首里城

金武町の石敢當
石敢當(いしがんどう)。沖縄随所の街角で見られる魔除け石。中国由来のものらしい。

 それからしばらく那覇で船を待つ日が続いた。その間は、なるみ旅館と国際通りを行ったり来たりするような毎日だった。

 日曜日は歩いて首里城を見に行った。国際通りを東に歩いていくと、通りが切れたところで登り坂になる。だらだらと結構な高さを登り切った頃、首里城の入り口が見えてきた。
 首里城は那覇市街東の小高い丘の上にある。琉球王朝の王の居城で、政治の中心地だった。沖縄では城のことを「グスク」と呼ぶ。先日見てきた今帰仁城など、沖縄にはこうしたグスクが各地にあり、琉球王朝の文化を伝えるものとして、世界遺産の指定を受けている。
 二千円札の図案にもなった守禮之門は、首里城の入り口にある。高さは約3メートルほどと小さく、中国風に作った鳥居のような形をしている。懸額にある「邦之禮守」の字は、礼を守る国ですよという琉球王朝の姿勢を示すものだという。
 ところでこの守禮之門、「日本三大ガッカリ名所」の有力候補なのだが、その理由が、小さくて見栄えがしないからというものらしい。
 門の前では団体客や旅行者が思い思いに写真を撮っていた。うっかりしていると沖縄の民族衣装「紅型(びんがた)」を着た女性が寄ってきて、一緒に写真を撮りませんかと声をかけてくるが、かなりいい値段がするので注意が必要だ。守禮之門がガッカリ名所候補に名を連ねる一因は、その小ささもさることながら、こういうところにもあるのかもしれない。

裏から見る守禮之門
守禮之門を裏側から見る。表の方には人がたくさん。

 守禮之門をくぐると、右手にすき間なく積み重ねられた石垣が現れる。白い見事な石垣で、空の青さに映えて実にきれいなものだった。石垣の反対側には、王が崇敬した園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)の石門がある。御嶽とは神が宿る聖地のことで、大きなものから小さなものまで沖縄各地にあって、民俗信仰のよりどころとなっている。
 城郭の公園で琉球舞踊を見物した。週に何度か、見学客向けに古典琉球舞踊を披露しているのだ。舞は全部で六差し、二人が一組になって踊る。伴奏は三線や琴の生演奏。優雅なものからおもしろおかしいものまでさまざな舞があったが、古典舞踊だけあってどれもゆったりのんびりした調子である。
 もとの首里城は沖縄戦で焼失していて、現在あるのは近年復元されたものだ(注1)。城内各地では復元が進められていた。復元された見張り台「西のアザナ」からは那覇の街はもちろん残波岬さえ見えた。権力者は高いところに城を造るが、それは琉球王朝もいっしょのようだ。
 肝心の首里城は、中国風の真っ赤な木造建築だ。破風や門柱は極彩色の凝った彫刻や飾りが施されているが、他の部分は飾りなどもなく、意外に簡素で地味である。中は玉座や祭祀の間などが見られるほか、琉球王朝の歴史等に関する展示も見られる。

首里城
再建された首里城。中国や日本の建築様式を採り入れている。

 沖縄はかつて琉球という独立国だった。島という地理を生かし、日本や中国はもちろん、東南アジアの方までとも広く交流があり、様々な文化が入ってきた。なんでも混ぜこんでしまうという意味で、沖縄の文化や気風は「チャンプルー文化」と呼ばれているが、それはこうした歴史によるものなのだろう。ここを足がかりに世界はさらに西に南に延びている。沖縄に集まる旅人が、さらにその先さえ視野に入れているのは、ある意味理にかなっているのだ。

