ヤマネコ棲む島

ヤマネコ棲む島

安永観光「ぱいかじ」
小型フェリー「ぱいかじ」。平成14年進水。排水量19トン。

 フェリー「ぱいかじ」は、波を切って快調に進んでいる。目の前には目指す西表島が大きく見えるが、それでも石垣島からは一時間ほどの船旅である。まつや旅館のおかみさんは「何もないけど、西表島はいいとこだよ〜。」と言っていたが、どんなところなんだろう。ヤマネコが棲んでいることぐらいは知っているけれど。

 もともとは波照間島から戻った次の日、つまり昨日西表島に渡るつもりだったが、船をつかまえられず、翌日便の予約だけして一日待つことになった。そのおかげで今日は無事、こうして西表島に向かっているわけだ。
 フェリーとはいうものの、「ぱいかじ」は高速船を改造したような小さな船で、客席も車両甲板も見事にむき出しだ。たまに波が飛び散って、しぶきが二階の客席にまで飛んでくる。波が大きいとそれに合わせて大きく揺れた。下手なジェットコースター真っ青だ。

勝連さん
道中お話を伺った勝連さん。離島の工事には離島ならではの苦労が。

 同乗していた工事関係者の方に話しかけられた。お名前は勝連さん。橋を造るため西表に行くところだ。お話を伺うと、離島ならではの工事の苦労話をしてくれた。
 離島での建設工事は資材はもちろん、重機も本土から運んでこないといけないため、準備からして一苦労なのだという。そういや車両甲板に積まれているのは、車よりも土木工事用の特殊車両や資材が多かった。「専用の船で一式持ってくるんですよ。それと作業員の多くは石垣島に住んでますから、工事が終わったら帰らなきゃいけないでしょう? 帰りの船便に間に合わせないとだめだから、作業時間も限られてくるんですよ。」

 やがて船は西表島の東にある大原港に着いた。すっかり波を被ったDJEBELとともに西表上陸を果たした。
 大原は西表の東では最も開けた集落なのだが、観光地らしいものといえばレンタカーの営業所と、さっき下船してきた船の待合所があるぐらいなもので、あとは地味な民家が並ぶばかりだった。

 西表島は八重山最大の離島だ。特別天然記念物のイリオモテヤマネコに象徴される豊かな自然に恵まれ、「東洋のガラパゴス」(注1)と呼ぶ人もいる。西に表と書いて「いりおもて」。かなり変わった読みだが、その理由は奄美で松尾さんから聞いていた。琉球方言では、日の沈む場所だから、西を「いり」というのだ。
 ついでに南は「はえ」で北は「にし」という。「ぱいかじ」とは「南風」のことだ。波照間の「西浜(にしはま)」は「北の砂浜」という意味で、島の西にあるわけではない。東は「あがり」だ。沖縄には「東江メガネ」と書いて「あがりえめがね」と読む眼鏡屋もある。内地人にはまず読めない。

 手始めに、その南風見田浜と書いて「はえみたはま」と読む、島の南にある砂浜に行った。大原を出て、サトウキビ畑を縫って道なりに南に走った突き当たりだ。
 浜にはキャンプ場がある。ここにも長期連泊者のものとおぼしきブルーシート製のタープが張られてあった。なんでもその昔、このキャンプ場に籠もっていた長期連泊者が一向に外に出てこないので、不審がった地元住民がテントを覗いてみたところ、中で餓死していたという。
 都市伝説めいた話だが、安っぽい青色タープを見ていると、さもありなんという気がしてくる。八重山には北海道同様、旅人が填ってしまうような何かが確かにある。

忘勿石記念碑と識名信升像
忘勿石記念碑。南風見田浜から対岸波照間島を見渡す。

 キャンプ場の手前には「忘勿石」(わすれないし)がある。道路から浜に出て300メートルほど歩くと、ひときわ立派な石碑のわきに「忘勿石 ハテルマシキナ」と刻まれた岩がある。碑は岩の由緒を記したもので、大戦末期にこの地を襲った悲劇が綴られている。
 見てきたとおり、沖縄本島は戦場となって多くの人が亡くなった。本島から離れた八重山は戦場になることはなかったが、やはり戦争で多くの人々を失っている。忘勿石はその災禍を今に伝えるものなのだが、詳しくは後で書くことにする。

