最後の買い物遠征

 起きると朝霧のせいか地面が濡れていた。今日の目的地は名古屋で、お目当ての場所に寄りながらの道中となる。まずは近所のコンビニ「タイムリー」でミックスサンドとオレンジジュースの朝食にした。岐阜県もひるがの以北は山深い。名古屋に近い割にコンビニはあまり見かけなかった。

 天気予報は雨だったりくもったりとはっきりしない予想を立てていたが、いつの間にか青空が覗いていた。旅を重ねてもやっぱり単純なもので、こういうときはもうどこへでも行けそうな気がしてくる。
 気が向いたのでの郡上八幡に寄った。名前だけは知っているが、どんな場所かは全く知らない。街中に城と街の資料館があるというので、こちらを見学することにした。
 郡上八幡は八幡町(現郡上市)にある旧い城下町だ。城は街を見下ろす高台にあって、そのふもとを流れる吉田川を中心に旧い街並みが広がっている。

郡上城 宗祇水
郡上城と湧き水宗祇水。宗祇水の名は松尾芭蕉の高弟飯尾宗祇にちなんでいる。

 城は後世に再建されたものだが、再建されたものでは日本一旧いという、変わった城である。側こそ白壁に瓦屋根の天守閣だが、中は旧い木造小学校のようになっている。「なるほど、確かにある意味これは日本最古だな。」と妙に感心した。
 資料館こと「郡上八幡博覧館」は、大正時代に建てられた税務署を利用した展示館で、郡上八幡の歴史や風俗、名産品などを紹介している。当地に来るまで全く知らなかったが、街は盆踊りでも有名で、夏の間は毎晩のように踊り狂っているのだそうな。特にお盆の頃は夜を明かして四日も踊り続けるそうで、その時街は一番の盛り上がりを見せるのだそうだ。来るのがもう少し早ければ、その盆踊りが見られたかもしれない。
 変わったところでは、街では食品サンプルの蝋細工も盛んに作られている。食堂の店頭によく置いてあるあれだ。展示館のみやげ売り場には、イクラの軍艦巻きや海老フライのキーホルダーが並べられていた。
 街路や建物は昔ながらの趣を残すように整えられており、朝から散策を楽しむ人の姿が目立つ。みやげ屋や食堂も数あって、こちらも散策の楽しみになっているようだ。街中には至るところに水路が張り巡らされ、どこに行っても掘割には澄んだ水が流れていた。湧き水もあちこちに湧いており、「水郷」という言葉を思い出す。吉田川は子供らの格好の遊び場で、子供らが橋の上から思い切り川に飛び込む風景も見られるそうだ。こういう川が身近にあることが非常に羨ましい。

日本まん真ん中センター
日本まん真ん中センター。岐阜県も日本の真ん中を抱えている。

 次に寄ったのは美並村(現郡上市)の「日本まん真ん中センター」だ。日本の中心を名乗る場所はあれこれ見てきたが、ここ美並村のは人口重心点だ。人口重心点とは、日本の国土をやじろべえのような一枚の板に見立て、全国民をその上に乗せた場合、板をまっすぐに支えられる支点、つまり重心となる場所のことだ。村ではこれを絶好の村興しのネタととらえ、こうした施設をこさえたというわけだ。
 センターは巨大な日時計の形をしていて、人口重心点のところには建物を貫くようにして、巨大な針が突き刺さっている。針が強烈すぎて中の様子はあまりよく覚えていないのだが、村と縁の仏師、円空を紹介する展示なんかもしてあった。
 このまん真ん中センターにはちょっとした笑い話がある。美並村では喜び勇んでこの施設を作ったのはいいものの、その後日本の人口が変わったり、大都市に人が集中するようになった結果、重心点が隣町に移ってしまい、美並村は日本のまん真ん中でなくなってしまったのだ。後日当時の村長さんがテレビに出ているのをたまたま見る機会があったのだが、その時このことをネタにしていた。

 そろそろ日も高くなってきた。昼に間に合うよう、岐阜市に向かった。
 今回の岐阜巡り一番の目的は他でもない、岐阜県庁だ。去年愛知県庁巡りのついで、すでに訪れているのだが、営業時間終了で食堂を利用しそびれていた。それが気になっていて、「まだ行ぐぞ!」と機会を狙っていたのだ。
 場所はもう判っている。迷うことなく無事県庁に着き、真っ先に食堂に向かう。食堂はちょうど混みだした頃で、大半の席は先客の職員さんに占められていた。
 食堂の方式も覚えている。出しているのは毎日三種類の日替わり定食だけ。その日の気分で和、洋、麺から好きな定食を選べば、栄養面や献立選びで毎日悩む必要がないという、全国的にもある意味合理的な方式だ。
 この日の和定食はみそカツで、洋定食はあんかけシューマイ定食、麺はチャーシューメンだった。どれにしようか考えていると、それに加えて「限定サービス弁当」というのが目に入ったので、そちらを食べる。県庁では三種類の定食以外にも、日替わりの弁当を出しているらしい。弁当はあんかけカレー春巻きに肉団子のクリームソースがけ、それに玉子焼きやさやいんげんのごまよごしといったものが入って430円という、安くて豪華な内容だった。

