っていった。
 途中、名勝奇絶峡(きぜつきょう)に寄った。奇絶峡は県道のすぐそばにあるのだが、道から少し逸れただけで、岩のごろごろした渓谷や、ちょっとした滝などが楽しめる。ぱっと立ち寄って見物するにはうってつけで、道端に車を停めて散策している方がずいぶんと多かった。中には浜松ナンバーの自動車まで停まっていた。
 さらに山奥に入り、美山村(現日高川町)にさしかかると「温泉療養所」の看板が目に入ってきた。日置川と白浜で風呂に入れなかった分、ここに立ち寄った。
 温泉は小さなところだが、休憩所は人でいっぱいだった。中で履くスリッパの空きを見つけるのに苦労した。そばにあるキャンプ場も大型テントでいっぱいだ。改めて世間は大型連休なのだと思い知った。

 まだ日は高かったが、寝るところの心配をしておこうと地図を広げると、北にしばらく行ったところ、野上町(現紀美野町)の生石高原(おいしこうげん)に無料のキャンプ場があることがわかった。今日はそこに泊まろうと、再び山道を走り出した。
 紀伊半島の内陸は山深いにもかかわらず、大河と一緒に走っているような気がする。紀伊半島の川はどれも深く広く、碧色の水をたたえていた。

生石高原
生石高原から下界を望む。立地もよいため無料キャンプ場はほぼ満杯だった。

 かくして生石高原に着いた。高原だけあって下の方がよく見渡せる。キャンプ場は無料だけあってほぼ満杯だったが、かろうじて、旅人一人分の場所が空いていた。
 生石高原のキャンプ場は整備されたサイトというよりは、猫の額ほどの空き地をキャンプ場として開放していると言った方が的確で、大型テントを15張も張ってしまえばいっぱいになってしまう。しかし無料で立地がよいためか人気があるようだ。
 利用の際は受付が必要である。受付にいたおじちゃんは「まだ場所はあったかなぁ。今日は人が多いから、空きがあるかどうか電話で問い合わせが来ても、もう満杯だと答えてるんですよ。」と言っていた。

続・連休怖い

 朝五時に起きる。周りがテントだらけなので、なるべく邪魔にならないように出発の準備を始めた。
 顔を洗おうと水場に行ってみると、排水孔がつかえているらしく、汚れた水が溜まりっぱなしになっていた。
 「ひどいもんだ。デイキャンプ(注1)に来た連中が、処分に困ってここに捨てていったんだろう。」と、そこに居合わせたおじちゃんが教えてくれた。デイキャンプで炭焼きグリルを持ち出して、バーベキューなど楽しんだのはいいものの、必要以上に炭を熾してしまい、日のあるうちに燃やしきることもできず、熱いままの炭を持ち帰るに持ち帰られず、ここに捨てていったのではないかというのである。確かに排水孔をつついてみると、炭が詰まっていた。炭であろうと薪であろうと、自分で熾した火は自分が最後まで面倒を見るのが、火を扱う際の掟である。
 キャンプ場から離れた駐車場の隅っこで、アイドリング(注2)を始める。人が多い上朝早いので、アイドリング一つにも気を遣わなければならない。
 連休が明ける明後日に兵庫の県庁所在地、神戸市に行きたいと頭にあるだけで、今日も連休の時間つぶし、行く先はほとんど決めていない。近所の護摩壇山(ごまだんやま)にでも行ってからまた十津川村に戻ろうかと、とりあえずDJEBELを東に向けた。

蘭島
棚田の蘭島。江戸時代に開かれた。日本の棚田百選、和歌山の夕日百選にも選ばれている名勝。

 国道480号線で清水町(現有田川町)を走っていると、面白い形の棚田があったので、思わずDJEBELを停めた。清水町の名所、蘭島(あらぎしま)だ。蛇行する川に囲まれた袋小路のようなところに開かれた丸い棚田で、歴史の教科書で見た古代都市の城郭跡にも似ている。田植えをひかえて水が張られているせいか、形がひときわ目立っていた。

 このあたりにもコンビニはない。町内の道の駅の自動販売機で買ったポカリスエットを飲みつつ那智黒一個を口に放り入れて朝食代わりにした。
 道ばたにあった「飛び出し注意」のへんてこな看板が気になって、DJEBELを降りてカメラを構えていると、近所のおっちゃんに声をかけられた。「山形から来たんかい? えらい遠くから来たんやな。」
 これからどこへ行くんだいと訊ねられたので、別に決めてないんですよと答えると、「ここからなら、高野山まで40分くらいで行けますで。」と教えてくれた。地図を見れば、確かに高野山は目と鼻の先だった。気が向いて、急遽、高野山に行くことにした。毎度、行き当たりばったりである。

メガネの少年飛び出し注意
そのとき撮った看板。モデルはあやとりと射撃が得意な彼ですか?

