最果ての珊瑚礁

日本最南端

波照間島の西浜
波照間島の西浜。青い海に魅せられる人多し。

 八重山に来て六日目。波照間島に渡る日になった。フェリーに間に合うよう、朝六時に起きてテントを畳む。いざ出発しようとすると小雨になった。「出発という時に雨とはやる気がそがれるね。」と、自転車乗りのご老公がリポビタンDをくれた。ありがとうございます。
 リポビタンDで景気づけをして、小雨をものともせず出発した。港に近い「ホットスパー」で、牛乳とハンバーガーの朝食にする。船に乗る前に燃料も補給した。フェリー発着所の離島桟橋に着く頃には、雨もすっかり止んでいた。

 券売所で往復分の切符を買い、船員さんにDJEBELを積んでもらった。他に積み込まれているのは、旅人のものらしい自転車とトラクター。フェリーとはいえ、乗用車はごく少ない。
 船は間もなく出航した。船室の一角で、旅人二人が話に興じている。仲間に加わろうとあいさつすると、意外な答えが返ってきた。

 「あれ? 薬研でお会いした方ですよね?」

 実はこの方が旅野正人(たびのまさと)さんで、去年下北の国設薬研野営場で一緒になった自転車乗りの旅人だった。そういやどこかで見た覚えがある。なんたる偶然、本州最北端に近いキャンプ場で出会った旅人と、その後全く別な道をたどりながら、日本最南端行きのフェリーで再会するとは。
 久々の再会にあれこれ話もしたかったが、船があまりに揺れるので、次第に口数が減っていく。八重山のフェリーは揺れると評判で、すぐ船酔いするという。特に与那国島行きのフェリーは「ゲロ船」なる、ありがたいんだかありがたくないんだかわからない称号さえ与えられている。

 ところで、旅野さんとはその後阿蘇でまた再会することになった。日本一周の旅をしていると、申し合わせたわけでもないのに、こうして偶然の再会を果たすことがたびたびある。日本は広くて狭い。

 かくして出航から2時間。船は波照間島に着いた。
 港はやたら静かで、待合所に簡単な喫茶店がある以外、みやげ屋の類は一つもなかった。陸の方を見やっても木しか見えない。最南端なのに浮かれた様子がないのは、最北端宗谷岬とえらく違っていた。
 DJEBELを受け取り、とりあえず島を一周しようと走り出したら、すぐに島の最南端、高那崎(たかなざき)に出てしまった。

日本最南端之碑
高那崎と日本最南端の碑。波照間の波照間たる由縁。

 有人最南端の地は、隆起珊瑚礁とおぼしき、ごつごつした穴ぼこだらけの岩場だった。ここにもみやげ屋はなく、南十字星が見えるという天文台と、四阿がひとつあるきりだ。他には最南端の地であることを示す記念碑がいくつか。あっけない到着にやや拍子抜けしたが、これで三番目の日本の端っこにも到着である。
 波照間の名前は「パティローマ」、八重山ことばで「最果てのうるま(珊瑚礁)」を表す。そのとおり、目の前には水平線があるだけで、日本でこれより南に人の住む場所はない。ついに南に来られるところまでも来てしまった。

 ひたすら海を見ていると、自転車に乗った旅人の方がやってきて、写真を撮ってくださいと頼まれた。長谷部さんと名乗る彼も日本一周の途中で、新潟まで行ったものの寒さに参ってしまい、一転して南に来たそうだ。彼もここに来たことが感に堪えないようで、もう一枚、もう一枚と、構図を変えては何度も撮るよう頼まれた。

 撮っている最中、彼はしきりにこうつぶやいていた。

 「たぶんここに来るのは、これが最初で最後になるんだろうなぁ。」

 行こうという意志と努力と幸運。八重山の住人でもない限り、どれが欠けてもここには来られない。来る場所ではなく、行く場所なのだ。知ってか知らずか、それを乗り越えて旅人はここを訪れる。

西浜荘
西浜荘。港や西浜にも近い。

 海を見ているうち日が傾いてきた。運良く島の北側にある「西浜荘(にしはまそう)」に宿が取れた(後でわかったことだが、波照間島で飛び込みで宿を取るのは難しいことだったらしい)。受付に出てきたのは元旅人とおぼしき、若い女の子のヘルパーさんだった。
 西浜荘はドミトリーで、素泊まり一泊2000円と料金は高めだが、そのかわり白飯食べ放題のサービスがある。建物は平屋建てのコンクリート小屋をいくつか集めたもので、いかにも安宿といった作りだが、居心地は悪くない。