 南の果てを極め、今度は反対側の果てを目指して走り出した。西表島は東岸と北岸に沿って道が走っているだけで、一周道路はない。集落は道に沿って点々とあるばかり、島の奥には全く未開の地が広がり、毎年何人かの遭難者が出ているらしい。そういや南風見田浜のキャンプ場には、入山届けのポストや、西表横断トレッキングに出かけたまま行方不明になった人の消息を尋ねるビラもあった。

 再び大原を通過して北に行くと、すぐに仲間川の河口を渡る。大きな橋が架かっていて、たもとにはイリオモテヤマネコの像が鎮座している...というか寝転がっているようにしか見えない。
 西表野生生物保護センターは島の東にある。ヤマネコをはじめ、西表島の豊かな自然に関する展示が見られる。ヤマネコの飼育保護もしているが、佐渡のトキ保護センターと違い、飼育ケージは直接見られない。無論ヤマネコサブレやヤマネコキティちゃん(元々猫だろ)が売られている気配もない。
 家猫との大きな違いは寸胴な太い尻尾だ。生息域は海に近い低い山域。西表島の車道や集落はみんな海に近い。だからそこまで下りてくる。センターには野生生物目撃情報地図があって、ヤマネコ目撃例もいくつかあったが、どれも里に近かった。北海道でヒグマに遭遇すれば語りぐさになる。八重山だったらヤマネコだ。
 西表の道端には「イリオモテヤマネコ飛び出し注意!」の看板がいくつも立っている。年に数匹、自動車に轢かれる哀れなネコがいるらしい。轢かれてぺしゃんこになった猫は日本中で見かけたが、ここの場合、それが特別天然記念物だったりするのだからわけが違う。
 ヤマネコが直面する危機は交通事故ばかりではない。里の近くに住んでいるものだから家猫から変な病気はもらってしまうし、犬に追い回されることもあるそうだ。特別天然記念物とはいうものの所詮猫、生息環境は決して良好ではない。
 その後、西表では尻尾の太い猫が車道に飛び出してこないか、今か今かと待ちかまえながら走っていたが、やっぱりというか出てこなかった。

由布島の牛車 牛車乗り場のマングローブ
由布島行きの牛車とマングローブ林。牛車そっちのけでマングローブ林ばかり見ていた。

 保護センターからしばらく走っていると、右手に由布島が見えてきた。島とこちらは砂州でつながっている。干潮時はもちろん、満潮時でも水深1メートルほどにしかならないので、歩いて島に渡ることもできる。
 向こうから牛車を牽いて水牛が何頭もやってきた。由布島に渡るときは牛車に乗るのが普通で、観光の目玉となっている。牛車が大挙してこちらにやってくる様子は古代ローマの戦車競争さながらだった。料金は往復で1500円(注2)。西表島との距離は400メートルほどなのでいい値段である。
 にもかかわらず牛車は大繁盛で、しかも牛車がこちらに近づくと、待ちきれなくなった観光客たちが「乗りま〜す!」と、我先にとそちらに駆けだしていった。荒井は「この先にはみやげ屋しかねさそうだな。」と思ったので、渡るのはやめといた。

 牛車乗り場の付近はちょっとしたマングローブ林になっていて、こちらだけでも見応えがあった。生えているのはマヤプシギらしい。筍のような呼吸根の下ではシオマネキが大きなはさみを振っていたり、「トントンミー」ことトビハゼがぴょんぴょんはね回っている。木陰をびっしり覆い尽くす巻き貝はウミニナだ。ほんの芥子粒のようなものから、親指ほどの大きさのものまでさまざまいる。ウミニナは地表に落ちたマングローブの葉を食べるので、木の下にいればうまいこと食事にありつけるというわけだ。
 葉を食べる貝やカニは地面をきれいにする。それが鳥やけもの餌になるといった具合に、マングローブ林には食物連鎖による生態系ができあがっている。マングローブ林は全世界的に大きな割合を占めていて、山林とともに地球の環境保全に一役買っているのだが、ここではその一部を目の当たりにできる。

