桃太郎の国

赤穂市丸山キャンプ場管理棟
赤穂市丸山キャンプ場。瀬戸内海に面した好立地の無料キャンプ場。

 朝起きた頃には雨は小やみになっていたが、空はくもっていた。いつもどおりテントを畳んで、今日も出発である。
 赤穂市と言ったら、塩と「忠臣蔵」で有名なところで、街には城跡や大石神社など赤穂浪士ゆかりの史跡が数々残っている。とはいえ荒井はそうしたものには目もくれず、市役所前の「ファミリーマート」でツナタマサンドとオレンジジュースの朝食を済ますと、岡山目指して再び走り出した。

 赤穂から下関まで、山陽地方の海岸線は入り組んでいる。できるだけ海に近い道を走りたいのだが、道も入り組んで分かりづらくなっているため、ところどころ端折りながら先を目指す。いちいち丹念に追っていたら、時間がいくらあっても足りなくなってしまうことは、三陸で学習済みである。
 やがて雨がぱらぱら降ってきた。合羽を着込んで走っていると、今度は雨が止んで晴れてきた。降ったり止んだり晴れたり。気まぐれな天気である。
 竹久夢二の生地、邑久町(おくちょう・現瀬戸内町)を通過し、県道を乗り継ぎ、海岸と山の中を行ったり来たりしつつ、ようやく岡山市に着いたのは十一時少し前だった。

 「おい! こんたごど全く知ゃねがったぞ! 岡山は大都市だったなが!?」

 岡山市に着いて驚いたのは街を行き交う路面電車だ。路面電車がある街といえば、これまで函館、札幌、東京、大阪、京都などなど、大都市という印象が強かった。その大都市にしかない路面電車が、東北人にはあまりぱっとした印象がない岡山市で走っている。岡山は大都市だったのか。
 実は路面電車が走っている都市は、大都市というよりはむしろ歴史のある街で、しかも広い道路が整備された街である。その通り岡山市は古い城下町で、その頃に整備されたのか、中心部の街路は碁盤の目のようになっている。街の片隅には城跡があって、目指す岡山県庁は堀をはさんだ向かいに建っていた。

岡山県庁 おふくろ定食
岡山県庁とおふくろ定食。よくある定食だが命名が心憎い。

 県庁食堂はちょうど昼に向けて忙しくなりつつあるところだった。券売機の前で何にしようかなと考えていると、券売機の調整をしていたおばちゃんが「サンプルがないと、どんなものだかわからないでしょう?」と、日替わり定食のサンプルを持ってきてくれた。
 岡山県庁食堂の日替わり定食は二種類あって、一つは「日替わり定食」、もう一つは「おふくろ定食」の名前が付いている。名前に惹かれて「おふくろ定食」を食べることにした。内訳は山菜ご飯、うどん、牛肉コロッケ、わかめときゅうりの酢の物。これで420円だから、コンビニ弁当と比べたらかなり安い。
 食堂で働いているおばちゃん達はみな明るく、なじみの客にも親しく声を掛け合っていた。荒井も親切に案内していただいたのだが、なるほど、おふくろ定食の味わいはこんなところにもあるのである。ちなみにこの日の「日替わり」は鶏の唐揚げ定食だった。

備前吉備津彦神社 備中吉備津神社
日本一近い一の宮、備前吉備津彦神社(左)と備中吉備津神社(右)

 岡山市には二つ一の宮がある。それだけなら何でもないのだが、ここの一の宮が変わっているのは、互いに2キロと離れていない距離に建っていながら、二つとも別国の一の宮となっていることだ。日本国内でも、こんな一の宮は他に例がない。
 まず参拝したのは県庁に近い方、備前国一の宮、吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)だ。平地に建つ神社で、広い神池を渡った先に大きな拝殿が待ち受けている。拝殿の前にある石灯籠もでかい。その大きさに終始圧倒されっぱなしだった。
 吉備津彦神社から山の麓を1.8キロほど回り込むと、備中国一の宮吉備津神社(きびつじんじゃ)が見えてくる。二つの神社は同じ山の麓の東と西にある。吉備津彦神社とは、徒歩で十分往復できるほど近いのだが、別国の一の宮なのである。

