長崎の鐘

早朝の長崎県庁
本土最西端長崎県庁。屋上のパラボラアンテナで県庁だとわかった。

 天気はまずまず晴れている。30分で撤収を済ませ、長崎市の中心部目指して出発した。朝早いというのに、中心部に向かう道は相当な数の車が行き交っていた。
 ほどなく長崎県庁に着いた。これまで見てきた県庁では小さい方で、一見町役場か市役所みたいである。早いのでもちろんまだ開いていない。県庁が開くまで、近所を見てくることにした。

 稲佐山(いなさやま)は市街地のすぐそばにある低山で、函館山同様、街一番の展望台として知られている。山頂までロープウェイが通っていることや、山頂付近は一般車両が乗り入れできないこと、そして何より夜景の名所というのも、函館山と似ている。長崎も函館も日本でいち早く外国文化が入ってきた街なので、お互いどこか似ている。
 駐車場にDJEBELを停め、山頂まで歩く。とはいえそうたくさん歩くわけでもなく、道もいいため、函館山のように遭難しかけることはなかった。
 頂上からは長崎の街並みが一望できる。夜景は昨日見ていたが、港を中心に、わずかな平地と谷の斜面に所狭しと建物が並んでいるのが手に取るように見える。路面電車も走っていた。
 夜景の名所として、夜になれば多くの人が訪れるのだろうが、荒井が来た時は、自分以外誰もいなかった。荒井が昨日見た夜景は、ちょうど稲佐山の反対側からのもので、裏夜景ということになる。

長崎平和祈念像
長崎平和祈念像。福江島大瀬崎の女神像や鯛生鉱山の殉職者慰霊碑を手がけた北村西望の作。

 稲佐山を下り、平和公園に行った。長崎は広島に続いて、原爆が落とされた街だ。広島の平和記念公園に比べると人数は少ないが、一角には千羽鶴が数多く捧げられていた。有名な平和祈念像は近年修復を終えたばかりで、観光客がその逞しい姿に見入っている。平和公園は元々刑務所があった場所で、多くの囚人も原爆の犠牲になったそうだ。
 近所をうろつくうち、浦上教会に出た。信徒8500人を抱える日本最大の小教区を束ね、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世も来たことがあるという、日本屈指のカトリック教会だ。
 今でこそ赤れんがの見事な建築を誇っているが、この教会も原爆の被害に遭っている。入り口前には爆風で首が欠けたり、熱線で焦げた聖像が並べられてある。近所には崩れ落ちた鐘楼が保存されており、原爆の恐ろしさと悲劇を訴えていた。隠れ切支丹の迫害に原爆。「受難の歴史」という言葉が頭をかすめた。
 もちろん教会として使われているので、中も見られるようになっている。正面には祭壇、壁にはキリストと弟子達をあしらったステンドグラス、そしてキリスト受難の絵画。作りは天草で見た教会同様だが、さすがは日本一の小教区、中は広い。装飾は華美になることもなく、至ってあっさりとした中に品の良さを感じる。受付の人に申し出れば、祭壇まで行って祈ることもできる。教会は信者の方々の祈りの家である一方、一日に2、300人の見学者が訪れる名所でもある。こうでもしないと収拾がつかなくなるのだろう。

