ひとしきり紀伊半島を廻ったところで、今度は沖縄を目指すこととなる。瀬戸内海に沿って下関まで行き、九州の東岸を南下し、鹿児島から沖縄へ行ってしまおうというのが当面の予定だ。
本格的に西に向かう前に会っておきたい人物がいた。昨年「FalcomStation」のオフ会、ゆうさんのところで何度か会っているたかさんである。たかさんは関西在住で、尼崎のホテル「ニューアルカイック」に勤めている。その縁で「尼崎に来たらぜひ利用してください。従業員割引で安くできますよ!」と、お誘いを受けていたのだ。
ところが荒井の日本一周がなかなか進まない間、事態は変化していた。宿を予約してもらうついでに会う約束をしようとたかさんに連絡を入れると、思うところあってついこの間、退職したというのだ。
国道310号線で県境を越え、大阪府の河内長野市に入った。このあたりは山の中で、道ばたには役行者(えんのぎょうじゃ)がのどを潤したという清水もある。大阪府の山林面積は2%だという話を聞いたことがあるが、このあたりがその貴重な2%なのだろう。道を下っていくにつれ建物の数が増えていき、やがて山林は完全に都市の街並みに変わった。
そのままのほほんと走っていると、お巡りさんに停められた。身振りで路肩に停まれと指示している。しまったと思ったが後の祭り、速度超過違反の取り締まりにつかまってしまったのだ。
「最近このあたりで死亡事故が立て続けに三件起こったんで、取り締まり強化中なんですよ。いつもこの道は通勤者で渋滞しているんだけど、今は連休で車通りが少なくて、飛ばす車もいるものですから。」
お巡りさんによれば、荒井は時速40キロ制限のところを58キロで走っていたそうだ。取り締まりをしていたのは信号のすぐ近くで、荒井がすり抜けをして信号が変わると同時に走り出したところ、御用となったらしい。ちなみにその事故の一つは、一つ隣の通りで速度超過した車が方が障害物に激突して道を逸れ、そのまま川にはまったのだという。
「機械で測定してますから、どの車も平等に、スピード違反は摘発してるんですよ。」とは言っているものの、後ろの道路では結構な早さで続々と車が通過しているのを見ると納得がいかない。隣では原付に乗っていてつかまった女の子が、もうどうしたらいいのかといった感じで泣きだしそうになっていた。
お巡りさんの応対は至って慇懃(いんぎん・注1)で、この休みのさなか出動というのも頭が下がるが、毎度のことながら警察の取り締まりというものはどこか納得がいかない。取り締まりをするのなら、どうして事故が起こりそうな朝や夕方の時間帯に、起こりそうな場所で取り締まりをしないのか。白昼いかにも取り締まりのしやすい場所で取り締まりをしているうちは、警察署の得点稼ぎと揶揄されても仕方がない。
「一週間以内に9000円を支払ってくださいよ!」と違反切符を切られ、荒井は放免となったが、貧乏旅人に9000円の出費は痛かった。
堺市で国道26号線に合流し、大阪市を目指す。去年も来た住吉大社に再びお参りし、近くの西成郵便局で旅費を補充する。そしてとうとう、前回の折り返し地点となった国道43号線との交差点にやってきた。またここまでやってきたのだ。
前回はここを直進して大阪市内に入っていったが、今度は左折である。長い橋で淀川を渡り、兵庫県に入る。左右に広がっているのは全く知らない風景だ。この道がゆくゆくは沖縄までつながっている。
たかさんとは尼崎市で会うことになっている。淀川を渡ってすぐのところだ。待ち合わせ場所の阪神電鉄尼崎駅に早めに到着すると、駅前のコンビニでパンを二個ばかり買って軽い昼食にし、DJEBELを預かり所に預けた。預かり所とは自転車を預かってくれる店だ。盗難の恐れのある大都市圏では、路上駐車するよりも預けておく方が安心なので、こういう商売が成り立つわけだ。もっとも単車を預かるのは珍しいことらしく、店主さんは「ふだんは通勤通学者の自転車でいっぱいなんですわ。」と教えてくれた。
駅前で待っていると、やがてたかさんが現れた。「とりあえず昼にしましょう!」と、駅前の商店街の回転寿司屋に入り、あれこれ近況報告や雑談をした。
話を聞くと、たかさんの労働条件は大変なものだったらしい。終電帰りは当たり前。にもかかわらず残業代は全く付かず、収入は雀の涙だったそうな。
その他にも悩みの種は社内にいろいろあって、いつの間にか同期の社員はほとんど辞めてしまったそうだ。人が減ってもサービスの質は落とせないから、そのしわ寄せは残った社員にやってくる。そのせいもあってたかさんはだいぶん参ってしまったようで、「自分が本当にやりたいことは何か?」と考え抜いた結果転職を決意し、会社を離れることにしたのだという。ある意味たかさんの境遇は荒井と同じだった。会社での毎日に嫌気が差して、とうとう飛び出してしまったというわけだ。