 暑いので、帰り道で二回ばかりアイスを仕入れた。一つはシークヮサーアイスで、もう一つはかき氷アイス。かき氷アイスが変わっていて、シロップをかけたぶっかき氷がそのまま袋に入っていた。
 沖縄風の墓場も見つけた。沖縄の墓は内地と違って、破風付きのほこらのような形をしている。丸い形をしたものは「亀甲墓」と呼ばれていて、大人が何人も入れるほど大きいものもある。そこに隠れる者が多かったため、沖縄戦の時はガマ同様、亀甲墓も焼き討ちの対象になったそうだ。
 県庁前の百貨店「リウボウ」地下の中華惣菜屋「四川菜飯」であんかけ唐揚げ弁当を買い、遅い昼食にした。玉葱の入った甘酢あんがたっぷりかかった鶏唐と、中華風ソーメンチャンプルー、玉ねぎマリネ、ポテトサラダが入っている。店内の客席で食べていくことにすると、さらにさんぴん茶とわかめスープが付いてきた。荒井が喰ったのは100円引きの見切り品だが、元の値段430円でも十分安い。
 宿に戻り、夕方になってから、また街に出た。夕食はこないだの「がじゅまる食堂」の、沖縄そばと寿司セットだ。小盛りの沖縄そばに、マグロ、イカ、鮭、カンパチ、稲荷と五カンの寿司が付いて、なんと650円。ご主人は以前寿司屋さんで修行していたことがあるそうで、こんな一品も作れるのだ。

国際通りに埋もれる

 翌日も待つより他なかった。しかもまた台風が近づきつつあり、予定通りに船が出るかも怪しかった。
 県庁食堂「南天」で、日替わりの「沖縄風味噌汁定食」を食べた。味噌汁は丼のような大きなお椀に入っていて、たっぷりの野菜の他、温泉たまごが一個入っている。他のおかずは千切りキャベツを添えたコロッケのみ。沖縄風の味噌汁はこれ一つで十分おかずになるほど具が多い。
 県庁入り口ホールでは、6月3日の測量の日を記念して「地図と測量展」が開かれ、世界各国の地図が展示されていた。見物していると係の方が、紙袋一杯の資料や小冊子、おまけに日本地図の大きなジグソーパズルまでくださった。捨てるに捨てられず、沖縄から山形まで送り返すのも送料がかさむので、結局八重山諸島はもちろん、内地に戻って阿蘇に行くまで持ち歩く羽目になった。

「南天」の沖縄風味噌汁定食
沖縄風味噌汁定食。具にポークを入れることもある。

 通りの起点にある二匹のシーサー像を脇目に、国際通りに入っていく。久茂地から沖映通りまでの約1キロは、みやげ屋しかないんでないかと思うほどみやげ屋だらけである。ちんすこう(注2)や黒砂糖、ミニシーサーといった定番の沖縄みやげはもちろん、「海人(うみんちゅ)」「島人(しまんちゅ)」の文字が入ったTシャツや、パイナップル味ハイチュウや黒糖味ハイソフトといった沖縄限定菓子、シーサーの着ぐるみを着たキティちゃんマスコットといった品々など扱っている。
 通りを行き交う観光客がまた多い。すれ違う人の半分か、三人に二人は観光客だった。店頭では店員さんが呼び込みをしていて、店内では観光客や修学旅行の生徒さんが、あれこれ品定めをしている。荒井はこういうところで売っているおみやげは嫌がらせ用だと思っているので、見て面白がるだけにしておいた。
 食堂も多い。沖縄料理店の他、ステーキ屋、台湾発祥のドリンクスタンド「快可立(クイックリー)」、アイスクリーム屋「ブルーシール」などなど、様々な店が軒を連ねる。ちょうどこの頃通りに沖縄初のセルフ式讃岐うどんの店が開店して、話題になっていた。客の入りは上々で、ささやかな行列までできていた。
 意外に多いのが楽器屋だ。三線や太鼓といった民族楽器、島唄の教則本など売っている。ドミトリーに行けば一人や二人、三線をつま弾いている人を見かける。島唄に魅せられて、自分でも演奏してみたいという方が結構いらっしゃるのだ。
 CD屋を覗くと、島唄の品揃えがずいぶんいい。流行歌と同じくらいの広さをとって堂々と売られている。売れ筋コーナーでは、地元歌手のCDが内地の歌手に混じって大健闘している。否、むしろ地元歌手に内地の歌手が混じっているといった方が的確だ。
 山形のCD屋に行っても、最上川舟歌や花笠音頭といった民謡のCDは、店の片隅にほんの少し、申し訳程度に並べられているに過ぎない。スポーツ県民歌のCDを探そうとすれば一苦労である。地元に根ざした島唄や歌があって、しかも誰でも気軽に触れられるようになっていることが非常に羨ましかった。

