九州内陸一周

九州の内側へ

阿蘇山中岳火口
阿蘇山中岳火口。肥の国が火の国たるゆえん。

 朝六時にネットカフェを出た。空はくもっている。近場のコンビニでサンドイッチとオレンジジュースの朝食にした。熊本城を見物しようと街に行ってみたがまだ開いていない。市内見物は後まわしにして、九州内陸を廻ってこようと街を離れることにした。

 熊本の目印とも言える阿蘇山は日本有数の活火山だ。直径約20キロ、世界最大のカルデラの中にはいくつもの町があり、鉄道まで通っているという話は子供の頃から聞いている。それだけにどういう場所かと楽しみにしていた。
 熊本市から阿蘇山までは30キロほどある。街からだいぶ離れるまで、沿線には量販店など目立ったが、大津町のあたりからは数も減り、道も登り坂になっていった。この登り坂でカルデラの外輪山を越えるわけだ。
 途中国道57号線から325号線に乗り換え、カルデラの南に向かう。最初に行ったのは高森湧水トンネル公園だ。隧道の奥に水源があって、そこまで歩いて見に行けるという変わった趣向が売りになっている。

高森湧水トンネル公園
高森湧水トンネル公園の様子。公園は大人気のようで、見物人も多かった。

 公園の由来も変わっている。その昔鉄道を通すため、阿蘇の外輪山を貫くトンネルを掘っていた。ところが2キロほど掘ったところで大量に吹き出す水脈にぶち当たり、工事は中止になってしまった。後には掘りかけたトンネルが残されたが、トンネルのある高森町はこれを立ち入り禁止の遺構にすることなく、親水公園として整備することを思い立った。こうして世にも珍しい、トンネル公園が生まれたというわけだ。
 隧道の床の中央は水路になっていて、清水が水量豊富に流れている。中を照らすのは壁を彩る電飾だ。ちょうど七夕が近いということで、天井からは様々な七夕飾りも吊され、その出来を競いあっていた。
 一番奥は壁になっていて、そこから絶えず水が流れ落ちている。阿蘇に降った水が湧き出しているのだ。かたわらには水神様が祀られていた。あとは「ウォーターパール」という噴水がある。さすがに奥まで来て何もないというのは申し訳ないと思ったのだろうか。閃光電球と噴水を組み合わせ、水の玉が昇ったり空中で止まっているように見えるという仕掛けで、多くの人が不思議だねえと足を停めていた。

 トンネルの近くには直売所があって、地元の農家のおばちゃんたちが畑で採れたものを持ち寄って売っている。トンネル前の広場にはテントが設けられ、焼き鳥や野菜など売っていた。そこで売っていた手づくり饅頭が旨そうだったので買い食いした。売り子のおばちゃん手づくりで、あんこの小豆や皮の小麦粉まで自家製だ。山形から来ましたと言うと、わざわざお茶まで入れてもてなしてくださった。おばちゃん、どうもごちそうさまでした。あんな旨い饅頭初めて食べました。

阿蘇神社
肥後国一の宮阿蘇神社の楼門。独特な形は神社の目印。

 盛大な草むらを割るような道を走り、カルデラを縦断する。次なる目的地はカルデラの北、一の宮町(現阿蘇市)にある阿蘇神社だ。町の名のとおり、肥後国一の宮である。
 熊本県こと肥後の国は、たびたび「火の国」と称される。それはもちろん「火の山」阿蘇があるからで、神社は古来からの阿蘇山信仰を伝えるものらしい。神社の見所は反り返った二重屋根も見事な楼門だ。
 ところが神社に着くなり、お参りどころでなくなってしまった。着いた途端、DJEBELの後輪がパンクしてしまったのだ。ひとまず参拝を済ませ、神社を写真に収めると、急いでパンク修理ができそうな場所を探すことにした。
 チューブタイヤ車であるDJEBELのパンク修理も、やることは自転車のパンク修理と一緒である。タイヤからチューブを取り出し、穴が開いたところにつぎを当て、タイヤの中に戻すだけだ(注1)。しかし単車はデカくて重い分、かかる手間や必要な腕力は自転車の比ではない。ひ弱さには覚えのある荒井(んなもん自慢するな)、修理は本職の方にお願いしているのだ。

