中国地方一周達成

倭文神社
落ち着いた渋い社殿の倭文神社。鳥取県は西の伯耆と東の因幡からなる。

 空はあいかわらずの灰色で、いつ降り出すかもわからない。旅に出てだいぶ経つのに、やっぱり雨を心配しながらの道中は気が滅入る。いつもどおりテントを畳み、六時半に出発した。
 県道で倉吉市に出て、「ポプラ」でツナサンドとオレンジジュースの朝食にする。市内に鳥取名物二十世紀梨の記念館があるというので、あとで見学しようと場所と開館時刻を確かめておいた。今はまだ朝早いから開いていないのだ。

 続いて東郷町(現湯梨浜町)の倭文神社(しどりじんじゃ)に行った。倭文神社は伯耆国一の宮で、東郷湖という小さな池の東岸、池を見下ろす山の中腹にある。神社は安産に御利益があるそうで、境内には安産祈願の絵馬が多数奉納されており、それなりに崇敬を集めていることがうかがえるのだが、苔むした参道には人の気配もなく、拝殿前には賽銭箱もなかった。どうしたものかとおそるおそる拝殿の戸を開けると、中に置かれてあったので、そこに賽銭を投げ込んで参拝を済ませた。社務所も開いていなかったので、残念ながら由緒記はもらえなかった。

泊村のマンホール
泊村のマンホール。村はグランドゴルフの発祥地。

 一路泊村(現湯梨浜町)に行く。大学の体育実習で先生が「グランドゴルフは泊村というところでできたから、ホールアウトのことを『とまり』と言うんだって。本当だよ?」と言っていたのを思い出す。そのとおり、岬の公園には常設のグランドゴルフコースがあって、マンホールの絵柄にもグランドゴルフのクラブとボールが登場していた。それからちょっと引き返し、羽合町に向かった。
 羽合と書いて「はわい」と読む。ハワイといったらアメリカの常夏の島、ハワイだろうということで、町は「日本のハワイ」と称してその名を売り込んでいる。昨日寄った「ゆ〜たうん」の番台に座っていたおばちゃんも、「ここが日本のハワイなのよ!」と仰っていたから間違いない。荒井の知る限り、日本にハワイは二つ存在している。ひとつは「常磐ハワイ」こと福島県いわき市の「スパリゾートハワイアンズ」と、ここ「日本のハワイ」、鳥取県の羽合町である。

羽合町役場 ハワイ海水浴場
「日本のハワイ」羽合町役場とハワイ海水浴場。はわいと読むからにはハワイなわけで。

 この地名、日本の面白地名としてよく知られており、もちろんスキモノ荒井も耳にしていた。ところが近々合併によって町が消えるというので、そのまえにぜひ行ってみたいと思っていたのだ。
 さすが日本のハワイ。町役場は一見なんの特徴もない、鉄筋コンクリート製の地味な建物なのだが、中で働いている職員さんは全員アロハシャツを着ていた。昨日の番台のおばちゃんもアロハだった。沖縄のかりゆし同様、ここではアロハが制服なのだ。
 町は本家本元アメリカのハワイ州と姉妹都市提携を結んでおり、盛んに交流活動をしている。役場には町の観光案内に混じってハワイの観光案内も置かれてあった。公民館ではウクレレやフラダンス教室も開かれ、祭りや催しなどでたびたびお披露目されているらしい。「日本のハワイ」は僭称ではないわけだ。ちなみにアメリカのハワイは英語でHawaiiと綴るが、羽合町はローマ字でHawaiと綴っている。面白地名が消えるのは住民の皆さんにとっても惜しいようで、町では合併後の住所表示をどうしようか話題になっていたそうな。
 もちろんビーチもある。名付けて「ハワイ海水浴場」。本家のワイキキビーチと違い、こちらはテトラポットあり海の家ありのいかにも日本の海水浴場といったところで、お盆を過ぎたせいか天気のせいか、人はほとんどいなかった。

鳥取県庁 喫茶コーナーのエビフライカレー
鳥取県庁とエビフライカレー。なみなみと盛られたカレーが出てきてびっくり。

 県庁巡りのため鳥取市に向かう。海に沿って国道を東に走る。泊村から鳥取にかけての海岸には、小さな岬や海水浴場が点在していた。その中には「因幡の白兎」の舞台になったというところもある。
 鳥取県庁は街中にあった。そう広くない敷地にそう大きくない建物がいくつか並んでいて、あんまり見た目に派手さはない。いつもどおり食堂を探してみたが、改装中で営業していなかった。かわりに喫茶コーナーで軽食を出しているというので、そちらを利用することにした。改装中の仮営業なので、献立はラーメンやカレー、丼物が中心だ。あまり期待せずにエビフライカレーを注文したが、予想に反してなかなか旨いカレーが出てきた。

宇部神社
武内宿禰を祀る宇部神社。宿禰は五月人形でも知られる人物だ。

 北九州でオイル交換をしてからだいぶ走っていたので、市内の二輪車屋でオイル交換と簡単な整備をしてもらう。それから隣の国府町(現鳥取市)にある宇部神社に行った。神社に行ったのはいいものの、駐車場にDJEBELを止めた途端に腹の調子が悪くなり、参拝の前に厠を借りに町役場まで行く羽目になった。
 さておき、宇部神社は因幡国一の宮だ。物部神社から始まった山陰巡りもついに大詰め、ここにお参りすれば、山陰で廻るべき県庁と一の宮は全て訪れたことになる。神社は古代の忠臣、武内宿禰命(たけのうちすくねのみこと)を祀っている。長年にわたって天皇家に仕え、当地で天寿を全うしたのは実に300余歳の時だったという伝説的な人物だ。
 長い石段を登ると社殿が建っている。品の良い山小屋のような趣で、目立たず派手すぎず、縁の下の力持ちとして活躍した忠臣を祀る神社らしい社殿だった。