 道路でブンブン音がする。白昼、地元の兄ちゃんたちが原付スクーターで珍走しているのだ。狭くて交通量の多い国際通りで、車の間をすり抜けつつ、やたらアクセルを空ぶかししている。他にも、学生服で明らかに中高生だと分かる少年たちが、煙草の自販機に群がって、蹴りを入れてるのも見た。
 近年成人の日になると、酒を飲んで暴れるだの、徒党を組んで練り歩くだの、那覇の成人式の柄の悪さが話題になっている。以前は卒業祝いとして、特注の刺繍入り学ランを着て、大量のメリケン粉をぶっかけあうという奇習が問題化したこともあったそうだ。この連中ならさもありなん、国際通りのシーサーも、柄の悪い兄ちゃんたちにはお手上げのようだ。
 兄ちゃんたちでなくとも、沖縄の車は運転が非常に荒っぽい。狭いのに飛ばすし、曲がる時は歩行者のことなど見ていないかのようにいきなり曲がる。
 夜になれば、那覇の夜を楽しもうという若者たちが表通りはもちろん、裏の路地まで出歩いている。よく言えば雑多で賑やか、悪く言えば治安が悪そうである。この混沌とした雰囲気には、那覇は日本というよりはむしろ、アジアの大都市なのだと感じさせるものがあった。

 夕食は三越の地下食品売り場で仕入れた見切り品の肉じゃが弁当だった。オリオンビールも買ってきた。肴はこれまた見切り品の餃子とエビシュウマイだ。
 オリオンは沖縄で抜群の知名度を誇るビール会社である。沖縄や奄美の酒屋に行けば、キリンやアサヒ、サッポロといった大手企業のビールと並んでオリオンが売られている。というか、オリオンの方が広い場所をとって売られている。他のビールとの違いはよく分からなかったが、オリオンビールを飲んでいると、沖縄に居るんだなとしみじみ感ぜられた。

 火曜日になった。台風が近づき、外は雨だった。本来ならこの日に八重山行きの船が出るはずだったが、案の定、昼前に欠航が決まった。
 旅館前ではタクシーの運転手さんが車から降りて、雑談しながら客待ちをしている。運転手さんだけに地元の話には詳しい。「台風っていっても、風速25メートルぐらいだったら、みんななんともないと思ってるよ! さすが風速50メートルの時は違うけど。」 台風はもはや当たり前で、ちょっとぐらいの風ではみんな動じないらしい。
 この天気でも、糸満市ではハーレー大会が開かれるという。ハーレーとは伝統行事の手漕ぎ船競争だ。豊漁と航海安全を祈願するもので、この時期沖縄各地で開かれる。特に糸満のハーレーは白熱することで有名で、梅雨明けと夏の到来を告げる行事となっている。