 夕食は島の中心部、冨嘉(ふか)にある「青空食堂」に食べに行った。名前の通り客席は青天井で、店の真ん中では盛大に焚き火が焚かれているという、南の島情緒満点の店である。客は旅人と仕事帰りの工事関係者が多かった。
 店員のお姉さんに勧められて、本日のおすすめ刺身キムチ丼を食べることにした。キムチで作った白身魚の漬け丼で、付け合わせは柴漬けと、クーブイリチャーこと細切り昆布の炒め物。あとはたまごとアーサのスープ。アーサは沖縄でよく食べられている海藻だ。
 集落の共同売店で「泡波」の小瓶と、かっぱえびせんを仕入れてから宿に戻った。「泡波」は波照間産の泡盛だ。仕込む量が少ないのと島民の間にしか出回らないせいか一部で「幻の酒」として珍重され、島を出ると目玉が飛び出るような高値で取引されるらしい。

 宿に戻ると、泊まり客の皆さんが宿の前の道路で夕涼みをしていた。日本最南端波照間島では、2月から6月にかけて南十字星が見られる。見えないかなとみんなして空を見上げていたが、雲が多くて見えなかった。
 酒を片手に雑談に興じていると、いつの間にか仕事帰りの地元の方が加わっていた。宿はオジーと呼ばれる海人の老人が所有していて、オジーを訊ねて島の方々も何人かやってくる。ポイント情報や仕掛けなどの釣り指南を仰いだり、地域の仕事の話をするためなのだが、そのついでに旅人に混じって雑談しつつ、一杯やっていくのだ。話に興じていると、おもいがけず発泡酒までおごっていただいた。どうもごちそうさまでした。
 噂の「泡波」はよく言えば素朴、悪く言えば洗練されておらず、とびきり旨いというほどでもない。那覇で飲んだ泡盛よりも味がきつかったが、どのあたりが幻なのか、味だけではわからない。宿にやってきた地元の方は、石垣島で作られている泡盛「八重泉」を、さんぴん茶で割って飲んでいた。曰く「『八重泉』の方が旨いよ!」とか。
 こんな調子で夜が更け、寝たのは十一時近くだった。星は見えなかったが、楽しいひとときを過ごした。

波照間一周

 朝七時頃起きる。朝食は宿の白飯食べ放題サービスを活用して、ごはんに手持ちのなめ茸とかつお節を振りかけて喰った。
 洗濯を片づけ一休みしてから、歩いて島を探索することにした。一周道路は約14キロ。一日あれば十分廻りきれる距離である。宿でビーチサンダルを借り、気軽に歩き出した。

波照間の山羊
波照間の山羊。小さな島でもそこかしこで山羊が飼われている。

 まずは港に出る。石垣島との間には高速船が毎日数便就航していて、多くの旅客が訪れては、その日のうちに帰って行く。日本最南端の地を踏んでいくのが一番の目的だ。高速船なら波照間島は石垣島の日帰り圏内で、泊まらずに日帰りする人も多い。
 島の北西部は林がちで、わずかばかりの草原で山羊や牛が放し飼いにされていた。琉球圏では牧畜も盛んで、小さな島でもこのように山羊や牛がいる。特に山羊肉は琉球名物の一つで、山羊料理を食べさせる店も各地にあるが、奄美で会った久保さんは「臭くて内地の人には喰えたもんじゃありません。」と言っていた。

ぶりぶち公園
謎のぶりぶち公園。その正体は城塞の遺跡。

 島の北側にある「ぶりぶち公園」に行ってみた。公園というぐらいだからきちんと整ったところで、休める場所の一つぐらいあるだろうと思っていたが、果たして現れたのは、どこが公園だかわからない林だった。崖っぽい林の一角が申し訳程度に切り開かれていて、何脚かぼろいベンチが置いてある。その後ろにはうねうねと根っこを伸ばした大木が茂り昼なお暗く、ハブが出てきそうな気配さえ漂う(注1)。ビーチサンダルでおそるおそる林に足を踏み入れたが、他には石積み以外に何もなく、「ぶりぶち公園」の石碑がなければここが公園だとは判らなかった。
 その石碑によれば、公園は沖縄の本土復帰を記念して、地元の老人クラブが整備したものらしい。しかし休んでいる人もなく、いったい何の公園なのか、謎は深まるばかりだった。

