しまなみ再来

一六本舗の一六タルト
愛媛名物タルトの図。これは伊丹十三監督が宣伝していたこともある一六タルト。

 阿波踊りの学生さんと、自転車乗りの東大生は、電車の都合で早々に出発していた。まだ寝ている人を起こさぬよう、荒井もこそこそと支度する。朝食は昨日買っておいた「一六タルト」でごまかした。愛媛でタルトといえば、パイ生地の上に果物を載っけたこ洒落た洋菓子ではなくて、カステラであんこを巻いたロールケーキみたいな和菓子を指す。
 外はぱらぱらと雨が降っていた。談話室でネット端末を弄りながら天気待ちをしていると、九時になってしまった。その甲斐あってか雨も小止みになっている。ペアレントさんのおばちゃんに見送られ、松山を出発した。

 来たとき同様、フェリーで竹原に戻ってもよかったが、もう一度しまなみ海道を走ることにした。しまなみ海道は行きでも利用しているが、そのときは因島、生口島、大三島に渡っただけで、その先の伯方島と大島には行っていなかった。戻るついで、まだ渡っていない島を廻るというのも悪くない。
 島を渡るたびに高速道路を利用することになるので、まずは今治北のインターチェンジでハイウェイカードを買う。そして料金所をくぐり、本州向けて出発した。

亀老山から見る来島海峡大橋
三連吊り橋が特徴の来島海峡大橋。しまなみ海道最大最長を誇る。

 「しまなみ海道」と刻まれた標柱を眺めつつ、来島海峡大橋を渡る。長大な三連吊り橋を渡りきれば、そこが大島だ。さっそく島を一周してから、大橋のたもとにある道の駅「よしうみいきいき館」で昼食にした。ここの食堂は海鮮バーベキューが売りなのだが、かねてから気になっていた鯛茶漬けを頼んだ。ご飯の上に鯛の刺身を何切れか載せ、熱い出汁汁をかけてさらさらと啜りこむ。これまで永谷園のお茶漬けしか喰ったことのない荒井だけに、茶漬けで一食1000円も取るとはいい度胸だと思ったが、鯛茶はやっぱり旨かったので文句は言わない。

 展望がいいという亀老山(きろうさん)に行った。てっぺんにはデッキの半分以上が地下に埋まっているという変わった展望台があり、そこからはさっき渡ってきた来島海峡大橋がよく見える。また、展望台の一角の柵にはいくつも錠前がついていた。なんでも、展望台は縁結びの名所としても知られているそうで、ここで願をかけながら柵に錠前をかけると、想い人と添い遂げられるとかいう噂らしい。亀は万年というのにあやかったまじないのようだ。
 島の北にもカレイ山というところがあって、そちらからは隣の伯方島が望める。キャンプ場もあって、この日は三重からヤマギシ(注1)の子供らの一団がキャンプに来ていた。

 次いで伯方島に渡った。「伯方の塩」で有名な島だ。島の入口にある道の駅の売店では、塩が広い面積を取って売られている。塩アイスなんてものもあった。食べてみたが、ほんのり塩味がする、やさしい食感のシャーベットだった。
 伯方島はそう大きくないので、あっという間に一周できる。一周の仕上げに島の北西にある開山(ひらきやま)に立ち寄ると、大三島と見覚えのある多々羅大橋が見えた。巡り巡って、自分はここまで戻ってきたのだ。

 そして大三島橋を渡り、再び大三島に上陸した。そろそろ日が傾き始めていたので、この日はここで切りあげることにした。
 前にポンジュースを買った多々羅大橋たもとの道の駅で一息ついて、これまた前にも利用した多々羅温泉に行く。ここで風呂に入ってくつろいでから、またまた前にも来たことのあるAコープで夕食の買い出しをして、やっぱり前にもお世話になった大橋下の多々羅キャンプ場に転がり込んだ。お盆休みと重なったせいか、キャンプ場は三ヶ月前の静けさが嘘のような大盛況だったが、荒井がこの前テントを張った場所はまだ空いていたので、もう一度そこにテントを張った。
 夕食は多めに米を炊き、さっき仕入れた食料で、豚肉とじゃがいもとエリンギ入りのカレーみたいなものを作って喰った。量を作りすぎて、片づけるのに難儀した。

