最南端の島々へ

最南端の島々へ

 遅れに遅れた出航予定日になった。この日は朝から晴だった。今度こそ無事に船が出そうである。一週間近くお世話になった礼を述べ、なるみ旅館を出発した。

勝連城跡
勝連城跡。沖縄の世界遺産の一つ。

 出航は夕方の予定なので、それまで島内を走り廻る。まずは中城城跡(なかぐすくじょうあと)に行った。入場料がかかるので見学は止めといて、かわりに勝連町(現うるま市)の勝連城跡(かつれんぐすくあと)に行った。
 中城城や勝連城も、今帰仁城や首里城跡同様、世界遺産の指定を受けているが、場所によって受け入れ態勢はまちまちで、入場料もばらばらである。ところが勝連城は無料で見学できるので、中城城よりも食指が動いたというわけだ。
 城は海に近い丘の上にある。入り口のあたりには「勝連城跡」という標柱が立っている以外に門のようなものはなく、どうぞどなたでもいらっしゃいといったかんじで城内への道が続いている。片隅に城のあらましを説明する看板があった。

 勝連城を治めていたのは阿麻和利(あまわり)という按司(あじ・注1)だ。阿麻和利は中山による琉球王朝統一後も勢力を強め、王の座を狙っていた。それを見張るため中城城に遣わされた按司が、王の忠臣護佐丸(ごさまる)だ。阿麻和利は邪魔な護佐丸を陥れ滅ぼしたが、その後謀反の計画が察知され、今度は自分が王府に滅ぼされてしまった。これが王朝史上もっとも劇的な事件「護佐丸・阿麻和利の乱」で、琉球舞踊の題材にもなっている。
 歴史的には悲運の忠臣護佐丸に、野心家の逆臣阿麻和利という印象が強いそうだが、実際のところは善政を敷き、海外や奄美と盛んに交易をして勝連の地を発展させるなど、民衆にとって英雄のような存在だったそうだ。乱の原因も忠臣対逆臣という構図のみではなく、交易の利権の奪い合いという側面もあったと言われている。

 沖縄の城の多くがそうであるように、ここ勝連城も石垣の遺構を残すのみである。この石積みを登るのが一苦労だった。石段こそ切られているが、急な上ごつごつしているので登りづらい。阿麻和利やその家来も、毎日こんな急坂を上り下りしていたんだろうか。しかしそれだけあって一の丸からの眺めは見事なもので、南の中城湾や対岸の丘が一望できた。宿敵護佐丸の拠点、中城城まで見渡せそうだ。阿麻和利もここから中城城やその先の王府に睨みを利かせていたのだろう。

 次は沖縄屈指の名道と名高い、与那城町(よなしろちょう・現うるま市)の海中道路を走ってきた。海中道路とは本島と平安座島(へんざじま)を結ぶ道で、珊瑚礁の遠浅の海を割るように、海面すれすれのところを通っている。距離は5キロほど。中ほどにはロードパークこと休憩所が設けられ、多くの方が車を停めては「きれいだねぇ!」と、青い海に見入っていた。海に向けて釣り糸を垂れる釣り人も多々見かけた。
 海を渡り、平安座島、宮城島を過ぎると、リゾート施設のある伊計島がある。海水浴場はまるきり田舎のあかぬけないそれだったが、場所が場所だけに若いお姉さんの姿が目立った。

A&Wのデラックスチーズバーガーコンボ
A&Wのデラックスチーズバーガーコンボ。大ジョッキにはルートビア。大きさの比較用にライターを置いてみた。

 具志川市(ぐしかわし・現うるま市)の中心部、安慶名(あげな)にあるハンバーガー屋「A&W」で昼食にした。ここで喰ったのはデラックスチーズバーガーコンボこと、チーズバーガーとポテトと飲み物のセットだ。注文を受けてから作ってるようで、できたてが食べられる。
 沖縄はアメリカに占領されていた時代が長かったため、ポークやブルーシールアイスなど、米軍経由でアメリカの文物が多数入ってきた。「A&W」もそうしたアメリカ経由で入ってきたものの一つである。屋号は元々創業者の名前に由来するのだが、知ってか知らずか、「エンダー」と呼ばれることが多い。県内各地に店開きしており、沖縄を走っていれば必ずどこかしらでその看板を見かける。
 A&W最大の売りは、なんといっても「ルートビア」だ。ルートビアとは薬草の根っこから抽出したシロップを炭酸水で割った飲み物で、アメリカではかなり有名らしい。そのルートビアを考案したのがA&Wの創業者で、もともとA&Wはルートビア屋として始まったという歴史がある。
 ところがこのルートビア、非常に薬臭くて(注2)、なじみのないナイチャーにはウケが悪い。下手物ジュース愛好家荒井、もちろんルートビアのことは知っている。「お飲み物は?」と訊かれた時には、迷うことなくルートビアを注文した。半端でなく薬臭いことも承知済みだが、飲みたいんだから仕方がない。
 さすが元祖。A&Wのルートビアはものすごい。大ジョッキになみなみと注がれて出てくる。しかもおかわり自由とまできているので、心ゆくまでルートビアを堪能できる。店の入り口には「ルートビアおかわり自由」の文字が誇らしげに躍っている。もう最高。
 このルートビアA&W以外の県内のファーストフード屋でも出されていて、スーパーに行けば缶入りルートビアが定番となっているほど、沖縄ではなじみが深い。北海道にガラナがあるように、沖縄にはルートビアがある。

