青崩峠

児童注意の看板
南信濃に向かう途中発見。とりあえずどこから突っこめば。

 昨日書きそびれた分の日記を付けていたため、立ち寄り湯を出ると八時になっていた。ようやく青崩峠に向けて出発である。

 青崩峠は長野と静岡の間、国道152号線上にあるのだが車では行けない。峠の前後が登山道になっていて、車で乗り入れできないのだ。国道152号線はところどころに登山道区間を含む「点線国道」として三桁国道愛好家に知られており、青崩峠はそんな国道152号線を象徴する峠として憧れを集めている。そういうわけで荒井もやってきたわけだ。

 峠への道は村の中心部から分岐している。そこから6キロほど進むと「この先行き止まり」の看板が現れた。事情は分かっているのでお構いなしに進むと、やがてどん詰まりに行き当たる。その片隅に登山道の入口があって、ここが青崩峠への入口、点線国道の点線区間の始まりとなっている。
 南信濃のどん詰まりであるにもかかわらず、国道には少なからず往来があった。治山工事用の車両や、静岡方面からの車が利用しているのだ。点線区間は全線舗装の林道で迂回できるので、こちらを使えば一応車でも静岡に抜けられるようになっている。
 気合いを入れて登山道を登りだす。道は整備こそされていたが、ところどころ崩れていたり土砂で流されたりで、名前のとおりだった。途中に小さな祠があったので、道中の無事をお願いしておいた。先人も同じように手を合わせたのだろうか。
 かくして歩くこと20分、ついに青崩峠の鞍部に着いた。峠には古い石仏や峠のいわれを記した案内看板、峠にちなんだ詩歌や峠名を記した碑などが建っていた。休むのにうってつけの露台もある。

青崩峠
青崩峠。辺鄙であるがゆえ、多くの人々に愛されている。

 もともと峠は、信濃と遠江を結ぶ主要道の一つだった。遠州からは塩や魚が、信州からは山の幸がこの峠を越えて互いに行き交った。また峠は南にある秋葉神社への参拝道でもあり、参詣者も多く通った。国道152号線を「秋葉街道」と呼ぶのはその名残だ。後半戦のはじめ、秋葉神社に行ったことを思い出す。この峠は火伏せの神社につながっていたのだ。
 そんな歴史の道が辺鄙な国道になってしまったのは、間違いなく自動車の発達だろう。青崩峠は中央構造線上の地盤が脆いところにある。「青い土が崩れる峠」という名前の由来だ。それゆえに車道を通すこと叶わず、その結果、自動車が交通の主役になると、歴史の道は時代に置いてきぼりにされてしまった。そして青崩峠は、世にも珍しい点線国道随一の秘境になってしまったのだ。
 それだけにこの峠に心惹かれる人は多い。峠は歴史の道として静岡県の史跡に指定され、辺鄙でありながらも手入れが行き届いている。南を見れば遠州の山並みが延々と続いていた。かつてはこの峠を越え、多くの人々が遠州と信州を行き交ったのだ。
 何もないが情緒だけはたっぷりある。それで十分。露台に足を投げ出し、しばらく何も考えずに休む。山を渡る風が涼しかった。

「満津田」のおたぐり
伊那名物のひとつ、おたぐり。下ごしらえで馬モツをたぐるようにして洗ったからその名があると言われる。

 峠を下り飯田市に向かう。天竜川と併走する県道はほとんど信号もなく、ゆったりと流すには全く気持ちがよい。
 天竜川に沿う県南地方は伊那と呼ばれており、飯田市はその中心都市のひとつとなっている。ちょうど昼になったので、市内で昼食にした。南信濃の近辺にはコンビニがない。朝食は高岡で買った炒り豆の残りをかじっただけだった。
 「サークルK」で和風カルボナーラを買って軒先で食べる。次に「満津田」という食堂に寄って、飯田名物の「おたぐり」を食べた。「仮面ライダークウガ」のような名前だが、中身は馬のモツ煮である。豚のモツ煮よりもあっさりしていて、食べると酒が欲しくなる。さすがに単車だったから、飲みはしなかったけど。

大平宿
大平の廃村。人は住んでいないが現在でも有志が管理にあたっている。

 飯田から西に向かう途中、大平(おおだいら)という廃村を見つけた。
 長野県の西部、木曽川流域の一帯は木曽地域と呼ばれている。大平は江戸時代、伊那と木曽を結ぶ峠筋に拓かれた集落だ。長らく宿場町として栄えていたが、戦後になると僻地の不便さゆえ、住人は村を捨ててしまった。ところがその後保存運動が起こり、有志により廃村の維持管理がされるようになった。そのため無人ながらもかつての宿場町の姿をよく留めており、建物は申し込みさえすれば、現在でも催し物や研修、合宿などで使えるようになっている。
 馬籠・妻籠は、大平峠を西に下ったふもとにある。木曽路の宿場町として知られており、現在も観光地として訪れる人々が絶えない。見物しようかとも思ったが、駐車場が有料のところしかなさそうだったので止めといて、馬籠峠にある茶屋で信州名物のお焼きを食べて後にした。
 「木曽路はすべて山の中」と言ったのは確か島崎藤村だったか、木曽に限らず、長野を走っていると、どこに行くにも山を越えてばかりのような気がする。長野には「日本アルプス」こと、県を南北に走る山脈がいくつもあって、その合間に盆地が開けている。旧国では「信濃」とひとくくりになっているが、実際は山脈に分断され、長野、諏方、松本、佐久、伊那、木曽と別々の国に別れているような気さえする。長野に峠が多いのは山が多いからで、これら盆地を結ぶ道として必然的に発達したものなのだ。

「丸明」の飛騨牛朴葉味噌
「丸明」の朴葉味噌。味噌が見えないほど具だくさん。

 明日には野麦峠に行きたかったので、再び高山まで行った。高山から野麦峠まではそう離れていない。国道19号線を淡々と木曽福島町(現木曽町)まで走り、国道361号線に乗り換える。あとは国道に従って走れば高山にたどり着ける。この間寝覚ノ床や木曽福島の街並みなどあれこれ見どころもあったようだが、例によって気が乗らなければ見に行かないのが荒井である。
 県境を越え、高山に着くと暗くなっていた。暗い中せっかくまた高山に来たんだから奮発しようぜと、夕食は飛騨牛を奢ることにした。
 飛騨牛を食わせる「丸明」という店に入る。見るからにアヤしい貧乏旅人でも利用できるだろうかと思ったが、門前払いされることもなく、無事客席に通された。安心して飛騨牛カルビと朴葉味噌焼き、それにライス大盛りを注文する。肉がいいからカルビは塩で食べる。朴葉味噌は飛騨の郷土料理だ。朴の葉の上に味噌と野菜、きのこを載せ、焜炉であぶりながら食べる。この店のは味噌と野菜に加え飛騨牛まで載っかった豪華仕様だ。朴葉のほろ苦さが味噌や具に混じり、素朴で深い味わいが楽しめる。

 飛騨牛にすっかり満足したところで、こないだも利用した高山市近郊のライスセンターにテントを張って寝た。

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