佐賀を探せ!

さがをさがそう!

神埼町のライスセンター
ライスセンター。こういうところによくテントを張った。

 起きる頃には粒の大きな雨がぽつぽつ落ちていたが、間もなく止んだ。ほっとして撤収を済ませる。與止日女神社のほかにも、このあたりにはいくつか一の宮がある。県庁に行く前に、一の宮を廻ってくることにした。

 吉野ヶ里遺跡は野宿したライスセンターの近くだった。発見当時、邪馬台国跡かと噂された日本有数の弥生時代の遺跡である。三内丸山遺跡や登呂遺跡同様、只で見学できるかなと思ったのだが、有料だったのでやめといた。遺跡は相当な広さで、現在は史跡公園になっている。相当に整備が進んでいるようで、入り口に面した道路は黒々と舗装され、立派な門までできていた。

 ふと距離標識を見れば、佐賀は熊本や長崎、福岡までそう離れていないことに気が付いた。特に福岡までは車でひとっ走りの距離である。
 鳥栖市は県内でもちょうど福岡、熊本、長崎に道が分かれる要衝の位置にある。大工場や配送センターが多く、高速道路のジャンクションもある。サッカー球団サガン鳥栖の本拠地、鳥栖スタジアムは工業団地のすぐ隣だった。モンテディオが何度か負かされていたのを思い出す。
 工業団地そばのトラックターミナルでは、すでに食堂が開いていた。トラックの運転手相手の店なので、朝から営業しているのだ。朝食はすでに食べていたが、またもやここで朝定食を食べていく。たまご焼き、味噌汁、たくあんといった献立なのだが、たまごだけは目玉焼きかたまご焼きか好きな方を選べる。目玉焼きにしてもらったら、目玉二つの目玉焼きがベーコンと一緒に出てきたのでちょっと嬉しかった。

高良大社
高良大社。ここまでたどり着いてから、そこまで車で来られることが発覚する。

 鳥栖市を出て福岡県の久留米市に向かう。久留米には筑後国一の宮、高良大社があるのだ。
 久留米は鳥栖から県境を越えてすぐ隣である。神社はその近郊、高良山の中腹にある。高良山の近くまでは県道が整っているのですんなりたどり着けたが、それから先がよくわからず、ひとしきり探すことになった。地図にはおおよその場所しか載っていないのだ。
 山の斜面に切られた住宅街をさまよい、峠道をだましだまし走るうち、目の前に鳥居が現れた。多分これだろうと見当をつけ、鳥居の前に単車を停めた。
 あたりは林ばかりで、鳥居の先は未舗装の急斜面だ。いつの間にか少々くもってきて、ぱらぱら雨まで降り出した。本当にこの先に神社があるのかと心配になる。おそるおそる斜面を登ることしばらく、整った駐車場と参道といっしょに、案内書の写真と同じ社殿があったので、ようやくほっとした。
 境内からは久留米の街並みがよく見えた。目の前には筑紫平野の平べったい土地が広がっている。南北に流れているのは筑後川、その向こうが佐賀県だ。
 平野だから田んぼが多い。だから昨日も「こんなに田んぼが多いんだがら、ライスセンターの一つぐれ見つかっぺ」と野宿場所を探していたら、案の定見つかったわけである。その昔牧瀬里穂が、雑誌のインタビューで故郷佐賀について「田んぼばっかりで、本当になんにもないとこなんですよ。」と言っていたのを覚えているが、おそらくはこうした風景を指して言ったことなのだろう。
 ちょうどこの頃、佐賀県出身の漫談師はなわの歌謡漫談「佐賀県」が大はやりして、佐賀の田舎っぷりを全国に轟かせていた。火の国熊本、異国情緒の長崎、それに九州一の大都会福岡と、佐賀は強烈な個性を放つ県に周りを囲まれている。しかもどれも中途半端に近いので、人も物も筑紫平野を通過して、そちらに流れてしまうだろうことは想像に難くない。なるほど、そういうことだったのか。

千栗八幡宮 栄光への石段
千栗八幡宮と「栄光への石段」。急な石段を登って境内へ。

 雨が止んだ。高良山を下り、筑後川を渡って再び佐賀に入る。次なる目的地は北茂安町(現みやき町)にある千栗八幡宮、與止日女神社と同じ肥前国一の宮だ。「ちぐりはちまんぐう」と読みたくなるが、実際は栗をひっくり返して「ちりくはちまんぐう」と読む。吉備津彦神社と吉備津神社ほどではないが、高良大社からはそう離れていない。
 こちらも地図だけではなかなか場所がわからず、探すのに苦心した。「国幣小社 千栗八幡宮」の石碑を見つけた時には、ようやく見つけたとまたほっとした。
 神社は急な登り参道の上にある。参道の長い石段は「栄光への道」と名付けられていた。なんでもバルセロナとアトランタ五輪大会でメダルを獲得した柔道家、古賀稔彦(こがとしひこ)選手が、若かりし頃この石段を上り下りして特訓を積んでいたんだそうな。
 石段を登り参拝を済ます。由緒記をもらおうと職員さんに話しかけると、「東北の方ですか!」と驚かれた。職員さんには秋田出身の友人がいるそうで、荒井のしゃべり言葉が、その秋田弁にどことなく似ているのでわかったらしい。
 さらに一の宮巡りをしていることまで見抜かれた。荒井同様、賀曽利隆さんの著書に影響を受け、一の宮巡りをする単車乗りが最近増えたそうだ。山形から佐賀まで自走して来る奴がいるほどだ。だから実際に増えているのだろう。

ときわ家の白玉饅頭
大和町名物白玉饅頭。まほろちゃんも大好き?

