南夢楽園

おーりとーり石垣島

石垣市役所
石垣市役所。日本最南端・最西端の市役所。

 八重山諸島は沖縄本島の南西約400キロほどの場所に位置する島嶼群で、日本最南端の一つにあたる場所である。石垣島を中心に、西表島(いりおもてじま)、竹富島といった、風光明媚な島々に恵まれている。
 実際のところ、日本の最南端は小笠原諸島の沖鳥島である。ところが沖鳥島は小さな岩がわずかばかり海面に露出するのみの無人島で、むやみやたらに上陸できる場所ではない。そこで旅人の間では、よほどこだわらない場合以外、日本最南端の有人島、八重山の波照間島(はてるまじま)が、日本最南端ということにされている。日本最西端の島、与那国島(よなぐにじま)もこの八重山にある。八重山は端っこを目指す旅人憧れの地であり、多くの日本一周を志す者が訪れる土地なのだ。

 一夜が明けると、目の前に陸地が見えていた。八重山の玄関口、石垣島だ。港を中心に街並みが広がり、背の高い建物もちらほらと見える。石垣島は石垣市という一つの市になっている。日本最南端にして最西端の都市なのだ。
 やがて船は入港し、乗客はこぞって荷物をまとめて、下船口に集まっていった。荒井も車両甲板に降り、DJEBELを出す準備をする。他の車もエンジンをかけつつ、下船を待っている。もう降りる気は満々だ。
 待ちきれなくなった頃、搭乗口がゆっくりと開きはじめた。甲板に空気が流れ込んでくる。徐々に岸壁が見えてきた。搭乗口のゲートがじれったいほどゆっくり開いていく。未知の土地を前にすると、わずかな待ち時間でさえ、お預けを喰らったかのように待ち遠しい。
 やがてゲートが開ききると、待ってましたと自動車が続々と降りていった。単車も続いて下船である。ついに石垣島までやってきた。日本最南端と最西端は、もう目の前だ。

ゲンキクール
八重山限定乳酸菌飲料ゲンキクール。作ってるのは八重山ゲンキ乳業。

 昨日の夕方にパイナップルソフトを食べてから何も口にしていない。とにかく腹が減っていたので、街中のコンビニ「ホットスパー」に駆け込み、島特産の乳酸菌飲料「ゲンキクール」を買って、八重山到達の祝杯を挙げた。それから近場の「ほっかほっか亭」の唐揚げ弁当で腹ごしらえをした。「ホットスパー」の弁当売り場はがらがらで、「ほっかほっか亭」も、結構な種類の弁当が売り切れだった。台風の影響で、しばらく材料や商品が島に入ってこなかったかららしい。ここは離島なのだ。

玉取崎 平久保崎
景勝地玉取崎と島の最北端平久保崎。東は太平洋、西は東シナ海。

 手持ちの「ツーリングマップル」には石垣島をはじめとする八重山諸島の地図が載っていなかった(注1)。開いた頃を見計らって石垣市の役場に行き、島の地図や観光案内を手に入れたところで、島一周に出発した。
 石垣島は取っ手付きの手汲み桶のような形をしている。その取っ手の真ん中にあるのが玉取崎で、展望台が整備されてある。そこからは取っ手が海を左右に分けているのがよく見える。
 次には取っ手の先端にある平久保崎に行った。岬の灯台を見下ろす断崖には「石垣島最北端」の看板が置いてある。断崖とはいうものの、本島の辺戸岬や喜屋武岬とは違って珊瑚礁が発達しているため、波は静かなものだ。
 石垣島の最北端は、もはや沖縄本島からははるかに遠い。島影も見えない海原を見渡しては、改めて日本最南端の島々に来てしまったんだと思った。

米原キャンプ場
米原キャンプ場。日差しを嫌ってか、みんな木立の中にテントを張っていた。

 取っ手から桶本体に戻ってすぐのところに、米原(よねはら)キャンプ場がある。北の国設羅臼か鳥沼(注2)に対し、南の米原と称されるほど旅人の間ではその名を知られる無料キャンプ場だったのだが、近年有料化されていた。にもかかわらずキャンプ場は盛況で、旅人の聖地健在といった様子だった。キャンプ場の目の前は砂浜で、サイトは木立になっている。こんな好立地も、今なお旅人を惹きつけてやまないのだろう。
 その他、吹通川(ふくどうがわ)のヒルギ林、石垣島最西端の御神崎(うがんざき)、苦力(クーリー・注3)貿易の悲劇を今に伝える唐人墓など見物して、出発点の石垣港に戻ってきた。
 次に島の中心街を見物した。中心街は島一番の大通り「市役所通り」の東側、港の反対側あたり一帯で、商店や食堂、郵便局に図書館といった建物が集中している。志高湖で秋野さんが言っていた「あやぱにモール」はここにあるアーケード街で、さまざまな店が軒を連ねている。ここには何度もお世話になるに違いない。

