奄美途中下船の旅

奄美途中下船の旅

あやまる岬の阿檀の木
阿檀(あだん)。奄美以南でよく見かける熱帯植物。パイナップルみたいだが食べられない。

 船はなぜかまた岸に近づいていった。何事かと甲板から様子を見てみると、乗り損ねた方がいたようだ。岸壁にちょっと近づいたところで係の方が船にはしごをかける。乗り損ねた方が船員さんの手を借りてはしごを渡り、かろうじて船にすべりこむと、改めて出航していった。この便を逃せば次の出航まで一日待たなければならない。ほっと一息である。こうした融通が利くところが、船旅の面白さなのかもしれない。

 東には桜島が見える。昨日の今頃はあそこにいた。そして今日は沖縄へ行く船の上。次に桜島を見るのはいつのことになるだろう。夕闇が迫る中フェリーは錦江湾を南に下っていく。誰かが叫ぶ。「イルカが見えるよ!」。もうそんな沖まで出たらしい。
 「クイーンコーラル」船内を歩き回ってみる。船室も広ければ、大浴場やゲームコーナーまである。長距離フェリーなので娯楽設備が整っているのだ。「♪クイーンコーラル走〜れ〜」と船内に流れる、南沙織(注1)のどこか懐かしいマリックスラインのイメージソング(注2)も、南国航路の雰囲気を盛り上げる。曲は若い男女が南の船旅に期待をふくらませているさまを歌っているが、乗客はご年配の方が多かった。いくつかある二等船室の入り口には、「名瀬港」「亀徳港」「和泊港」といった具合に、寄港地の名前が張り出されてあった。混雑対策か、二等船室の乗客は行き先に応じて別々の部屋に詰め込まれるわけだ。

 旅人とおぼしき方も何人かいて、さっそく集まっていた。同じ旅人どうし、導きあってしまうのだ。荒井ももちろんお近づきとなった。それぞれ持ち寄った食料をつまみつつ、旅の話で盛り上がる。
 一人は大阪出身のヒッチハイカー、松尾浩司さん。もう一人は青森出身の自転車乗り、荒屋敷大輔(あらやしきだいすけ)さん。職を探すつもりで奄美大島を目指している。もう一人は奄美大島出身の大学院生、単車乗りの久保和也さん。用事で実家に戻る途中だ。

 「君も沖縄に行くのかい? だったら奄美は絶対に見ておいた方がいいよ。このフェリーは途中下船できるから。」

 松尾さんは元旅行代理店勤務だそうで、奄美や沖縄のことに非常に詳しい。荒井が沖縄を目指していると話すと、格好の情報を教えてくれた。
 奄美沖縄間のフェリーは、実は途中下船が可能である。切符の有効期限は一週間。所定の手続きを踏めば、期間内に一枚の切符で奄美の島を廻って、再び船に乗って沖縄を目指すという芸当が可能なのだ。
 実は荒井、奄美に寄る予定は全くなかった。むしろ屋久島と種子島の南はもう沖縄で、その間に吐カ喇列島(とかられっとう・注3)や奄美群島があるという認識自体がなかった。「そういや、大島紬どが、徳之島どがいう名前は聞いだごどがあるなぁ。那智黒の袋さも『奄美産の黒糖を使用しております』て、書がってだがったっけ。」
 日本一周中とはいえ、行ったことのない場所の認識はこの程度のものだ。その荒井の脳内地図に突如として奄美群島が浮かび上がる。一枚の切符で沖縄はもちろん、未知の奄美まで廻れるというのは非常に魅力的だし、これを利用しない手はない。
 腹は決まった。「よし! 奄美も見でぐべ!」 こうして荒井は期せずして、奄美に降り立つこととなった。

