美ら島々美ら人々

まつや旅館
まつや旅館。石垣島ではお世話になりました。

 沖縄県庁も訪れた。波上宮にもお参りした。最南端の波照間島、最西端の与那国島もすでに廻った。
 そして荒井は欲求不満になっていた。去年パイラ松島で会った宜野湾のおじさんは「沖縄は島だから、行ける場所が限られてるんですよ。」と言っていたがそのとおり、ここしばらく島ばかり廻っていたせいか、「思い切り走っだい! 知ゃねどごば見でみったい!」と本土が恋しくなっていたのだ。事実鹿児島を離れて以来、一日の走行距離が200キロを超えたのはたったの二日しかない。沖縄と八重山に来た目的は果たした。そこで新たな土地に行くべく、次の船で鹿児島に戻ることに決めた。那覇行きの船が出るまで二日ほどあったので、それまで気になっていた場所を廻ることにした。

 石垣島に戻った次の日は、石垣島の八重山そばの名店として知られる「明石食堂」に行ってみた。あいにく休業日で、結局この日の八重山そばは、公設市場の「いちば食堂」で食べることになった。

 その翌日は八重山巡りの締めくくりとして、小浜島を見てきた。キャンプ場を引き払い港に向かう。お世話になっているまつや旅館にお願いしてDJEBELを預かってもらい、単身高速船に乗り込む。港を出て35分ほどすると、目的の小浜島に着いた。

 小浜島は石垣島の西約20キロほど、西表島の対岸にある。カタカナの「エ」の形をしているのは佐渡島に似ているが、もちろん佐渡よりずっと小さい。NHKのドラマ「ちゅらさん」のロケ地になったことでも有名で、それにちなんでか、港の待合所には「ちゅらさんばし」という名前が付いている。港そばの貸し自転車屋で自転車を借り、島見物に出かけた。
 小島であるにもかかわらず、小浜島は起伏が激しかった。島は大岳(うふだき)という低山を中心に、四方に裾野が伸びる形になっている。海岸線一周道路はなく、島の別のところに行こうとすれば、どうしても島の中央を経由せねばならず、そのたびに急な坂を上り下りすることになる。例によって自転車は変速装置のないママチャリだ。しかも夏の日差しが容赦なく照りつけてくる。ぜぇぜぇいいながら自転車を漕ぎ、押し歩く。汗だくになって坂を登り切る頃にはすっかり息切れしていた。
 八重山でも珍しいリゾート施設こそあるものの、それ以外は民家やサトウキビ畑が目立った。見所は西の方にかたまっている。まずは島の南西端細崎。西表島が間近に見え、目の前の海峡は川のように潮が流れている。この海峡がヨナラ水道だ。マンタに会えるというので人気のダイビング地点となっている。北西端のアカヤ崎は「ちゅらさん」にも登場したところで、「ちゅらさん展望台」なんてものができていた。ここからは由布島がよく見えた。

小浜島の大岳
大岳から西表島を見る。左の半島が細崎。右手前の小島が由布島。

 島一番の名所はなんといっても大岳だ。自転車で死に体になっているにもかかわらず、急な階段を上って山頂に行くと、展望台を兼ねた四阿があった。
 小浜島はちょうど八重山の中心にあたる場所にある。島の真ん中が小山になっているので、竹富島や西表島といった島々の展望が開け、風景は実によかった。貸し自転車屋に自転車を返し、サトウキビアイスキャンディを食べたところで、小浜島を後にした。
 ちなみに、件のリゾート施設は「はいむるぶし」(注1)という名前で、島の南東にある。見物してこようかと思ったが、部外者立ち入り禁止という雰囲気が漂っていたので、見るのはやめておいた。