御神崎
御神崎。岬の周辺は難所で、海難事故も多かったとか。

 日は高かったが、早めにテントを張ることにした。
 石垣島のキャンプ場といえば、さっき見てきた米原キャンプ場が有名なのだが、荒井が転がり込んだのは、近年旅人の間で知名度を高めている南夢楽園キャンプ場だった(注4)。料金は一泊500円(当時)と米原と比べて高いが、街まで単車で五分のところにあり、それを補って余りあるほど立地がいい。
 管理棟で受付を済ませ、テントを張るとすっかり汗だくで、管理棟前のウッドデッキで休んでいた。ちょうど日陰になっているので、休むのにちょうどよい。休んでいると、さっき受付してくれたおばちゃんがやってきて、冷たい麦茶とモンキーバナナをご馳走してくれた。ごちそうさまでした。
 石垣島は日本最南端の島の一つなので、夏の暑さは相当なものがある。ところが内地ほど湿気がないのと、風のおかげで、日陰にいればかなりしのぎやすい。「山形から来たの? ここも住みやすいところだけどね、雪が降らないものだから。一度生で雪を見てみたいもんだね。」

 夕食は久々にガソリンストーブを取り出し、残り物のスパゲティをゆで、レトルトシチューに突っ込んで喰った。おかずは玉ねぎスープだ。
 石垣島は一周120キロほどで、ゆっくり走っても、半日もあれば十分に一周できてしまう。佐渡島や奄美大島に比べれば小さいが、これからしばらくは、この小さな島が探索の拠点となる。

南夢楽園1

南夢楽園キャンプ場入り口 キャンプ場の様子
南夢楽園キャンプ場。ブルーシート製のタープは長期宿泊者の目印。

 それから数日は雨模様で、キャンプ場と街を往復するような日が続いた。

 石垣島に来て一番驚いたのは、日没の遅さだった。八重山は日本最南端であるばかりか日本最西端の地でもある。だから東に比べると日が落ちるのが遅い。夏場とはいえこの時期の山形では夜八時になればすっかり暗くなるが、石垣島はまだ薄明るい。時差がある国というと、アメリカやロシアといった広い国を思い浮かべるが、通称島国の日本でも、実質的にはこれほど時差がある。
 そして非常に寝苦しかった。テントの入り口を閉めっぱなしで寝ていると、中に熱気が籠もる上風通しも良くないから、すぐに汗だくになる。
 だったら開けて寝ればいいのだが、キャンプ場には大人のこぶし大もあるような大ガエルや、体長30センチ、人差し指ほどの太さを誇る巨大ミミズなどが生息している。こんな連中に夜這いを仕掛けられるのは荒井の趣味じゃない。
 そういう時のためテントには通風口という便利なものがついているのだが、荒井のテントの通風口には、虫除け用の網が付いていなかった。だから全部閉めっぱなしにして、暑さにうんうん唸りつつ、汗だくになりながら寝ることになった。
 たまらなくなったら、キャンプ場のシャワー室に飛び込む。コンクリートづくりの小屋で、下に簀の子が敷かれただけの簡便なものだ。ふと足元を見てみると、さっきの大ガエルがお邪魔していたりする。
 せっかく汗を流しても、テントに戻ればまたすぐに汗だくになる。おかげで洗濯機にも何度もお世話になった。

大ガエル
件の大ガエル。夜になると野太い声でボーボーと大合唱する。

 受付のおばさんによれば、このキャンプ場、夏より冬の方が繁盛するらしい。この日は20張りほどのテントが張られていたが、冬場はこれが60張りに増えるとか。冬ごもりの旅人が集まるのはもちろん、夏よりも冬の方が野宿しやすいという八重山ならではの理由があるのだ。

 夜明けて。激しく雨が降っていたりする。そういう時はキャンプ場の談話室に行き、何の気もなく備え付けの本などめくっていた。周りでは同じように徒然をもてあました旅人が、おしゃべりなぞしながらテレビを見ていた。離島のせいか電波状態がよくないようで、映像はノイズ混じりだった。
 キャンプ場では食堂もやっていて、かき氷や八重山そばなど、件のウッドデッキで簡単な食事をとることもできる。八重山そばは沖縄そばの仲間なのだが、沖縄そばよりも細目の麺を使い、具のかまぼこや豚の三枚肉も細切りになっているのが違っている。