松尾浩司さん
ヒッチハイカー松尾浩司さん。彼の誘いで奄美に降りることに。

 松尾さんはその他にも、奄美沖縄に関する面白い話を教えてくれた。
 「同じ集落でも、川を境に『東(あがり)』と『西(いり)』に別れるんだって。太陽が昇って沈む方角からこう呼ぶんだよ。」
 「奄美の高校生にとっては『無印良品』が、一大ブランドなんだ。でも奄美には扱ってる店がないから、大会とかで鹿児島の天文館(注4)に寄るようなことがあったら、お菓子やら服やら袋一杯に買い込んで、島に戻ってくるのさ。」
 「沖縄で宿に泊まるんだったら、『ドミトリー』だね。北海道のライダーハウスみたいなもんだよ。1500円で一泊できるところが増えてるね。」
 まだ見ぬ沖縄。あと少しでたどり着ける。

隅元さん
隅元さん。松尾さんは夏川りみに似ていると言っていた。

 船の中ではさらにもうひとつ、出会いが待っていた。奄美大島で大島紬の店を営んでいるというおばあちゃん、隅元(くまもと)さんだ。身内の方の看護のため、都城市(みやこのじょうし)の病院に行った帰りだという。「奄美鹿児島間のフェリーは四隻あるけれど、『クイーンコーラル』が一番揺れるわね。」「奄美ではハブを生け捕りにして保健所に持って行くと、一匹につき五千円もらえるのよ。ハブを捕まえて暮らしているハブ捕り名人もいるとか。」などなど、地元ならではのお話が面白い。旅人どうしで集まっていたところ、おつまみにさつま揚げやせんべい、黒糖など差し入れしてくださった上、「これで何か買って食べて。」と、千円札まで差し出してくださった。「お気持ちだけで十分ですよ!」と全員で辞退したが、「出した以上は戻せないわよ!」と仰るので、結局四人で戴くことになってしまった。隅元さん、ありがとうございます。

 夜の甲板に上がってみた。天気のせいか星は一つも見えないが、空気がまとわりつくように暖かい。温帯気候の本土とは異なり、奄美は亜熱帯性である。片隅で一人ギターをかき鳴らす方がいる。どこか淋しげな音色は、妙に南方行きの船に合っていた。

名瀬の夜

あやまる岬
奄美名所の一つ、あやまる岬。岩がちの浜に様々な動植物が生息する。

 二等船室とは、一言で言えば大部屋だ。座敷のようになっていて、乗客はめいめいに一人分の場所を確保しては、到着までの間、もっぱらゴロ寝して過ごすことになる。北海道や佐渡島行きで何度か利用してはいるのだが、よく寝られないことにかわりはない。本格的に目が覚めたのは四時半だった。
 午前五時を過ぎても外はまだ暗かった。東日本だったら、今頃はもうすっかり明るくなっている。標準時の子午線を越えてから、だいぶ西に来ているのだ。
 そのうち入港時刻が近づくと、あたりの人も起き出して、荷物をまとめてはぞろぞろと出口に向かっていった。乗客の大半は名瀬で降りる様子だ。「鹿児島から沖縄まで全区間乗るのは、旅人ぐらいのもんだよ。」と、松尾さんは言っていた。
 ようやく明るくなった頃。甲板に出ると目の前に港が見えてきた。左右が山になっていて、その谷間の入江になったところに岸壁や、背の高い建物が建っているのや、街並みが開けているのが見える。最初の寄港地、名瀬市(現奄美市)だ。

 DJEBELとともに奄美大島に降り立つ。待合所に行くと、松尾さん、荒屋敷さん、久保さんの他、昨日甲板でギターを弾いていた方も合流していた。彼は村岡たかゆきさん。行く先々の街角でギターを弾きながら旅をしている。
 久保さんは、荷物を置きに行ってきますと、一人島内の祖父の家に行った。残された一行は朝食を仕入れようと、港近くの「キャロット」に行くことになった。
 「キャロット」は島唯一のコンビニで、一応24時間営業だ(注5)。入り口には「花田のミキ」というポスターが貼られてあった。ミキとは奄美特産の発酵飲料だ。米とサツマイモと砂糖が主原料で、島では牛乳のような感覚で飲まれているそうな。
 店はコンビニというより雑貨店だった。「こないだ食べた卵とハムが入った特大おにぎり、おいしかったよ〜。」と、松尾さんが店員さんに言っている。本土にはない食べ物がいろいろとあるようだ。

