[Essay] サックス抱えてサークル活動 大学生編

還暦を記念してサックス生活を振り返ろうということで、10年程前に旧ホームページに掲載していたコンテンツを再編集しました。大学生編です。もともとは2014の春にツイッターへの書き込みをまとめたものです。登場人物は仮名ですが、現在プロミュージシャンとして活躍しておられる方は実名にさせていただきました。

学生時代の音楽生活の追憶

長男のY大学入学式後,会場の外に出るといろいろなサークルが賑やかに新入生を勧誘している。ジャズ研もいるかな。新歓ライブ,下手なの気にせず部室の前で演ったっけなあ。学生時代のサークル活動の思い出を並べてみる。

 

1982年4月,小金井のアパートに引っ越した夜,大学構内を歩いてみた。プール横の黒い小屋からドラム~サックスの音が聞こえて来る。恐る恐る部室の扉を開けるとテナー,ビブラフォン,ピアノ,ベース,ドラムという編成のバンドだった。後日,テナーのU先輩が石森管楽器に連れて行ってくれた。今のような立派な店舗になる前のこと。ロリンズとオヤジさんの写真が印象的だった。パチンコ屋のわずかなバイト代を頭金に中古テナーを購入,仏マークシックスだった。

 

まったく初心者の私に,サックスの基本的な扱い方,呼吸法などを教えてくれたのは,吹奏楽部上がり,1年上のN坂先輩だった。最初に組んだ練習バンドはテナー、クラリネット、ピアノ、ベース、ドラムの編成で夏合宿でブルースとブルーボッサを演ったのを覚えている。クラリネットのK山君は誰だったかのアドリブソロを完全コピーして吹いていて驚いた。 私はドレミファソラシドを複数のキーで覚えるので精一杯のレベル。憧れのサックスを手にしバンドで演奏していることにワクワクした。 夏合宿の発表会では先輩達が盛り上げてくれた。

 

当初,アドリブはそこのキーだけ意識してデタラメに指を動かしていた。ある日,ギターのT田先輩がツーファイブの基本フレーズを教えてくれた。翌日「昨日の演ってみろ」と言われたが,練習していなかった私の体は宙に浮いていた。T田先輩は柔道をやっていたらしい。

 

二年目の春だったと思う。サークル内でリーダーバンドを組んだ。 ピアノトリオのリズムセクションに4年生のギターの先輩も加わってくれた。ギターT田さん、ピアノUかりちゃん、ベース川畑君、ドラムスE口君、テナー今、だったと思う。ベースの川畑君は現在プロミュージシャンとして活躍している。スプリングコンサートでバイバイブラックバードと夜は千の目を持つに取り組んだ。 ジョン・コルトレーンやハンク・モブレイのフレーズをコピーして使う楽しみを覚えた。 T田先輩からバンドリハーサルの進め方も教わった気がする。T田先輩はスプリングコンサートのみの参加だった。

 

その後、このバンドでサマーコンサートにも出演させてもらった。 音楽サークル合同の学内野外コンサート。 曲はロリンズのカリプソとかミスターPCを選んだ。夏の野外コンサートでマイナーブルースかよとも言われたが, あの頃はコルトレーンの様に熱く吹きまくる真似がしてみたかった。学園祭時は法政大工学部ジャズ研のK脇さんがゲスト参加してくれた。

 

あの時期にコピーしたものの多くが、現在でも自然に出てくるお馴染みフレーズとなっている。コルトレーンのミスターPCのアドリブコピーを練習していたら、アルトサックスの先輩がアドバイスしてくれた。 現在、熱帯JAZZ楽団等でご活躍の藤陵さん。サックスの調整の状態もひと吹きで分かる凄い方だった。

 

二年目の学園祭の季節、下手なくせに意気込んで他大学のジャズ研ライブセッションに出かけた。 一橋大ジャズ研でソニー・ロリンズのビレッジバンガードライブのような演奏に圧倒された。同世代の学生でこんな演奏をする人達がいるのか、衝撃だった。ドラムが狩野さん、テナーが岡さんだった。テナーのケースを持っている私に、女性部員の方が声をかけてくれた。「セッションいかがですか。」 逃げ出したい気持ちながら楽器を組み立てツーテナーのセッション。ロストしまくりだったが妙な充実感があった。

 

息子の引越しをしながら、自分の学生時代を思い返していたら、調子に乗ってしまった。 忘れていたことを思い出したりして面白いので、このまま回想録風に続けてみよう。

 

コード,ケーデンス,スケール等,音楽理論はサークルの先輩から教わった。 教本はサークル部員必携の1冊 「MODERN JAZZ SCHOOL ジャズ理論講座2コードプログレッションとアドリブ技法」最初はなかなか理解できなかった。1982年初版発行、佐藤達哉さん著「ジャズ・テナーサックスの技法」はあの頃一番お世話になった教本だった。雑誌ジャズライフの記事にもモチベーションを高めてもらった。書店でアドリブコピー集「ソニー・ロリンズの奇跡」「ジョン・コルトレーンの軌跡」を見つけ,有り金はたいて購入した。合わせて4400円だったが当時の私にはけっこうな額だった。