四国脱出

村上三島記念館
村上三島記念館。大三島が輩出した日本書壇の大家を記念して建てられたもの。

 買い置きの金ちゃん徳島ラーメンに乾燥わかめを突っ込んで朝食にする。朝食がカップ麺だけでは心許ないので、近所のローソンでオレンジジュースを買って飲む。しまなみ海道は橋のおかげか、どこの島にもコンビニがあるので、便利といえば便利である。
 もう一度島を廻る。大山祗神社に行くと、祢宜さんが竹ぼうきで境内を掃き清めている真っ最中だった。隣の道の駅では、島で作ったラズベリーを売っていたので、物珍しさに買って食べた。見学しようと島にある「伯方の塩」の工場に行ってみたら、お盆休みで休業中だった。来るときも利用した道の駅の自販機でポンジュースを買う。
 最後に「村上三島記念館」を見学した。村上三島(むらかみさんとう)とは島出身の書家だ。その縁で、しまなみ海道では氏の筆跡をよく見かける。大山祗神社前の社号碑、道の駅にある多々羅大橋の銘を刻んだ石碑、荒井も見たしまなみ海道の起点と終点にある「しまなみ海道」の標柱も、同氏の揮毫だ。記念館の展示は書が中心で、相当な数が収められてあった。書には疎い荒井だが、一人の書家の文字でも、書体によって雰囲気ががらりと変わるということに驚いた。

 多々羅大橋を渡り、生口島で昼食にした。しおまち商店街で、前来たときから気になっていた岡哲商店のビーフコロッケを買う。店頭のフライヤーで揚げながら販売しているのが食欲をそそる。揚げたての熱々をハフハフいいながら食べる。お次は前食べて気に入った玉木商店のローストチキンだ。小骨など気にせず、ガブリと喰う。こういうものは豪快に喰った方が旨い。
 お盆だからか、岡哲商店も玉木商店も忙しそうだった。お盆はご馳走を買いに来る客が増えるので、食べ物商売のかき入れ時なのだ。おととしまでは自分もそうだったわけだが、旅人になって一年以上、それも今は昔に思われる。
 とどめはもちろん「ドルチェ」のジェラートだ。伯方の塩ジェラートとデコポンシャーベットをダブルで食う。久々に立て続けに瀬戸田町の特産品を口にして、大いに満足した。

 生口島と橋で地続きになっている高根島を一周し、因島に渡った。ここで船でしか行けない島にも行ってみたくなり、因島の南にある弓削島(ゆげじま)に渡った。因島からは五分ほど、船で細い瀬戸を通ってすぐの距離である。瀬戸の両岸には造船所や集落などが間近に見えた。
 船でふとあたりを見回すと、たまたま、ゴミ箱代わりに置いてあるペール缶に用を足している兄ちゃんと目が合ってしまった。その兄ちゃんはその後なぜか荒井に興味を持ったのか、隣にやってきて、肩を叩きながら気安げに話しかけてきた。よりによって金玉触って洗ってない方の手で!
 兄ちゃんは島の造船所に勤めているらしく、そこでタンカーを造っているそうだ。今はちょうどお盆ということで、島に戻ってきている友達らにご馳走しようと、弓削島にサザエを獲りに行くところだった。島ではアワビも獲れるらしい。寿司屋に持って行くといい小遣い稼ぎになるんだよと教えてくれた。

弓削島
弓削島にて。小島が密集するしまなみ海道は島巡りにも最適だ。

 「山形から来たのかい! この島には何にもないよ〜。」 島に降りるなり、自転車に乗ったおじちゃんがそう話しかけてきた。実際島はそのとおり、ときめくような観光名所は一つもない。集落は島の北と西に集中しており、東と南は断崖になっている。断崖は燧灘に面しているため、そこからは島影もあまり見えなかった。
 そのかわり島は静かな砂浜に恵まれていて、夏休みで遊びに来たらしい観光客の姿をよく見かけた。浜に近い松林では、キャンプを楽しむ家族連れが目立った。島には国民宿舎もある。島は今一年で最も賑やかな時期なのだろう。静かな島は、夏を過ごすのにうってつけなのだ。

