九州最東端

メイド・イン・USA

四浦半島から田ノ浦方面を望む
四浦半島の展望。大分東岸は多くの岬に恵まれている。

 下関での一夜が明けた。宿に頼んでいた朝食を済ませ、いよいよ九州に行くぞと表に出ると、天気はどんよりくもっていた。お天道様はわかってくれない。
 九州に行く前に、下関市内にある長門国一の宮、住吉神社に寄っていった。摂津の住吉大社を思い出すが、複数の神々を祀っているのも同じなら、港の近くにあるのも同じである。住吉の神様は航海の神様なので、船乗りの崇敬が篤いのだ。

住吉神社
長門国一の宮住吉神社。摂津同様、参拝客が絶えない。

 本州と九州をつなぐ関門トンネルへの入り口は、住吉神社から市内に戻る帰りにあった。料金所をくぐり、海の底を走ること数分、ついに対岸の北九州市、門司に到着した。
 何の変哲もない街角、全国各地で見かける青色の交通案内標識。しかし、そこを走っている車はほとんどが九州のナンバープレートを付けていて、標識の行く先は九州の地名となっている。どこにでもある光景が、どこもかしこも違って見えた。

 まずは九州最北端、田野浦付近に行ってみようとDJEBELを走らせた。
 九州最北端は、北九州市の田野浦地区、太刀浦埠頭にある。九州の端っこの中では下関から一番近い。中心街から外れて走っていくと、大きなコンテナ基地に出た。地図によると最北端はこのコンテナ基地の中にあるのだが、入り口に「これから先関係者以外立ち入り禁止」の看板があって、たどり着けなかった。検疫か保安上の問題があるのだろう。基地をのぞき込むと、異国の文字で書かれたコンテナが整然と並んでいる。あたりには重そうなコンテナをひいた大型車も多く、こんなのに轢かれたらひとたまりもない。九州最北端は旅人の間ではあまり有名ではないのだが、こういうことらしい。

 とうとう雨が降ってきた。コンビニの軒先を借りて合羽を着込むと、あとはいつもどおり、何も考えず走るだけである。いつしか県境を越え、次の目的地、豊前国一の宮、大分県の宇佐神宮に着く頃には、雨はますます激しくなっていた。
 神社の真ん前に農協の直売所「ふれあい市場」があった。まずはそこの軒先にDJEBELを停めた。このまま神社に行くのもなんだからと、買い出しがてら中を覗いた。
 この雨だというのに店内には、地元の農家とおぼしきおばちゃんが数人と、なじみの客が数人いて、賑やかに買い物をしていた。みんながみんな九州弁でしゃべっている。「九州弁だ! 本当に九州さ来たなだ!」とそのままの感想がまず漏れる。山形にいる限り、生の九州弁はまず聞かれない。
 店は農協が運営する直売所で、地元農家の方が作った新鮮な野菜や、JA大分宇佐の特産品などが並んでいる。まずは自炊用にトマトと玉葱を買い込む。値札には生産者の名前が載っていた。トマトが垣添さんで、玉葱が鷹元さん。最近の潮流なのだろう。
 神宮にお参りに来たというと、店のおばちゃんのご厚意で、ザックを預かってもらえることになった。傘まで貸して頂いた。そういうわけで、黄色い傘を片手に、身軽に宇佐神宮に向かった。