岐阜県庁食堂限定サービス弁当
岐阜県庁食堂の限定サービス弁当。九ヶ月ぶりの雪辱だけに味わいも格別。

 名古屋に向かう途中、一宮市の真清田神社に行った。去年来た時はずいぶん雑然とした印象を受けたが、ここ九ヶ月の間に神門の修復や境内の清掃が進められたようで、名前のとおりすっきりきれいになっていた。鳩が多いのはあいかわらずで、境内では子供らが鳩で遊んでいた。

 今日はすでに定宿名古屋ユースに予約を入れてある。受付までの時間を利用して、名古屋城を見物した。この旅では名古屋にも何度か来ているが、その割に名古屋一の名所はさっぱり見ていなかったのだ。
 噂どおり天守閣の上には金の鯱が二匹鎮座している。さすがは名古屋の象徴、金ピカで立派なものだ。ところが天守閣は戦後に側だけ似せて再建されたもので、鯱がなかったらなんの特徴もない。さすがにそれではいけないと思ったのか、名古屋市では本丸にあった御殿を再建しようと画策していて、城内至るところに「再建にご協力を!」と、再建を呼びかける看板が建てられてあった。今度来る時には、新しく御殿ができているかもしれない。

名古屋城
名古屋城。尾張名古屋は鯱で持つ?

 名古屋ユースに転がり込んでも、まだまだ外は明るい。毎度おなじみ大須にレトロゲーム漁りに行った。この日は旧いファミコンソフトを一本買っただけだが、前から気になっていながらなかなか手に入れられない作品を安めに入手できた。まずまずの成果である。
 荷物が増えるにもかかわらず、この旅では何度もレトロゲーム漁りをやった。田舎の山形や東北地方では、手に入れられるものにはどうしても限りがある。ある意味日本一周は絶好の機会だったのだ。レトロゲームを探すうち地元探索に目覚めた荒井だけに、各地での買い物遠征は、日本一周の楽しみの一つだった。名古屋を離れれば、この旅でもう大きな電気街に寄ることもない。

 ユースでは同じく旅の途中という方々とあれこれおしゃべりをした。福井から来た単車乗りさん、電車で西日本横断中の女子大生さん。西日本の県庁をあれこれ見てきたというと、「お勧めの県庁はどこですか?」と請われて、自分が見てきた県庁をあれこれ紹介することになった。仙台から来たという学生さんは原付日本一周の最中で、九州を目指しているところで、ルート選びに余念がない。九州の話でもすればいいのだが、なぜか全く反対の、北海道の話で盛り上がってしまった。
 この日の夕食はユースの食堂で、夕暮れる名古屋の街を見ながらみそカツを食べることになった。名古屋最後の夜を飾るにふさわしい夕食となった。

近畿の果て

名古屋ユースの職員さん 名古屋ユースのペアレントさん
名古屋ユースの職員の方々。何度もお世話になりました!

 朝六時半に起きる。旅に出た頃と比べ、日が昇るのも遅くなったし、暮れるのも早くなった。気が付けば夏らしく暑い日もさほどないまま、秋が近くなっている。もっとも、今年は沖縄や八重山でさんざん夏を味わってきたのだけど。
 朝食はユースに頼んでおいた。鮭の切り身、おかかと昆布の佃煮、厚焼き玉子一切れ、沢庵みそ漬け、金時豆、豆腐の味噌汁。このあたりはまだ東日本なので、納豆も出てきた。これらおかずでご飯を三杯ほど平らげた後、ロビーで天気予報を見る。福井の単車乗りさんがやってきて、福井の名所をあれこれ教えてくれた。「福井に行くんだったら、今庄(現南越前町)の蕎麦がおいしいですよ!」 その他にも名所をあれこれ教えてくれたのだが、曰く「福井には名所や名物があんまりないんですよ。」と、思いあたるものを探すのにやや考え込んでいた。福井県民でない荒井からすれば、どこもかしこも見どころだらけのように思えるのだが。

 名古屋ユースを利用するのも、この旅では今回が最後である。職員の皆さんにすっかりお世話になった礼を述べ、記念写真を撮ってから出発した。名古屋を出る前にもう一度熱田神宮にお参りする。今度はいきなり事故るなんてことのありませんように。大須は月に一度の市の日だった。露店など見物してみたかったが、今は先に進みたいので、またのお楽しみである。

不破関跡
不破関跡。「関ヶ原」の「関」にして日本を東西に分ける関。

 名古屋も大都市なので、脱出には手こずった。車や信号が非常に多いのだ。それでも郊外に出るにつれ車も信号も次第に数が減り、木曽川と長良川を渡る頃には、快走できるようになっていた。「養老の滝」で知られる養老町を縦断し、関ヶ原に出てくる。養老の滝や合戦資料館など見学していこうかと思ったが、駐車料金や入場料が高かったので止めといて、かわりに不破関跡と石田三成本陣跡だけ見物して先に進んだ。
 滋賀県に入ると小雨がぱらついてきた。合羽に着替えて黙々と北を目指す。延々と山道を進んだ末、ようやく余呉高原の栃ノ木峠にたどりついた。