 そろそろ昼が近い。県庁に行くため佐賀市を目指す。その途中、大和町で白玉饅頭を食べていった。昨日役場で紹介してもらった「ときわ家」は、與止日女神社の隣にある。白玉饅頭はもともと神社への供えものとして作られたものらしい。饅頭だが小麦粉は使っていない。あんこ入りの白玉団子だ。注文するとお盆に一口大の団子が四つ載って出てきた。小さいので一口で食べられるが、蒸したてで熱いので、不用意に口に入れるとやけどする。

佐賀県庁
佐賀県庁。周りの県が県だけに。

 佐賀県庁は城跡のすぐ近くにあって、庁舎の目の前は掘になっている。庁舎は背の低い本庁舎と、背の高い新庁舎が並んで建っているもので、全国的によくあるかたちの県庁である。
 県庁食堂の献立を確かめてみたが、特に目立ったものはない。日替わり定食と麺類にカレーといった無難な品揃えで、佐賀らしいというか、個性派揃いの九州県庁食堂の中ではあまり目立たない方である。そこで見た目旨そうだったカツカレーを食ったのだが、密かに筑紫平野でとれた県産米を使っていた。
 県庁食堂の名前は「シンフォニー」という。どういう意味かと後日調べてみたところ「人と自然と文化の交響県(シンフォニー)」という佐賀県の宣伝文句に由来しているらしい。「さがをさがそう!」ではなかったのか。

古賀政男記念館の古賀政男像
古賀政男御大。歌謡曲にいち早くギターをとりいれたのも同氏の功績。

 昼寝してから再び出発する。長崎県に行く前に、昨日見られなかった古賀政男記念館を見るため、また大川市に立ち寄った。
 古賀政男は昭和を代表する大作曲家で、「古賀メロディー」こと、名曲の数々をものにしている。古賀メロディーは戦後日本の心の慰めとなり、没後には国民栄誉賞を贈られた。古賀メロディーは荒井もいくつか知っている。だから東京の代々木で記念館を見そびれた時には悔しがったりしたわけだ。
 大川市は古賀政男の出身地だ。記念館はその業績を讃えるために市が建てたもので(注1)、氏を偲ぶ品々や記念品が展示されてある。受賞したトロフィーやゴールドディスク、盾や賞状が多い。中には追贈された国民栄誉賞の現物もあった。他人のものであれ、国民栄誉賞の記念品なんて滅多にお目にかかれるものではない。復元された生家も見学できるようになっている。これまで見てきた偉人の生家と同じく、質素ながら作りのいい家だった。
 氏は晩年、「自分の曲は哀しいものばかりだから、いつか滅んでほしい。」と思っていたそうだ。いつかは哀しみを唱った古賀メロディーが忘却されるような、明るい世の中になってほしいということなのだが、逆に古賀メロディーを知らない人が増えた現在、かえって荒んでいるような気がするのはなぜだろう。

 このあたりの道を走っていると、やけに「古賀〜」という屋号を見かける。食料品店、雑貨屋、町工場と、なんにでも「古賀」が付いている。古賀さんとはこのあたりでは非常に多い名字らしく、古賀政男の古賀もそのひとつであるようだ。
 「江頭」もよく見かける。はなわがネタにしたように、芸人江頭2:50は佐賀県の出身だし、「江頭エーザイ」というドラッグストアは随所で見た。

 有明海を左手に穏やかな道が続く。海は至っておとなしい。このあたりは内海で干満の差が激しく、干潮時には泥だらけの海底が現れる。有明海名物の干潟である。ガタリンピックで知られる鹿島市にさしかかる頃はちょうど干潮時で、海があるべきところに泥だらけの平原が広がっていた。これぞ有明海の干潟、動物王国国王は住んでない。
 そして県境を越え、佐賀県から長崎県に入った。長崎県は本土最西端の県だ。本土最西端の県に足を踏み入れるのは、与那国島に渡るのとはまた別の感慨があった。
 陽も暮れかけた頃、諫早市(いさはやし)に着いた。諫早の名前は悪名高い国の干拓事業で知っている。干潟があるので、海辺の小さな一漁村なのだろうと想像していたのだが、実際、中心部には店や住宅が詰め込まれ、バイパスには家電品や衣料品の大手量販店が軒を連ねる開けた街だった。さすがは「市」、諫早は西彼杵半島(にしそのぎはんとう)と島原半島の中間、両半島が九州本体にくっつく部分にあるので、古くから交通の要衝となっただろうことはすぐわかる。当地に来るまで諫早がこういう場所だったとは、全くおよびもつかなかった。
 そんな街だから補給には困らない。コンビニの海苔弁で夕食にして、バイパス沿いのドラッグストアで携帯型蚊取り線香を仕入れた。ここしばらく気温のせいか蚊が増えてきて、テントで寝るとき羽音や刺されるのに悩まされていた。これで夏の野宿も多少しのぎやすくなるだろう。
 この日も昨日同様、近郊の農業用施設の片隅にテントを張って寝た。このあたりは干拓によってできた農地が多いようで、ちょっと探したらカントリーエレベーター(注2)が見つかったのだ。


脚註

注1・「出身地」:代々木は古賀政男が住んでいた場所で、その住宅が代々木の記念館となっている。

注2・「カントリーエレベーター」:大型乾燥機と貯蔵庫を備えた農業用倉庫のこと。


荒井の耳打ち

旅人の便利アイテム〜蚊取り線香

 野宿する場所によっては、蚊に悩まされることが度々あります。そんな時役に立つのが蚊取り線香です。金鳥の蚊取り線香を持ち歩いている旅人は数多く、あるとないとでは大違いです。最近は電池を使う携帯型のノーマット蚊取り線香もありまして、こちらも愛用者が多いです。

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