 

コンファメーションのテーマを練習していたら,通りがかった先輩が一緒にトロンボーンを吹いて「コンタク,いい練習になったぞ」と言ってくれた。とてもうれしかったのを覚えている。 現在、東京・スカパラダイス・オーケストラのリーダーとして有名な北原さん。北原さんは部室に来ると,鏡とマウスピースだけ持って延々と基礎練習している方だった。いろいろ影響を受けお世話になったのはテナーのU田さん,現在も名古屋,四日市方面を中心にテナー奏者として活躍している。音楽的な刺激が楽しくて,ちょっと上の先輩達にくっついているのが好きだった。

 

サークル名は軽音楽部であるが,インスト中心でジャズ研と言ってよい活動内容であった。学芸大生以外の部員も多かった。大学には教育学部音楽科があり,幼少の頃からピアノ等に触れている部員も多かった。絶対音感というものの存在を初めて知った。「うちのピアノはね,ラー,これぐらい。」「そうなんだ。うちのはね,ラー,これぐらい。」自宅のピアノの調律について,先輩達の会話は驚異の世界だった。自分のサックスのチューニングをしようとしても,ピッチが高いのか,低いのか,良く分からなかった。うん十年経ってもあまり自信がない。

 

学園祭での軽音楽部のライブハウスKey-Cocko(キーコッコ)は毎年ワクワクするものだった。当時の大食堂横の通路をライブハウス風に仕立て,飲み物各種,軽食等のメニューも提供していた。お店の内装に凝り,午前10時頃から深夜まで交代でバンドの演奏が続く。先輩やプロを含むOB達の演奏に触発されるものが大きかった。夜のセッションも学外からの参加が多かった。3年目だったか,4年目だったか忘れたが,Key-Cockoでの演奏後,見知らぬ女性からバラの花一輪を手渡され,天にも昇る気分になったという思い出もある。お客さんの勧誘やお店のウエイターの仕事はあまり得意ではなかった。女性客をどんどん呼んでくる内T先輩がかっこ良かった。学園祭の楽屋で、私のテナーに先輩の彼女が引っ掛かって落下,グシャグシャにつぶれてしまったことがあった。修理に数万円かかったが,先輩はバイト代から支払ってくれた。

 

3年目に入った頃,同学年メンバーでリーダーバンドを組んだ。ピアノO口さん,ベースT中君,ドラムスE口君,テナー私。O口さんが千葉から通学していること,タモリの深夜番組「今夜は最高」のネタから取って,バンド名を「総武トレイン」とした。このバンドでは,サム・アザー・ブルース,ソウル・トレイン,バイオレット・フォア・ユア・ファーズ等,ジョン・コルトレーンゆかりの曲に多く取り組んだ。私が抜けてピアノトリオでビル・エバンスの完全コピー演奏を披露したこともあった。50年代のトレーンを追いかけたかったが,メンバーはもっと新しい時代の曲を演奏したがっているのが伝わってきた。メンバーの行方不明等いろいろあったが,バンドはO口さんの卒業まで続いた。デュコフのマウスピースを使ってみたら,「コンタクの音が良くなった」という人が多くて苦笑した。テナーサックスと言えばそういう音色が求められる時代だった。ビーチラーのマウスピースが気に入っていたが,電車の中で落としてしまった。ソフトケースのポケットが開いていたらしい。

 

高校時代に聴いていたマイルス・デイビスからジャズに入ったこともあって,2フロントバンドに憧れていた。トランペットのH野さんが,楽器始めて1年ほどの私を合宿でのリハーサルバンドに誘ってくれた。 クリフォード・ブラウン等でお馴染の曲を練習したが,リフが滑らかに吹けずかなり足を引っ張った。合宿が終わると,私抜きほぼ同メンバーの別バンドが活動を始めていた。それから数年後,後輩のF松君を引き入れて再びトランペットとの2フロントが実現した。イフ・アイ・ワー・ベル等でマイルスクインテットの気分を楽しんだ。トランペットと言えば,現在スカパラで活躍しているナーゴ君も軽音に在籍していた。彼とは他バンドのホーンセクションで一緒に演奏したことがあった。

 

本家マイルス・デイビス・バンドのライブ演奏は読売ランドのオープンシアターEASTで何度か観ることができた。ビル・エバンス,ボブ・バーグ,ケニー・ギャレット等のサックス奏者を生で聴いた。会場で見つけたビル・エバンスと握手を交わした。オープンシアターEASTは2013年で営業を終了している。

