沖縄上陸

沖縄上陸

沖縄県庁のシーサー
沖縄の守護獣シーサー。県庁にもお勤め中。

 この日は久々に晴れ上がった。二日間寝ていたおかげか、体調も若干持ち直したので、島を離れて那覇に向かうことにした。そろそろ切符の有効期限も気にかかる。出発間際、宿のご主人が「晴れてよかったねぇ。」と言ってくれた。そのとおりなのだが、まだ体調がすぐれない分、ありがたみも減る。
 出航手続きまでたっぷり時間があるので、その間島の名所でも見てこようと思ったが、少し移動しただけでもまだだいぶん堪える。結局待合所でおとなしく待つことにした。
 食欲も戻っていなかったが、食べないと身体に悪いからと、宿でもらったバターロールを、自販機で買った缶緑茶で流し込む。ベンチにうずくまってうんうん唸っていると、掃除のおねえさんが「大丈夫ですか?」と心配してくれて、ビタミンCの栄養剤を三粒くださった。ご親切ありがとうございます。

 たまに外に出て海を眺める。天気がいいだけあって、鮮やかで見事に青かった。もっとも、島の別の場所に行けば、もっときれいな海が見られるのだろうけど。
 風はやたらに強かった。和泊港はすぐ外洋に面しているので、波も高い。埠頭の中にまで波が打ち寄せ、岸壁にぶつかっては波しぶきを高く飛び散らせている。よくこんなところに港を作ったものである。
 逆に言えば、ここにしか港が作れなかったのだろう。珊瑚礁の島は港が作りにくい。水深の浅い珊瑚礁が島を取り囲んでいるため、喫水の深い大型船では岸辺に近づけないのだ。だからそうした船が出入りする港を作ろうとするならば、岸壁を整備するばかりでなく、珊瑚礁を削って水深を稼いでやらないといけない。
 ついでに、サメは珊瑚礁の中までは入ってこないそうだ。珊瑚礁は自然の防波堤だから、引き潮になると内側に閉じこめられてしまうのだ。ただし珊瑚礁を削って作る港だけは別で、いつぞやは港にサメが入ってきて大騒ぎになったと久保さんは言っていた。

 沖永良部島から沖縄を目指す乗客も少ないだろう。天気もいいし今日はのんびりした船旅になりそうだ、那覇に着くまでゆっくり休めるだろうと思っていたが、そうは問屋が卸さなかった。やがて修学旅行の小学生が、大挙港に現れたのだ。
 そのうち船影が見えてきた。真っ黒い煙を上げつつ、波にもまれて左右に大きく揺れながら、港の方に近づいてくる。どうやら一番最初に乗った「一番よく揺れる」クイーンコーラルのようだ。さっきから船の姿は見えているが、なかなか港に入ってこない。波が高くて往生しているらしい。こりゃ快適な船旅になりそうだ。船が港に着いたのは、船影が見えてから20分ほどしてからだった。
 船から見る海が、全く見事に青かったのが救いである。「風邪引きに来ただけだったんだべが?」と変わった思い出を残し、船は沖永良部を出航していった。

 船に乗ると二等船室ではなく、食堂を模様替えした急ごしらえの船室に詰め込まれた。いつもの大部屋は、小学生たちの貸し切りらしい。急ごしらえだから部屋の隅っこには寄せられたテーブルや椅子が積み上がっていて落ち着かないし、床にはマットが敷かれているだけなので、寝転がっていると固くて痛い。寝心地が悪いものだから、起きて船の中をうろつき廻ってみるものの、体調もすぐれないから、すぐ食堂船室に戻っては横になる。ときおり厠に駆け込んだ。下痢もまだ治ったわけじゃない。
 ガラス張りの部屋の外からは、さっきの小学生どもが奇異の目をこちらに向けている。動物園の動物にでもなったみたいだ。「おい、お前らのためにこさ詰め込まれだごとぐらい、わがってくれよな?」と、物言わぬ目で珍獣荒井は語るのだった。