 島の北岸をしばらく走り、「海中道路」ことピナイ川河口の干潟にかかる橋を渡ったあたりから集落が目立ってくる。西表島は東より西の方が開けていて、観光開発も西部の方が進んでいる。とはいえ商店や民宿が東より多いという程度で、田舎なことに変わりはない。
 「星砂の浜」は西部随一の名勝だ。沖では多くの方々がシュノーケリングに興じている。その名前に惹かれて見物してみた。岩がちの浜の所々に、砂が散らばっている。ひとすくい手に取ってみると、なるほど、その名の由来星砂が混じっていた。
 あまりに多くの人が訪れるせいか、砂浜は足跡がいくつも付いてまだらになっていて、色もくすんでいた。件のリゾート開発は星砂の浜の近く、月の浜で進められていた。工事現場の目の前には、アカウミガメが産卵に来るという砂浜が広がっている。人もこの自然に魅せられてやってくるが、それは必ずしも歓迎すべき事とは限らないのかもしれない。

 島一番の大河、浦内川を渡った西岸の祖内(そない)集落には、子午線ふれあい館がある。近年、東経123度45分6.789秒の子午線が祖内を通過していることが判明して、それを記念して建てられた。特に何があるわけでもないのだが、極点大好きな旅人としてはぜひ押さえておきたい。
 東経123度45分6.789秒の子午線が通過する地点には、直角三角形型のモニュメントが建っていて、夜になるとレーザー照射で光の子午線を描くというふれこみだ。
 納沙布岬が東経145度49分。八郎潟が140度。明石市が135度。そして西表島の祖内が123度45分あまり。その差約22度。なるほど、ずいぶん西まで来たわけだ。

 島の西端、白浜は祖内からすぐだった。学校や民宿、交番こそ建っていたが、賑やかなところではない。車道の果てはゴミ捨て場になっていた。これだけ自然に恵まれた島でありながら、ゴミ処理施設はこれだけらしい。昔はそれでもよかったのだが、生活様式は様変わりし、観光客も増えた。さすがにこのままではいけないと、その後島には新しいゴミ処理施設が建てられることになったそうな。
 西表島はその豊かな自然で人を惹きつけているが、一方で危機的状況にある。リゾート問題といい、ゴミ問題といい、西表島が乗り越えなければならない課題は多い。ヤマネコのいない西表島は、もはや西表島ではなくなってしまう。

ユニマットリゾート建設現場
建設中のリゾート施設。完成した今もなお開発問題の象徴。島はどのような未来を選ぶのか?

 この日は、白浜からだいぶん戻ってピナイ川の河口、上原集落にある「ミトレア果樹園キャンプ場」に泊まった。その自然に魅せられたオーナーの方が西表島に移住してきて、幾多の苦難を乗り越えつつ「今に見とれや」の根性で開設したからこの名があると言われている。レンブの木に囲まれてちんまりとしているが、テントが張れる場所は方々にあって、見かけよりも定員は多い。常設テントもあって、この日は島に遊びに来た女の子一団が利用していた。
 簡単な夕食を済ませてから談話室に行く。談話室とはいっても、テーブル付きの四阿だ。他のキャンパーの方々はもちろん、先日西浜荘で一緒になった中年の方も来ている。荒井同様、波照間の次に西表島に渡ってきたらしい。皆で誰かが差し入れしてくれた珍味の夜光貝などつつきながら、遅くまで旅の話で盛り上がった。

マリユドゥの滝

レンブ
レンブの実。八重山ではよく見かけるが、本土にはあまり出回らない。

 六時半に目が覚める。あいにく朝食になりそうなものを切らしていたが、ちょうど場内至る所にレンブがなっている。二個ばかりもいでそのままかじり、朝食の代わりにした。

 他の面々もおいおい起き出して談話室に集まり、朝からだべりあう。
 テーブルを見ると、やけに丸っこい亀が一匹載っかっていた。腹の部分がちょうつがいのような蓋になっていて、見事にぴったりと頭や手足がしまわれているのは、よくできた超合金(注3)か変形ロボットの玩具を見るようだ。キャンパーの一人は「あ〜、セマルハコガメだよ。」と、こともなげに言っている。
 セマルハコガメは西表に棲む陸生の亀で、天然記念物になっている。「そそそ、そんなたいそうな動物がこんなところにいるんですかい!?」と訊いてみると、このキャンプ場ばかりかあちこちにゴロゴロしているそうで、島では珍しくもなんともないらしい。