 高野山は816年に弘法大師空海が開いた聖地で、仏教真言宗の総本山となっている。ひしめき合う伽藍や堂宇を束ねているのが金剛峰寺(こんごうぶじ)だ。まずはその金剛峰寺を見学した。
 境内(注3)では津軽から来た奉賛会の一団が、津軽特産林檎ジュースを振る舞っていた。同じ東北から来たということで話を伺ってみると、連休中のサービスに、参拝者の方々をおもてなししようと、はるばる津軽からやってきたとのことだった。もちろん林檎ジュースは無料である。林檎ジュースどうもごちそうさまでした。
 真言宗では物心両面で巡礼者をねぎらいもてなすことを「接待」と呼び、弘法大師の心を伝える行いとして尊ばれている。金剛峰寺では参拝者に茶と麩せんべいを振る舞っている。拝観料こそ必要だが駐車場は無料。仏教者でなくても両手を合わせて感謝したくなる。

高野山金剛峰寺
高野山の中心金剛峰寺。真言宗の総本山だ。

 さて、金剛峰寺は高野山でも最大級の建物で、数々の大広間や庭園を抱え込んでいる。圧巻は一度に2000人分の煮炊きができるという台所だ。大きな竈や立派な洗い場は、何よりも雄弁に高野山の規模を物語っている。
 寺院内には雪舟や狩野派の絵師による襖絵がいくつもある。その中に空海が遣唐使として唐に留学した時の様子を描いたものがあった。橘逸勢も遣唐使として、空海と同じ船で唐に渡っていたそうだ。三ヶ日の橘神社をふと思い出す。あのときあの小さな神社にお参りしたのは、偶然ではなかったのかもしれない。

 次に向かったのは奥の院、入定した空海が眠る御廟所だ。御廟所に至る長い参道の周囲には、空海を慕うかのように墓が無数に建っていた。
 これだけ墓が多いと中には有名人もいて、戦国武将も何人か眠っている。織田信長と豊臣秀吉もその一人だ。波乱の人生を送った大大名も、来世は聖地で静かに過ごしたいと思ったのだろうか。
 しかしそうは問屋が卸さないようで、信長公の墓に手を合わせていたおばちゃんなど、「今の政治はムチャクチャや! 信長さん何とかしてください。」と、願をかけていた。死んでなお頼みにされるノブちゃんも大変なものである。
 奥の院には大手企業や団体による物故者社員慰霊碑も数多い。慰霊碑の形は企業によって様々に趣向を凝らしており、不謹慎ながら、見ているだけでも楽しめる。中でも白眉は奥の院に入るなりいきなり現れる、新明和工業のロケット慰霊碑と、日本しろあり対策協会のシロアリ慰霊碑だ。「しろありやすらかにねむれ」 信長公とシロアリは、同じ高野山で眠っている。

日本しろあり対策協会シロアリ慰霊碑 新明和工業物故者社員慰霊碑
しろあり慰霊碑とロケット慰霊碑。こんなのも奥の院には立っている。

 長い参道の一番奥に、空海の御廟所がある。廟は立派な木造建築で、中には大きな灯籠がいくつも吊り下げられ、いかにも霊廟という雰囲気が漂っている。白装束のお遍路さんの姿も多い。奥の院は四国八十八カ所霊場の「上がり」である。四国を巡ったお遍路さんはここに来て、旅が無事に終わったことを空海に報告し、礼を述べるのだ。
 仏教者ではない荒井、御廟所でも思うことは同じである。「死んでもまだ、現世の人間の面倒ば見ろど言われんだがら、空海も大変だべな。」 願い事はせずに「おつかれさまです。安らかにお眠り下さい。」とだけ手を合わせておいた。
 知ってか知らずか、境内には「手を合わせるだけで、頼り切りでは何も変わらない。」というポスターが貼られてあった。

レストラン鶴姫
レストラン鶴姫。野迫川村観光案内所併設。

 高野山を辞し、護摩壇山に向かった。目的地までは有料道路「高野龍神スカイライン」が走っているのだが、奈良県の野迫川村(のせがわむら)を経由すれば料金所を回避できるので、野迫川経由で行くことにした。
 村の中心部を通り、枝道でスカイラインに合流する。スカイラインは切り立った稜線上にあり、右と左に山を見下しながら走っている。しばらく走っていると「レストラン鶴姫」という食堂が見つかったので、ここで昼食にした。
 野迫川村は紀伊山地のただ中にある。国道は一切通っておらず、林道が主要道路になっているという山村だ。村役場のあるあたりが中心部なのではあるが、そこでさえ商店や食堂の類は片手で足りるほどの数しかない。「レストラン鶴姫」は、そうした野迫川では貴重な食堂で、観光道路の沿線という立地も手伝ってか、店内は満員大入りだった。ここで食べたのは、つゆたっぷりの他人丼だ。