雨の宇佐神宮
豊前国一の宮宇佐神宮。鳥居前の広い参道にまず圧倒。

 宇佐神宮はでかい。まずは鳥居の前からしてでかい。「ふれあい市場」の目の前から大鳥居まで、長さ数百メートルの参道がまっすぐに伸びているかと思うと、その左右には大型バスが何台も停まれるような大駐車場に、みやげ屋が立ち並んでいる。その鳥居をくぐって川を渡り森を抜け、拝殿にたどり着くまで10分はかかる。しかも途中何度か迷いそうになった。この広さは伊勢神宮といい勝負だ。
 それというのも宇佐神宮は豊前国一の宮である以前に、全国各地にある八幡宮の総本社なのだ。拝殿も凝った作りで、丹などきれいに塗られてある。
 拝殿脇の資料館では、妙に味わいのある絵で宇佐神宮の由緒が紹介されてある。それによれば、神宮が祀っている八幡さまとは、国造りに業績のあった応神天皇のことだ。別名誉田別命(ほむたわけのみこと)。天童の「マウンテンゴリラ」の誉田さんを思い出した。由緒ある家系なんだろうか。ちなみに神宮のはじまりは、宇佐の地に発現した誉田別命の御神霊を祀るべく建てられたとされている。

 傘を返し、ザックを受け取る。「気をつけてね!」と、おばちゃんたちに送り出されて宇佐を出発した。北九州市からこれまで走ってきた国道10号線をそれ、海沿いに国東半島に入っていく。途中スーパーに立ち寄って調味料など買いそろえ、野宿の準備を整えておいた。景勝地権現崎にも寄ったが、この雨では風景も楽しめない。岬にはタコステーキことタコの丸焼きを食わせる食堂もあったが、昼をとっくに過ぎ、店仕舞いしていた(注1)。
 雨降りだったが、この日はどうしても野宿したかった。周南市で雨の中野宿してから、テントを干していなかったのである。
 通常、テントは使ったら干す。普通は畳む時に日に当てるのだが、それができない場合は着干しならぬ張り干しをする。乾いたところにテントを張って、一晩野宿すれば朝にはすっかり乾いているというわけだ。このテントを干すのをさぼると、いつしかカビが生えて悲劇的なことになる。
 雨の中張り干しをしようというのなら、雨がしのげる場所に張るしかない。キャンプ場は権現崎にもあったが、雨がしのげなかった。雨の日の野宿場所探しはなかなか厄介である。

黒津崎第2ビーチハウス
黒津崎第2ビーチハウス。一晩お世話になりました。

 結局テントを張ったのは、国東半島の東端、黒津崎にあるビーチハウスだった。ビーチハウスは海辺に近い自転車専用道の片隅にあって、その軒先がうまいこと雨をしのげるようになっていた。もともとは海水浴用の施設なのだが、この時期なので人もほとんど来なかった。
 夕食はさっき買ったトマトとツナ缶で作った即席トマトソースのスパゲティだ。お腹もいっぱいになったところで「これでテントばカビさせずに済んだな。」と一安心した。

旅をする人

 翌朝になると素晴らしく晴れあがっていた。テントの張り干しも無事に済んだ。撤収もはかどり、さっそく黒津崎を出発して、大分県の県庁所在地、大分市を目指した。温泉で有名な別府市はひとまず素通りして、猿で知られる高崎山を過ぎれば、間もなく大分の市街地が見えてくる。

柞原八幡宮
山林にある柞原八幡宮。靴を脱いで昇殿して参拝するという、変わった拝殿が特徴。

 昼までの時間を利用して、豊後国一の宮、柞原八幡宮(ゆすはらはちまんぐう)に行った。
 神社は街の入り口「かんたん」の交差点から南に曲がり、細い山道を3キロばかり走ったところにある。戦国大名大友宗鱗(おおともそうりん)が崇敬したという歴史ある神社で、門や拝殿など立派なものだったが、さほど手入れは行き届いていなかった。石畳の上には散った枯れ葉がそのままになっている。神社はまわりの山林に埋もれているようだった。
 神社は広い上、しかも山の斜面の急なところに作られている。社務所には宮司さんが一人いるきりで、詰めている人が少ないらしい。その少人数で境内を掃き清めていたら、それだけで手一杯になってしまうのだろう。