備中吉備津神社の木造回廊
吉備津神社の木造回廊。400メートルも続く。

 吉備津神社は山の斜面に建てられており、拝殿までは急な階段を上っていくことになる。見所は大きな神門と、全長400メートルもある木造の回廊だ。
 備前、備中、そして明日参拝する備後国の一の宮はみんな山陽地方の旧名「吉備」の名を戴いており、祭神もみんな同じ、吉備津彦命(きびつひこのみこと・注1)を祀っている。吉備津彦命は山陽地方開拓の祖とされる人物で、一説には、桃太郎のモデルであるとさえ言われている。
 吉備津神社の前には、参拝客相手の茶屋が何軒か建っていた。「きびだんご」の文字につられてそのうちの一軒で一休みした。屋号はその名も「桃太郎」だ。
 店ではおばちゃんと年輩のおばあちゃんの二人が出迎えてくれた。気が付けばあたりは蒸し暑くなっていた。おばちゃんおすすめの黒ごまソフトクリームとラムネを注文する。きびだんごも食べたいところだが、おみやげ用の折り詰めでの販売しかしておらず、もてあますと大変なのでやめておいた。一人旅なのだから、だんごをあげるお伴もいない。

 岡山市中心部に戻る。その筋の人には有名な岡山市内のガレージキット屋(注2)「VOLTAGE(ヴォルテージ)」を物色してから、本格的に岡山市を離れた。
 干拓地のような水田が目立つ郊外を横切り、玉野市から児島湾の南の岬を回る道に入っていく。岬を回り込むと急に霧がちになってきた。日もだいぶん暮れている。そのまま倉敷市の入り口まで進んだものの、野宿できそうな場所はみつからない。二、三日は雨続きという天気予報も気になった。テントは濡れると途端に撤収が面倒になってしまうので、野宿も控えたくなるのだ。

 少し引き返したところに国民宿舎があることを思い出した。そういや去年九十九里浜で会ったおじさんは「国民宿舎なら、九時ぐらいまではフロントに人がいるから、それまでに手続きを済ませば4000円ぐらいで素泊まりできるよ。」と言っていた。それならば、と来た道を引き返し、飛び込みでその国民宿舎「王子が岳」に転がり込んだ。すでに午後七時になっていたがおじさんの助言通り、フロントには若いお姉さんがいて受付に当たってくれた。受付を済ませると、待っていたかのように雨が激しく降ってきた。
 夕食は館内の売店で買った缶チューハイとカップうどん「どん兵衛」だった。さすが西日本だけあって、東日本と比べて出汁の色が薄かった。

しまなみ海道へ

国民宿舎「王子が岳」
国民宿舎「王子が岳」。瀬戸内海に面しており展望は抜群。

 「王子が岳」は、玉野市と倉敷市の境、新割山の麓にある国民宿舎で、客室や大浴場からは目の前の瀬戸内海や、瀬戸大橋がよく見える。近くには海水浴場もあるため、夏になれば多くの来客で賑わうそうだ。
 雨こそ小やみになっていたが、空は相変わらずどんよりとしていた。世界最大の吊り橋も黒い針金細工のようである。最新の天気予報では後に雨は上がるらしかったが足取りは重い。朝風呂につかり、テレビで「おはスタ」(注3)など見ながら支度して、ようやく重い腰を上げると、また待っていたかのように激しく雨が降ってきた。さっきまで見えていた瀬戸大橋は全く見えず、目の前の瀬戸内海にはうねるような雨の跡さえうかがえた。