 DJEBELを下り押し歩く。神社前のガソリンスタンドに掛け合ってみると、近所の二輪車屋さんを紹介してくれた。つくづく、こういう街中でパンクするとは我ながら運がいいのか悪いのか。去年、一気走りで東京に行った時も、いきなりパンクに見舞われたが、さいわい山形市まで自走できたおかげで、シュパンダウで修理してもらえたのだ。
 紹介してもらった二輪車屋さん「佐藤バイクセンター」は、本当にすぐ近くにあった。町の二輪車屋さんといった店で、中ではお年を召した職人さんが、自転車や原付車に囲まれつつスクーターの修理をしていた。このご老公が店の主らしい。かまってほしいのか、そばではお孫さんとらしき子供らがまわりをうろうろしている。「あの〜、パンクの修理をお願いしたいんですが。」と切り出すと、「はい。いいですよ。」と快く引き受けてくださった。
 さっそくチューブを取り出すと、釘を噛みこんで何ヵ所も穴が開く重傷だった。こんな釘どこで拾ったんだろう。ここまで重傷を負った場合、取っ替えてしまった方が早いのだが、あいにく替えのチューブがなかったので、穴だらけのチューブを修繕して使うことになった。大手術になりそうだ。

 その間、郵便局に修理代をおろしに行くついで、電動自転車を借りて軽く街中を廻ってきた。町は神社を中心に栄えたようで、近所には狭い路地と建て込んだ街並みが残っている。そして街角至る所に湧き水があった。湧水公園同様、阿蘇の水が湧き出ているらしい。

 一時間ほどして修理が終わった。チューブは特大のパッチでつぎあてされ、なんとかまた走れるようになっている。これなら当面は大丈夫だろう。老職人さんに礼を述べ、一の宮町を後にした。おかげで助かりました!

波野村役場
波野村役場。波野村は上九一色村ともども気になっていた村。

 阿蘇の東の外輪山は、曲がりくねった坂になっていた。波野村(なみのそん・現阿蘇市)はその道で外輪山を越えたすぐのところにある。
 この波野村も、永らく気になっていた場所だった。波野村はオウム真理教が拠点を置いていたことで有名になってしまった村で、その縁で荒井は波野の名を知ることになった。荒井が一時期オウムをネタにして遊ぶのに熱中していたことは前に書いたが、そういうわけで上九一色村同様、日本一周では絶対行こうと決めていたのだ。
 さっそく波野村でも役場に行ってみた。役場は村の中心部にある。中心部とはいえ、あたりに家は少ない。国道からは二キロばかり離れており、そこまでは人気のない道が続いていた。
 土曜日だったが中には職員さんがいて、見どころを教えてくださった。「明日、月に一度の神楽が開かれるんですよ。ご覧になってはいかがですか?」 だったらぜひ見ておこうと、近場で宿を探すことにした。
 波野村というとオウムの印象が強かったが、実際は神楽と阿蘇外輪山の自然が売りの静かな村らしい。なんだってオウムはこんなところに拠点を作ろうとしたのだろう。そういや富士山麓の上九一色村もこんなところだった。

 ところで「村」の読みは地方によって変わってくる。東日本ではまず例外なく「むら」と読むが、これが九州になると「そん」と読むところが増えてくる。沖縄や奄美では十中八九「そん」である。どのあたりが境目になるのかはよくわからないが、この問題、古代の民族の移動とかそういう理由でもあるんだろうか。

原尻の滝
日本百名瀑にも選ばれた原尻の滝。日本のナイアガラの異名があるそうな。

 夕方まではまだ少し時間があるので、阿蘇の東、大分の緒方町(現豊後大野市)にある原尻の滝を見てきた。県境を越えると急に天気がよくなった。一山越えれば天気が大きく変わることはよくあるが、ここではその一山が阿蘇である。
 滝のそばには道の駅があって、駐車場には見物客の車が並んでいる。隅っこにDJEBELを停めてすぐ、隣に大分ナンバーのハーレー(注2)が停まったのであいさつした。乗っているのは中年のご夫婦だった。大分県在住で、休みには二人乗りして様々な場所に出かけるそうだ。ご夫妻には出会った記念にと、草餅までおごっていただいた。どうもありがとうございました。
 滝を見物する前に、道の駅名物のかぼすソフトを食べた。大分名産かぼす果汁入りのソフトクリームだ。クリームの甘さにかぼすの酸味が加わって、さわやかな酸っぱさが癖になる。店番のおねえさんは「レアチーズケーキみたいな味がするってよく言われます。」と言っていた。

 肝心の原尻の滝は、農村の真ん中、田んぼだらけのところにある。滝のすぐ近くまで田んぼが迫っていて、一見ここに滝があるようには思えない。ところが、それがいきなり切れ落ちて幅の広い断崖が現れ、水が轟音を上げているのだ。その幅約120m。なんでこんな田んぼの中にこんなでかい滝がと不思議になる。

