最後の買い物遠征

北陸突入

佐渡汽船寺泊待合所
海岸線沿い一周の終点となった寺泊の佐渡汽船待合所。ここに来れば日本一周達成だ!

 日本一周の最後が北陸になることは、旅に出たときから決まっていた。
 この旅の大雑把な方針は、暖かいうちに北海道を回って日本の最東端と最北端を極め、徐々に南下し沖縄で日本の最南端と最西端を極め、徐々に戻ってくるというものだった。本州は時計回りに廻っていったため、東北地方のすぐ南西にある北陸地方には、どうしても一番最後に来ることになる。だから北陸に近づくということの意味は、旅を始めた当初から判ってはいることだった。
 旅を始めた頃、北陸はいつ訪れるかも分からない場所だった。それがいつか行く場所へと変わり、やがて行く場所になった。そして今、北陸は「日本一周で最後に来る場所」として、荒井の目の前にあった。

 北陸は若狭湾付近から山形県鼠ヶ関(ねずがせき)までの日本海沿岸地方、旧国では若狭・越前・加賀・能登・越中・越後・佐渡の七国、県なら福井・石川・富山・新潟の四県からなる地域である。このうち佐渡と越後の一の宮、新潟県庁はすでに訪れている。そのかわりまだ行っていない一の宮と県庁がそれぞれ岐阜と長野に残っているし、廻りたい場所もあるので、いつもどおり海と内陸を行ったり来たりしながら山形を目指すことになる。これを廻りきれば、荒井の日本一周がついに成就する。

 出雲大神宮を出た後は、昼食と休憩のためにコンビニと道の駅に寄ったぐらいのものだった。気が付けば空には灰色がかった雲がたれ込めている。朝方はあんなに天気がよかったのに、雨が近いらしい。
 再び宮津に戻ってきたところで、いよいよ北陸に向けて出発する。由良川を渡り舞鶴市に入る。舞Iは日本海有数の港町だ。北海道へのフェリーが毎日出ているので、関西方面の旅人にとっては、北海道への出口という印象が強いようだ。また、古くは横須賀や呉と並ぶ鎮守府で、今でも海上自衛隊の基地がある。港に海上自衛隊の艦船がずらりと停泊しているのが、道路からでも間近に見えた。

 舞鶴を出て福井県に入る。福井県も全く新しく足を踏み入れた県で、これまで訪れたこともなければ通過さえしたことがない。ついに北陸突入、日本一周最終面の始まりだ。
 北陸巡りの幕開けは、小浜市にある若狭国一の宮若狭彦神社だ。神社は上社と下社の二つに分かれていて、下社は若狭姫神社とも呼ばれている。社務所は若狭姫神社の方にだけあって、こちらが両方をまとめて管理している。神社の境内にはご神水が湧いており、周辺は水に恵まれている。伝説によれば、奈良に春の訪れを告げる行事、東大寺二月堂のお水取りで使われる水は、若狭彦神社の神様が提供しているのだそうな。上社は若狭姫神社から少し山に行ったところにある。こちらには人もおらず、うら寂しい参拝となった。

若狭姫神社 若狭彦神社
若狭姫神社(左)と若狭彦神社(右)。北陸とはいえこのあたりはまだまだ京都の文化圏。

 上社を参拝する頃にはさらに雲が出てきて、日没前だというのにすっかり暗くなっていた。小浜の市街地を抜け出そうとしていると、とうとう雨が降ってきた。まだ8月だというのにはっきりしないこの天気、つくづく嫌になる。道端にDJEBELを停めて雨装備を取り出す。屋根の下に泊まろうかとも思ったが、気軽に飛び込めそうな宿もない。
 若狭湾は三陸や志摩半島と並ぶ日本を代表するリアス式海岸で知られるが、半島巡りはやらなかった。半島周遊道路がないから廻るのに時間がかかる上、何よりこの天気では走りつぶそうという気になれなかったのだ。
 小雨が降る中美浜町まで来た。五木ひろしの出身地のようで、「五木ひろしの出身地美浜町」といった看板もある。ここで首尾よく屋根付きの農協の集荷場が見つかった。野宿できる目処が付いたので、テントを張る前に近所のコインランドリーで洗濯を片付ける。日記を付けながら洗濯が終わるのを待っていると、やってきた地元のおばちゃんに「怪我しないように気をつけてね。」と声をかけられた。洗濯後、近くの「ファミリーマート」でツナクリームスパゲティと牛乳を買って夕食にした。
 福井もこの界隈は京都に近いせいか、古くから京都とのつながりが強く、北陸というよりは畿内の雰囲気が漂っている。京都ナンバーの車も数多く走っているし、何より言葉が京都っぽい。コインランドリーで会ったおばちゃんにもコンビニの店員さんの口調にも、どことなく京訛りが残っていた。

