与作国道を往く

四国上陸

ポンジュースとサンフォルテアイス
ポンジュースで祝杯中。愛媛のまじめなジュースか、命の水か?

 この日の野宿はしくじった。どうやらテントを張ったのは集荷場ではなく食品加工場だったようで、朝五時半に起きてみると、隣の建物がすでに操業していた。中で働いているおばちゃんたちは、見て見ぬふりをしていたようだが、見知らぬ来訪者を気味悪がっていたことは違いない。テントを畳むと、目立たぬように、そそくさと加工場を後にした。工場のみなさんごめんなさい!

 ここから四国に渡るには、尾道市からしまなみ海道を走るか、竹原市から船に乗るかのどちらかが選べる。しまなみ海道も捨てがたいが、往路で一度来たということで、今回は竹原から船で渡ることにした。船の上から、しまなみ海道がどんな風に見えるか楽しみだ。
 竹原への途中にある県道50号線は、全線舗装こそされていたが、細い、デコボコ、うねうねと三拍子揃った迷県道だった。だいいち入口からして狭くていきなり悪路の雰囲気を漂わせている。本当にここが県道なのかと、念のためDJEBELを停めて地図を調べていると、近くの家の人が出てきた。道を尋ねてみると、さもあたりまえのように「ここから竹原に行けますよ!」と言っている。どうやら結構利用されているらしい。その言葉を信用していざ飛び込んでみると、いきなり民家も何もない山奥の渓谷が現れた。朝早いからなのか、それとももともとこうなのか、車の往来はほとんどない。ただし風景は悪くなかった。山道の終わりには、仏通寺という名刹があった。おそらくそれゆえにこの道は利用されているのだろう。
 県道はやがて山陽本線を越え、国道2号線に合流した。このあたりでようやく「セブンイレブン」が見つかったので、オムそばサンドとオレンジジュースの朝食にした。そこから広島空港に通じる県道を走り、国道423号線に乗り換え、ようやく竹原港に着いた。フェリーは毎時定刻に出ている。着いたのは八時少し過ぎだったので、次の船までしばらく待つことになった。その分受付は余裕をもって済ませられたので、フェリーが着くや悠々と乗り込んだ。

 空はこのうえもなく晴れている。フェリーはしまなみの島々を左右に南に進んだ。高い鉄塔が建っているのが、消された島こと大久野島だ。瀬戸にさしかかると、右手には大崎上島の海岸道が手に取るように間近に見える。左手に見えるのは大三島だ。岸辺に見える漁村や山も、確かに走った覚えがある。あのときは島を一周したぐらいで、四国は遠目に眺めるだけだった。それから約三ヶ月、ついに四国に渡る時が来た。

愛媛県庁と坊ちゃん列車
近代的な建築が美しい愛媛県庁。木子七郎がてがけ、昭和4年に完成した。目の前には坊ちゃん列車も。

 愛媛の波方港までは1時間弱の航海だ。波方は小さく地味な港だったが、ここが記念すべき四国一周のふりだしだ。愛媛の県庁所在地松山までは50キロ。道がやたら整備されており、船を降りてから1時間ほどで県庁に着いてしまった。
 松山も歴史のある町らしく、城があるほか、路面電車も走っている。町の道路も碁盤目だ。そして県庁も同じく、年季の入った西洋風の建物だった。間もなく昼なので、さっそく食堂で昼食にする。ここで食べたのは500円のサービスセットで、カツカレーにサラダ、コーヒーゼリー、スープが付いてきた。
 売店ではもちろんポンジュースも売っている。四国上陸を祝して500mlのペットボトルを一本仕入れ、休憩室で呷っていると、職員さんが「愛媛にいらしたんですか? でしたらこれをどうぞ。」と、観光案内をどっさりくれた。

 勢いを買って先に進みたいところだが、その前に、市内のユニクロで靴下を仕入れておいた。長旅をしていると、靴を履いている時間が長いせいか、いつの間にか靴下のつま先に穴が開いている。こういうときはテントを張った時にでも、針と糸を取り出して繕ってまた使うのだが、それでもまた別のところが破れてくるので同じことを繰り返していると、しまいには縫い目だらけになる。こうなるともうどうしようもないので、買い換えることになる。旅先では立ち寄り湯や料理屋など、人前で靴を脱ぐ機会も多いので、靴下にも気を遣うのだ。

四国最西端佐田岬
四国最西端の佐田岬。対岸を見て、ところてん旨かったよななどと思い出す。

 靴下の補充が済んだので、四国最西端、佐田岬(さだみさき)に向かって走り出した。松山から岬までは100キロ以上ある。
 松山を出て国道378号線に乗り換えると、ほどなく海が見えてきた。国道には「夕やけ小やけライン」という名前が付いていて、海を右手にする道がひたすら続いている。夕焼けを拝むには日はまだまだ高かったが、日差しを照り返す海を見ながらの道中は気分爽快そのものだった。岬に続く半島に入ると稜線上に登り、今度は海を左右に見下ろす格好になった。半島は西に向かって針のように細長く突きだしており、先端の岬まではまだまだ走ることになる。
 途中道の駅で休憩したり、Aコープで食料を仕入れたりしたので、岬の駐車場に着いたのは夕方近くだった。岬の先端にある灯台までは、駐車場から1キロ弱歩いていかなければならない。人気の景勝地だからか、駐車場には若い男女が多かった。
 歩くことしばらく、佐田岬の灯台にたどり着いた。目の前の豊予水道はまさに川のように流れており、その対岸には、荒井がところてんを食べた佐賀関と工場の煙突が見えた。
 自分はあの対岸に行ったことがある。そして今、あのとき東に見やった場所にいる。寝る場所を探す時間だったが、沈む夕陽があまりにきれいだったので、しばし西の空を眺めていた。