浦上教会
浦上教会。日本有数の教会は世界有数の受難を味わった教会でもある。

 原爆資料館を見学し、原爆落下中心地公園に行った。長崎に原爆が投下されたのは広島に原爆が落とされた三日後、8月9日午前11時2分のことで、落とされた爆弾には「ファットマン」という名前が付いていた。爆弾に百貫デブといった、人を喰った名前を付けるあたり、アメリカという国はようわからん。
 その百貫デブが炸裂した爆心地の直下には、死没者名簿を収めた記念碑とともに、黒御影石製の柱が立っている。その隣には被災した浦上教会の壁が移設されてある。公園の一角には、投下当時の地層が残されてあった。地層には瓦やら茶碗がぐしゃぐしゃになって積み重なっていた。
 これと似たものを、これまで三回ほど見たことがある。一つは三内丸山遺跡、もう一つは桜島、残る一つはこないだの雲仙普賢岳だ。三内丸山のは土器塚といって、長年にわたって同じ場所に土器や土偶を捨てていった結果できあがったものだ。桜島では埋没鳥居を目にしている。普賢岳で見たのは土石流に埋もれた住宅だ。これら土器塚や埋没物を目にした時、偉大な歴史や自然の力を感じたことを思い出す。
 一見同じようでも、原爆地層を見ていると、それとは全く別の感情が沸き起こる。人間の愚行に対する「怒り」だ。人間が一瞬にして同じ事をやっても、それは全く、ただの愚行に過ぎないのだ。そこには叡智のかけら一つさえない。

長崎爆心地公園
爆心地公園。天を突く教会の壁と御影石の柱は悲しき記憶。

 記念碑に黙祷を捧げていると、韓国人の女の子に記念撮影を頼まれた。女の子は笑顔で柱の隣に立っていたが、かつてこのあたりで被爆した朝鮮人が多数いたことは知っていたのだろうか。ぜひ知っておいていただきたいものだ。
 被爆したのは日本人だけではない。日本に連れてこられ、強制労働に駆り出された朝鮮人の方もいる。こうした方々の遺体は誰に引き取られることもなく、もちろん弔われることもなく、放置されていたという。いっぱいいっぱいではあったのだろうが、非常事態であってさえ、死してなお差別したということが、同じ日本人として、非常に情けなかった。

県庁食堂「つばさ」のトルコライス
長崎名物トルコライス。県庁食堂でも食べられるほどの人気料理だ。

 昼が近づいたので県庁に行った。小さな庁舎だが、中にはちゃんと売店や食堂もある。ただし売店が変わっていて、地下に通じる階段の踊り場や廊下に什器を並べ、露店のようにして営業していた。小さな庁舎ゆえの空間有効活用策と言えないこともない。
 県庁食堂「つばさ」は売店を通り抜けた地下にある。一見喫茶店のような小さな食堂だ。しかし献立にはチャンポンや皿うどんといった名物が並び、さすが長崎と思わせる品揃えだ。その中に、長崎に来たら絶対に食べようと思っていた「トルコライス」があったので、昼食は迷わなかった。
 トルコライスはタコライスや太平燕同様、長崎限定の新郷土料理だ。ピラフとスパゲティの上にトンカツを載せ、さらにデミグラスソースをかけるという、子供さんが泣いて喜びそうな洋食である。トルコとはいうものの、エルトゥールル号のトルコとどう関係があるかはわからない。あえて言うならピラフがかろうじてトルコっぽいのだろうか。ピラフとスパゲティという取り合わせが、東西の合流点トルコっぽいとこじつけることもできそうだが、実際どうかは定かでない。
 人気の洋食を組み合わせたような料理なのだから、旨くないわけがない。食べていると根室のエスカロップを思い出した。あちらは筍入りのバターライスと薄切りトンカツに、デミグラスソースをかけている。トルコライスはピラフにスパゲティ、トンカツにデミグラスなので、似ていると言えば似ている。本土最東端の街根室と、本土最西端の長崎で、どこか似ている洋食が名物になっているというのも、不思議なものである。
 このトルコライス、箸だけとかスプーンだけでは食べづらく、食器をとっかえひっかえしながら平らげた。人気があるようで、荒井が食べている最中にも、いくつか注文が出ていた。

五島列島衝動乗りの旅

奈良尾町福見集落
福見の集落。天主堂のある入り江の漁村。

 県庁を出て、何気なくフェリーターミナルに行ってみた。「どんたもんだべ」と、船便を見てみる。間もなく五島列島への船が出るところで、料金は片道五千円でお釣りが来ることがわかった。