北陸一の名県庁

 起きるとやがて雨が降ってきた。テントを畳み、雨宿りがてら地図で行く先を確かめる。このあたりはなにかと廻りたい場所が残っていたため、道を選ぶためひとしきり考え込むことになった。
 考えてばかりでも仕方ない。六時半に出発し、「ファミリーマート」でツナタマサンドとオレンジジュースの朝食にした。旅では毎度大雑把に行く先だけを決めて、詳細は現地で地図を見ながら考える。これは旅を始めてから今に至るまでほとんど変わってない。

高速増殖炉研究開発センター
高速増殖原型炉「もんじゅ」遠景。若狭湾は日本屈指の原発地帯でもある。

 本日最初の目的地、越前国一の宮氣比神宮(けひじんぐう)は敦賀市、美浜のすぐ隣にある。今行っても授与所は開いていないだろうので、時間つぶしに敦賀半島に寄り道した。リアス式海岸の若狭湾は景勝地に恵まれており、三方五湖を抱える美浜もその例に漏れない。
 ところが名前どおりの美しい砂浜を眺めつつ走っていると、周囲とは明らかに異質な、丸や四角のでかい建物が現れた。もう一つの若狭名物、原子力発電所だ。若狭湾一帯は地盤が固いのか、日本有数の原子力発電所地帯「原発銀座」で、関西の重要な電力基地となっているのだ。
 美浜の原発はちょうど海水浴場の真向かいにある。原発を眺めながらの海水浴も、さぞ落ち着かないものがありそうだ。そこからさらに先に行ったところには、高速増殖炉「もんじゅ」がある。数年前、冷却用のナトリウムが漏れてえらい騒ぎになったところだ。だいぶ手前で監視付きのゲートに阻まれ、ただでは先に行けなくなっている(注1)。デジカメのズームレンズを目一杯に延ばして建物だけ撮っておいた。
 美浜原発の手前で半島を横切り、東岸を北に進むと敦賀の原発がある。一つの半島に三つの原発、宮城の牡鹿半島にだってこんなに原発はあっただろうか。しかも三つとも管理者が違っていたりする(注2)。事故った時が怖そうだ。この電力がほどんと関西に行っていると考えると、地元の人も複雑に違いない。

氣比神宮
越前国一の宮氣比神宮。北陸を代表する神社で雨宿り中。

 時間になったので氣比神宮に向かう。佐渡の気比神社で「いったい何時のごどさなるんだべ?」と思ってから一年以上、ついに越前の氣比神宮にも来てしまった。
 氣比神宮は北陸、もしかすると日本海側唯一の神宮だ。神社の歴史は相当に古く、「古事記」にはその昔八幡様こと応神天皇がこの地に籠もっていた時、ここの神様伊奢沙別命(いささわけのみこと)がそれを祝福して魚をどっさり贈ったという逸話が出てくる。もともと「氣比」という言葉は、食べ物を表す古語「御食津(みけつ)」「笥飯(けひ)」という言葉に由来している。さすが北陸唯一の神宮だけあって、真っ赤に塗られた鳥居や白壁の社殿など、非常に鮮やかで立派なものだった。
 社殿の鮮やかさと裏腹に、雨はますますひどくなってきて、ついに土砂降りになった。神社の軒先を借りて雨宿りする。この鳥居も社殿も、晴れていればもっと鮮やかに見えるんだろうに。

 「ついでにこの雨もどうにかしてください。」と氣比の神様に頼んだのがよかったのか、雨は小止みになった。これを好機と敦賀を出る。さらにいいことには、間もなく雨も上がってしまった。「お願いが効いだなが!」と感謝しつつ越前海岸を北上する。空はまだくもっているが、雨が降っていない分、気分は軽い。切り立った越前海岸の断崖を見ながら走るのはなかなかよいものだった。こうして快走した結果、昼近くには福井市の福井県庁に着いてしまった。