 石垣島に戻り、美崎御嶽を見物すると、早めに宿に入った。八重山最後の夜は、お世話になったまつや旅館だ。談話室兼の食堂に行ってみると、ダイビングの資格を取りに来たという泊まり客の方がいた。「今度転職するから、その合間を利用して資格を取りに来たんですよ。」 珊瑚礁、ヨナラ水道、与那国島海底遺跡など、八重山には魅力的なダイビング地点が多いので、石垣島にはダイビング講習を請け負う店が数々ある。往復の交通費こそかかるが、内地よりも安いというので、休暇がてら資格を取りにここまで来るという方も多いのだ。
 彼はすでに何度か潜ったこともあるそうだが、今回は上の資格を狙っていた。「いや〜、つまりボンベに空気が詰められるようにしたいんですよ。」 ダイビングに必須のボンベだが、それに空気を詰めてもらうためには上の資格が必要になる。ボンベを店から借りると5000円近くかかるそうで、積もれば大きな出費になる。
 彼は小笠原諸島にも潜りに行ったことがあるそうだ。「父島に行ってきたんだけど、遠いから船で一日以上かかるんですよ。船便も一週間に一度だけだから、宿の予約も一週間単位。逆に言えば一度行けば一週間は帰れないわけですよ。その間欠航になったらまた延期。島全体がもう絶壁だらけでそういうところなんだけど、陸運局の管轄が同じだから、走ってる車はみんな品川ナンバーなんですよ。」 都心と小笠原諸島では、同じ品川ナンバーの車が走り回っている。今回の日本一周では行かないが、これはいつかぜひともこの目で確かめねばなるまい。

 おかみさんがオリオンビールをご馳走してくれた。明日島を出る予定だと言うと、「今度島でオリオンビアフェストが開かれるから、見てくといいのに。面白いよ〜。」と、名残惜しそうに誘ってくれた。ビアフェストとは、オリオンビール主催の音楽祭だ。年に一度、沖縄県内各地で沖縄ゆかりの歌手やバンドを集め、野外コンサートが開かれる。その日の夕方が近づくと、島人は会場に集まって、オリオンビールを飲みながら開演を待つ。そして歌が始まれば一緒に夜まで盛り上がる。年に一度の大きな楽しみとなっている行事なのだ。見ていきたい気もしたが、八重山から那覇に行く船は週一便、次の船を逃したら一週間待たなければならない。また八重山に来た時のお楽しみにとっておくことにした。
 思えばまつや旅館にはお世話になりっぱなしだった。たびたびの飛び込みや連泊でも歓迎していただいたし、DJEBELを預かってもらうこともたびたびだった。下手に濃ゆい旅人が集まらないので居心地もよかったし、地元の方がやっているので地元の様子が見えるところもよかった。食堂で新聞など読んでいると、オバーさんやおかみさんが「これ食べて!」と、波照間産黒糖やチーズケーキなどくださることもあった。

 夜になり、近所の台湾料理屋「美好」に出かけ、チャーハンと水餃子で夕食にした。台湾出身のおばあさんが切り盛りしている小さな店だ。かつて八重山と台湾の間には盛んに交流があったが、その頃に島に渡ってきたのだろう。出てきた料理は店の作り同様、素朴でどこかほっとする味だ。店を出ようとすると、「アリガトネ、アリガトネ!」と、片言の日本語で何度もお礼を言ってくれた。おばあさんの人柄がそのままにじみ出ているような店だった。

まつや旅館のオバーさん
まつや旅館のオバーさん。沖縄の人々のオジーやオバーということばには敬愛の念を感じる。

 宿に戻るとオバーさんがいた。用事で那覇に行ってきて、たった今戻ってきたところらしい。食堂で四方山話などしてから部屋に戻ると、どういうわけか、すぐに呼び戻された。

 「西表島でレンタカー屋さんをやっている人がうちのお客さんにいて、ちょうど今泊まっているからさー、話をしてみたら?」

 そういやさっき「山形に戻ったら、仕事を探さないといけないでしょうなぁ。」と言った覚えがある。オバーさんにはそれが八重山で仕事を探すと聞こえてしまったらしく、ならばと就職口をを紹介してくれたのだ。呼ばれて食堂に行くとそのレンタカー屋さんがいる。どうやら荒井のために呼んできてくれたらしい。恐縮しながら、実はこれこれこうでしてと事情を話すとレンタカー屋さんも納得してくれたが、レンタカー屋の仕事について丁寧に説明してくれたばかりか、「興味があるならぜひどうぞ。」と、笑いながらうれしいお言葉をかけてくださった。
 結果的には勘違いだったのかもしれない。しかし見ず知らず、どこの馬の骨とも知れない旅人に過ぎない荒井に、ここまで親切にしてくださったことがとてもうれしかった。