 船は与論島に到着した。与論は奄美群島で最も沖縄に近く、言葉や食べ物も沖縄のものとほとんど変わりがないという。島の住民も自分は鹿児島ではなく沖縄県民だと思っているとか。奄美では珍しくリゾート開発が進んだ島で、最近はタラソテラピー(注1)に力を入れ、注目を浴びているそうな。
 青森で会った歴戦の旅人、小島さんは与論島まで来たことがあると言っていた。あの頃は旅を始めたばかりで、与論島がどこにあるかなんて全く見当も付かなかった。今やその与論島を目の前にして、さらにその南さえ目指そうとしている。小島さんは今、どこでどうしているだろう。
 甲板に上がると、観光帰りか、白人ツアー客の一団が、岸壁で船を待っているのが見える。修学旅行の引率の先生が「おい、外人だぞ。『ハロー!』って挨拶してみなよ!」と子供らを促す。子供らがおどけて、甲板から「ハロー!」と声をかけると、外人さんたちもにこやかに「Hello!」と挨拶を返していた。ところがどこで覚えたのか、子供の一人が悪ノリして「ギブミーチョコレート!」なんて呼びかけたものだから、外人さんたちは一転して顔を引きつらせていた。小学生、これからせっかく沖縄に行くのだから、その言葉の意味を十分噛みしめてから島に戻るんですよ。先生も「お前いつの生まれじゃい!」と突っ込んでる場合じゃありません。

 積み込みが済み、船は与論を出航していった。そのうち眠くなって、食堂船室で一眠りする。そして夕方になった頃甲板に登ってみると、船の左手に大きな島が横たわっていた。沖縄本島だ。
 海沿いに街や住宅が見える。大きなアンテナも見える。噂の米軍基地のものだろうか。いったい沖縄には何があるのだろう。早く上陸したい気持ちが募る。沈む夕日の中、船は島の北岸を眺めながらゆっくりと南下していく。そして午後八時にだいぶん近づいた頃、終点那覇港に到着した。

 「こごが沖縄だ!」

 船を下り港を出た。何日ぶりかに見る国道58号線。道行く那覇ナンバーの自動車。それまで地図やテレビでしか知らなかった沖縄の地名が踊る看板。そんな中を自分は今、山形ナンバーのDJEBELで走っているのだ。

 宿を探して那覇空港のあたりを走る。ふと街の方を見ると、海の上に那覇の街灯りが浮かんで見える。南海上の大都市の夜景は、日本というよりもアジアの都会の顔つきだった。「ナイトストライカー」(注2)に出てきそうだと思ったが、さすがにインターグレイは走ってない。

なるみ旅館
なるみ旅館。那覇でのねぐらとなる。

 当初、松尾さんお勧めのドミトリー「月光荘」に泊まるつもりでいたのだが、なかなか見つからず、結局沖映通りの一角にある「なるみ旅館」に飛び込んだ。
 沖縄上陸を果たした興奮で忘れていたが、ねぐらが見つかった安心感か、また頭がふらふらしてきた。そういや自分は病気中だった。部屋に荷物を置いてから、目と鼻の先のダイエーに買い出しに出かけた。
 地下の食品売り場には、シークヮサージュースや沖縄そば、さんぴん茶(注3)といった沖縄ならではの食べ物が並んでいる。内地では120円する缶ジュースも、ここでは110円があたりまえだ。
 驚くのは「スパム」をはじめとするランチョンミートの品揃えのよさだ。沖縄ではランチョンミートは「ポーク」の呼び名で親しまれており、どこのスーパーでも什器一つを占領して売られているほどの人気商品となっている。沖縄の家庭料理には欠かせない食材で、最近沖縄の平均寿命が下がったのは、「ポーク」の食べ過ぎが原因とさえ言われている。
 「ポークたまご」こと、たまご焼きのスパム添えはもちろん、スパム・スパム・味噌汁・スパム、スパム・煮込み・スパム・スパム・スパムなんて料理もあたりまえ。有名なゴーヤチャンプルーも、今やスパムが欠かせない。「ラヴリースパム! ワンダフルスパム!」 グレアム・チャップマンだったら、現代の沖縄家庭料理は絶対食えないに違いない(注4)。
 さておき、腹に入りそうなものということで、カップワンタンを一個買って帰ってきた。このカップワンタンも東北で売られているものと違い、汁が真っ白だった。