 こちらのウッドデッキにも、出入りの方が何人かいて談笑している。くつろいでいると、キャンプ場の管理人さんや出入りの方々が、様々な食べ物を勧めてくれた。
 ヘチマことナベラーの煮物は、沖縄ではよく食べられている。ぶつ切りにしたヘチマの実がポーク缶と一緒に煮込んである。ヘチマは大根とジャガイモの合の子のようなかんじだった。作りすぎたようで、翌日はご飯を入れて雑炊になっていた。
 「こういう果物は、現地に来て、現地でじかにもいで食べるのが一番旨いんだよ!」というグァバやレンブは南国ならではの果物だ。グァバにはバンシロウという和名があって、暖かい八重山地方では普通に実るそうだ。レンブは見た目はイチジクに似ているが、食べた感じは林檎か梨のようである。傷みやすいので本土の方には出回らない。どちらも薄切りにして、沖縄名産干し梅と和えると、気の利いた酒のあてになる。
 目の前の海で採ってきたという貝はコンロで炙って醤油を垂らして食べた。「このあたりでは、食べ物は海に獲りに行くというかんじだね。」 ところ変われば。山形では山で山菜を採るように、八重山では海で魚や貝を獲るのが当たり前のようなのだ。お礼が遅れましたがどうもごちそうさまでした。

 キャンプ場利用客の多くは旅人だ。荒井のような単車乗りはもちろん、自転車旅の方々、ドミトリーがわりに利用しているバックパッカー、徒歩旅人など、その種類はさまざまだ。老若男女もさまざまで、中には八重山を巡りに巡ってやりますよと意気込む自転車乗りのご老公もいた。
 特に目立つのは長期宿泊者の方々だった。テントの前には工事用のブルーシートを利用した即席タープが張られてあり、その下には折りたたみ式のディレクターチェアやコッヘル類が並べられてあるので一目でそれと分かる。独特の近寄りがたい雰囲気が漂っているか、ある時夕食を作っていると、隣のテントの長期宿泊者の方が「これ食べていいよ!」と、ご飯とお手製のすまし汁をお裾分けしてくれた。すまし汁は豚ロースの薄切りと、「てんぷら」こと魚のすり身揚げを入れた豪華仕様で旨かった。ごちそうさまでした。
 長期宿泊者の方々には、キャンプ場に寝泊まりして宿代を節約しつつ、近場に働きに出ているという方も多い。そうして資金が十分に貯まった頃、また旅に出るのだ。こういうことができるのも、南の果ては北の果て同様、旅人の受け入れ態勢が進んでいるからなのだろう。


脚註

注1・「八重山諸島の地図」:2003年度版以降の「ツーリングマップル」には、離島の地図も収録されている。

注2・「鳥沼」:北海道富良野市の鳥沼キャンプ場のこと。旅人の間で屈指の知名度を誇る無料キャンプ場だったが、2003年10月に閉鎖された。

注3・「苦力」:中国人下層労働者のこと。19世紀、帝国列強諸国の植民地を中心に、奴隷に代わる労働力として重労働に使役された。

注4・「南夢楽園キャンプ場」:その後2006年1月をもって閉鎖した。


荒井の耳打ち

旅人の便利アイテム〜ブルーシート

 よく野宿ツーリング入門本などでは、工事用の防護シート、通称「ブルーシート」「ドカシー」が便利だよと紹介されています。防水性が高く、テントの下に敷いたり、あるいはフライやタープがわりにすると、テントを汚れや痛みから守れます。ホームセンターですぐ買えますし、安いので破れても惜しくありません。見た目はかっこわるいのですが、長旅をするなら便利なことこの上ない品です。しかし見た目が怪しく、特に地元の方々に不安を与えてしまうことも覚えておきましょう。

旅人の便利アイテム〜ディレクターチェア

 折りたたみ式の椅子も、愛用者の多い一品です。テントを張った後など、キャンパーどうし集まって、外でご飯を作ったり、酒を飲んだりするときなど、地べたに座る必要もなく、快適に過ごすことができます。
 やはり荷物になるので、荒井は持ち歩きませんでしたが、荷物になっても、がんばって持ち歩く人もいるほど人気のある品の一つです。

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