天気はよかったが寒かった。なかなか明けない梅雨といい、今年は冷夏なのだろうか。いつもどおり、手近に見かけたコンビニで調理パンとオレンジジュースを買って朝食にする。この日利用したのは中国地方に多く店を構える「ポプラ」だった。温泉津町(ゆのつまち・現大田市)で給油もしておく。他の地域と比べて、ガソリン代は高めだった。海を左手に快走し、間もなく大田市にさしかかった。ここで道を逸れ、物部大社に行った。
今でこそ、山陰地方といえば島根県と鳥取県の二県しかないが(注1)、これを旧国に当てはめると石見(いわみ)、出雲、伯耆(ほうき)、因幡(いなば)、隠岐と、五つの国になる。山陰では二つの県庁はもちろん、これら旧国を回るのも大きな目標だ。物部大社は石見国の一の宮で、山陰巡り最初の一の宮となる。
「物部氏といったら、大化の改新前に蘇我一族さ滅ぼさった豪族だったな。」などと昔の知識を思い出しつつ走ることしばらく、里山を背にした立派な神社が現れた。ここが目指す物部大社である。
神社はその通り、蘇我氏に滅ぼされた物部氏の祖霊を祀る神社である。神社そのものはそう広くないのだが、境内はよく清められ、旧い社殿や鳥居も簡素ながら重厚な貫禄を漂わせている。さすが古代の名家を祀る神社だなと、すっかり感心してしまった。
続く一の宮、出雲国の出雲大社は太田市からそう離れていない。その前に引佐の浜を見物した。国譲り神話で、天つ神の建御雷神と国つ神の建御名方が相撲を取ったという場所で、出雲大社の目と鼻の先である。神話ゆかりの海岸なのだが、テトラポットやコンクリートで固められた護岸、それに大量のゴミや漂着物が目につき、神話の舞台と言うにはあんまりだった。
出雲大社は伊勢神宮と並んで、日本を代表する神社だろう。出雲には古代、権勢を振るった一族がいたと考えられており、それが数々の日本神話に反映されている。国譲り神話もその一つで、「天つ神」こと、大和朝廷を作ることになった勢力が、「国つ神」こと、出雲をはじめとする在郷の勢力を服従させたことを表しているとされている。
祭神は大黒様こと大国主命だ。「古事記」では確か、葦原の中津国を譲る条件として、天つ神に「出雲に自分が住むための大社殿を造れ」と言っている。近年、境内から巨大な柱の遺構が発掘され、伝説の大社殿のものかと言われている。その建物が残っているわけでもないのだが、社殿はどれも巨大なものだった。
日本屈指の神社だけあって参拝客も多い。広大な駐車場は整理員も出ているほどで、全国津々浦々のナンバーを付けた車が集結している。神在月のみならず、人は一年中出雲にやってくるようだ。縁結びに御利益があることでも非常に有名だが、お願いしたのはいつもどおり、旅の安全だった。
名物出雲そばも食べたかったが、この調子なら、昼前には島根県の県庁所在地、松江市にたどり着けそうなことがわかったので、先を急ぐことにした。一旦日本海沿いの道をはずれ、出雲大社と松江市を結ぶ国道431号線を東に走る。右手には日本有数の汽水湖、宍道湖が横たわっている。湖は高くなった日を照り返し、きれいに映えていた。
島根県庁は松江城の隣にある。庁舎前には日本庭園風の岩や松の植え込みなどあって、なかなかの好立地だ。庁舎は鉄筋コンクリート製の現代的な建物だが、背の低い控えめな作りで、城や庭園の眺めを妨げていないのも好感が持てる。このあたりは奈良の県庁を彷彿させるものがある。
県庁食堂は食券制だ。残念ながら宍道湖名物シジミ料理はなかった。だったら日替わり定食でも食べようと献立を見た。日替わりはAとBの二種類あるが、まだ料理のサンプルが出ていない。運に任せてB定食の食券を買うと、肉じゃが定食が出てきた。
松江を出てさらに東に走っていると、隠岐汽船の事務所があった。隠岐汽船は本州と隠岐を結ぶ船の運航会社だ。船便を確かめようと立ち寄ると、今日の便に余裕で間に合うことがわかった。そこで出航前に、島根県最東端の美保関を見に行くことにした。
美保関は、出雲の国を作るにあたって出雲は土地が狭いからと、能登半島の余った土地に綱をかけて引っぱってきたという「国引き神話」が残る岬だ。岬には真っ白な背の低い灯台があって、名所の一つとなっている。灯台からは日本海が見渡せた。天気がよければ隠岐さえ見えるというが、この日は残念ながら見えなかった。
脇には石造りの趣のある休憩所がある。この休憩所は元々灯台守の館で、灯台が無人化された後は海の幸が評判のビュッフェとして好評を博していたが、最近の観光客の減少のため休業していた。売店は営業していて、冷え物など売っている。
美保神社にも寄った。岬近くの漁村にある神社だ。漁村とはいうものの、漁港の入り江には数えきれないほどの漁船が並び、門前街には海産物を扱う露店や民宿もあり、そのにぎわいはちょっとしたものである。神社はその要とも言える存在だ。祭神は恵比須様こと事代主命で、全国の恵比須様の総本社を謳っている。出雲大社が大黒様ならこちらは恵比須様。どちらも出雲の国作りに功績のあった人物で、それぞれを祀る神社が、出雲国にあるというわけだ。平成に入ってから大規模な遷宮があったようで、社殿から敷石に至るまで、神社は非常に整っていた。遷宮時には、アコーディオン奏者のcobaや、当時横綱だった貴乃花が、演奏や土俵入りを奉納したそうだ。
時刻が近づいたので、船が出る七類港に行った。七類港の待合所こと「メテオプラザ」は、博覧会の展示館のようなビルのてっぺんに、たまごのような球体が載っかっているという、やたら現代的な建築だった。1992年、美保関町(現松江市)の民家に隕石が落っこちてきたのを記念して、町と島根県がおっ建ててしまったものらしい。中には隠岐汽船の待合所のほか、食堂にみやげ屋、温水プールに保養施設、そして目玉の隕石展示館がある。町興しのための複合施設というやつだ。展示館こと「メテオミュージアム」では、その実際に落っこちてきた美保関隕石の現物が見られるというので気になったが、入場料がいい値段だったことと、出航目前だったのでやめといた。
夏休みに入っていたためか、客足は多い。待合所の座席は大きな荷物を抱えた旅客でいっぱいだった。外では単車も何台か並んでいる。岸壁では夏休みのアルバイトか、学生さんたちが着岸の準備を進めていた。
やがて船が見えてきた。外に出て待っていると、「そこ危ないからどけてくださ〜い!」と声が飛んでくる。場所を移ると、すかさず大きな音とともに、船から勢いよく縄が飛んできた。岸壁に横付けするため、船から空気銃で繋留用の縄を飛ばしてよこすのだ。学生アルバイトさんたちの動きが慌ただしくなる。縄をたぐって船を固定する。トランシーバーで連絡を取り合い、乗船客を誘導する。やがて車両甲板のハッチが開き、続々と車や乗客が吐き出された。フェリーが空になればいよいよ搭乗開始、ついに隠岐にも渡るのだ。
注1・「山陰地方」:厳密には山口県北部も含まれる。