何か気の利いた助言でもできればよかったのだが、言葉が見つからなかった。自分と同じ境遇の人は、ある意味一番助言しづらい。なぜなら、自分も何をすべきか模索しているただ中なのだから。
「大変なのはみんな一緒だ。いやになったから会社を辞めて日本一周とは世間に甘えている。」と思う人がいるかもしれない。
旅人が脳天気に旅をしていると思うのであれば大違いだ。会社を辞めて日本一周。うらやむ方は多いが、実際そんな甘いことばかりではない。荒井は叶えるために4年近く努力した。にもかかわらず、無事日本一周を達成したところでそれが報われる保証はどこにもない。真夜中一人テントの中で目が覚めて「この旅が終わったら、自分はどうすればいいべが?」と不安になったり、「自分は社会がら逃げ出しただけだなべが?」との念に苦しむことだってたびたびだった。
もちろん会社を飛び出して旅に出たことはひとつも後悔していない。しかし世間の流れから一歩身を引いて、単身旅を続けていると、自分の来し方や行く末などあれこれ考えてしまうものなのだ。
たかさんは、これから次の会社の入社試験を受けるんですと言っていた。荒井は「一つだけ言えるのは、後悔しないようにすることです。今できることを思い切りやるしかありません。」と、ありきたりのことしか言えなかったが、そうとしか言えなかった。それは自分に向けての言葉だった。たかさんの悩みは荒井の悩みでもあったのだ。
誰がなんと言おうと、自分が選んだ道が間違っていないことは、突き進んで極めることでしか証明できない。その先に何があるかなんて、自分で確かめてみるまで分からない。何もないかもしれないし、予想以上の何かがあるかもしれない。何かしない限り、何も変わることはない。できるのは、この道が間違っていないことを信じてひたすら進むことだけ。進み方次第で答えはいくらでも変わりうる。自分の選択が正しかったかどうかを決めるのは、その後のありようだ。そんな不安と覚悟もザックに詰めて、旅人は旅に出る。
腹ごしらえが済んだので、宿ことニューアルカイックに荷物を預けに行った。元勤め先、たかさんの案内もあり手続きは滞りなく済んだ。たかさんには荷物まで運んでもらったが、まだ勤めていた頃はこんなふうに利用客の手伝いをしていたのだろう。
ちなみに単車の駐車場はないため、ホテルの裏に路駐することになる。ホテルの前に警察署こそ建っているが、それでも一晩単車を路上に置きっぱなしにすることになるので、利用したいという方は防犯対策を考えておいた方がいいだろう。
その後たかさんと一緒に大阪の日本橋に行った。目的はいつも通り、レトロゲーム漁りである。
尼崎はプロ野球球団阪神タイガースのお膝元だ。阪神タイガースは大阪の球団のように見なされているが、実際は名前のとおり阪神地方の球団である。親会社の阪神電鉄こそ大阪の企業だが、本拠地の甲子園球場は尼崎の隣、兵庫の西宮市にあるのだ。この年は監督に星野仙一氏を迎え「今年こそ日本一達成だ!」と大いに盛り上がり、駅前商店街には「がんばれ!阪神タイガース」といった幕がにぎやかに飾られていた。
その阪神電鉄で梅田駅に出る。この日は甲子園で阪神タイガースの試合があったせいか、行き交う電車の中は、阪神ファンの姿がやたら目立った。たかさんは「試合がある日はこんなもんですよ。」とこともなげに言っていた。駅のホームにはタイガース模様の法被を着た応援客が、メガホンや旗を手にしてずらりと並んでいる。梅田駅の一角では、ちょうど応援帰りのファンが集結し、声高らかに「六甲おろし」を合唱し、雄叫びを上げていた。見渡す限りの阪神ファン。こんなところにオレンジ色の法被でも着ていったら、タコ殴りにされそうだ。阪神ファンは「六甲おろし」の作曲者が宿敵巨人軍の「闘魂燃えて」の作曲者と同じということを知ってるんだろうか。
日本橋をうろつきゲームソフトを物色する。もともとゲーム関連のサイトで知り合ったどうしなので「最近はこれだという新作がなくてね。」などなど、ゲームの話などしながら中古ソフト屋を廻った。荒井がお目当てのゲームソフトを二本ばかり購入する頃には、時間もだいぶん押し迫っていたので、たかさんと別れて尼崎に戻ることにした。
実はたかさんは荒井と会った後、夕食を食べに祖母の家に行く予定だったのだが、荒井に付き合わされたおかげで予定を大幅に過ぎ、夕食を食べ損ねてしまった。たかさん、その節は申し訳ありませんでした! それとおかげさまで日本一周できました。ありがとうございます!