 奄美は行政区としては鹿児島県に属しているが、文化的には琉球圏に属している。民謡は三線(さんしん)を使った島唄(注6)だし、酒屋さんでは沖縄名産オリオンビールが当たり前のように品揃えされている。食べ物も沖縄とかなり共通している。
 とはいえ沖縄とは異なっているところもある。例えば沖縄料理では欠かせない豚足こと「テビチー」は、奄美ではそのまま「豚足」と呼ばれている。沖縄の地酒は泡盛だが、奄美の地酒といったら黒糖焼酎だ。松尾さんによれば、島唄も沖縄は明るいものが多いのだが、奄美の場合、もの悲しい曲調のものが多いとか。
 琉球圏だが鹿児島県。実はここに奄美のたどってきた悲劇があるのだが、その話はまた後で。

植物検疫小冊子
植物検疫の案内。病害虫の蔓延を防ぐため、奄美から本土へは植物の持ち込みが制限されている。

 特大おにぎりが品切れだったので、鮭おにぎりとオレンジジュースを買って朝食にした。待合所に戻ると船旅の疲れか、他の三人はベンチを寝床がわりに寝てしまった。三人はこれからヒッチハイクや自転車で島を廻る予定だと言っていた。これからは別行動というわけだ。荒井は眠くなかったので、一人待合所をうろつくことにした。
 フェリーが出航してしまったため、あたりは静まりかえっている。何軒かある売店はフェリー時刻に合わせての営業なので、軒並み閉店中だ。館内放送では奄美の島唄が流れているが、なるほど、どこかもの悲しい。
 島に関する小冊子もいくつか置いてあった。島の名店地図や観光案内はもちろん、「植物検疫のご案内」「ヤスデ異常発生の注意」といった、島の暮らしに関するものまで。ここで探索用に、島の案内冊子をいくつかいただいた。
 やがて久保さんが戻ってきた。彼が島の案内を買って出てくれたので、久保さんの単車の後について島を廻ることになった。

久保和也さん
地元出身久保和也さん。島ならではのお話を数々うかがった。

 まず案内してくれたのは、名瀬の漁港だった。「ほらあそこ。クマノミがいますよ!」
 指し示す方向を見ると、小さな熱帯魚がいた。次々と指さす方を見てみると、岸壁のすぐそばだというのに、色とりどりの熱帯魚がいくつも泳いでいる。こんな魚、庄内浜や酒田港では絶対に見られない。
 熱帯魚に混じって、ハリセンボンもぷかぷか泳いでいる。「ハリセンボンはアバサーというんですよ。釣りしてるとよく引っかかるんだけど、食べるところがないからあんまりうれしくありません。せいぜい、アバサー汁になるぐらいかなぁ。」

 次に案内してくれたのは、龍郷町(たつごうちょう)にある自然公園「自然観察の森」だ。あたりには熱帯性の植物や見慣れない蝶も多い。気候のせいか、島を走っていると、ひらひら舞っている蝶の多さに驚く。
 「ほら! 耳を澄まして。」 ピョロロロローと、澄んだ鳴き声が聞こえる。そういや山形で、鳥の声に耳を澄ましたことなんてあっただろうか。 「これがアカショウビンの鳴き声ですよ。ルリカケスはいないかなぁ。羽根の色がすごくきれいなんです。でも鳴き声はゲーゲーいってうるさいんですけど。」
 道端には蕗のような植物が茂っているが、山形でよく見かける蕗と違って、葉っぱの表面がてかてか光っている。「これが石蕗(つわぶき)です。『食べられますか?』って? これも食べられるんですよ。」