[YouTube] Miles Davis - 1983-05-29, Yomuri Land Open Theatre East, Tokyo, Japan

 

時々,ライブハウスでプロの演奏を聴き刺激をもらった。下北沢T5,西荻窪アケタの店,旧新宿ピットイン,六本木ピットイン,高円寺ジロキチ,府中バベルセカンド・・・。日本人テナー奏者でよく聴きに行ったのは,髙橋知己さん,植松孝夫さん,井上淑彦さん,峰厚介さん,山口真文さん。

 

マスターの人柄に惹かれ国分寺のジャス喫茶「プー横町の店」には良く通った。常連客の皆さんとも仲良くなり,常連バンドを組み,国立あたりで何度かライブをやった。(日付から下の写真は社会人1年目のもの)マスターがドラムをたたいた。吉祥寺に行った際は,中古レコード店を物色し,ジャズ喫茶A&Fのリスニングルームで新譜を聴かせてもらうのがお決まりコース。アルバイトの女の子が可愛かった。

 

著名なテナー奏者が来日する際は財布をはたいて出かけた。ソニー・ロリンズ,チコ・フリーマン,ウエイン・ショーター(ウエザー・リポート),ジョー・ヘンダーソン,アーチー・シェップ,ジョージ・アダムス(ギル・エバンス・オーケストラ),マイケル・ブレッカー,スティーブ・グロスマン,デイブ・リーブマン(クエスト),ブランフォード・マルサリス・・・。VHS&ベータのビデオやレーザーディスクが出始めの頃だった。海外から入手したビデオを観せてくれるお店が中野にあり,仲間と何度か足を運んだ。動くマイルス&トレーンのソー・ホワットは背筋に走るものがあった。

[YouTube] Miles Davis - So What (Official Video)

 

ジャズ批評の48号「テナーサックス特集」には,いろいろ影響を受けた。ここで紹介されているテナー奏者のレコードを意識的に聴いて幅が広がった。さらに,「日本のテナー紳士録」に出ている日本人奏者を片っ端から生で聴いてやろうと思い立ち,ピアをガイドにライブハウスを巡った。その頃聴いた日本人サックス奏者の方々、佐藤達哉さん,酒井春雄さん,今泉裕さん,ボブ斎藤さん,鈴木雅之さん,榎本秀一さん,国安良夫さん,林栄一さん,松風鉱一さん,渡辺貞夫さん・・・。府中のバベルセカンドで山中良之師匠を聴いた時,グッとくるものがあった。終演後お話しさせてもらうと気さくな人柄,弟子入りをお願いした。この後約2年間,月1回のペースでレッスンを受けた。

 

神保町の下倉楽器の練習スタジオでレッスンを受けた。10円コピーの店で大量の手書きの楽譜をコピーすることからスタートした。現在は石森管楽器のスタジオでレッスンを行っている様子。レッスンの内容は,アンブシャ,ロングトーン,オーバートーン,インターバル,リズム,スケール,フレーズ,コピー譜の演奏,アドリブラインの作成等。次回までの課題をもらい,練習の成果を見てもらってアドバイスという繰り返し。教わったツーファイブ等のフレーズを12キーで吹けるようにしていくのがなかなか大変だった。繰り返し練習してフレーズそのものを覚えるのと実際の演奏で使えるようになるのはイコールではなかった。コピー譜にタンギングのポイントを書き込んで吹く,メトロノームを3連符の3つ目に感じながら演奏する等は,良い練習になった。その後あるドラマーから「一緒に演っていて気持ち良い」と言ってもらえたことがあり,嬉しかった。早吹きに憧れ,アパートで運指の練習だけ繰り返した。その成果が少しずつ形になっていくのが分かって夢中になった。先輩に「粘り強い東北人」と笑われたが,悪い気はしなかった。

 

当時,山中良之師匠はサックス教本を書いている途中で,原稿を見せてもらったりした。出版後,かなり売れたらしい。レッスン後,居酒屋でいろいろ話を聞かせてもらったこともあったし,アパートに遊びに行ったこともあった。京都薬科大を出て薬剤師の国家試験に合格しているジャズマン。コルトレーンの演奏に魅せられテナー奏者を志したという。私がお世話になっていたころコルトレーン系と言われる演奏スタイルであったが,あれからうん十年経って変化している。当時,ファットリップスと呼ばれる上下とも唇を巻かない奏法であったはずだが,現在は上下とも巻くダブルリップであるらしい。私がアーチー・シェップのライブで観たヌルヌルと超リラックスしたアンブシャの話をした時,興味深そうに聞いてくれていた。