大分県庁 県庁食堂のとり天定食
大分県庁と名物とり天定食。県庁食堂で名物を食べるのは格別の味わい。

 いよいよ大分県庁に向かった。九州初の県庁巡りだ。
 庁舎には大分らしく「大分トリニータを応援しよう!」という横断幕が下がっていた。庁舎内の自販機には「県産ジュースを飲もう!」と、カボスジュースやみかんジュースやらが品揃えされてある。地道に県の宣伝に余念がない。県庁食堂の名前は「レストランぶんご」と、旧国名を戴いている。
 その「レストランぶんご」は13階にあって、別府湾がよく見える。全国の県庁所在地は港町であることが多いが、ここ大分もそうなのだ。
 本日の昼食はとり天定食だ。とり天とは天ぷらの衣で作った唐揚げのような料理で、天ぷら同様つけだれに付けて食べる。九州でも特に大分の名物で、大分県民の大好物らしい。それだけに県庁食堂の定番となっていて、ある時などテレビで紹介されたこともあるそうな。
 「九州最初の県庁で、さっそぐ名物さ遭遇すっとは!!」 前職の関係でとり天が九州発祥であることは知っていたが、それは本当だった。献立一つとっても、ここはまさに九州なのだ。

 土地によって県庁食堂の献立は微妙に変わってくる。東日本ではラーメン・かけそば・カツ丼があたりまえのように品揃えされている。これが近畿に来ると、そばやカツ丼はすみっこに追いやられて、うどんや他人丼が堂々としている。出汁が白いのはもちろんだ。さらに西、広島や山口あたりになると、東日本の定番中の定番、ラーメンさえも影が薄くなって、かわりにチャンポンが登場する。そして九州、大分県庁はというと、チャンポンがラーメンやそばの代わりに君臨していた。しかものっけからとり天だ。これからの九州県庁巡りが楽しみになった。

由布岳
湯布院入り口にある由布岳。温泉に来る人々を出迎えるようにそびえている。

 このまま南下すると、次なる県庁所在地宮崎市に着くのは、日曜日になってしまう。近場で時間をつぶそうと、湯布院町(ゆふいんちょう・現由布市)に行った。
 国道10号線をとって返し、再び別府を通過する。別府のあたりは車が非常に多い。別府は日本有数の温泉地であることは言わずもがな、関西や四国とのフェリーが就航する港町でもある。温泉の湧く港町。なるほど、にぎわう理由もうなずける。
 別府からだらだらと続く登り坂を駆け上がり、森を一つ抜けた頃、右手に由布岳が現れた。そこだけ取り残されたように森が開け、一面を芝生に覆われている。その由布岳の麓を駆け下りていけば、湯布院町に到着である。
 湯布院に来た目的は、岩下コレクションの見学だ。昭和時代の風俗を残す看板や品々、そして世界の珍しい単車などを展示している博物館である。建物は学校の校舎を改装したような木造でそう広くはないのだが、そこに展示物が所狭しと並べられてある。その中にはホンダ初の原付車だとか、旧日本軍で使っていたサイドカー「陸王」なんて、マニア垂涎の名車もある。中でも一番見たかったのは「世界一周したホンダXLR250BAJA(バハ)」だった。