砂丘センターから見る「馬の背」
展望台から鳥取砂丘を見る。「馬の背」と呼ばれる大きな砂山がひときわ目立つ。

 鳥取といったら砂丘だろうということで、市の近郊にある砂丘センターに行った。センターは砂丘を見下ろす場所にある。砂丘観光の中心地のようなところで、食堂やみやげを扱う売店はもちろん、ホテルや砂丘まで行けるリフトまで備えてある。
 売店で梨ソフトクリームを買い、展望台に登る。海の方を望むと、防砂林の向こうに大きな砂山が見えた。詳しくはまた明日見ることにして、ひとまずセンターを後にした。

 二十世紀梨記念館を見学するため、県道で倉吉に戻った。途中には人気の温泉地、三朝温泉(みよしおんせん)があったが、梨の方が気になるので素通りである。
 温泉には寄らなかったが、たまたま見かけたリサイクル本屋には立ち寄った。旅をしていると、テレビはあまり見なくても平気になるのだが、本や雑誌といった活字が恋しくなる。変わった本を物色していると、前から探していた古いゲームの攻略本が見つかった。まさかこんなところで見つかるとは思わなかったぜと購入してしまう。
 倉吉に戻ってきたものの、入口には「閉館日」の札が架かっていた。運悪く、この日は閉館日だったのだ。「結局本ば一冊買っただげだったなぁ。」と苦笑しつつ、また鳥取市に向かって走りだした。

鎌倉の吉田さん 野下さんと木下さん
キャンプ場で一緒になった面々。その節はお世話になりました!

 再び鳥取に着いたのは夕方近くで、空はまだまだ明るかった。いろいろな場所を行ったり来たりした割に、時間はそう経っていなかったらしい。この日転がり込んだのは砂丘の近くにある柳茶屋キャンプ場だ。林間にある市営のキャンプ場で、貧乏野宿には申し分ない立地と設備が揃っているが、なんと無料で利用できる。そのおかげかなかなか盛況で、合宿とおぼしき自転車乗りの一団を筆頭に、多くの先客がすでにテントを張っていた。
 旅人の利用も多いようだ。この日は荒井の他、鎌倉から来た理容師の吉田さん、日本一周を目指す大分の学生野下さん、熊本から来た学生の木下さんという方々と一緒になった。
 あいさつをすれば誰ともなく集まりだし、夜は酒でも飲もうぜとなる。同じ旅人だけにうち解けるのは早い。各自テントを張ってから、一行で近所のジャスコに繰り出し、酒や食料を買い込む。そしてあたりが暗くなりだした頃、夕食兼の宴会が始まった。
 円坐になって、めいめい夕食を作りながらおしゃべりに興じる。荒井は五島で買った地獄炊きうどんを作って食った。夕食が片づいたらそのまま酒盛りだ。肴はもちろん旅の話である。缶チューハイや缶ビールを空けつつ、話は夜遅くまで、尽きるともなく続いた。
 自転車乗りの一団も盛り上がっているらしい。間もなく終わる夏を惜しむかのように、キャンプ場は賑やかだった。山陰巡りの最後にふさわしい、楽しい一夜となった。

 最初に中国地方に足を踏み入れたのはいつだったろう? 確か5月の頭。九州から戻ってきたのが7月末で、四国巡りも含めてあれから半月あまり。山陰一周達成は、変則的な行程となった中国地方一周達成も意味していた。
 明日からは「ツーリングマップル」も中国・四国版から関西版に切り替わる。荒井の日本一周も、あとは北陸を残すのみ。風が少し涼しかったのは、夏の終わりが近いからだけではないのだろう。


荒井の耳打ち

どんな地図を使うか

 荒井が持って行ったのは昭文社の「ツーリングマップル」でした。林道情報や名所名店情報、ツーリングにおすすめの道路情報などが網羅されており、単車乗りや旅人の地図の定番となっています。7巻に分けて全国分を収めていますが、それだけに全国分を揃えて持ち歩くとなると、相当なかさになりますので、それが問題となります。また、2003年度版は編集体制が変わったために、以前と比べて使い勝手が悪くなったという声もありましたが、現在は改良されているようです。
 山道や林道はあまり走らない、というのであれば、全国道路地図一冊でも十分間に合います。逆に道路地図に載っていない道を好んで走ったり、時には単車を降りて山に登るならば、該当箇所だけでも国土地理院の地形図があった方が安心でしょう。また、町歩きや名所巡りでは、現地で手に入れられるガイドマップや観光案内図がものをいいます。荒井はツーリングマップルを基本に、必要に応じて観光案内図を手に入れて使っていました。
 とはいえ、地図がなければ旅ができないわけではありません。いっそ全く地図を持たずに旅をするというのも、冒険的で面白いかもしれません。

続・単車の整備

 故障したときのことを考えて、保守部品や工具を持参して旅をする方もいます。スパークプラグ、替えバルブ、アクセルとブレーキ用のワイヤー、グリップレバー、エンジンオイル、パンク補修キット、スペアチューブ、空気入れなどなど、あると助かるものはたくさんありますが、極端に言えば、日本を旅する限り、こうした部品は持参せずとも十分長旅は可能です。県庁所在地程度の都市だったら、保守部品は比較的容易に手に入れられます。
 自分で交換できるのならまだしも、修理ができないのに心配して何でもかんでも持って行こうとすると、かえって荷物が増えるだけで困る羽目になります。実際、荒井も心配してパンク補修キットや空気入れを持って行ったのですが、結局使う機会はありませんでした。

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