あやまる岬で見たナマコ
あやまる岬のナマコ。いたずらしていると固くなって、そのうち先から白いものを出すんですって。

 島の東、あやまる岬では浜に降りた。目の前の海は珊瑚礁だ。珊瑚礁なんて初めて見た。珊瑚礁は自然の防波堤で、外洋の波が珊瑚礁が切れるところで砕けているのがはっきり見える。珊瑚礁の内側は、岩場で囲まれた一角がちょうどプールのようになっていて、子供らが何人か、釣りや磯遊びをしていた。
 浜には石灰化した珊瑚のかけらがさざなみで打ち上げられ、帯を描いている。久保さんが以前彼女を連れてきた時、彼女が珍しがって拾い集めていたというが、このあたりの人にとってはありふれて気にもとまらないものらしい。
 白い砂浜を見慣れた島民にとって岩がちな砂浜は貴重で、岩でごつごつしたあやまる岬は島民人気の場所だという。「島だと行ける場所が限られているでしょう? ここなんか小学校の遠足で9回は来ましたよ。」と苦笑していた。

 笠利町(現奄美市)の中心部、赤木名のスーパーで弁当を買い、店の前のベンチに座って昼食にした。奄美は食べ物が安い。本土では500円近くするような弁当も、ここでは400円以下で買えてしまう。そして島ならではの食べ物が揃っている。惣菜売場には当たり前のように豚足が置いてあった。
 野菜炒め弁当に豚足、紅芋入りもち天、島で作っている乳酸菌飲料メロンサワー。豚足は骨付きの油の多い角煮といった具合だが、膠質が多くてねっとりとしている。もち天は細長く伸ばした揚げ餅でほんのり甘い。
 どの料理も塩味は控えめだ。久保さんはこうした薄味の料理に慣れ親しんできたので、東日本の料理は塩辛すぎて苦手だそうだ。特に彼女が岩手の出身なので、料理を作ると、味付けでよく喧嘩するよと笑っていた。

住用村のマングローブ林
住用村のマングローブ林。天然のマングローブ林としては最北限のもの。

 その他、奄美大島最北端笠利崎、島で一番きれいだという名瀬市の大浜海浜公園や、住用村(すみようそん・現奄美市)のマングローブ林など見に行った。マングローブとは汽水域に生える熱帯性植物の総称で、熱帯地方でしか見られない。「マウンテンライナー」こと、蜜柑収穫用のモノレールを改造したような乗物で展望台に行くと、眼下の河口に背の低い林が広がっているのが見える。
 島の北岸を通って名瀬に戻ってきて、島内探索はおしまいだ。その間久保さんは天気が優れないのを残念がっていた。「海の色は空の青さを反射しているから、くもっていると海の色もくすんでしまうんです。天気がいいと、本当にきれいに真っ青に見えるんだけどなぁ。」

奄美北岸のある海岸
奄美北岸のある海岸で。晴れていればもっと海が青く見えるそうな。

 久保さんの案内は、単に観光名所を廻るというものでもなく、一見何でもない道端で単車を停めたかと思うと、そこで見られる植物、動物、地理などについて説明するというものだった。その詳しさには舌を巻くばかりで、何気ないところにも豊かな自然が見られることに驚いた。しかもそれがどれも奄美ならではのものなのだ。
 久保さんは小さい頃から奄美の自然に慣れ親しんで育っていた。小学生の頃、港の船から海に飛び込んで泳いでいたら先生に見つかって大目玉を食らったとか、海には珊瑚礁があるのが当たり前だと思っていたので本土に出て行った時、珊瑚礁がない海を見て驚いたなんて話もしてくれた。どの集落でも土俵を見かけるので「このあたりの集落には土俵が多いですね。」と訊ねてみると、奄美では相撲が盛んで、自分も昔やってたんですよと教えてくれた。
 地元の人間だから、と言えばそれまでだろう。しかし他の県から来た方に、突然地元を紹介するようなことになったら、こんなふうに見所や魅力を紹介できるものだろうか? いかな地元の人間でも、荒井は郷土山形についてこんなに詳しく語れない。山形は一周したものの、まだまだ精進が必要だ。
 遅れましたが久保さん、奄美ではありがとうございました!(注7

