[BOOK] マイケル・ブレッカー伝
ジャズライフ誌で日本版の発売を知り、すぐにネット予約したものが届きました。表紙裏見返しのこの文章、ジャストこの世代にグッと来ます。フュージョンブームの高校時代に存在を知ってから40年超のマイケルファン、関連する音源を聴き返しながら読み進めました。
1章「“マイケル・ブレッカー”への道」
高校生マイケルは1966年テンプル大学でコルトレーンのコンサートを観ました。亡くなる前年のコルトレーンを浴び、人生を変えるような圧倒的な体験となったのだそうです。
マイケルの演奏から各時代のコルトレーンの影響が聞き取れます。別ライブでは白人だからと入場を断られたエピソードも。
2章「大学生活とシカゴの悪夢」
スタンゲッツの伝記ではドラッグまみれの荒んだ生活が続き、悲惨なエピソードばかりで気が滅入って読んでいられなくなったりするのですが、マイケルの周辺にもそういうことがあったという件です。かなりディープな薬物中毒だったことが記されていて、私が持っていたマイケルのイメージからすると驚きの内容です。
3章「ロフト・シーンとビッグ・アップルの夢」
マンハッタンに移り住み、ドリームス、ホレス・シルバー、ビリー・コブハムのバンド等で注目を集めます。
実はドリームスの2枚目とか存在も知りませんでした。聴いてみるとバラードナンバーでのソロが秀逸、この頃のマイケルが楽しめます。
4章「ブレッカー・ブラザーズ誕生」
あらゆる音楽シーンで活躍するマイケルについて記されています。
5章「深まる薬物依存ー完璧なる8分音符のために」
絶頂期と思いきやリハビリ施設へ、再出発とともに悲しい別れもありました。
6章「更生プログラム」
麻薬から抜け出しステップス・アヘッドでの活躍。
7章「スーザンとの新たな人生」
結婚、作曲、EWI、経営が難しかった伝説のセブンス・アベニュー・サウスが閉じられます。
読み進めながら、これもう一回聴かねば、これまだ聴いてない探さねば・・・時間がいくらあっても足りません。
8章「ソロ活動へー悪役マネージャーとEWI」
満を持してのリーダーアルバム録音。1987年4月に初リーダーアルバム「マイケル・ブレッカー」が発売された後、ツアーバンドを組んで来日もしています。この時六本木ピットインで初めて生マイケル・ブレッカーを観ました。当時は凄すぎて正直何をやっているのか良く分かりませんでした。この時のプライベート録音がCDとして発売されていたり,動画が上がっていたりして,あの時のもの凄さを再確認しています。
9章「ポール・サイモン、そしてランディとのリユニオン」
キーワードはアフリカ音楽、聴き馴染んだ作品が生み出された過程にワクワクします。
ジョー・ヘンダーソン論争、そんなことがあったとは辛くなります。マイケルのジョーヘンレスペクトは良く知られていたはずですが、ジョーヘン本人にそんな受け止め方をされていたとは・・・。
1991から1992年にかけて、ポールサイモンのワールドツアーに参加しています。YouTubeにセントラルパークでの無料コンサートでの様子が上がっていました。マイケルはこのツアーでアフリカ音楽の影響を強く受けたとのことです。
10章「ジャズ・レジェンドたちとの邂逅」
マッコイ・タイナー、ハービー・ハンコック、そしてエルビン・ジョーンズとの共演、ホレス・シルバーとの再会・・・。
11章「広がる地平」
サキソフォン・サミット、ニアネス・オブ・ユー、ディレクションズ・イン・ミュージック、ソロ・パフォーマンス、アメリカン・ドリームス、クィンデクテット、ファーマーズ・マーケット・・・。常に新たな方向へ、限界への挑戦が続きます。
この章の最後に出てくる2004年マウント・フジでのステップス・アヘッド。マイケルの腰の不調、時々背中に手をやる仕草が痛々しく見えてしまいます。
12章「病の軌跡ー聖地への旅」
遺作となったアルバム「聖地への旅」の最終ミックスにゴーサインを出した4日後にマイケルは息を引き取ります。
自宅の地下スタジオにはSBA3本とマークⅥ3本が残されていて、ティム・リースがメインのマークⅥを引き継いでいるとのこと。NYのジャズ・スタンダードで聴いたティム・リースはこのテナーを吹いていたのでしょうか。だとすれば、初めてのNY旅行の初日に間接的にマイケルに会えたことになります。
この作品を聴こうとすると、どんな辛い思いをしながらの録音だったのだろうかと考えてしまい、なかなか楽しんでは聴けなかったのですが、この本からある程度様子が分かったことで、初めて良さを味わって聴けるようになった気がします。