[Essay] サックスとの出会いとあこがれ 高校生編

還暦を記念して、これまでのサックス生活を振り返ろうということで、あちこちに書き散らしていた思い出を集めまとめてみました。高校生編からスタートです。

 

テナーサックスへの憧れ

中学校を卒業し高校へ進学するとともに、米沢市内での下宿生活が始まった。部屋にあるのは、親にそろえてもらった机、昭和レトロなファンシーケース、小さな食器棚、布団、そして進学祝いで買ったビクターのラジカセ。ラジカセは小さいながらも、外付けの小型ステレオスピーカーが付いていて、隣の部屋の迷惑にならない程度の音量で聞くには十分、はじめて自分のものとなったラジカセで気に入っていた。

やがてテレビのない生活に慣れ、ラジオのFM放送を聞くのが楽しみになっていた。当時米沢市内で受信できるFM放送はNHKだけだったが、数種類のFM番組ガイド雑誌が隔週で販売されていて、放送予定表を見ながらポピュラー系の音楽番組を聞くようになっていった。(写真はネットオークションで手に入れた懐かしのFMレコパル)同じ下宿の先輩達も同じような生活をしていて、その辺の情報交換も楽しいものだった。

 

FM番組の影響で、サザンオールスターズなどのJ-POPから洋楽やインストロメンタルな音楽へとシフトしていった。平日夕方の「軽音楽をあなたに」深夜の「クロスオーバーイレブン」土曜日の「セッション〇〇‘」(〇〇は年号の下二桁)などの番組からいろいろと影響を受けた。カセットテープに録音し、気に入ったのを保存しておきたくとも、カセットテープを買い増すお金がなく、仕方なく上書きして録音することが多かった。


高校時代はスキー部に所属していて、夏場は軽めの体力トレーニングが中心。進学校だったこともあり、スキーシーズンと受験シーズンが重なるので、1,2年生のみで活動していた。早めに練習を終えて市内の喫茶店で過ごしたりすることもよくあって、小遣いを気にしながら、背伸びしてジャズ喫茶に出入りするようになった。マイルスという名のお店だった。

(二階にジャズ喫茶マイルスが入っていた建物 :Googleストリートビューより)


マイルスへの出入りからジャズに興味を持ち始め、FMラジオでもインスト系の音楽に注目するようになった。ジャズ喫茶マイルスにおいてあった雑誌、スイングジャーナルやジャズライフの記事で覚えたミュージシャンに注目して聴いた。渡辺貞夫やボブ・ジェームス、クルセーダーズなどの当時フュージョンと呼ばれていた音楽をよく聞くようになった。雑誌の記事を参考に何枚かLPレコードを買ってみた。プレーヤーがないので友達にお願いしてカセットテープに落としてもらって聴いた。

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マイルスで過ごしていたある時、大音量で流れるサックスから背筋にゾクゾクっとしたものを感じる瞬間があった。LPジャケットからマイルス・デイビスのアルバムKind of Blueに収録されている曲So Whatのテナーサックスソロであることを確認した。ここで初めてJohn Coltraneを意識したように思う。また、FM番組「軽音楽をあなたに」のJohn Coltrane特集を録音した中に、陶酔させられるような独特の浮遊感を感じる曲があって、その曲ばかり繰り返し聴いたものだった。My Favorite Thingsだった。


マイルスのマスターにチケットを取ってもらい、吹奏楽部の友人と初めて観たジャズコンサートでも、生のサックスの響きが強烈な印象として高校生の心に刺さった。高校3年の時、カムバックしたマイルス・デイビスの新宿ライブがテレビ放送された。テレビとラジカセをケーブルでつなぎ、音だけ録音して何度も聴いた。

[LIVE] 日野照正 1980 12 9

[YouTube] MILES DAVIS COME BACK JAPAN TOUR'81

 

こうしてサックスの魅力に惹かれ、ジャズ&フュージョンの世界へはまっていったのでした。サックス奏者に憧れ、「俺は東京の大学に入ってサックス吹ぐぞ!」をモチベーションに受験勉強に励んだことを思い出します。

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2024年01月28日