特大おにぎりポークたまご
特大ポークたまごおにぎり。奄美以南の定番おにぎり。

 さっきもらった小冊子を頼りに、市内中心部にある「あづま家」に飛び込みで宿を取った。
 奄美以南は宿も安い。3000円もあれば、個室で居心地のよい宿に一泊できるし、そうした宿もごろごろしている。旅のしやすさで、南の島は北海道によく似ている。
 宿に荷物を置き、夕食の買い出しを兼ねて名瀬の街を見て歩くことにした。再び「キャロット」に行ってみると、噂の特大おにぎりが置いてあった。「ポークたまご」こと、ランチョンミートとご飯を丸ごとたまご焼きでくるんだおにぎりで、一個でも十分腹にたまる。

熱演中の村岡さん
旅のギタリスト村岡たかゆきさん。名瀬アーケード街で熱演中。

 アーケード街には松尾さんと村岡さんがいた。村岡さんは道端に陣取って演奏の真っ最中だ。まわりでは女子高生と若い男の子達が何人か地べたに座って、耳を傾けている。一曲終わったところでお二人にあいさつして、仲間に入れてもらった。
 名瀬の商店街は、七時になれば店仕舞いしてしまう。通りを行き交うのは、もっぱら学校帰りの高校生達だ。女子高生も男の子達も、旅人やストリートミュージシャンには興味津々なようで、また松尾さん達も地元の若者たちとすっかり仲良くなったようで、親しく言葉を交わしていた。
 演奏中、村岡さんのギターの弦が切れてしまった。楽器屋さんは閉店直後だったが、店員さんのご厚意で弦を譲っていただくことができた。セントラル楽器さん、ありがとうございました!
 奄美大島のような大きな島では特に困ることはないのだが、離島に行くと、ちょっと変わった小物類は、途端に手に入れづらくなる。だから必要物資の補給はできるところでできるうちにやっておくというのが、離島巡りの基本である。

 アーケード街で30分ほど演奏した後、島一番の飲屋街、屋仁川通りに移動した。地場のスーパー「グリーンストア」で酒や食べ物を買い込んでから、三人して演奏できる場所を探した。「場所選びには気を遣うんですよ。明るくて、店の邪魔にならなくて、しかも人の多いところ。」と村岡さん。旅人が野宿場所に気を遣うように、ストリートミュージシャンは演奏場所に気を遣うのだ。
 場所を探していると、街頭でアクセサリーを売っていた外国人のおねえさんが「ガンバッテネ〜」と、村岡さんを励ましてくれた。同じ路上で商売する身として、似たものを感じるのだろう。
 やがて自動販売機の脇に腰を落ち着けると、村岡さんは演奏を始めた。荒井も安心して、さっき買ってきた黒糖焼酎と油ぞうめんに手をつけた。
 黒糖焼酎は黒糖を主原料にした焼酎で、500年前、タイから沖縄経由で奄美に伝わった歴史ある酒だ。日本では奄美群島でのみ製造が許可されている。そこで同じくサトウキビを原料とする酒になぞらえ「日本のラム酒」とも呼ばれている。黒砂糖が原料のせいか心なしか甘く、飲み口もすっきりしている。「油ぞうめん」はいわゆるソーメンチャンプルー、奄美と沖縄で呼び名が違う一例だ。