 荒井はかれこれ三週間ほど八重山にいて、風まかせ波まかせの日々を過ごしていたわけだが、中には駆け回るように名所を巡って内地に帰る方もいる。それも悪くないが、もったいないなと思う。
 島の魅力はその風物はもちろん、ゆったりと流れる空気、そこに暮らす人々にある。それは島の空間に身を置き、その時間に身を委ねることで初めて見えてくるものなのだと思う。内地と同じ感覚でいそいそと廻っても、果たしてその魅力をどれだけ味わえるかはわからない。
 美しい島々には、素晴らしい人々が住んでいる。八重山では様々な方々のお世話になった。日本一周のすばらしい想い出の一つである。渡ってきて本当によかった。まつや旅館のオバーさん、おかみさん、八重山でお世話になったみなさん、お礼が遅れましたが本当にありがとうございました!

沖縄再上陸

石垣港離島桟橋歩道のミンサー模様
石垣港歩道のミンサー模様。「いつの世も足繁くお越しください。」という意味が込められている。

 そして那覇行きの船が出る日になった。船は早朝に出る。五時に起き荷物をまとめ、六時前に宿の入り口に行くとオバーさんが出てきて見送ってくれた。お世話になった礼を述べ、まつや旅館を後にした。
 すっかり通い慣れた近所の「ホットスパー」で、100円ハンバーガーとゲンキクールの朝食にした。思えば八重山に来て最初に駆けこんだのがこの「ホットスパー」で、同じくゲンキクールを買って飲んでいた。しばらくは飲むこともないだろう。今度のゲンキクールは別れの杯となった。
 そして再び石垣港のフェリー発着所にやってきた。来た時と同じく、岸壁にはすでに「クルーズフェリー飛龍」が接岸し、積み荷を上げ下げしている。搭乗口前では旅人が自転車や単車の積み込みを待っていた。見覚えのある顔もいる。南夢楽園キャンプ場で「八重山を巡りに巡ってやりますよ!」と仰った自転車乗りのご老公、他にも何人か。八重山の離島便は限られているので、前に会った旅人と船で鉢合わせということも珍しくない。

 貨物の積み降ろしに手間取ったようで出航は遅れに遅れたが、すっかり搭乗も済み、いよいよ船が動き出した。石垣港にも世話になった。他の島に行くたび、何度も眺めた防波堤のミンサー模様のペンキ画。これもまずは見納めだ。三週間を過ごした八重山の中心、石垣市の街並みが遠ざかっていく。船は石垣港を出ると、向きを変え北東に進んでいった。
 これから船は宮古島で貨物の積み降ろしをした後、那覇、名古屋、大阪と寄港することになっている。那覇入港は午後九時近くの予定だ。それまで約半日。来る時はえらく酔ったが、今回は元海軍田中さん直伝の酔い止め術がある。甲板に上がり、船の中央に近い場所に陣取って、壁に足をつけてひたすら寝ることにした。場所はちょうど日陰で海風もあり、日差しが強い割に暑くはなかった。時折右舷を見ると石垣島がちらちらと見えていたが、やがて見えなくなり、水平線だけになった。

 日がだいぶ高くなった頃、船は宮古島の平良港(ひららこう)に着いた。自転車乗りのご老公とはここでお別れとなった。「梅雨も明けましたし、一週間ほど宮古島を廻ろうと思ってるんですよ。それではお気をつけて!」と船を下りていく。何かをしようという気持ちに歳は関係ない。元気なご老公を見ているとつくづくそう思った。
 昼を過ぎた頃にようやく積み込みが終わり、船は再び出航した。見渡す限りの空と海。雲は水平線の向こうまでたなびいている。船縁ではトビウオが何匹も船に従って飛んでいた。