 「すげぇ! こんた県庁あったなが!!」

 福井県庁の建物自体はそう変わったものではない。しかしある意味日本で一番変わっている。なんとお堀があるのだ。
 県庁は城跡にある。城跡に隣接している県庁は全国的に数があり、そう珍しいものではない。ちょっと思い出せるだけでも岩手、静岡、山梨、和歌山、大阪、京都、岡山、佐賀、島根、愛媛、高知。城跡そのものに建っている例としては山口がある。
 しかし福井県庁はその中でもずば抜けている。お堀の内側、本来なら天守閣がある場所に、かわりに現代的な建物がにょっきり建っているのだ。これまで全国40以上の都道府県庁を巡ってきたが、こんな県庁は福井にしかない。しかも福井市には路面電車まで走っている。それまでほとんど知らなかった福井市は「日本一変わった県庁がある北陸の大都市」として荒井に記憶されることになった。

福井県庁 健康定食と中華そば
日本一変わった立地の福井県庁で食事中。県庁が現代の城だとすれば、これはこれで理に適っているのかもしれない。

 さておき、県庁食堂では「一番人気!」の札が付いていた健康定食と、地元で旨いと評判のラーメンを食うことにした。健康定食はその名のとおり、牛スジの煮込み、温泉たまご入りのそうめん、豆腐といった体に良さそうな食べ物が揃っている。ラーメンは地元のラーメン百選にも入っているそうだ。すてきに旨いというものでもなかったが、チャーシューにはずいぶん力が入っていて、こだわって作っているようだ。さすがに定食にラーメンは量が多くて、平らげると腹が一杯で苦しかった。

 このまま石川県を目指してもいいが、岐阜の方にも気になる場所が残っている。あれこれ考えた結果、ひとまずここで内陸に入り、岐阜方面を少し廻ってくることにした。
 福井屈指の名刹永平寺は素通りして、福井市から山道を東に走る。山道とはいうものの、このあたりは越前と美濃をつなぐ主要道であるようで、道はそれなりに広いし交通量もある。福井県を出る前に沿道のそば屋の軒先を借りて1時間ほど昼寝した。九頭竜湖の岸辺を走り抜け、油坂峠を下れば岐阜県だ。福井からは意外なほどあっけなく出てこられた。岐阜に来るのもかれこれ九ヶ月ぶりである。

ひるがの高原の分水嶺公園
ひるがの高原の分水嶺公園。水分の地、ここにも。

 ここから北にも南にも、見てみたい場所はあれこれある。ひとしきり逡巡してから、まずは北から廻ることにした。
 ひるがの高原は油坂峠から北に20キロほど行った場所にある。一見別荘などが建つただの保養地だが、分水嶺マニアには珍しい大分水嶺がある場所として知られている。山形の堺田や兵庫の氷上町にあるのと同じく人工の水路が設けてあって、水が日本海と太平洋に分かれ往く様がこの目で見られるようになっているのだ。水路は巧みに作られてあって、一見森の中の小川にしか見えない。その小川が二つに分かれるところに分水嶺を示す石碑が置かれてある。気をつけないと見落としそうな場所にあるのだが、分水嶺マニア荒井はめざとく見つけ、面白がって見物したのであった。

 荘川村(現高山市)で荘川桜を下見してから、近所の立ち寄り湯「桜香の湯」に行った。入浴料は700円と高めだが、設備が非常に整っていた。備え付けの洗髪剤と石けんは檜炭入りの真っ黒いもので、いかにも美容によさそうだ。浴槽には超音波で水流を作る装置まで付いている。しかもタオルは無料で貸し出していた。
 湯上がりに日記を書きつつ、外が暗くなるのを待つ。今日の野宿場所はすでに目星を付けてある。近所にうまいこと人目を忍べそうな、集荷場付きの農協の支店を見つけておいたのだ。
 こっそりテントを張り、残った地獄炊きで夕食にする。今日は趣向を変え、余っていたカレールーでタレをこさえた。てきとうに作った割にはそこそこ旨くできた。


脚註

注1・「ただでは先に行けなくなっている」:一般人が先に進むには見学予約が必要となる。

注2・「管理者が違っていたりする」:美浜原発は関西電力、「もんじゅ」は日本原子力研究開発機構、敦賀原発は日本原子力発電の管轄。

前に戻る文頭に戻る目次に戻るトップページに戻る次を読む