 「五島列島さはいい天主堂がいっぺあるっていう話だし。しばらぐ島行ってねがったがらな。」

 そして気が付けば何の疑いもなく、五島列島行きの片道切符を手に、DJEBELごとフェリーに乗っていた。こうして荒井は五島列島に渡ることになってしまったのである。

 五島列島は長崎県西の沖にある島嶼群で、その名前は中通島(なかどおりじま)、若松島、奈留島、久賀島、福江島という五つの主島があることに由来する。長崎港から中通島までは3時間ほど船に揺られることになるが、乗り込んだ途端に眠くなって、起きた頃にはかなり島に近づいていた。中通島の奈良尾港に上陸すると、天気は一転、小雨交じりになっていた。

 五島列島も隠れ切支丹の信仰が盛んだったため、天主堂が多いと噂に聞いている。夕方近かったが、日が暮れるまで廻れるだけ天主堂を廻ろうと、合羽を着込んで走り出す。ガソリンスタンドで燃料も補給しておいたが、離島だけに高くついた。
 中通島は山がちで、海岸線はリアス式特有の入り組んだ曲線を描いている。島の東の道路は、海からずいぶん高いところを走っていた。時折枝道があって、だいたいは入り江の漁村につながっている。
 漁村を見下ろす高台の猫の額のような土地に、西洋風の総れんが造りの建物が建っていた。それが五島列島天主堂巡りの第一弾、福見教会だった。このあたりは島でも特に信仰が盛んなところで、実に住民の98%がキリスト教徒なのだという。
 次に福見の少し北、浜串にあるマリア像を見に行った。海に突き出た岩場に、幼子を抱いた真っ白なマリア像が沖を見つめて立っている。マリア像は航海安全を祈って作られたものだ。あたりはフナムシの巣窟で、歩道や台座のあちこちで走り回っていたが、さすが畏れ多かったのか、マリア像には一匹もくっついていなかった。
 鯛ノ浦の教会は、立派な「ルルドの泉」を備えている。ルルドの泉とは、その水を飲めば万病から癒されるという泉にちなんで作られた水場のことだ。万病に効くかはさておき、水場には山水が引かれてあるようで、旨い水が飲めるようになっている。入り口には五島列島キリスト教の恩人の像が建っていた。キリスト教の保護に尽くした人、殉教者。五島列島のキリスト教も、弾圧の歴史と無関係ではない。
 この日の天主堂巡りのトリは、頭ヶ島(かしらがじま)教会だ。これまで見てきた天主堂の中では珍しく総石造りで、渋い名建築である。

頭ヶ島教会
頭ヶ島教会。信徒の熱意によって完成した石積みの教会。

 夜が近づき、あたりはますますうら寂しくなってきた。雨脚も強くなっている。地場のスーパーで見切り品のチキン南蛮弁当を買って夕食にした。食べる場所がないので、雨降る中、外で立ち食いする。侘びしいといえば侘びしいが、食えるだけありがたい。チキン南蛮の他、チャーハン、かまぼこ、ソーセージ、スパゲティサラダと、中身はけっこう盛りだくさんだった。
 この日は島のふれ愛ランドというところに転がり込んだ。季節外で、しかも天気が天気なので、管理棟には人もいなければ、一人の利用客もいない。雨がしのげる場所を選んでテントを張った。


荒井の耳打ち

離島での補給

 しまなみ海道や天草のように橋で本土と陸続きになった島や、佐渡島や奄美大島といった大きな島ならば、食料や必要物資の補給にはまず事欠きません。ところがこれが小さな島になりますと、途端に値段が跳ね上がる上、品揃えも少なくなります。こういう場合は前もって、本土や大きな島で、必要物資を補給しておくことをおすすめします。2,3日分の食料を持参するだけでも、結構な節約になります。ガソリン代もかなり高めになります。できればこれも、安いところで満タンにしてから渡る方がよいでしょう。ついでに、酒はどこでも値段はそう変わらないので心配無用です。

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