三浦さんと西田さん
出航前の一枚。右の方が三浦さん。

 船には様々な旅人が乗っている。その中の一人、ミトレアキャンプ場で一緒になった壮年の男性が声をかけてきた。
 彼の名前は三浦さん。70歳間近なのだが、全くそうは見えなかった。若い頃から水泳とダイビングで身体を鍛え、特に水泳は達人級の腕前で、同乗していた若い旅人が教えを請うているほどだった。八重山の自然を満喫するために西表島に来ていたようだが、ふだんは熊野の奥地で世捨て人のような暮らしをしているそうだ。西表島では白浜から船に乗らないと行けない舟浮集落がずいぶん気に入ったそうで、「あそこはいい! 浜なんかゴミが一つもなくて、一日中いても飽きなかったな。」と盛んに絶賛していた。
 三浦さんは、人気のない大自然が好きで、若い頃から全国を旅して廻っていたが、今や各地に開発の手が入り、それらが失われつつあることを嘆いていた。
 「50年前に一度川平湾に行ったことがあるんだけど、あのときは青い海以外に余計な物がなくて、本当にきれいだったよ。熊野の海にもとっておきのダイビングポイントがあったんだけど、いつの間にやら業者がやってきて人だらけになってしまった。舟浮も開発が進んだら、ああなってしまうんだろうな...」
 他にも多くの旅人と出会った。アボリジニの伝統楽器「ディジュリドゥ」を背負った若者。アジアやアフリカの田舎を旅してその人情に感動したそうだ。「自分も行ってみたいですねぇ。」と言うと、彼は朗らかに「だったら行ってみればいいじゃないですか!」と背中を押した。そうなのだ。単純明快、行きたかったら行けばいい! 言い訳をして行かないか、本当に行ってしまうか。どちらが潔いかは明白だ。
 琉球武術を学んでいるという方もいた。ディジュリドゥの演奏に合わせて即興で演武を披露してくれた。45歳ですと言っていたが鍛えているだけあって、締まった筋肉が逞しい。

集まる旅人
旅人どうしディジュリドゥを囲んで談笑中。旅人やっていてよかったと思えるひととき。

 気がつけば日はすっかり落ちていた。いつの間にか旅人どうしが集まってきて、暗くなった空と海を目の前に、旅のことを語りあっていた。
 世間の流れの外に身を置くと、それまでは見えなかった様々なことが見えてくる。「なんで俺はああも急いでだんだべが?」 旅に出る前は、急ぐことが当たり前だった。しかし、一度旅に身を投じて様々なところを巡ると、果たして急ぐ必要があるのか、実は無用のことで急いでいただけではないのか、という気がしてくる。
 世間的にはこれをおちこぼれとか負け組とか言うのかもしれない。しかし、その一方で、そのおちこぼれや負け組を「羨ましい」と言うのはなぜなのだろう?
 風まかせ波まかせ。どんなに急いでも、最後はお天道様次第。人間は謙虚に自然と向き合わなければならない。島の人々は永い間そうして暮らしてきたし、これからもそうして暮らしていくだろう。島に来る人々は、多かれ少なかれ、島のそんな部分に憧れているのだと思う。

 街灯りが見えてきた。三週間ぶりに見る南海上の大都会、那覇の街並みだ。三浦さんをはじめ、他の方々はこのまま名古屋まで行くので、荒井とはここでお別れである。八重山や船上での短い間だったが、とても楽しい時を彼らとともにできたことを、心の底からうれしく思う。
 普通に暮らしていては決して出会うこともなかっただろう、彼ら旅人たちに別れを告げ、再び那覇新港に降り立つ。見覚えのある桟橋、見覚えのある待合所を目にすると、八重山が急に夢の中に戻ったように感ぜられた。
 本当に行ってきたことは間違いない。しかしそれでも、八重山は本当にこの港と地続きだったのだろうか? 出発前は本土が恋しかったが、那覇に戻るとなぜか八重山が恋しかった。

 同じ沖縄県でも八重山の人が「沖縄」と言う場合、それは沖縄本島のことを指す。


脚註

注1・「はいむるぶし」:南群星。南十字星のこと。


荒井の耳打ち

ビジネス旅館

 「長期宿泊者歓迎」と銘打ってるようなビジネス旅館はけっこう狙い目です。こちらですと素泊まり4000円程度のところも多く、ビジネスホテルよりも若干安くあげられます。また、こういう旅館は地元の方が家族ぐるみでやってるところも多く、下手なドミトリーやキャンプ場に泊まる以上に地元に根ざした話を伺える魅力もあります。

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