単身尼崎に戻り、ニューアルカイックに腰を落ち着けた。ここの売りは「猛虎プラン」だ。これを利用すると、阪神タイガースが試合に勝利した日は、通常一泊1万5000円ほどの宿泊料金が、なんと2900円になる。負けても半額の7700円で利用できるので、たかさんによれば「従業員割引よりも得ですよ!」とのことだった。この日は阪神が見事勝利したので(だから梅田駅で六甲おろしなぞ大合唱していたわけだ)、荒井は運良く1万5000円の部屋を2900円で利用できることになった。さすが元1万5000円だけあって居心地は大変によかったが、こうしたホテルにザックを背負ってやってくるのは何となく気が引ける。
夕食はホテルすぐそばの中華料理屋「五苑」で焼きそば定食を食べた。ソース焼きそばにたまごスープ、唐揚げ二個にライスが付いてくる。味もそこそこで結構量もあるのに、宿のレストランの一番安い食事よりも安くあがった。やはり荒井は貧乏旅人なのだった。
今日一番の目的地は、兵庫県の県庁所在地神戸市だ。後半最初の県庁である。
左手に甲子園や灘の大手酒工場など眺めつつ西に走る。尼崎から神戸までそう遠くはないのだが、車が多いので距離は稼げなかった。ガソリンスタンドやコンビニで補給した以外は走っていたが、尼崎から神戸に着くまで1時間以上かかってしまった。
神戸市は六甲山系のふもとにある。北を見れば街を見下ろすように山並みが青々としている。街は1995年の阪神淡路大震災で壊滅的な被害を受けたはずなのだが、一目ではその痕跡もわからない。震災の中継で一躍有名になってしまったNHK神戸支局のあたりに来ると、建て直したのか、新しい建物がやけに多いのに気が付いた。逆に言えば、それだけ被災した建物が多かったのだ。件の支局も改築のため取り壊され、当時の局舎は姿を消していた。
後半最初の県庁、兵庫県庁はNHK神戸支局の目と鼻の先にある。庁舎は横に並んだ三つの建物と、向かいにある県公館からなっている。真ん中の建物のてっぺんには、日の丸と兵庫県章のネオン看板が付いている。全国の県庁を見てきた荒井だが、ネオン看板付きの県庁はここ兵庫県庁しかない。夜景が見物の神戸らしい仕掛けである。
上階の展望室からは神戸港の方が見えるが、くもりがちであいにく展望は開けない。日記を書くためロビーに行ってみると、設置されたテレビで県のPR番組を流していた。赤穂市(あこうし)の塩作り体験施設を紹介していた。
日記を書き終えてもまだ時間があったので、県公館を見学した。県公館はかつての旧庁舎で、現在は兵庫の物産や見どころを紹介する施設となっている。入り口にあるモニターでは、県知事が直々に兵庫県を紹介するビデオが流されていた。
兵庫県は摂津、但馬、丹波、淡路、播磨という五つの旧国が集まってできている(注2)。日本海と瀬戸内海の両方に面しているほど兵庫は広い。地域性も様々で、この五つの地域の調和を図りながら発展してきたのが兵庫の特色ですと、県知事は件のビデオで言っている。旧国の区分は現在でも根強い。それゆえ兵庫の県政運営は、何かと大変なところもあるだろう。
昼が近くなった。いよいよ県庁食堂での昼食だ。兵庫県庁食堂には、県の花にちなんで「のじぎく」という名前が付いている。こ洒落たカフェテラスのような内装で、県庁食堂らしからぬ食堂である。ここでは中華風フォーというものを食べた。フォーというのはベトナムの汁そばで、小麦粉のかわりに米の粉で作った麺を使っている。こんな変わったものが食べられるところも神戸らしい。