 因島に戻り、向島に渡った。しまなみ海道では最も本州寄りにある。島の北の対岸はもう尾道だ(注2)。橋で渡れる隣の岩根島も含め軽く一周する。あまりに本州に近いせいか、しまなみ海道もここまで来れば街並みも本州のものと変わりなく、あまり島という感じがしない。

 いよいよ四国を後にする時が来た。見覚えのある切り通しを一気に駆け抜ける。何度も乗り降りを繰り返したしまなみ海道を走るのもこれが最後、これでもう、この旅で四国に戻ることはない。そればかりか、北海道、沖縄、九州、四国と、本州以外の大きな島をすっかり廻りきり、日本一周も、残るは山陰と北陸だけになったのだ。夕暮れの中、尾道でしまなみ海道を降りる。向島からは距離にして僅かな瀬戸を超えたに過ぎなかったが、旅が大きく終わりに近づいたような気がした。

 夕食は尾道市内の「味龍」というラーメン屋で、名物の尾道ラーメンを食うことにした。注文すると、チャーシュー、メンマ、小ネギ、揚げ玉が載っかっているという、至って素朴なラーメンが出てきた。魚で出汁を取ったこってりした醤油味で、麺は博多ラーメンのようなまっすぐな細麺だ。とびきり旨いわけでもなかったが、日頃食べるには、これぐらいがちょうどよいのだろう。

 そのうち雨が降ってきた。三原市の御調八幡宮キャンプ場にたどり着くとあたりはすっかり暗く、雨も強くなっていた。ちょうど雨をしのげる四阿があったので、そこにテントを張る。お盆だというのにあたりに泊まり客は一人もいなかった。
 日記も書き終え、寝ようと電灯を消すと、単車が近づいてくる音がする。何事かと様子をうかがうと、単車に乗った旅人が二人やってきた。雨にたたられすっかり参っていた様子で、彼らも四阿にテントを張ることになった。
 旅人が集まれば、それだけで宴会が始まる。寝るのも忘れ、彼らとおしゃべりに興じる。彼らは岐阜から来た単車乗りで、お好み焼きを食べに広島に行くところだった。今日中に広島に着くつもりで、今朝方出てきたのはいいものの、この雨で思うように進めず、この無料キャンプ場に転がり込むことにしたらしい。「これまで一泊二日で、いろいろ遠くに行ったんですけど、一日で必ず目的地に着いてたんですよ。でもこの雨ですからねぇ。今日は広島までたどり着けませんでした...お好み焼き食べられるんだろうか?」
 あれこれ話に盛り上がるうち、結局この日寝たのは十二時頃だった。


脚註

注1・「ヤマギシ」:幸福会ヤマギシ会の略。農業・牧畜を基本にした理想社会を作ろうという団体。その活動内容がカルト宗教に酷似しているため、しばしば問題視されている。

注2・「もう尾道」:厳密には、当時も向島の北東部は尾道市の市域だった。その後平成の大合併によって、しまなみ海道の多くの自治体は、尾道市と今治市に繰り入れられたため、現在は向島全域が尾道市に含まれている。


荒井の耳打ち

列車・バスの利点

 列車旅の利点は、乗り物を自弁しないことではないかと思います。乗り物はそれ自体が最大の荷物となります。乗り物がないぶん、身軽な装備で移動できますし、車窓の風景を眺めつつビールを空けるなんてことは、単車や自動車では絶対にできません。移動の自由度は下がりますが、時刻表とにらめっこしながら的確な乗り換え便を探し、時にのんびり次の便を待ちながら、時に時間と勝負しながら旅をするのも、鉄道好きにとってはこれまたたまらなく楽しいことでしょう。

前に戻る文頭に戻る目次に戻るトップページに戻る次を読む