荒木利行さんのBAJA
荒木利行さんのBAJA。並み居る名車の中でひときわ輝く。

 荒井が日本一周を決意した際、旅のやり方を学ぼうと、数々の旅の先達の本を読んだのだが、その一つに荒木利行さんの「地球を一周!オフロードひとり旅」がある。
 荒木さんは京都大学を卒業し、いわゆるエリートコースの人生を送っていた。ところが間もなく会社勤めの生活と自分の求める生き方との溝に直面し、将来について問い直すことになった。その結果、大好きな単車に乗って世界一周してやろうと思い立ち、とうとう実現してしまったのだ。
 荒木さんがその世界一周旅の相棒としたのが他でもない、ここ岩下コレクションに展示されているBAJAである。帰国後荒木さんはBAJAを岩下コレクションに寄贈したので、ここに来ればいつでもその勇姿を見られるようになっているのだ。
 「オフロードひとり旅」は荒木さんの世界一周記だ。出版当時日本一周に憧れていた荒井、この本の存在を知るや早々に手に入れ、一気に読み終えている。荒木さんは会社を離れ、旅という人生に身を投じた。世界一周と日本一周、規模こそ違えど、努力すれば必ず実現できることを確信し、「俺も続ぐぞ!」と、ずいぶん勇気づけられた記憶がある。
 荒木さんのBAJAは、ところどころ塗装が剥げ、燃料タンクはへこんでボコボコ、シートはよれよれ、車体中砂埃まみれで、満身創痍と呼ぶにふさわしかった。館内に展示されてある単車の中では間違いなく一番ボロボロだ。
 しかし一番光って見えたのも、このボロボロのBAJAだった。このBAJAはどれだけの国を巡り、どれだけの風景を見、どれだけの人々と出会ってきたのだろう。黙して全てを語る満身創痍のBAJAは最高に格好良かった。
 荒井もDJEBELとともに、どれだけ見聞が広められるだろうか? 荒木さんのBAJAは、まだまだ荒井のはるか先を走っている。

紙芝居「暗渠排水」
岩下コレクションより紙芝居「暗渠排水(あんきょはいすい)」。単車以外にはこんな展示も。

 ついでだから温泉宿で一泊でもしていこうかと宿を探したが、無情にも、どこも空いていない様子だった。ふと立ち寄ってみた宿の玄関は靴でいっぱいで、「御一行様」の札も4、5枚掛かっている。
 そういや湯布院は都会のOLに人気の温泉地だという噂を聞いたことがある。OLでない貧乏旅人はおとなしく退散した方がよいなと、湯布院は立ち寄り湯だけにして、近場のキャンプ場にすっこんだ。

秋野武史さんと愛車のカブ
志高湖で出会った秋野武史さん。日本一周の忘れられない出会いの一つ。

 この日転がり込んだのは、別府市の志高湖(しだかこ)キャンプ場だった。湖畔の静かなところで、設備はそこそこ、立地と料金の安さは文句なしだ。
 テントを張って夕食の支度をしていると、そこにもう一人、カブに乗った旅人がやってきた。同じ旅人同士、さっそく旅の話で盛り上がった。
 彼の名前は秋野武史さん、なんと荒井と同郷、山形の出身だ。この日は久々に晴れたので、それまで天気待ちをしていた阿蘇を出発し、別府まで来たそうな。
 二人して夕食を作りながら、夕食後は焚き火などしながら旅の話をした。ちなみに荒井の夕食は、レトルトカレーに牛肉大和煮の缶詰をつっこんだものと、宇佐で買ったトマトと玉葱でこさえたスープだった。
 秋野さんは荒井同様会社を離れて長旅をしており、八重山から本州に戻る途中だった。荒井は逆にこれから沖縄・八重山を目指すということで、沖縄や八重山の話をあれこれ教えていただいた。

 「沖縄そばを食べる時は、『こーれーぐす』をかけるんですよ。これがよく合うんですよ〜。」
 「タコライスだったら『キングタコス』が有名ですね。盛りが半端じゃないです。」
 「石垣島でインターネットを使うなら、『あやぱにモール』の出口あたりに『石垣ネットカフェ』という店があるんですよ。飲み物を注文すると、一時間無料でネットが使えます。」

 行ってきた旅人だけあって、話すことに実感がこもっている。こーれーぐす、キングタコス、あやぱにモール。荒井がまだ知らぬ沖縄の数々。しかし少しずつ近づいた結果、もう少し足を伸ばせば行ける距離まで来ていることは間違いない。その他にも、旨い店の話などあれこれ教えていただいた。
 貧乏旅のよさは、こうした旅人どうしの出会いである。その他にも、様々な話で盛り上がった。志高湖に来たのは偶然だったが、そのおかげで、この日は思いがけず楽しい夜となった。秋野さん、ありがとう!


脚註

注1・「タコステーキ」:店頭のサンプルによれば、タコがそのまま皿の上に乗ってました。頭にはご丁寧に干瓢の鉢巻まで締めてます。

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