 すっかり暗くなってしまった。テントが張れそうな場所を探しながら、来た道を引き返す。半島の基部、保内町(現八幡浜市)でみかん集荷場を見つけたので、そこの片隅にテントを張って寝ることにした。夕食をは簡単に、さっきAコープで仕入れておいたじゃこ天をかじって済ませた。

足摺岬へ

 撤収して出発しようというとき、あたりに人の姿が見え始めた。間一髪ぐらいでこっそりと集荷場を後にする。こうした野宿では、跡を残さないようにするのに気を遣う。近所の保内町役場で水道を拝借して身繕いを済ませてから、本格的に走り出した。
 出発すると間もなく、夏らしい日差しが照りつけてきた。気が付けばもう8月になっていたのだ。

八幡浜市冒険とロマンの浜源蔵前記念碑
道中八幡浜市で発見。大正二年、この地より小舟でアメリカに船出した浦人を讃えて建てられたもの。

 四国の西海岸はリアス式になっている。道はその海岸に沿って延びているせいかやたら長く、なかなか距離は稼げなかった。右手に海を見ながら、一車線になったり二車線になったり、漁村が現れたり都市が現れたり、岬と入り江に出たり入ったり、そんなことを何度も何度も繰り返しながら様々な場所を通過したが、おおよそは穏やかに海を眺める鄙びた道が続いた。途中立ち寄り湯を見つけ、休憩がてら入っていこうと思ったが、時間がまだ早くて開いていなかった。
 この旅では、リアス式の海岸も数えきれないほど走ってきた。その一番最初となった三陸海岸では、北から南まで走破するのに三日かかっている。このあたりもしんねりと走れば二日はかかるだろう。
 着々と走ること約6時間、ようやく県境を越え高知県に着いた。出発が早かったので、これだけ走ってもまだ昼下がりである。大月町の道の駅で食堂を見つけたので、そこで昼食にした。食べたのは「さんげつランチ」というもので、野菜炒めにエビフライ、鶏の唐揚げが一つの皿に載っているという節操のなさだが、見るからに旨そうな一品である。

足摺岬灯台
足摺岬灯台。四国最南端にはロケットが立っている。

 途中、景勝地の叶岬に立ち寄ったりもしたが、日が傾く頃には足摺岬に着くことができた。
 足摺岬は四国最南端の岬である。生い茂った椿のトンネルをくぐって岬に向かうと、ロケットのような形をした灯台が建っている。近所に四国八十八ヶ所巡礼の寺もあるせいか、白い装束を身につけたお遍路さんもちらほらと見かけた。展望台から、遙かに広がる太平洋を見やる。このはるか南には大東島やニューギニア島、オーストラリアがあるという。岬の入口には土佐が輩出した幕末の国際人、ジョン万次郎こと中浜万治郎の銅像が立っていた。

 岬を出てさらに走ることしばらく、中村市(現四万十市)にやってきた。四万十川の河口にある街だ。街中のスーパーで買い出しを済ませてから、市の近郊にある沈下橋を見に行った。沈下橋とは川が増水すると水没する橋のことで、冠水橋ともいう。一番の特徴は欄干がないことで、増水して橋が水に沈んでも、流木などが引っかからないようにするためらしい。冠水橋は四万十川の各地に架かっている。こうした橋が多いということは、それだけ川が氾濫するということなのだろうか。

佐田沈下橋
佐田の沈下橋。水面を走って渡れそう?

 河川敷の公園がちょうど無料のキャンプ場になっているというので、この日はそこで四万十川の瀬音を聞きながら寝ることにした。公園のキャンプ場といっても、水道と厠があるくらいのもので、河原や堤防の草っぱらをテント場として開放しているという簡素なものである。とはいえ、この簡素さこそが、貧乏旅人には堪らない。しかも四万十川が目の前なのだ。
 地元のおっちゃんによれば、このキャンプ場は意外に利用者が多いらしいが、この日荒井の他にテントを張っていたのは、野遊びを楽しみに来たとおぼしき、三人ほどの集団一つだけだった。
 テントを張り、夕食をこさえる。久々に米を炊き、買い置きのさんま蒲焼き缶、わかめスープ、さっきスーパーで買ってきた2割引のきんぴらごぼうと張り込んだ。一月以上炊いていなかったせいか、炊きあがったご飯はやや水っぽかったが、この場所がよかったのか、格別に旨かった。

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