 阿蘇に戻る途中、竹田市の竹田温泉「花水月(はなみづき)」に寄った。
 竹田市には唱歌「荒城の月」の舞台になったという岡城址があるが、「荒城の月」を謳う城は他にもいくつかあったような気がする。確か宮城は仙台市の青葉城が「荒城の月」と言っていたし、他の城でも見た覚えがある。いったい「荒城の月」の城(注3)と「喜びも悲しみも幾年月」(注4)の灯台は、全国にどれくらいあるのだろう。
 さておき「花水月」はその竹田市の真ん中にある立ち寄り湯だ。入浴料は500円と手頃で施設も申し分ないが、中にあるロッカーが有料でその分お金がかかった。
 そのまま国道57号線を西に戻る。県境にさしかかり外輪山を登りだすと、また天気があやしくなってきて、とうとう雨まで降ってきた。早めに屋根の下に籠もろうと、宿を探しながら走る。かんぽの宿を見つけたので寄ってみたが、休日前ということもあり、目玉が飛び出るほどの値段を提示されたので退散した。
 かんぽの宿は安いと言われているが、安いのは高級旅館に比べてのことである。ご当地の旨い料理を食べてくつろぐという、高級旅館のような泊まり方をするのならば確かに安いが、貧乏旅人が避難所として泊まる場合、素泊まりでも結構な値段を取られてしまう。しかも郵便局の簡易保険に入っていないとさらに料金を上乗せされることも、覚えておいて損はない。

川瀬食堂のだご汁定食
阿蘇名物川瀬食堂のだご汁定食。これも比較にライターを置いてみました。ちなみに値段は900円也。

 宿は後まわしにして夕食にした。寄ったのは「川瀬食堂」だ。その評判は「ここのだご汁定食が凄いんですよ!」と、志高湖で一緒になった秋野さんから聞いている。
 平屋建ての小さな店だが、国道沿いで、小さく「川瀬食堂」の看板が上がっているのでそれとわかった。時間と天気のせいか客は少ない。座敷では従業員とおぼしきおじちゃんおばちゃんが一息ついていた。だご汁定食を注文すると、そのおばちゃんのひとりが「じゃぁ、腹一杯になっていくかね?」と、厨房に入っていった。
 運ばれてきただご汁定食は堂々たるものだった。丼に溢れんばかりに盛られただご汁に、カレー用の深皿にうずたかく積もった高菜飯。それにひじき煮の小鉢、豆腐、おしんこ。これらがこれでもか!と言わんばかりに目の前に並んでいる。なるほど、これだけ食えば、腹一杯になれるだろう。
 だご汁は小麦粉で作った団子入りの肉汁で、高菜飯は細かく刻んだ高菜を炒めこんだご飯だ。どちらも阿蘇の名物で、一円の食堂で食べられる。中でもここ川瀬食堂は、旅人の間で「阿蘇に川瀬食堂あり。」というほどの知名度を誇っている。
 昼飯を食いそびれてこちらも腹が減っているので、無我夢中で食べる。旅人好みの濃い味付けで、腹ぺこの貧乏旅人にはたまらない。気が付けばてんこ盛りの定食が、すっかり腹の中だった。
 いつの間にか隣の席に若い男女二人連れが来ていた。聞き耳を立てると「今日はかんぽの宿に泊まるんだけど、ここの味が忘れられなくって。夕食だけここに食べに来たんですよ。」と言っていた。料理が売りのかんぽの宿でさえ、川瀬食堂には敵わない(注5)。

 「このへんだとユースかライダーハウスだね〜。」と、川瀬食堂のおばちゃんは教えてくれたが、今から行くにはやや時間も遅い。そのまま西に走るうち「素泊まり5000円空室あり」という看板を掲げた温泉宿を見つけたので、そこに飛び込んだ。「休日前で1000円上乗せになりますがよろしいですか?」と訊ねられたが、それでもさっきの料金に比べればはるかに安い。
 飛び込んだのは「アーデンホテル阿蘇」というところだった。偶然飛び込んだのだが、ここが非常にいい宿だった。数寄を凝らした内装や温泉はもちろん、従業員さんの応対が非常に丁寧なのだ。


脚註

注1・「パンク修理」:チューブを使わない仕組みのチューブレスタイヤというものもあって、そちらは格段にパンク修理が簡単になっている。荒井が乗っているDJEBEL200はチューブタイヤ車。チューブタイヤについては佐渡島編「東京ビッグサイトUターン」の脚注参照のこと。

注2・「ハーレー」:ハーレー・ダビッドソン(Harley-Davidson)。アメリカの単車メーカー。単車乗りなら一度は乗ってみたいと憧れるアメリカンバイクの代表的ブランド。

注3・「『荒城の月』の城」:「荒城の月」の舞台になったという城は日本に三つある。作詞者土井晩翠にゆかりの深い仙台市の青葉城。晩翠が修学旅行で訪れた会津若松市の鶴ヶ城。作曲者滝廉太郎の地元、竹田市の岡城。

注4・「喜びも悲しみも幾年月」:「佐渡一周灯台巡りツアー」脚注参照。

注5・「川瀬食堂」:残念ながら2006年7月に閉店。30年間お疲れさまでした。

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