 油ぞうめんと黒糖焼酎を回し喰い、回し呑みしつつ聴衆を待つものの、場所や時間のせいか、人はなかなか来ない。来ても足早に立ち去ってしまう。すっかり興が冷めたのか、その場では3曲ほど演奏しておしまいとなった。
 屋仁川通りには、どこかくたびれた、仕事帰りの方が多かった。年齢も高めだ。村岡さんの演目は若向けの曲が多いので、中年の興味を惹けないというのも大きいが、何より歳を取ってしまって、無視することが慣れっこになってしまったのだろう。
 さっきアーケード街にいた、はつらつとした若者たちとはえらく対照的だった。なんだかんだ言って、若者は歳を取った大人に比べたら好奇心や感性はまだまだ豊かだ。目の輝きが違っているし、物怖じしないから何にだって飛び込んでいける。

名瀬の女子高生 名瀬の若者ら
村岡さんのギターに集まってきた名瀬の若者ら。若さというのはそれだけで一つの才能だ。

 日本の国を回っていると、つくづく、元気なのはご老人とおばちゃん達だと痛感させられる。中年や若者はどうしているのだと思いたくなるほど。
 しかし若者はやっぱり、いつでも若々しい活力で満ち溢れているのだ。あの中年のおじさんたちだって、昔はきっとそうだった。それがなぜ、くたびれてしまったのか...
 働き盛り。しかし、その働き盛りの方々は、未来にどのような希望を抱いているのだろう? 若者ならではの好奇心や感性は、何物にも代えがたい宝である。大人にできるのは、それに応えてやることだ。若者が「こうなりたい!」と憧れるようなものを描いてみせることは、荒井を含めた働き盛りの世代の義務なのだ、とつくづく思う。
 村岡さんは翌朝の船で与論島に寄る予定だ。出航に備えて村岡さんは一人待合所に別れていった。「与論は小さくて平べったいから、島の真ん中でギターを弾くと、島中に響き渡るよ!」と、松尾さんが冗談を飛ばす。「これから沖縄に行くなら、国際通りでまた会うかも知れませんね。」という言葉が別れのあいさつとなった。

 残された松尾さんと荒井は、再びアーケード街に向かった。松尾さんはここで野宿するという。野宿と言っても、下にマットを引いてごろ寝するだけだ。
 さっきとはうってかわって、通りに人の姿はなく、静まりかえってうら寂しい。そのせいか、松尾さんはしんみりした口調で、ぽつぽつと語り出した。

 「僕は天涯孤独の身でね。荒井君にはご両親がいるだろう? 親は大事にするんだよ。」

 松尾さんは街での暮らしの一切を清算して、骨を埋める覚悟で奄美に渡ってきたそうだ。今や旅人の必須装備と化した携帯電話さえ持っていない。
 朗らかで陽気な旅人も、何か悔いを残していたのだろう。その内には言いようのない孤独を秘めており、荒井のような、帰る場所のある旅人とは明らかに覚悟が違っていた。
 旅をしていると、実に様々な旅人と出会う。一旦「普通の生活」を離れてみると、突如として別の世界が開けて、それまで出会うことの無かった人々に出会う。そして「普通の生活」に片足を置いている荒井のような旅人は、「普通の生活」というものがどういうものなのか、改めて考えさせられることになるのだ。

 自分には何かをしでかせるような「若さ」が残っているだろうか? 自分は次の世代に何を示せるだろう? 何を目指して生きるのか?
 「普通」であることが、いかに得難く儚いことか、考えたことはあるか?