手作り館工房海人石垣島店
沖縄ではよく見かける「海人」Tシャツ製造元、手作り館工房海人。写真は石垣島店。

 この日の「南天」の日替わりは、焼そばセットだった。牛肉と野菜のあんがかかった塩焼きそばに、野菜の味噌汁とおにぎりが付いてきた。味はやっぱり薄目である。
 那覇にいる最中、牧志の公設市場はほとんど利用しなかった。市場の値段は決して安くないし、旅行案内には必ず載っている併設の食堂だって、街へ出れば同じかそれ以下の値段で、もっと気の利いた料理を喰わせる店が容易に見つかる。市場は観光地相場になっているのだ。地元の人が何を食べているか見てみたいと思ったら、市場よりも地場のスーパーを覗いた方がいいかもしれない。朝市が有名な函館だって、市民になじみが深いのは高価な海鮮丼ではなく、ハセストの焼き鳥弁当だった。
 沖縄県民は、北海道民同様、本州四国九州といった本土のことを「内地」と呼んでいる。特に内地の人間を「ナイチャー」、島出身の人間を「ウチナー」と呼ぶのは沖縄ならではだ。そして多くのウチナーは、沖縄ではしゃぐナイチャーを、醒めた目で見ているような気がする。
 ナイチャーの方々が公設市場に来る一方で、ウチナーの方々はスーパー「サンエー」を利用している。月光荘に集まっているのはもっぱらナイチャーの方々で、ウチナーの方は宿がどこにあるかということさえ知らなかった。月光荘で経営している居酒屋さえ「ウチナー大歓迎!」と謳っていた。ナイチャーが「海人」Tシャツ(注3)を着ているのはよく見かけたが、ウチナーで愛用している方はどれほどいるものか?
 沖縄にいても、ナイチャーはナイチャー向けの場所をうろついているだけなのかもしれない。確かに沖縄は観光設備や受け入れ体制が整っている。しかしあまりによくできすぎていて、かえってウチナーの暮らしが見えてこない印象を受けた。
 沖縄の街角では「めんそーれ」という言葉をよく見かける。「いらっしゃいませ」という沖縄の方言だ。しかしウチナーの口から「めんそーれ」の言葉を聞くことは、まずない。ウチナーはウチナー。ナイチャーはナイチャー。この厳格な区別に、両者の深い溝がある。

 通りはあいかわらず車が多い。件の運転手さんによれば、沖縄には電車がないので、どこへ行くにも車が必要になるのだ。その一方、那覇空港と首里城を結ぶモノレール路線「ゆいレール」の開業が目前に迫り、試運転の車両が高架上の軌道を往来していた。
 波上宮に寄ってから宿に戻った。テレビをつけると、五月末に起きた米兵による婦女暴行事件が大きく取り上げられている。事件は金武町のキャンプハンセンの米兵によるものだ。事件の発生が、ちょうど荒井がそのキャンプハンセン前でタコライスを食べた頃と前後していただけに、非常に生々しく感ぜられた。
 同じ頃、嘉手納基地に近い道の駅で、米軍の憲兵が抜き身の突撃銃を携帯したまま歩いていたという事件も起きていた。暴行事件に限らず、県内では米兵による傷害事件や交通事故が絶えず、大きな問題となっている。やはり米軍にとって沖縄とはアメリカの飛地みたいなもので、日本にお邪魔しているという意識がないのかもしれない。島を踏みにじった軍隊がいまだ旧態依然として幅を利かせていることが、島民にとって大きな屈辱だろうことは想像に難くない。
 米軍の完全撤退は島民の悲願だが、一方ではそうとも言えないらしい。米軍に土地を貸すことで潤っている地主もいれば、基地に勤める県民も多い。こういう人たちにとって、米軍とは食い扶持である。沖縄にとって米軍は経済上無視できない存在になっていて、事態は「ヤンキーゴーホーム」で済むようなものではなくなっていた。
 チャンプルー文化を誇るとはいえ、米軍ばかりは、沖縄もチャンプルーにしかねているようだ。

 この日の夕食は、コンビニ「ホットスパー」で買ってきた100円ハンバーガーと、三越の見切り品豆腐チャンプルー弁当だった。


脚註

注1・「近年復元されたもの」:世界遺産に指定されているのは「首里城跡」なので、厳密には再建された首里城は世界遺産には登録されていない。

注2・「ちんすこう」:沖縄銘菓。ラードを使ったクッキーみたいな菓子。

注3・「『海人』Tシャツ」:沖縄のみならず、北海道でもやたら見かけました。旅人が沖縄に来た記念に買い求めていくようです。文字は選べるようで「駆人(からんちゅ)」「恋人」「変人」「悪人」などなど、人によってさまざま。

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