 テントは張りっぱなしにして、九時頃にキャンプ場を出発した。目的はマリユドゥの滝見物だ。
 西表島には数々の名瀑がある。中でもマリユドゥの滝は西表を代表する滝で、日本百名瀑にも選ばれている。そこまでは舟で8キロ浦内川をさかのぼり、さらに30分ほど遊歩道を歩いていかなければならないが、遊歩道の入り口までは観光業者が舟を出しているので、こちらを利用すれば、比較的気軽に滝まで行けるのだ。
 舟着き場は浦内川の河口近くにある。待合室では利用客が十数名、次の舟の出発を待っていた。利用客は圧倒的に若者が多い。業者の方も若い人ばかりだ。おそらく観光客として西表に来て、島に魅せられた方々がこうして仕事をしているのだろう。
 時刻になって、全員が舟に乗り込んだところで出航した。荒井の地元、最上川舟下りの舟に毛が生えたような小舟である。ところが見える光景はまるで違う。左右にそばだつのは最上峡ではなく、背の低い密林だ。浦内川は川幅も広いので、昔テレビで見たアマゾンの秘境のような気さえしてくる。日差しは強かったが、川面は風のおかげでだいぶん涼しい。
 時折速度をゆるめては岸に近づき、ガイドさんがあたりに生えているマングローブの説明をしてくれる。見渡す限りマングローブ、浅瀬のそこかしこにも幼木が生えている。見事なマングローブの森である。

展望台から見るマリユドゥの滝
マリユドゥの滝。「丸い滝壺のある滝」という意味。

 やがて舟の入れない岩場に突き当たった。終点「軍艦岩」だ。ここから先は舟を下り、滝まで歩いていくことになる。
 乗客一同、ガイドさんに続きぞろぞろと行列をなして遊歩道を歩く。よく整備された山道で、ゆるやかな登り坂が続いた。左右にはシダや木も目立つが、登りづらいということは全くない。足下の石はすっかり磨り減っていた。
 とはいえ密林の中には違いない。ヒルや毒虫が出るというので、山シャツに長ズボン、軽登山靴という装備(いつもの旅装備なのだが)で臨んだのだが、他の客はみんな半ズボンにTシャツ、女の子だったらキャミソール、足はサンダル履きという軽装ばかりだった。「ヒルさ咬まっても知ゃねぞ?」と密林の中を歩くこと30分、待望のマリユドゥの滝に到着した。
 川の方に降りていく。水は岩の切れ目のところどころで流れを変えながら、段々と下の方に落ちている。滝から離れた淀みでは子供が水遊びをしていた。水の落ちているところを眺めてみるが、上の方から滝壺を見下ろす形になるので、その全容はよく見えない。白糸の滝や矢研の滝のような眺めを期待していたので、やや肩すかしを食らってしまった。落差は16メートルある。見た目そう高そうでもなかったが、勢いは相当なものだから、落ちれば一大事になる。

カンビレーの滝の甌穴
甌穴。カンビレーの滝沿いの至る所に開いている。小石が長い年月を掛けて穿った。

 さらに10分ほど上流にさかのぼると、カンビレーの滝に着く。こちらは岩の上を滑るように流れ落ちる滝で、200メートルにも渡って、小さな段差が続いている。あたりの岩はやけにボコボコしている。うねった水の跡が残っているのもあれば、大きな穴ぼこが壺のように空いているのもあった。この穴ぼこは甌穴(おうけつ)というもので、小石が水の流れに巻き込まれて河底を削った末にできたものだ。人一人入れるぐらい大きなものもある。
 軍艦岩に戻ってみると、救命胴衣を身につけた一団が、櫂を手にして準備体操に余念がない。業者さんが主宰するカヌー下りの参加客だ。マングローブの林をカヌーで下るのは、きっと面白いことだろう。荒井は来た時同様舟に乗り、そのまま河口まで戻ってきた。

 3時間ばかりの行程で、すっかりのどがからからだった。水を持って行かなかったのは失敗だった。昼食を兼ねて舟付き場近くにある喫茶店「コートシャレープラザ」に飛び込むと、青い目の若い外人男性がにこやかに出迎えてくれた。あまり日本語が達者でないようで、片言の日本語で苦心しながら応対していた。
 あいにく料理の多くは売り切れで、カレーとゴーヤチャンプルーセットしかない。カレーという気分ではなかったので食事をするのはあきらめて、この店の名物である、紅芋レアチーズケーキを注文した。チーズクリームに紅芋が混ぜ込んであって、見事な紫色をしている。
 件の外人さんは応対のつたなさを申し訳なく思っているようで、笑顔でちょくちょくコップの水をつぎ足しに来てくれた。おそらく彼もこの島に魅せられた一人で、ここでこうして働いているのだろう。がんばって、と心の中で応援しておいた。