 松尾さん、久保さん、荒屋敷さん、村岡さんと、奄美で出会った旅人たちには、いくら礼を述べても感謝しきれない。出会いの数々は忘れられない記憶である。奄美に渡ってきたのは、偶然ではなかったのだと思う。
 奇しくもこの年は、奄美がアメリカの占領下から日本に復帰して50年の節目の年だった。


脚註

注1・「南沙織」:みなみさおり。歌手。70年代にはトップアイドルとして世の中を席捲した。現在は写真家篠山紀信のカミさんということの方が知られている。代表曲「17才」。別名シンシア。

注2・「イメージソング」:「走れクイーンコーラル」。作詞作曲・浜口庫之助。歌・南沙織。曲は沖縄航路開設時に作られたものらしい。南沙織は沖縄出身なので、それにちなんで起用されたと思われる。ちなみに船内の売店ではCDも販売中。ついでに、久保さんは子供の頃友達と「クイーンコーラル沈〜め〜」と替え歌にして遊んでたとか。

注3・「吐カ喇列島」:Shift-JISで「カ」を漢字表示できないのでカタカナ交じりで表記。「カ」には口偏に葛の旧字体(吐噶喇列島)という漢字をあてる。

注4・「天文館」:鹿児島市の一大繁華街。江戸時代中期、島津の殿様がそこに天文施設を建てたのがその名の由来。

注5・「キャロット」:2004年に店仕舞いした模様。そのかわり島内各地に「エブリワン」が開業している。

注6・「島唄」:本来「シマ唄」とは奄美の各集落に伝わる民謡を指す言葉だった。それがTHE BOOMの「島唄」の大ヒットを契機に、琉球列島の民謡全体を指す言葉になったという経緯がある。

注7・「久保さん」:長くなるので割愛しましたが、他にも珊瑚礁とサメの話とか、熱帯魚ダツの習性の話、ヤスデ大発生の話、島の天然記念物が昔釣り餌や唐揚げになっていた話、マングローブの生え方、ヤシガニ獲りの話など、面白い話をたくさんうかがいました。全部紹介しきれないのが残念!


荒井の耳打ち

奄美群島で途中下船する方法

 マルエーフェリーとマリックスラインの二社が就航する鹿児島那覇間フェリー航路ですが、しかるべき手続きを踏めば、一枚の乗船券で、何度でも途中下船できます。
 乗船してから、船のフロントに途中下船する旨を告げると、乗船券に途中下船証明書を添付してくれます。次に乗船するときはこの証明書付きの乗船券を提示することになりますが、最初の乗船日から1週間以内に目的地に着かなければならないので注意が必要です。また、途中下船するつもりなら、車両積み込みの際、途中下船することを係の方に言っておくと下船が楽です。航送札は同じものをまた使いますので、次の乗船に備えて大事に保管しておきましょう。大島海運とマリックス間で相互乗り入れもできるらしいのですが、荒井は期せずしてマリックスしか利用しなかったので、そのあたりの詳細はわかりません。逆戻りできるかも試したことがありません。詳細はフロントで確かめといた方が無難でしょう。
 途中寄港地は奄美大島(名瀬港)、徳之島(亀徳港)、沖永良部島(和泊港)、与論島(与論港)、沖縄本島の本部港ですので、一週間をまるまる費やせば、一枚の乗船券で奄美の主立った島を廻ることが可能です。各島で下船して乗船券を買い直すよりも格段に安くあげられるので、おすすめしておきます。情報提供の松尾さん、ありがとうございます!

徒歩の利点

 徒歩は速度も遅く時間がかかり、非常に足に負担をかけるのですが、実はそれこそが最大の利点です。自分の体を使い、休み休みゆっくり歩く分、目に入るものも自然と多くなり、印象に残るものとなります。車なら数分で過ぎ去ってしまう道のりを、あえて足で1時間かけて歩いてみるのは、ある意味贅沢な時の過ごし方です。また、自力で移動する分、旅を成し遂げた時の達成感は計り知れないものがあるでしょう。
 徒歩ですから、装備は自然と身軽なものとなります。列車やバス、ヒッチハイク、船などと組み合わせれば、徒歩は最強の移動手段となります。最大の利点は最大の難点でもありますが、それでも、足で旅をしている人も数多くいます。そう、自動車も飛行機もない時代、我々の祖先は膝栗毛で世界中を旅していたのですから。

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