 護摩壇山はかつて平家の武将平維盛(たいらのこれもり)が、この山で護摩を焚いて戦勝祈願をしたという山で、それにちなんで護摩木をかたどった展望塔「ごまさんスカイタワー」がある。護摩とは仏の前で小さな木片を焚いて祈願をする真言密教の儀式で、その木片を護摩木という。「ツーリングマップル」の案内書きに「護摩木を積み上げて作ったタワー」とあるので、小さな護摩木を山のように積み上げて作ったのかと思いきや、目の前にあったのは護摩木の形をした鉄筋コンクリートの建物だったので、いささか拍子抜けした。昭文社、これを護摩木を積み上げて作ったとは言いません!
 スカイタワーのてっぺんからは、あたりの山並みが一望できて、向こうの方では林道建設の大型車が蟻のように山肌を走っていくのさえ見えたが、それ以外は全く見渡す限り山しかない。「昔の人はこんな山奥ば通って、高野山や熊野まで行ってたんが。」と、改めて紀伊山地の奥深さを思い知ったが、やっぱり町並みや海岸など見えないと面白くないのか、周りにいた人たちは「山ばっかり。」「登っても意味がないな。」などなど口々に言い合っていた。

ごまさんスカイタワー
ごまさんスカイタワー。こんな形をしている。

 また枝道でスカイラインをはずれ、野迫川村を横断して十津川村に向かった。
 野迫川村は山深い。村内を往来しようとすれば、どこかで林道を走ることになる。しかし驚きなのは、こんな山奥でもキャンパーの姿が絶えないことだ。目にするキャンプ場はどこも例外なく満員御礼大入状態、とりどりの大型テントでひしめき合っている。山奥ということは、それだけ自然に恵まれているということだ。世間は大型連休、人間はどんなところにでも足を運んでしまうのである。

 村には件の悲将、平維盛にまつわる伝説が残っている。各地で源氏に敗北した維盛は敗走の末、最後は那智の滝で入水したと言われている。ところが実は野迫川で亡くなっていたというのだ。
 壇ノ浦での決戦に向け、熊野の水軍に援軍を頼みに行った維盛は、水軍の大将にこれを断られてしまったが、そのかわり大将は維盛を厚遇し、源氏からかくまってくれることになった。ところが源氏の平家狩りは日を追って激しくなってきた。維盛は紀伊山地での長い遁走の末、この野迫川に安住の地を得たというのが、村に残る維盛の伝説だ。村には維盛が眠るという維盛塚や、維盛が住んだという「平」という集落もある。実際に維盛が訪れたかは分からないが、山奥の村が平家の隠れ里であったことは間違いないだろう。
 日本の山奥や秘境と呼ばれる場所は、平家の隠れ里であることが多い。「平家物語」片手に、平家の隠れ里と呼ばれる場所を廻ってみるのも面白いかもしれない。

深山幽谷川原樋川林道
川原樋川林道にて。気をゆるめれば谷底まで真っ逆さま。

 十津川村へ抜けるには、その平の集落を過ぎたところから、川原樋川林道(かわらびがわりんどう)を走っていかなければならない。川原樋川に沿って深山幽谷の景観が広がる一方、ガードレールもない崖っぷちを走る上、穴ぼこや大きな石がところどころに現れる、ややきつい林道でもある。あまり砂利道を走ったことのない荒井、パンクや転倒を気にしつつおそるおそる走ったため、絶景もあまり目に入らなかった。

 林道を走破してしばらくすると、国道168号線が現れた。
 熊野川に沿って走る国道168号線は、もともと鉄道の路線として作られた。ところが建設中に採算が取れないと判断され、結局車道になってしまったという過去がある。それだけに道の幅は非常に狭くなっている。
 にもかかわらず車の数は多いため、道は詰まりがちだった。紀伊山地まっただ中の大渋滞である。大型バスなども多数往来し、急な曲がり角では切り返すのに難儀するせいか、その近くではさらに渋滞がひどくなっていた。後で聞いた話では、紀伊半島の内陸はアウトドアレジャーの一大拠点で、休みになると関西一円から観光客が詰めかけ混雑するので、連休中に紀伊半島に行くのは得策じゃないよということらしい。

十津川村平瀬キャンプ場
泉湯裏の平瀬キャンプ場。十津川村の売りは温泉と豊かな自然。

 十津川村の名所、谷瀬の大吊り橋は、橋を渡ろうととんでもない人数が行列していた。こりゃたまらんわいと退散し、先日も利用した泉湯裏の平瀬キャンプ場にすっこむことにした。
 平瀬キャンプ場にも、キャンパーが大勢繰り出している。泉湯に入ったところで適当な空き地をみつくろい、ささやかにテントを張った。
 ここで気になったのは、利用客の行儀の悪さだった。泉湯には空になった洗髪剤の容器がいくつも放置されていたし、キャンプ場のごみ捨て場には、分別もされていないごみが無造作に積まれていた。管理人とおぼしきおじいさんが、黙々とごみの山を仕分けている。「ひどいですねぇ。分けるなり持ち帰るなりすればいいのに。」と荒井が嘆息すると、おじいさんは手も休めず「それが一番なんやけどね。」と作業を続けていた。

 人で混むのはまだよい。その結果、方々でこんな場面に出くわすから、連休は怖いのだ。


脚註

注1・「デイキャンプ」:日帰りキャンプのこと。

注2・「アイドリング」:暖機運転。特に単車では運行前にこれをしてやらないと、エンジンのご機嫌が悪くなる。

注3・「境内」:厳密には、高野山一帯が金剛峰寺の境内にあたるのだが、ここでは金剛峰寺の山門の内側のこと。

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