最南端の県庁へ

 一時期に比べればだいぶん体調は良くなっていたが、まだ下痢は収まらないし、食欲もない。早々に連泊を決め込み、近所の県庁に行くことにした。

 那覇の目抜き通り、国際通りを横切り、商店の建ち並ぶアーケード街に入る。観光名所、牧志(まきし)の公設市場にはとりどりの食材を売る店が並んでいた。野菜に魚に肉に食料品。魚は鮮やかにてらてら光る熱帯魚が多い。肉屋にはもちろん、沖縄の食べ物というと必ず出てくる豚の頭部の皮「チラガー」も置いてある。沖縄県民的にはポークの方がなじみが深いようだけど。
 市場を抜けて南の通りに出たところで「ローソン」を見つけ、オレンジジュースを一本買って朝食代わりにした。こんな調子でのんびり歩いていたので、県庁に着くと十時近くになっていた。道庁でシークヮサージュースとミルクカステラを手に「どんたどごだべなぁ。」と思い描いた最南端の県庁に、ついに到着である。

沖縄県庁
最南端の沖縄県庁。北海道で思い描いた県庁が、今目の前に。

 その沖縄県庁は国際通りの入り口、久茂地(くもじ)というところにある。あたりはデパートや家電量販店が建ち並ぶ那覇随一の商業地帯だ。庁舎そのものは新しい建物だが、そこは沖縄、入り口の上から五頭のシーサーがにらみを利かせている。入り口の自動ドアにも、二重丸のような形をした沖縄県章が刻まれてある。入り口のホールには竜の飾りや内地にはないタペストリーなど飾られていて、これまた南の島風だ。
 違うのはそればかりでない。職員さんの多くが、アロハのようなシャツを着ているのだ。沖縄の新正装、かりゆしウェアだ。スーツにネクタイは暑くてかなわないということで普及が計られていたが、2000年の沖縄サミットを期に一気に浸透し、沖縄では今や官公庁でもあたりまえに見られるようになっている。一見気楽な開襟シャツだが、これ一つでスーツ代わりになるのはもちろん、冠婚葬祭まで間に合ってしまうという優れものだ。こうした服装も、まさに沖縄ならではだ。
 歩くのはまだ相当身体に堪えたらしい。着いたら入り口ホールでぐったりして休んだり、厠で唸ったりしているかだった。そのうち昼が近づいた。食欲はなかったがせっかくだからと食堂に行った。
 沖縄県庁食堂「南天」は、さすが沖縄県庁食堂だけあって、沖縄ならではの料理が揃っている。ゆし豆腐定食、ソーキの黒豆ソース煮、ソーキ汁などなど。その中でも一番腹に収まりやすそうな沖縄そばを食うことにした。

「南天」の沖縄そば
県庁食堂「南天」の沖縄そば。沖縄ではラーメン感覚で食べられている定番中の定番。

 この沖縄そばも、沖縄に来たら絶対食うぞと思っていた料理である。
 荒井が日本一周を企むずいぶん前。地元の町で沖縄物産展が開かれ、沖縄から来た一団が、沖縄そばを出していたことがあった。値段を見てみると、小ぶりの発泡容器で一杯500円。「高ぇ! 多分沖縄さ行げば、これど同じ値段で倍以上食えっぺなさ。」と、喰うのを諦めた。以来、いつか自ら沖縄まで食いに行ってやるぞと心密かに思っていたのだ。
 「南天」の沖縄そばは一杯350円。透き通った白いだし汁に太めの麺、その上にチャーシュー代わり、豚の三枚肉が二きれと、沖縄かまぼこが一切れ載っている。麺はラーメンとうどんの合の子の様な塩梅で、かん水も入っているらしい。薬味は紅生姜だ。案の定、物産展で見たのとは量が違うし値段も安い。
 この上にかけるのが、秋野さんから聞いた「こーれーぐす」だ。こーれーぐすというのは沖縄では一般的な辛味調味料で、泡盛に小さな島唐辛子を漬け込んで作る。好みでそばに振りかけて使うところなどタバスコに似ているが、こーれーぐすの辛さは、口に入れてからじわりと現れる。
 本来なら感動のご対面となるはずなのだが、体調が体調なだけに旨くない。麺はどこかもそもそして、腰ものどごしもよくない。それでも食べないことには身体も弱るので、がんばって完食した。体調が良ければ、旨いのだろうけど。