「王子が岳」から見る瀬戸大橋
曇天におぼろげに浮かぶ瀬戸大橋と瀬戸内海。朝間からこんな天気。

 部屋に籠もって天気の回復を待っていると、やがてまた針金細工が見えてきた。ようやく宿を引き払って出発したのは、チェックアウト時刻の十時近くだった。

 瀬戸大橋の下をくぐり、倉敷市の中心部を目指す。左手には重工業や化学工場のプラントが見える。小学校で習った水島コンビナートだ。「三菱」と書かれた工場があるので鉛筆でも作ってるのかと思ったら、自動車の工場だった。荒井の愛車パジェロミニもここで作られたんだろうか。これまで東京湾、東海、名古屋、阪神、そして倉敷と走っているが、確かに大工場が目立っている。太平洋ベルトというやつだ。ちなみに倉敷市、重工業ばかりか繊維工業も盛んで、特に学生服は生産量日本一を誇っている。

倉敷市役所
倉敷市役所。かつて物議の種になったのも今は昔。

 一の宮こそ岡山市にあるものの、倉敷は備中の中心都市である。全国的な知名度では、県庁所在地の岡山市を凌ぐものがあるかもしれない。
 倉敷市はその歴史ある街並みで有名だが、荒井がここに来た一番の目的は、市役所を見物することだった。倉敷市の役場は昭和55年に建てられたもので、役場庁舎改築ブームの火付け役となった。必要以上に立派だったので「税金の無駄遣いだ!」という批判が方々から寄せられたらしい。
 倉敷市役所は、中庭や回廊まで備えた凝った建物で、地上十階建て、随所に使った赤れんがが特徴的である。なるほど、備中の中心とはいえ、一地方都市にこんな建物を造ったのだから、無駄遣いと揶揄されたことだろう。
 昼食はその倉敷市役所の食堂で、幕の内弁当を食べた。一個500円だが、おかずは鶏肉とごぼうのたまごとじ、練り物とさやえんどうの炊き合わせ、アジフライ、たまご焼き、チリ肉団子と、なかなか盛りだくさんな内容だった。

 市役所近所の模型屋「人形会館」では、以前から探していた古いガレージキットが売られていた。旅の途中だというのにもちろん購入してしまう。あいかわらずの悪い癖である。

備後吉備津神社
備後吉備津神社。備前と備後の一の宮は、備中吉備津神社の分社として発展した。

 海沿いに淡々と走る。気が付けば雨は止んでいたが、空はまだまだくもっていた。淡々と走りすぎたせいか、あたりの様子は覚えていない。カブトガニで知られる笠岡市を通過し、県境を越えて広島県の福山市に入った。
 次に目指したのは福山の隣、新市町(現福山市)にある備後一の宮、吉備津神社だ。やはり備前や備中同様、「吉備」の名を戴いている。入り口は住宅街の合間に目立たないようにしてあるのだが、そこから奥に進むと立派な境内が現れる。
 神社の見所は二つある随神門だ。普通、神社に随神門は一つしかないのだが、ここ備後吉備津神社には二つあるのだ。
 なんでも伝説によれば、神無月に出雲に八百万の神々が集まった時、ここの祭神、吉備津彦のみが欠席したことがあった。出雲の大国主命(おおくにぬしのみこと)は、どうしたものかと心配して、使いの者を二人ほど備後に使わしたのだが、吉備津彦は彼らをもてなし、逆に備後に留めおいてしまった。この二人の使者が吉備津彦の守衛として仕えるため、二つの門が造られたとか。出雲といえば古代日本の一大勢力だ。その出雲が主宰する会合に出ないばかりか、出雲の使者までてなづけてしまうのだから、往時の吉備国の勢いが相当なものだったことがうかがえる。
 備後国にはもう一つ、素戔嗚神社という一の宮があって、吉備津神社からも遠くないのだがなかなか見つからず、こちらは参拝せずに福山に戻ることにした。