 「パンがなければケーキを食べればいい」とはいうものの、ケーキだけでは腹いっぱいにならない。食事ができそうな店を探したが、さっぱり見つからなかった。あってもこの日は日曜なので休業である。西表島において、観光客相手の店というものはごく一握りでしかない。商店と言えば地元の方々が利用している食料品店や雑貨屋で、食堂もまた同じ。娯楽施設の類もない。
 ともあれ、徒に走って燃料を無駄にするのもなんなので、昼食は抜くことに決め、おとなしくキャンプ場に帰ってきた。
 これからの島巡りの予定を考えているうち夕方になった。昼間食べなかった分余計に米を炊き、レトルトのハヤシライスの具を突っ込んで夕食にした。米が多すぎて食べているうちに具が先になくなってしまい、残りはマヨネーズご飯にして食った。

 「子午線ふれあい館」のレーザー照射が気になって、日が落ちるのを待って見物に行った。資料によれば毎日午後七時、八時、九時の3回、30分ずつレーザーを照射するらしい。七時前にふれあい館に付き、外のベンチに腰掛けてモニュメントから光が出るのを今か今かと待ち構えた。
 ところが七時になってもレーザーは出なかった。「タイマーか何かが遅れでんなべが。」としばらく待ってみた。

ピンポンパンポーン

 近くにあるらしいスピーカーから予鈴が鳴った。いよいよかとモニュメントを眺める。
 しかし、一向に光は出なかった。かわりに流れてきたのは懐メロだ。

♪若く明るい歌声に 雪崩は消える 花も咲く…

 「何だ? 何始まったんだ!?」と呆気にとられていると、一番が終わったところで、放送はさらに続いた。

「本日、午後7時15分から、公民館にて、父の日のつどいを行います。地区のお父様方は、ぜひお越しになって、一日の疲れを、いやしてください。」

 祖内の有線公共放送だった。そういや今日は父の日だった。どうやら祖内で父の日の催しとしてビアホールが開かれるらしく、放送はその始まりを告げるものらしかった。ガックリ肩を落としていると追い打ちを掛けるように二番が流れ、放送は終わった。

子午線ふれあい館のモニュメント
例のモニュメント。東経123度45分6秒789(日本測地系)。毎日レーザー照射をしているはずなのだが。

 次の照射予定時刻、八時まで待ってみた。レーザーは微塵も出ないままだった。ふれあい館は山の裾野に開けた田んぼの真ん中にある。周りは虫とアカショウビンと蛙の声しか聞こえない。八重山の遅い夕陽はすっかり沈み、人っ子一人いる気配もない。祖内の方ではお父さん達が、ビール片手に愉快になっているんだろう。「俺こんた暗いどごでいったい何してんだべ? なすてこさいるんだべ?」と虚しくなってきたので、DJEBELを転がしキャンプ場に戻った。帰りの道は羽虫がやたら多く、ヘッドライトやヘルメットに次々ぶつかった。

 キャンプ場ではいつもの面々が、ヤシガニ狩りの話をしていた。
 ヤシガニとは熱帯の林に棲む大型の甲殻類だ。カニとはいうが、実際はヤドカリの仲間である。食べると旨いそうだが、絶滅危惧種の動物なので、おおっぴらに狩りをするのははばかられている。そこで車に轢かれた個体を探しに行く。ヤシガニは光のある方向にやってくる習性がある。ヘッドライトに誘われるまま車道に出てきて、あわれぺしゃんこになった個体なら、拾って食べてもお咎めなしというわけだ。
 そこでこの面々、荒井が待ちぼうけを食らっている間にヤシガニを探しに行ったのだが、さすがそう都合よくはいかなかったようで、ボウズで戻ってきたところだった。


脚註

注1・「ガラパゴス」:南米エクアドル沖にあるガラパゴス諸島のこと。外界と隔絶された地勢のため、独自の進化を遂げたゾウガメやイグアナといった珍しい動物が生息していることで知られている。ダーウィンがビーグル号でこの島々を訪れた際、各々の島に生息する海鳥の形質が微妙に異なることに注目し、進化論の知見を得たことは特に知られる。ちなみに「東洋のガラパゴス」を名乗る島は他にもいくつかある模様。

注2・「往復1500円」:牛車に乗らず足で渡っても、上陸料は取られる模様。

注3・「超合金」:バンダイから出ている玩具シリーズ。アニメに登場するロボットのフィギュア玩具。

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