ひととおり西表島も廻った。名残惜しいが島を出ることにした。西表発の「ぱいかじ」は、午後三時に島の北部、上原港から出る予定だが、降ったり止んだりの落ち着かない天気で、定時に出るかは定かでない。
出発まで時間がある。出発まで談話室で他のキャンパーとだべって過ごした。
西浜荘で一緒になった方は、横断トレッキングをしたり海に潜ったりと、西表島の自然を満喫していたようだ。そろそろ島を出て、別のところへ行くつもりらしい。「このあたりはどうですかね。」と、全国道路地図を広げていた。
地図を借りてあれこれページをめくってみる。北海道では寒さに凍えた。コミケに行ってそのまま佐渡島に渡った。未知の北東北、難渋した三陸海岸、日本道路最高所乗鞍、大雨に降られた北関東、東海道走破、人混みの紀伊半島、しまなみ海道、志高湖、奄美などなど、これまで自分が廻ってきた場所を見つけると、そこでの出来事が次々に思い出された。
地図を見ながら「ここではこんなことがありましてねぇ。」など言っていると、「いろんなところを廻ってデータを蓄えてますねぇ。」と言われた。日本地図を開けば、至るページに自分の知っている場所がある。気が付けば自分は日本をもう半分以上廻っていたのだ。
晴れた頃を見計らい、一同に別れを告げ、キャンプ場を出発した。「まだ昼前だし、『西表そば』でも食ってがら船さ乗っても間に合うべ。」とDJEBELを転がす。
ところが上原港に行くと、なぜか「ぱいかじ」が入港していた。作業中の船員さんに話を伺うと「今日は潮の具合が違っててねぇ。潮位の関係で荷下ろしできなくなるかもしれないから、予定変更して、先に上原に来たんだよ。」とのこと。しかも「荷積みが終わったら、もう石垣島に出航するよ。」とまで。
船はちょうど荷積み作業の真っ最中だった。大いに焦り乗船券を買いに走る。港にあるプレハブ小屋の券売所は開いていない。数キロ離れた上原の集落にも窓口があったことを思い出し、時速100キロで吹っ飛ばす。西表で時速100キロも出すことになるとは。尻尾の太いネコが飛び出してこなかったのが幸いだった。
例の窓口では「ぱいかじ」の乗船券は扱っていなかった。「無駄足がよ!」と、また時速100キロで港に戻ると、今度は例のプレハブ小屋が開いていたので、あわてて乗船券を買い求めた。折悪しく財布には万札しかなかったため釣り銭が足りず、係の方は万札をくずすため、人に頼んでジュースを買いに行ってもらったり、作業員の方の軽トラから10円を持ってきてもらったりと、これまた一騒ぎだった。
かくして間一髪で船に乗り込み、西表島を出た。一連のどたばたですっかりくたびれて、石垣島までの道中はひたすら寝ていた。吹きさらしの客席でよく寝られたもんだと我ながら思う。
こんな具合に島の暮らしは風まかせ波まかせなのである。もう何十年も何百年も前から、人々はこうしてきたのだろうし、これからもそうなのだろう。
石垣島に着き、船便を確認しているうち、にわかに土砂降りになった。天気予報ではそろそろ台風が近づいているらしい。急いでまつや旅館に転がり込む。受付にはオバーさんことおかみさんの母上がいて、ずぶぬれになった荒井を見て「早く部屋に入ってシャワーでも浴びていらっしゃい。」とすすめてくれた。ご親切ありがとうございます。
ちなみに沖縄、特に八重山では、湯舟にお湯をはる風呂というものはあまりない。宿にもシャワーしかない場合が多い。すぐに汗をかくので、暖かい地方では風呂よりも手軽なシャワーの方が広まっているという話は聞いていたが、八重山でその事実を確かめることになった。
雨は止むこともなく、そのまま本格的に降り続けた。やることもないので、近所のあやぱにモールに出かけた。
昼食がまだだったので、商店街の食堂「石垣島キッズ」でコロッケ定食を食べた。店は寡黙なご主人と、器量のよさそうなおかみさんの二人で切り盛りしている。店内は洒落た沖縄風の喫茶店といったかんじで、ジャズが流れている。石垣島に魅せられたご夫妻が、ここで店を開いているらしい。
店の自慢は多くの品数を誇るコロッケだ。コロッケ定食はそのコロッケが三つ、おまかせで出てくる。このとき出てきたのはイカスミを練り込んだイカスミコロッケ、石垣牛のコロッケ、じゃがバターコロッケだった。固めの衣を箸で崩すと、熱々のタネが顔を覗かせる。どれも小ぶりだが、揚げたてなので一口では食べられない。はふはふ言いながらご飯と一緒にかきこんだ。
商店街には昔ながらの商店がいくつか店を連ねている。軒先に商品を並べた食料品店や観光客相手のみやげ屋、食堂などなど。昼下がりなのでどこも暇なようだ。
公設市場にも寄ってみた。商店街で一番大きい建物で、最近気合いを入れて改装されたらしく新しい。二階建てで一階が市場、二階は物産店と食堂になっている。
市場ではパッションフルーツやドラゴンフルーツといった、島で採れる珍しい果物の数々が目を惹く。物産店ではこーれーぐすや黒糖、泡盛、「島マース」こと島で作られた塩、ミンサー織りといった八重山の特産品が売られている。
あやぱにモールは石垣島の中心商店街なのだが、ここも他の地方都市同様、シャッターが降りている店が多かった。大きな駐車場付きの量販店は、郊外の真栄里に集中しているので、多くの客はそちらに流れてしまっているのだろう。
とはいえ新しい店も目立つ。島に魅せられたナイチャーが、空き店舗に入居して店を開いているのだ。「石垣島キッズ」のような食堂から、旅人向けのドミトリー、手作りの首飾りなど扱うみやげ屋などなど、昔ながらの店とは雰囲気が違うので一目でそれと分かる。昔ながらの空気を残すあやぱにモールは石垣島でも魅力的な場所の一つだ。そこに出店できるのは、ナイチャーにとって願ったり適ったりでもあるのだろう。石垣市はそうした商店に、あやぱにモール復活の牽引役を期待しているそうだ。
うろつくうちに夕方になったので、「ホットスパー」で夕食を買って宿に戻った。沖縄には「ホットスパー」が多く、「ホッパー」と略して呼ばれるほど親しまれている。
買ったのは、ふーちゃん弁当というものだった。たこ焼きが入っているようなフードパックに、ご飯と薄切りポーク、たくあん一切れ、鶏の唐揚げ、そして「ふーちゃん」こと麩チャンプルーがぎゅうぎゅう詰めになっている。あんまり量がなさそうに見えるが、全ての具がご飯に載っている上、ぎゅうぎゅう詰めなので、量はそこそこ入っている。これで一個280円。内地で弁当といえば、ご飯とおかずが別々のところに入っている幕の内式のものが多いが、沖縄ではこうしたフードパック入りの弁当が一般的なのだ。