シムスケー
古井戸シムスケー。水は今でも貴重な資源。

 島の北東に来ると、今度はサトウキビ畑が目立ってきた。製糖は島の主要産業の一つだ。サトウキビ畑は島の相当な広さを占め、西浜荘のそばには小さな製糖工場も建っている。北海道の十勝地方では、何度か甜菜糖工場の大きなタンクを目にした。日本の北と南の端っこでは、同じく砂糖が作られているのである。
 古井戸「シムスケー」は、サトウキビ畑を割り入ったところにある。その昔牛が発見したという井戸で、大干魃になってもここだけは水が涸れず、島の人々の命を救ってきたという伝説がある。その発見牛の死後、シムスケーのそばには牛の肝臓を模した石が置かれ、長くその功績がたたえられたそうな。シムスケーの底には今でも水が溜まっていたが、淀んで飲めそうにない。肝臓石もどこにあるのかよくわからなかった。
 波照間島は隆起珊瑚礁、つまり石灰岩でできた島なので、異常に水はけがよく地表に水がとどまらないため、水不足に悩まされてきたそうだ。島のあちこちには農業用の溜池があって、シムスケーの隣にも一つある。水が貴重なのは、今も昔も変わらない。一方で石灰岩質のおかげで地質がアルカリ性を帯びるせいか、波照間産サトウキビで作った黒糖は、八重山一旨いと評判になっている。島の北側にはコンクリート工場もあって、コンクリートの原料となる石灰石を掘っている。ついでに地味がアルカリ性であるため、波照間でパイナップルは育たないそうだ。
 シムスケーから島の東にある波照間空港までは、いま少し歩かなければならなかった。この島、とかく道を行き交う車が少ない。車がまとまって停まっていると思ったら、そばの畑で農家の方々が草刈りをしていた。こんな具合に、島で見かける車はおおかた農作業用か民宿の送迎用で、スポーツカーやセダンが得意げに走り回っているところは一つも見なかった。現代の必需品となった車でさえ、この島ではあまり出番がない。

サトウキビ畑と貯水タンク
島中央部のサトウキビ畑と貯水タンク。島がどういう場所か悟った。

 波照間空港は「空港」とはいうものの、平屋建ての待合室兼搭乗所、どうやって離陸するのか不思議になるくらい短い滑走路、それに小さな機械室があるばかりという、簡易離発着所と言った方が的確なものだった。飛行機は一日一便、石垣島との間に往復便が飛んでいるだけである。
 ちょうど出発時刻が近づいていた。その平屋建ての待合室は搭乗手続きの真っ最中で、検査官が携帯金属探知器を片手に、手荷物検査をしていた。乗客は個人旅行者ばかりが数名、皆なにがしかのスーツケースやデイパックを手にしているのでそれとわかる。検査とは言っても、搭乗客とわいわいおしゃべりをしながらと言った調子で、南の島の小さな空港らしいものである。
 駐機場を見てみると小さなプロペラ機が一機停まっていて、離陸を待っていた。写真に収めようとデジカメを取り出すと、そこにいたお巡りさんが「撮るんだったら、こっちの方がよく見えますよ。」と、滑走路脇の金網のところを案内してくれた。
 搭乗客がすっかり乗り込むと、飛行機は駐機場を出て一旦滑走路の端まで自走していき、そこでUターンしたかと思うと来た方向に勢いを付けるように助走して、滑走路の中ほどで浮かび上がると高度を上げ、そのまま空へ飛んでいった。なるほど、こうして離陸するのか。
 小さな島だからこれぐらいの大きさで間に合ってしまうのだろうが、島にとっては重要な空の玄関口であるようだ。空港の前には「小さな飛行機に大きな夢乗せよう」と、利用を促す看板が置かれてあった。