 久々に食べ物らしい食べ物を食ったおかげか、心なしか体調が落ち着いた。県庁の展望台から街を眺める。さすが日本最南端の県庁所在地、建物や車が多い。手持ちの地図と見比べると、琉球国一の宮、波上宮(なみのうえぐう)が意外に近いことがわかったので、満腹になった勢い、参拝することにした。恐るべし沖縄そばである。

波上宮
琉球国一の宮波上宮。海から見ると、名前どおり海の上に建っている。

 在来の信仰が強い上、神道には何かと思うところあるだろう沖縄にも、数は少ないながらも大きな神社がいくつかある。その中でもここ波上宮は創建が琉球王朝時代にさかのぼり、王からも崇敬篤かったという歴史ある神社だ。ちなみに琉球は東北同様、大和朝廷の支配が及ばなかった地域であるため、波上宮は「新一の宮」として、一の宮に名を連ねている。
 社殿は海に臨んだ崖の上に建っている。近年新しく造営されたという立派な琉球建築だ。となりは海水浴場になっていて、水遊びをする若者などいたが、さすがに水着のおねえさんはいなかった。参拝後、境内の四阿でこれまた境内の自販機で買ったシークヮサードリンクを飲みつつ、しばらく昼寝した。日差しは強かったが、四阿がちょうど日陰になっているので、寝る分にはちょうどよい。

キヤノンIXYi
キヤノンIXYi。旅先で写真機を買い換えることになるとは思いもしなかった。

 その後、また休み休み歩いてなるみ旅館まで戻った。まだ日があったので、この前昇天したIXY310の代わりになる写真機を見繕いに、DJEBELで「新都心」に行った。
 商圏の郊外への移転という問題は、那覇も無縁ではないらしい。「新都心」は那覇近郊の再開発地区で、大型のショッピングセンターや量販店などがいくつか出店している。そこの「カメラのキタムラ」で、新しい写真機を物色することにした。
 デジカメ一台あれば記録には何ら困らないのだが、デジカメ一台だけでは心許ないのも確かなので、銀塩カメラもあるに超したことはない。
 ここで選んだのが、またもやキヤノンのAPSコンパクトカメラ、IXYiだった。本当は前と同じIXY310がよかったのだが、とうの昔に製造終了になっていたため、ならば同じIXYシリーズで当時の最高機種を、ということでこれにした。ちょっと写真に詳しい方なら「なんでこの期に及んでAPS、しかもIXYi?」と思うだろうが、未撮影のAPSフィルムもまだ残っているし、手持ちのIXY310用リモコンレリーズも使えるから無駄がないというわけだ。もっとも、一番の理由は「IXYはもともとAPSカメラだず!」と信じて疑わない荒井流の洒落だったりするのだが。
 壊れたIXY310を下取りしてもらって、文字通り、後継機種としてIXYiを入手する。保証書に住所を書いていると、応対してくれた店長さんに「山形からいらしたんですか?」と訊かれた。「はい。日本一周の最中で、単車でここまでやってきたんですよ!」と答えると「がんばってくださいね!」と励ましてもらったばかりか、わざわざ遠いところから来てくれたからと、折りたたみ式のレフ板とカメラポーチをおまけしてくださった。店長さん、ありがとうございます。

 まだ体調は良くないし、食欲もあまりない。こういう時は突拍子も無い物が食べたくなる。この日はところてんが恋しくなった。例によって近所のダイエーでところてんと栄養ドリンクを買い込み夕食にした。本格的に体調が戻るのは、しばらく先になりそうだ。


脚註

注1・「タラソテラピー」:海洋療法。潮風や海水、海草、海泥などを使った健康法のこと。

注2・「ナイトストライカー」:1989年にタイトーが出した業務用3Dシューティングゲーム。特殊戦闘車両「インターグレイXsi」を操り夜の街を駆け抜ける。一発も弾を撃たず攻撃も受けずにクリアすると得られる「パシフィストボーナス」の存在は数多のゲーマーを熱くした。家庭用ゲーム機にも移植された。

注3・「さんぴん茶」:いわゆるジャスミンティ。沖縄ではペットボトルや紙パックの緑茶のような感覚で売られている。

注4・「グレアム・チャップマン」(Graham Chapman 1941−1989): イギリスの喜劇俳優。「空飛ぶモンティ・パイソン」の主要メンバー。「スパムメール」の語源となった「モンティ・パイソン」のスケッチ、「スパムの多い料理店」でスパム嫌いの婦人を演じている。

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