県庁を出発して、ちり紙を補充しようと市内の山道具屋さんに寄った。旅に出る時は、トイレットペーパーを一巻きザックに入れている。ちり紙は何かと便利な旅道具で、特に持ち歩くのに便利なトイレットペーパーが重宝されている。ところが困ったことに、トイレットペーパーは1ダース詰めで売られていることがほとんどで、ばら売りしているところがあまりない。そういうことで山道具屋には、トイレットペーパーをばら売りしているところがあるのだ。
お店の方に訊いてみると、あいにくこの店ではばらのトイレットペーパーは扱っていなかった。そのかわり「だったらこれを使ってくださいな。」と、店の備品であるトイレットペーパーを一巻きくださった。お礼が遅れましたがありがとうございました!
「源氏物語」にも出てくる須磨の浦を通過し、明石市で東経135度の子午線をまたいだ。日本標準時は明石市の時刻を採用しているので、時刻的にはここが日本の東西の境目となる。いよいよ自分は西に向かっているのである。
川崎重工の工場を脇目に明石を出た。単車乗りなら誰でも知ってる「カワサキ」だ。謡曲「高砂」の舞台となった高砂市も通過し、姫路城で有名な姫路市に入る。このあたりに来ると車のナンバープレートも「神戸」から「姫路」ばかりになっていた。ここでも「セイコーマート」を見かけたので、ベーコンツナサンドを買って間食にした。姫路城でも見学しようかと街の方に行ってみたが、適当な駐車場が見つからず、城の周りを一周だけしてきた。
明石から姫路にかけては工業地帯であるため、幹線道路や通りの多い道路が続いていたが、姫路を抜けると急にひなびてきた。入り江や岬をいくつか通り抜け、兵庫県西の県境、赤穂市でテントを張ることにした。
この日泊まったのは赤穂市の丸山キャンプ場、瀬戸内海に面した無料キャンプ場だ。波はいたっておとなしい。瀬戸内海は内海なので、外海のように波が荒くないのだ。この日の利用客は荒井とキャンパーが他に一組だけ。穴場らしく、先客のキャンパーさんは「よくここがわかったね!」と仰っていた。
雨がしのげるよう、無人の管理棟の軒下にテントを張った。夕食用にスパゲティをゆでていると、雨がざあざあ降ってきた。天気予報によれば、これから二、三日は雨降りになるらしい。
注1・「慇懃」:懇切丁寧なさま。
注2・「五つの旧国」:厳密には播磨・但馬・淡路の全域、丹波と摂津の西半分が集まっている。
長旅をするにあたっては「どれくらいのお金が必要になるのか?」と気になる方が多いのではないでしょうか。
単車で一日300キロほど走って、三食を自炊かコンビニおにぎりで済まして、有料の場所には寄らないで、夜は野宿というパターンですと、一日2〜3000円程度で済みます。これに、一食その土地の料理を食べて、立ち寄り湯に一湯入浴して、郷土資料館でも見学というオプションをつけると、2000円ほど上乗せになります。宿に泊まるならば、さらに5000円かかると考えましょう。みやげ代や整備代、フェリー代などは別計上です。
長旅は安くあげることもできますし、贅沢をしようと思えばいくらでもお金をかけることもできますが、このあたりは自分の求める旅の形と懐具合との相談ということになります。ただこれだけは確実に言えるのですが、お金をかけたからといってよい旅になるとも限りません。お金がないから楽しめないと言っているうちもよい旅なぞできません。