 栃ノ木峠は滋賀と福井の県境となる大分水嶺の峠だ。一帯は余呉高原という高原地帯で、スキー場もある。大分水嶺に近いせいか、結構な積雪があるようだ。
 峠は近畿を代表する河川、淀川の源流点でもある。淀川は日本で最も支流が多い川で、その源流も無数にあるのだが、中でも栃ノ木峠は河口から最も遠い場所にあたるので、ここをもって淀川の源流としているのだ。峠の傍ら、スキー場の向かいには碑が建っていて、ここが淀川源流であることを示している。
 峠に降った水は大分水嶺で太平洋側と日本海側に別れる。太平洋側に下った水は、ここから琵琶湖の水となる。さらにそこから瀬田川として流れだし、宇治川、淀川と名前を変えながら大阪湾に注ぎ、ゆくゆくは瀬戸内海や太平洋になるのだ。
 栃ノ木峠は近畿の果てだ。これで荒井は名実ともに西日本を離れることになる。

余呉高原スキー場と淀川源流碑
余呉高原に建つ淀川源流碑。近畿の果ては北陸につながる。

 雨はいつしか止んでいた。眼下に山並みを見下ろしながら下っていくと、今庄の町に出る。福井の単車乗りさんに「蕎麦がおいしいですよ!」と勧めてもらった場所だ。そのとおり、街中のそこかしこにそば屋の看板が目立つ。町内で昼食にしたのだが、名古屋ユースで朝食をしっかり食べていたせいであまり腹が減っておらず、名物の蕎麦でなくて、「ファミリーマート」でスパゲティを買って軽く済ませた。それに昼をだいぶん過ぎていたので、主だった店は昼の営業を終えていたのだ。

 さらに北上し福井市に戻ってきた。名古屋と福井は意外に近い。伊勢湾奥の県庁所在地から本州を横断し、日本海に迫る県庁所在地まで行っても、ほぼ半日で間に合ってしまった。
 眠くなってきたので、自動車用品店の軒先を借りて一時間ほど昼寝する。さいわい店は休業日で、来る客は一人もおらずゆっくりと寝られた。起きると夕方になっていた。この日は福井市の近郊で野宿するつもりだったので、あたりがさらに暗くなるのを待つ。時間つぶしに寄ったリサイクル本屋では、思いがけず気になっていた旧いゲーム音楽CDを見つけてしまい、やっぱり荷物が増えるというのに買ってしまった。
 夕食は市内の「8番ラーメン」で、ざるラーメンと炒飯を食った。「8番ラーメン」は石川県に本部を置くラーメンチェーン店で、熊本で言う「味千ラーメン」、東北の「幸楽苑」のような存在で、北陸の主だった町ならどこでも見かけられる。
 店の中にいるうち、また雨が降ってきたらしい。勘定を済ませて外に出ようとすると、店のおばちゃんが「外はひどい雨だから、もう少しゆっくりしていったらいかがです?」と、雨宿りを勧めてくれた。しかしDJEBELにくくりつけた地図やら荷物やらをそのままにもしておけない。ご厚意だけ受け取って店を出ると、気をつけてねと送り出してくれた。二年に渡って旅を続けていても、やっぱりこうした小さな気遣いは嬉しかったりする。

 この日も寝る時間になった。目星を付けていたライスセンターは、夜遅くでも操業中だったり人目に付いたりでテントを張れそうにない。野宿場所を求めて福井市の郊外を行ったり来たりした末、九頭竜川の近くでようやく人気のないライスセンターを見つけ、なんとか寝ることができた。


荒井の耳打ち

無人駅での野宿

 荒井は一度も利用することはありませんでしたが、「ステーションビバーク」という言葉もあるほど、無人駅の待合室はよく知られた野宿場です。地図を見れば場所はすぐ分かりますし、屋根がありますからテントを張る必要がありません。駅に来るのはたいがい利用客なので、公園ほど人の心配をする必要もありません。ただし、逆に言えば電車が停まる限り人の出入りがあるということですから、終電後に寝て、始発前に去るといった配慮が欲しいところです。
 場所によっては夜になると鍵がかかって出入りできなくなる駅や、宿泊禁止の駅もあります。このあたりは注意しときましょう。

旅人の便利アイテム〜サンダル

 単車用のブーツや靴はたいがい履きづらいので、すぐに履いたり脱いだりできるサンダルがあると、キャンプ場でくつろぐときなんかは便利です。八重山あたりに行ったときでも、サンダルがあると砂浜を歩き回る時に便利です。高いものである必要はありません。ゴム草履やビーチサンダルの類で十分です。旅人には、サンダルを持ち歩いている方が多かったりします。
 その便利さは分かってるんですが、荒井は持ち歩いてませんでした。ただ単に、荷物に余裕がなかっただけなんですけど。

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