宜野湾市役所
宜野湾市役所。向かいはもう普天間飛行場。

 那覇に戻る途中、宜野湾市役所で休憩した。宜野湾の市役所は国道を挟んで米軍普天間(ふてんま)飛行場の真向かいにある。飛行場は近い将来返還予定で、市役所には跡地に作る新しい都市の模型が置いてあった。公園や住宅、商業街などが作られる予定のようだ。県内では他にも米軍基地の移転や縮小が計画されていたが、移転先が天然記念物ジュゴンの生息地になっていて反対運動が起きていたりと、難航している様子だった。

山城まんじゅう
山城まんじゅう。那覇でも知る人ぞ知るお菓子。一つはすでに腹の中。

 那覇に戻ってから、「山城(やまぐすく)まんじゅう」を食べに首里に行った。店は表の「首里名物山城まんじゅう」の看板がなければ、見過ごしてしまいそうなほど小さい。古ぼけた店内には古ぼけた客席が三つか四つ。壁にはここに来たらしい有名人のサインがいくつか飾られてあった。欽ちゃん、美川憲一、天本英世(あまもとひでよ・注3)に八波一起(はっぱいっき・注4)。微妙な顔ぶれだ。基本的にここは町のまんじゅう屋さんなのだ。
 店の方が茶碗にさんぴん茶を注いでくれた。一心地付いたところで、まんじゅうを二つ注文した。沖縄家庭の味、サーターアンダーギー(注5)のようなものを想像していたら、出てきたのはきんつばに似た蒸し饅頭だった。熱い方が旨いということで、さっそくかぶりつく。皮は薄くて固めだが、その分食べやすい。中のあんこは甘さ控えめで皮によく合う。皮について何か訊きたかったが、何となく気恥ずかしかったので、おいしかったですよと言って店を出た(注6)。

 出航まではまだ時間がある。琉球王朝の庭園、識名園(しきなえん)でも見物していこうかと行ってみたが閉園日だった。そこで空港近くにある「パイナップルハウス」で時間をつぶすことにした。
 「パイナップルハウス」は名護のパイナップル園が那覇に出したアンテナショップだ。生パイナップルはもちろん、パイナップルケーキにパイナップルパイ、ジュース、飴玉、チョコレート、ちんすこうといったパイナップル菓子を扱っている。空港から三分という場所にあるので「あっ! おみやげ買いそびれちゃった!」という時の強い味方であろうことは想像に難くない。駐車場にDJBELを停めると、観光客を連れてきたとおぼしきタクシーの運転手さんが「ここはパイナップル食べ放題だから、いろいろ食べてくるといいよ!」と教えてくれた。
 そういうわけで中に入って、店員さんに勧められるまま、カットパインやスナックパイン、パイナップルジュースなど、思う存分飲み喰いしてきた。ろくに買い物もせずタダ喰いするんだから嫌な客だったろう。タダ喰いばかりではなんなので、一本250円のパイナップルソフトも食べてきた。パイナップル果汁入りのソフトクリームで、結構旨かった。

クルーズフェリー飛龍から見る夕陽
クルーズフェリー飛龍から見る夕陽。陽がまた昇る頃には石垣島だ。

 店を出ると午後五時、出航時刻が近かった。新港に行くと「クルーズフェリー飛龍」が接岸していた。待望の八重山行きの船である。搭乗手続きを済ませDJEBELを積み込む。エレベーターで車両甲板からロビーに出ると、国際便らしく、龍をかたどった立派な飾り柱が目に飛び込んできた。龍は沖縄や台湾では縁起物のようだ。
 甲板に出て出航を待つ。周りを見ると旅人らしい方々が多い。用向きの方は飛行機を使うのだろうか、鹿児島名瀬間のような、一般の利用客は少ないようだ。船内の空気もどこか明るい。乗客の多くが、日本最南端の島々、八重山に向けて期待を膨らませているのだ。
 沈みゆく夕陽を眺めているうち、船は沖縄本島を離れていった。しばらく甲板や窓際で海を眺めていたが、酔ってしまい、早めに部屋に籠もって寝てしまった。
 憧れの沖縄本島も、今や自分の見聞としてある。今度はさらに、沖縄本島以上に想像上の存在でしかなかった最南端の島々に向かいつつあるのだ。


脚註

注1・「按司」:地方を治める城主・武将のこと。

注2・「薬臭くて」:創業者ロイ・アレンは薬屋の店員で、病気の友人に滋養のある飲み物を差し入れしようとして、ルートビアを考案した。もともと薬として作られた飲み物だったから、薬臭いのも当然と言えば当然ではある。ついでに、ルートビア以外ではオレンジジュースが評判。

注3・「天本英世」:あまもとひでよ(1926−2003)。俳優。個性派として知られる。「仮面ライダー」の死神博士など、特撮への出演も多い。フジテレビのバラエティ番組「平成教育委員会」のレギュラー解答者としても有名だった。

注4・「八波一起」:はっぱいっき。司会者。東北人には東北限定情報番組「TVイーハトーブ」(2004年春終了)の司会者という印象が強い。父親は脱線トリオの八波むと志。

注5・「サーターアンダーギー」:沖縄のドーナツみたいな揚げ菓子。名前は「砂糖揚げ」という意味。作り売りしている店があるのはもちろん、スーパーではホットケーキミックスと同じ感覚でサーターアンダーギーの素まで売られている。

注6・「山城まんじゅう」:道路拡幅工事と諸事用を理由に2006年2月に閉店している。営業再開予定は未定とのこと。

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