ジャズサックス奏者 山中良之 のページ: yoshiyuki yamanaka

山中師匠のライブは何度も聴きに行った。レッスンで教わっていることを実際にどのように使っているのか分かる部分もあった。ジョン・コルトレーンの曲リベリアでオーバートーンを駆使する様は圧巻であった。新宿ピットインでのライブを聴き入った際,長身の学生が飛び入りでフォアを演奏し,強烈な印象を受けた。師匠に聞くと早稲田の学生で私と同い年らしい。Y木さんとはこの20数年後に新潟で再会し一緒に演奏させてもらうことになる。

 

1986年1月,ステーブ・グロスマンが来日,新宿ピットインで日本人ミュージシャンと演奏した。日によって調子の良し悪しがあったようだが、凄まじい印象が残った。プロアマ問わず見覚えのある信者達が集まり異様な雰囲気にまで盛り上がった。1987年4月,六本木ピットインでのマイケル・ブレッカーバンドも同様だった。当時の録音は宝物である。

[YouTube] Steve Grossman Live At Pit In Jan 18 1986

[LIVE] Michael Brecker Band 1987 4 14

 

軽音楽部の春合宿は岩原スキー場のスタジオ付ロッジが宿だった。スキーは中高時代部活動でやっていた私にとって過酷な競技でしかなかったが,都会の人たちには華やかなリゾート感覚があることを知り新鮮だった。軽音楽部のメンバー何人かを蔵王スキーに案内したこともあり思い出深い。

 

立川市の小学校での教育実習で,好きな内容でいいから音楽の授業もやってみなさいと言われ,リコーダーで即興演奏をしようという授業を考えた。Cのブルース上で好きに吹かせようと考え,後輩達に伴奏用マイナスワンの録音協力をお願いし部室に集めた。ピアノ堺君,ベース須藤君,ドラム滑川君,3人とも現在はプロミュージシャンという贅沢メンバーだった。

 

3年目ぐらいからだったか,学内外の他音楽サークルでも演奏する機会に恵まれた。モダンフォークの「貫井北町ベイブルースバンド」では,ドゥー・ビー・ブラザーズのロングトレイン・ランニング等を演った。悲しい色やねのサックスソロも楽しかった。ギターK川君,ベースM出君,キーボードSっこちゃん・・・。

 

法政大学工学部の音楽系サークルのメンバーが中心の「マッハ森とゴー・ゴー・ゴー」では,サム・スカンク・ファンク,コクモ・アイランドといったフュージョンを中心に演奏した。学園祭の時期は50CCのスクーターにテナーケースを載せて行ったり来たりした。今思えば心もとないサックスをよく仲間に入れてくれたと感謝する。ピアノの宮前君は現在プロとして活躍している。

 

ロック系サークル,音楽友の会ではKばやん&Tかちゃんのバンド「ミス・トーン」に参加,レベッカ等の曲を演奏した。小金井祭のライブでのテナーソロに深いリバーブがかかり,ミラーボールが回転する光景が懐かしい。

 

塾の講師と家庭教師の掛け持ちで,バイトの方も稼げるようになり,後半は比較的裕福な学生生活になった。夏休みは塾の夏期講習で1日10駒授業を持ち,当時まだ高価だったVHSのビデオを購入。アパートに仲間を集めてライブビデオ鑑賞を楽しんだ。

 

軽音楽部では後輩達との「今グループ」を組んだ。メンバーは,ピアノN島さん,ベース川畑君,ドラムスS藤君,テナー&ソプラノ私のカルテット。時折ボーカルやギターのゲストを入れた。コルトレーン,ロリンズ,ショーター等,テナー奏者所縁の曲を中心に演奏した。私の代の卒演では,このバンドでイエス・オア・ノウ,イン・ナ・センチメンタルムード等を演奏し,良い思い出となっている。卒演では,私の我がままでやってみたかったエレクトリックマイルスバンドも実現させてもらった。マイルス役はF松君,マイク・スターン役がF島君,アル・フォスター役をS藤君,ビル・エバンス役が私,マーカス・ミラー役はその後Tスクエアに抜擢された須藤君だった。

 

その後,法政大工学部のマッハ森ではボーカルを入れてスティング・バンドのコピーもやった。コーラスに東京家政大の女の子達に入ってもらい,家政大の学園祭にも出演させてもらって盛り上がった。吉祥寺のライブハウスを借り切ってのイベント等も企画した。

 

大学にはプラス一年残ることになった。大学5年目は教員採用試験等もあって,リーダーとしての活動はしなかった。後輩バンドにゲストで入ったりしたように思う。学園祭でギターの中鉢君のバンドに参加して彼のオリジナル曲を演奏した。彼もまたプロギタリストとして活躍している。

 

学生時代の音楽生活を一気に振り返ってみました。素敵な方々のお陰で,たくさん楽しませてもらったこと,改めて感謝したいと思います。大学卒業後、東京都の教員となってからも趣味の音楽活動は続きました。

[Essay]Weekendサックス吹きのJazz Life 社会人編

2024年01月28日