 福山中心部から海沿いの静かな道に出た。ここから次の県庁所在地、広島市までは距離がある。この日は木曜日だったので、今週中に広島県庁を見学するのは無理と判断し、週末をどこで過ごそうかと地図を広げた。
 近場に絶好の場所があった。芸予諸島、通称しまなみ海道だ。ちょうど行ってみたいと思っていた場所もあるので、県庁巡りの時間調整にはもってこいだ。
 そうなれば後は早い。尾道から高速道路に乗り、しまなみ海道に突入する。橋で海峡を越え、下に街を見下ろし、切り通しの山の間を走る。尾道と向島の海峡はあまりに細いため、川のようにしか見えない。切り通しを抜けると、再び海峡にかかる大きな橋が現れた。向島と因島(いんのしま)を結ぶ因島大橋だ。
 ひとまず因島を廻ってみようと、因島北インターで道路を降りた。インターの片隅にDJEBELを寄せ、手袋をはめ直しながらどこに泊まろうかと思案していると、後の車のドライバーの方が声を掛けてきた。
 乗っていたのは50歳近い中年ご夫妻だった。邪魔なのでどけと言われるかと思ったら、「野宿だったらうってつけの場所があるよ!」と、思いがけず絶好の野宿場所を教えていただいたばかりか、途中まで案内していただいた。まさに渡りに舟(もっとも、しまなみ海道は橋で渡れるけど)。ご夫妻は因島在住で「島には見所が多いから、いろいろ見て回るといいよ。」と、名所情報まで教えてくださった。因島のご夫婦、ありがとうございました!

 紹介していただいたのは、因島アメニティ公園という場所だった。公園とはいうものの、プールに駐車場、厠、四阿と芝生があるだけの広い空き地である。テントが張れそうなことを確かめてから、買い出しのために一旦町に戻る。必要なものを買いそろえてから再び公園に戻ってきた頃には、あたりは暗くなっていた。目立たないところにテントを張り、さっき買ってきた見切り品のバラちらし寿司と、買い置きの麻婆春雨で夕食にした。麻婆春雨は豪華にたまごとじにした。
 気がつけば、空はすっかり晴れていた。


脚註

注1・「吉備津彦命」:厳密には、備中吉備津神社は「大吉備津彦大神」、備前と備後の吉備津神社は「吉備津彦命」を祀っている。

注2・「ガレージキット」:組み立て式人形のこと。だいたいはレジンと呼ばれるウレタン樹脂製で、未着色・未完成の状態で売られている。

注3・「おはスタ」:テレビ東京の子供向け情報番組。テレビ東京系のネット局は数が少ないため、見られる場所はごく限られている。


荒井の耳打ち

国民宿舎

 安宿番付では最上位につけていいでしょう。国民の福利厚生のため建てられた宿でして、景勝地を中心に全国各地にあります(特に海沿いに多い)。一泊二食7000円〜10000円(素泊まり4、5000円)で、下手な旅館やホテル以上の設備が整っています。選択肢に入れておくのも良いでしょう。ただし安いだけに人気も高く、夏休みや年末年始、週末は混みます。また、そういう時は特別料金を適用されることも頭に入れておきましょう。それと料金が安い分、布団は自分で畳む決まりになっています。
 人気の安宿では「かんぽの宿」というのもありますが、意外や意外、郵便局の簡易保険に入ってないとあまり安くありません。

単車と料金所

 有料道路での料金の支払いは、単車乗りにとって面倒なことのひとつです。自動車だったら、懐から財布を取り出してお金を払い、お釣りを受け取ったら即発進といった具合にすぐに済ませられますが、単車ではこうはいきません。ギアをニュートラルに入れ、またがったまま手袋を外し、それを持ったまま財布を取り出してはお金を払い...と、非常に手間取ります。その間後ろで待っている運転手の冷たい視線が気になって仕方がない単車乗りも多いはず。
 荒井もそうした単車乗りの一人だったので、有料道路に入る前に代金をすぐ取り出せるところに分けておくとか、とりあえずお釣りを受け取ったら片隅の邪魔にならないところに移動してから手袋をはめ直したり財布を懐に戻したりするとかいった具合に、なるべく料金所に長居しない工夫をしていました。
 最近は単車用ETCも開発が進められているようなので、頻繁に有料道路を利用する方は要注目かもしれません。ハイウェイカードが使えた頃は、これを使うのが一番手軽でした。

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