波照間空港の飛行機
就航しているのはこんな飛行機。

 ところで、波照間島には日本最南端の駐在所もあって、お巡りさんが一人詰めている。空港の見回りは一日の大事な仕事の一つなのだそうだ。お巡りさんが空港の見回りにやって来るのも珍しいが、この数年前、島で観光客同士の不幸な殺人事件があって、その犯人が野宿者だったものだから、以来旅人の出入りには気を遣う部分があるわけだ。
 誤解を招かぬよう断っておくと、事件は一人の非常識な輩が起こしたことだ。島自体は至って平和で、こちらに良識あるかぎり、旅人を歓迎してくれる。

 昨日も来た高那崎で、また海を見た。
 ここから北回帰線まで65キロと530メートル。その先にはフィリピンがあって、全く異なる言葉を話す人たちが住んでいる。最果ての珊瑚礁の島からは水平線以外に何も見えなかったが、ここまで来ると、その異国の地もそう遠い気がしなかった。その昔八重山の人々は、波照間のはるか南のどこかに楽土があると信じていたという。昔の人も、きっとこんな気持ちで海を眺めていたに違いない。
 島の西にはサトウキビ畑と牧場が広がっている。日本最南端とはいえ、波照間は基本的に農業の島であって、島に住む人の多くは浮かれることもなく暮らしている。旅人はそんな島に、しばしお邪魔しているだけなのだ。

青空食堂
青空食堂。店主は島に渡ってきた大阪の方だそうな。

 いつの間にか日は高く昇り、強く照りつけていた。あたりは畑ばかりで、一息付けそうな木陰や軒先の類はない。ビーチサンダルも鼻緒ずれしかけている。へぇへぇ言いながら歩いた末、青空食堂に着いたのは二時近くだった。出発以来飲まず食わずで歩いていたせいか、だいぶのども渇いていたので、料理が運ばれて来るまでの間に、ポットごと運ばれてきたさんぴん茶を半分空にしてしまった。注文した豚生姜焼き定食を一気呵成に喰うと疲れが出て、テーブルに突っ伏して少し寝た。青空食堂さんごめんなさい。

 宿に戻りさらに2時間ばかり昼寝した後、思い出したように西浜に出かけた。
 西浜は島の北西にある砂浜で、波照間一番の名所だ。八重山一と言われる青い海が広がり、沖では心ゆくまで珊瑚礁を楽しむこともできる。
 夕方だったので泳いでいる人は一人もいなかったが、それでも浜辺では女の子たちが何人か遊んでいたし、浜の入り口にある四阿で読書にふける人もいた。荒井は波打ち際をぶらぶら歩くだけだったが、足下には珊瑚のかけら、大きな流木、波に洗われたペットボトル、海草、ヤドカリ、星砂など、様々なものが転がっていて飽きなかった。

 宿に戻ると昨日と同じく、泊まり客の皆さんが表に出て「南十字星は見えないかなぁ。」と夕涼みをしていた。泊まり客は男女が半々ぐらい、荒井以外の男の泊まり客は、八重山にシュノーケリングやトレッキングに来たという中年の方と、甚平を着た若い自由旅行者の方だった。中年の方は昼間は西浜でシュノーケリングに興じていたそうで、甚平の方は三線の練習をしていたそうだ。「その土地に来たら、その土地の文化を楽しまないとね。」
 昨日と同じように、仕事帰りの島人がやってくる。そして旅人に混じって、おしゃべりしながら一杯やっていく。歓談は果てることなく続いた。
 猥雑で野暮なものはここにはない。あるのは島と海だけだ。それ以外は何も要らない。旅人はそれがよくてここに来て、思い思いに時を過ごす。

 この日も南十字星は見えなかった。それでもよかった。

波照間島のマンホール
波照間島のマンホールの蓋。日本最南端の島では南十字星さえ見える。


脚註

注1・「ハブが出てきそうな気配」:波照間島にハブはいません。


荒井の耳打ち

宿の確保

 過去にあれこれ問題があったため、八重山ではキャンプ場以外での野宿が禁止されています。キャンプ場は石垣島と西表島にしかないため、その他の島では屋根の下に泊まることとなります。泊まりがけで島に渡る場合、宿が満杯で泊まれないという事態を避けるため、あらかじめ宿を確保してから渡ることをおすすめします。荒井は運良く飛び込みで宿が取れましたが、今考えれば無謀な行為です。
 ちなみに民宿は簡素な素泊まり宿から、豪華夕食が売りの宿までさまざまです。観光案内や旅人の口コミなどもどうぞご参考に。

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